107.真夜中のサイレン
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リズが異変を感じて目を覚ましたのは、その日の深夜だった。
ドンッと地震のような短い地鳴りがしたかと思えば、得も言われぬ感覚に全身が襲われた。
もとより眠りの浅かったリズは、すぐさまベッドから起きて部屋の窓から外を見た。
「アルマ……起きて」
視線は外に向けたまま、ルームメイトに声を掛ける。
「早く起きて!」
「……なぁにぃ? まだ夜中じゃない……」
「すぐに全員起こして、剣を握って!」
窓の外には、夜の闇ではない漆黒が降りていた。
この帷のような暗闇には見覚えがある。
リズは靴だけ履くと、寝巻きのまま部屋を飛び出した。そしてすぐ隣の部屋のドアを叩こうとしたその時、けたたましいサイレンが寮全体に鳴り響いた。次いで緊急事態を報せるアナウンスが流れる。
リズは階段を駆け降りて寮の外へ出た。
サイレンは女子寮だけではなく、男子寮にも鳴っている。そして全ての寮の出入り口には、剣を台車に積んだ隊士が既に待機していた。
リズは手近にいた隊士に声を掛ける。
「状況は?」
「わ、わからない……ただ、サイレンが鳴ったらすぐに剣を配れとしか……この膜のような黒い靄は何なんだ……?」
隊士たちは、わけがわからないといった顔で空を見上げている。
この黒い靄は、ディアス侯爵の別邸を包み込んだあの闇と同じ。そしてそれは、グリーンヒル城を含めて剣士寮までをすっぽりと覆い尽くしていた。
「指揮は誰?」
「げ、元帥だが……」
目の前のこの隊士は、第2部隊の隊士である。第2部隊長の指示を飛ばしたということだ。
「どういうこと……?」
「俺にはさっぱり――」
『グリーンヒル城専属剣士隊に告ぐ』
サイレンと共に、拡声魔法を使った元帥の声が夜空に響き渡る。
『各部隊長、副部隊長、及び第1部隊は直ちに城へ集まれ。我らが王を何としても死守せよ。第2部隊、第3部隊は非戦闘員を守護し、これより降りかかる災厄に備えよ。繰り返す――』
「災厄……?」
何のことかと呟いた隊士に、リズは空を見上げながら答えた。
「――あれよ」
闇を張った帷から、漆黒の塊が地面に向かって降ってくる。
ディアス侯爵の時とはまるで数が違う。雨の如く黒い塊は絶え間なく落ちてきて、地に到達する頃にはその姿を魔物へと変えた。
「魔物!?」
「元帥の指示を聞いたでしょ! 剣を抜いて戦って!」
リズは刀を構えると、1番近くに現れた魔物へと斬りかかった。
「ちょうど暴れたい気分だったのよね」
視界に入る魔物を次々と切り捨てていく。
数は多いが、合成獣ではない。どこからか寄せ集めてきただけの魔物である。
その頃には寮から隊士たちも出てきて、それぞれが武器を手にし始めていた。
リズは目の前のゴブリンに刀を突き立てながら、自分の班員はどこかと考えた。
ゼンは今日もまだ教会にいるのだろうか。セイルは寮を出たので、この結界の外かもしれない。ウィルは自室にいるとは思えないが、どこで寝泊まりしているかわからない。ラリィは――
「バラバラだわ……」
こんな時こそ班で動くべきなのに、誰の居場所もわからない。
情け無くて、自分自身に腹が立つ。
リズはひとまず教会を目指すことにした。
「固まるな! 第3部隊は訓練場、第2部隊は反対側へ行け! 非戦闘員や怪我人は建物内へ避難させろ!」
「空の魔物は魔法士が引き受ける!」
「班長を中心に班で動け!」
あちこちで上がる怒声を聞きながら、リズはグラウンドの脇を抜けていく。
真っ暗なグラウンドの真ん中に、弓矢を引き絞るコボルトたちの影が見えた。彼らの矢尻の先には、小さなオレンジ色の光――
「セイル!」
セイルの煙草の火だ。
満月の薄い明かりを頼りにグラウンドを駆けるリズ。
コボルトの何匹かがリズの接近に気付き、弓矢の狙いを彼女に変えた。
リズは足を緩めない。流れを変えぬ水のように滑らかに矢を躱し、群れの中へと身を投じた。
1匹のコボルトが錆びたナイフを構える。しかし。
「よぉ、班長」
煙草を咥えたセイルがそれを穿つ。続け様に隣の1匹を両断した。
「どうしてここに? 家に帰らなかったの?」
「調べ物をしていたら帰りそびれた。こんな事になるなら、さっさと帰れば良かったな」
最後の1匹を斬る。
束の間、グラウンドに魔物の影は無くなったが、空を見上げればまだまだ魔物は降ってきている。
「指示を出せ」
「ゼンとウィルの居場所は?」
「さあな。教会だとは思うが」
「それなら教会を目指しましょう。とにかく合流しないと」
空からふわふわと降りてきた鬼火を斬ってから、リズは歩き出した。
「思いの外、早かったな。もう少し俺たちの……ウィルの反応を眺めているかと思っていたが」
「……これが最後かしら」
「だとすれば、こんなもので終わらないだろう」
セイルは遠目に見える教会の屋根に視線を向けた。
「地獄の土産に、弥月の首を持たせてやる」
リズも顔を上げ、頷いた。




