108.トカゲ男
その時、背後から空気が動く気配を感じてリズは大きく横に飛んだ。一瞬遅れて、彼女がいたその場所に大きな衝撃が落下してくる。
「鞭……!?」
「いや、尻尾……?」
それは長くて太い、爬虫類の尻尾のようだった。月明かりを受けて、その皮膚はてらてらと緑銅色に光っている。
「やっぱり、女の方がいいなァ」
声がして、リズは咄嗟に背後を振り返った。
(いつの間に……!? 足音がしなかった……!)
そこにいたのは、一見リザードマンを彷彿とさせる男だった。
四肢と、異様に長い尻尾はトカゲの様。しかし顔は人間を思わせる。ただし目は黒目しかなく、鼻は無い。口は耳まで裂けていた。
「合成獣か」
「あー、男は嫌いなんだ。固ぇし、筋ばっかりで美味くねぇ。血も臭くて不味いしな。おまけに喫煙者は最悪だァ」
魔物の軽口に耳は貸さず、セイルはその尻尾を剣で切り落とした。
「おいおいおい! いきなり俺の自慢の尻尾に何してくれてんだ!?」
魔物はセイルを睨み付ける。両手の鋭い爪を振り上げ、彼に襲い掛かる――かと思いきや、その裂けた口元を歪ませてニヤリと笑った。
「――なァんちゃって」
刹那、斬り落とされた尻尾の断面から新たな尻尾が生えてきた。それはまるで蛇のようにうねり、リズの体に巻き付いた。
「しまっ……!?」
完全に油断していた。
両腕ごと締め付けられ、刀を振るうことも出来ない。
「リズ!」
再度セイルが尻尾を斬り落とそうと剣を振り上げたが、魔物は尻尾にリズを捕らえたまま、地面を四つ這いになって走り出した。
「……っ!?」
魔物は手足の吸盤を使って、訓練場の壁を駆け上がって行く。
「放……せ……っ!」
「いいよォ」
ぱっと、尻尾の力を緩める魔物。途端にリズは空中に放り出され、真っ逆さまに落ちていく。
「なっ……」
「なんてな、なんてな! ジョーダン! 面白かった?」
地面に激突する寸前で、尻尾がリズの足首に巻きつき、彼女の体を引き上げた。
「この――」
リズは逆さ吊りのまま、刀を構える。
「そんなもん振り回しちゃァダメだよ」
魔物は尻尾を振り回し、リズをまたしても空中に放つ。そして刀を尻尾の先で叩き落としてから、またリズの体に巻き付いた。
セイルは玩具のように弄ばれるリズを見上げ、歯噛みする。
「くそっ! 降りて来い!」
「ヤーだよォ」
訓練場の壁に張り付いたままでは、セイルには手出しが出来ない。
「俺は静かに食事を楽しむ主義なんだ。じゃあねェ」
魔物はリズを捕らえたまま壁を移動し、更に木から木へ飛び移りながら城の方へと姿を消した。
「地面に降りて放しなさい!」
「あんたも女なら、もうちょっと可愛い声でも出してみろよ」
魔物は走りながら尻尾に力を込めた。
「……ぅ……っ」
「ほらほら。骨が砕けちゃうよォ? 『きゃー! やめてー!』って言ってごらん?」
「この……変態……クソ野郎……!」
魔物は高い城の城壁も軽々と超え、他に人や魔物の見当たらない中庭の一角へと降り立った。
「……いいねェ。強気な女は嫌いじゃない」
魔物はリズを解放する。その瞬間、リズは刀を出現させると刀身を横に薙いだ。
「……っぶねぇ! なんだその刀ァ!? さっき叩き落としたのに!」
魔物はスレスレで斬撃を躱し、手近な壁を登った。
「降りて――来いっ!」
リズは刀を槍のようにして魔物に投擲する。
まさか武器を投げるとは思っていなかった魔物は、慌てて壁を蹴って地面へと逃げた。刀は壁にぶつかり、乾いた音を立てて地面に転がり落ちる。
「馬ァ鹿! 武器を拾いに行くロスが――」
「無いわよ、そんなもの」
守護剣は、離れていても念じれば所持者の元へと帰ってくる。
再び刀を握ったリズは魔物の首を狙う。しかし刃が届くより速く、尻尾がリズの体を横から殴打した。
(あの尻尾……速い……!)
すぐに体勢を立て直すが、顔を上げた時には魔物の姿はそこには無かった。
「!?」
壁かと見上げた時には既に遅い。
「その刀、厄介だなァ」
尻尾がリズの右腕に絡み付いた。
そして。
「いい声で鳴けよ」
――ボキンッ。
「っっぅあぁ……っっ!!」
リズの右腕が歪な音を立て、あらぬ方向へと曲がった。
刀は力無く手のひらから滑り落ちる。
「ぁ……うぅ……!」
「いいねぇ。美味そうな声だ」
「……こ……の……」
リズは耐え難い激痛を奥歯で噛み殺し、左手で刀を拾う。
利き腕を折られても、片時も魔物から視線を外そうとしないリズに、魔物は少しだけひやりとした。
「……はっ。まだヤる? その生意気な目が恐怖に歪むまで、身体中の骨を折ってやるよ。次は脚を――」
「私のリズにぃぃ、手を出すなぁぁ!!」
「……な……」
リズを呼ぶ野太い声と同時に、背後から魔物の背中に剣が突き立てられた。
目を見開いた魔物の尻尾が動く。だが今度こそ、尻尾が届くその前に、リズの左手に握った刀が魔物の首を斬り落とした。
「は……っ。はぁ……っ!」
魔物の首が血を噴き、地面に転がり落ちるのを確認してから、リズは地面に膝を着く。
「リズ! 大丈夫か!? なんという……」
「……ブラッド……フォード隊長……」
魔物を背後から刺したのは、第1部隊長ブラッドフォードだった。彼は青ざめた顔でリズの右腕に視線を落とす。
「腕を折られたのか……すぐに手当てを――」
「助けていただいて、ありがとう……ございました。でも……」
リズは深く頭を下げる。そしてその角度で、目だけを上げてブラッドフォードを睨み付けた。
「私は、あんたのものじゃない」
「あ……いや、それは……」
「次はセクハラで訴えます。本気で」
「セ、セク……!?」
呆然と立ち尽くすブラッドフォードに一礼すると、リズは右腕をだらりと垂らしたまま歩き出した。
(せっかくあいつが、穏便に済ませてくれたのに……)
「ほんっと、馬鹿……」
赦さないと、意地を張っている自分自身が。




