04 うっかりなんだよー
午後の商店街には、買い物中の主婦や子供たちの声が響き、のんびりとした空気が流れていた。
「久々のお休み~! たのしーです~!」
両手に買い物袋を提げて軽やかに歩くナナミの後を、真新しいTシャツとデニム姿のクニアキがついていく。
「なあ、俺の分まで良かったのかよ?」
「もっちろん! こないだ騒いじゃったお詫びと、私の休日に付き合っていただいたお礼ですから! 似合ってますよー!」
クニアキは少し照れくさそうに「どーも」と言った。
「これから毎週こんなお休みがあるなんて、最高です~!」
「……ああ、そうか。お前の会社ブラックじゃなくなったんだっけ」
「はいっ! 誰かが通報してくれたお陰で監査が入って、上の連中まとめてクビです! ざまあー!! そのお陰で有給いっぱい使えます! うれしー!! ……まあ……お家は焼けちゃいましたが……」
「感情が入り乱れてんなぁ」
ひとしきり騒いだ後、ナナミはふっと微笑んだ。
「……でも、あの時クロさんに声をかけていただいてホント助かりましたよ~。それに、大事な写真まで拾っていただいてて……」
そう言って、ナナミは肩から提げたバッグを撫でる。
その中には、財布などと一緒にあの家族写真も入っていた。
『二度と無くさないように!』と、今は肌身離さず持つようにしたらしい。
「それだけどよ、なんかおかしくねぇか? 普通、他人の写真なんて拾って持ってるもんか?」
「んー、確かにですけど~……でも、助かったのは事実ですし」
「……まあな」
「それよりも! この後どうしますか!? 良かったら、今日のご飯でも買いにいきませんか?」
「ああ、アリだな。あいつ、ご飯ったらおにぎりと卵焼きしか出さねえからなぁ」
「タダなのはありがたいんですけどねー!」
ナナミがそういって笑いながら前を向いた時。
ふと、足を止めた。
その視線の先には、一人の男が立っていた。
「……よォ。ナナミィ。元気そうじゃねえか」
よれたスーツに、焦点の合わない目。
汗と酒が混ざったような臭気をまとい、異様な気配を放っている。
「……うそ。なんで……」
ナナミの顔から血の気が引いていく。
ただならぬ空気に気づいたクニアキが、そっと小声で耳打ちした。
「おい、誰だアイツ?」
「……クビになった、私の元上司です……」
「は?」
男はふらふらと二人へ近付いてくる。
「ナナミィ、全部お前のせいだ……お前がチクったんだろ……?」
「ち、違います! 私じゃないです!」
「おかげで俺は肩書も信用も無くして、女房にも逃げられてなァ……なのに、てめえだけのうのうとしやがって!」
男がナナミに詰め寄る。
その手には、壊れた傘が握られていた。
「お前のせいで……俺は、俺はぁッ!」
ナナミが後ずさるも、男は傘を振り上げた。
「ッ、おい! やめろ!!」
一触即発の間に、クニアキが割って入る。
「は? なんだよてめぇ!?」
「ク、クニアキさん!」
「お前の勘違いだ! ナナミは、自分のせいじゃないってんだろ!?」
「いいや! 絶対こいつのせいだ! 一番俺を恨んでたからな!」
「う、恨んでなんてっ、そんなこと!」
「黙れ黙れ黙れぇぇ!」
男が再び傘を振り上げる。
クニアキがナナミを庇うように、彼女を背にして前に出た。
――その時。
「何してるの?」
男の背後から、静かな声が響いた。
そこには……コンビニのビニール袋を提げたクロが立っていた。
「ク、クロ……!」
「おじさん、そんなもの振り回してたら危ないよー?」
「うっせえぞガキが! すっこんでろ!!」
「ガキじゃないよー。それよりさ、そのヒト達に何してるの?」
「こいつらはなあ! 俺の人生を無茶苦茶にしやがったんだよ!!」
「ふぅーん、大変だねー……でもねー、ぼく、そのヒト達になんかされると困るんだー」
クロが「えいっ」と、両手を打った瞬間。
男の足元に小さな水たまりが広がり、そこから白い手がぬっと飛び出し、男の足首を掴んだ。
「ッひぃ!? な、なななんだ!?」
「だからねー、そーいうの、やめてもらって良いかな」
クロが下駄の音を響かせながら、ゆっくりと歩み寄る。
水たまりから伸びる手は増え、男の足をひたひたと撫で回し、その度に男は短い悲鳴を上げた。
「それとも……ぼくが代わりに遊んであげようか?」
男を見上げたクロは、にこりと笑う。
しかし、その目はぎらりと輝き、まるで獲物を狙う蛇のように鋭く男を見つめた。
「ひ……ッ、ひぁぁあ~~!!!」
情けない声を上げながら、男は転がるように逃げ出した。
「ばいばーい。二度と近づかないでねー」
呆然と男の背中を見送るナナミとクニアキ。
白い手たちはグッと親指を立てると引っ込んでいき、やがて水たまりごと消え去っていった。
「…………おい、クロ。なんだ、今の」
「あ、クニアキ! 新しい服だー! いいねー!」
明らかに誤魔化すようなクロの調子に、クニアキの眉がひくりと動いた。
「おまえ、やっぱなんか……」
「んじゃ、ぼく先にさみだれ荘に帰るねー」
「待てコラ」
逃げるように去ろうとしたクロの肩を、クニアキががっしりと掴む。
「お前はなんなんだ? 普通の人間じゃねえだろ?」
「そんなことないよー。クニアキたちと同じ人間だよー」
「ウソつけ! だったらさっきのは何なんだ!? その袋の中身も見せろ!」
「わー! ちょっと! 何もないってば~~!」
クニアキともみ合う中、クロの袋から、ばさばさばさっ!と何かが落ちた。
――それは数冊の本で、その内の一冊にはこう書かれていた。
『すぐ分かる!人間の飼育ガイド! 日本龍種向け』
「…………に、にんげんのしいく……!?」
「にほん、りゅう……?」
「ありゃりゃー……バレちった」
呆然とする二人の前で、クロは舌を出して「てへ」と笑った。