03 もうひとりの住民
その日。
クロはクニアキに昼食を渡すと、「ちょっとおつかいー」と出かけていった。
――それから、1時間ほど経った頃。
玄関のドアが開く音に気づき、クニアキは台所の水を止め、玄関の方を向いた。
「……早かったな」
「ただーいまー」
「ただいまでーす!」
「おう、おかえり……って、おい、誰だそいつ!」
クロの後ろに立っていたのは、スーツ姿の女性だった。
髪は乱れ、クマのある目の下に、妙に明るい笑顔が貼り付いている。
「ひろったー!」
「ナナミです! よろしくお願いします!」
クニアキは、前のめりに倒れそうになるのをなんとかこらえた。
「……人間を! 犬猫のテンションで! 拾ってくるな!!」
「でもさー、すごい困ってたんだよ? おうちないって!」
「お前なぁ……ほんとに……」
頭を抱えるクニアキに、クロがさらりと言う。
「クニアキだってそうだったじゃーん。それにさー、ヒトって基本、ひろうものじゃない?」
「聞いたことねぇよそんな常識!!」
◇
畳の上に置かれた小さめのちゃぶ台に、湯飲みが3つ並ぶ。
話によると、ナナミは恐ろしい程のブラック企業につとめており、ずっと家に帰れていなかったらしい。
3ヶ月振りに帰宅したら……なんと、住んでいたアパートが無くなっていたと言うのだ。
「火事で全焼しちゃったらしくて、でも、私に知らせようとしても全く連絡つかなかったからって……そりゃそうですよね~、スマホ取り上げられてましたもん!」
「お、おう……あー、大変だったな……?」
笑みを浮かべたままあっけらかんと言うナナミに、クニアキはどう声をかければよいか迷っている。
「それで、公園で一晩明かして、これからどうしよーってなってたら、クロさんに出会いまして~」
「ひろったー!」
「……なるほどなぁ」
「お家は良いんです。仕方ないことですから! ……でも……」
突如、ナナミが笑顔を浮かべたままでボロボロと涙をこぼし始める。
「お、おい、大丈夫か?」
「えーとですね、あの、えへへ……私の家族の写真も、焼けちゃって……唯一の、写真、だったん、です、けど」
ナナミの声は震え、やがて嗚咽に変わっていく。
「……やっぱり、あれがなかったら、わたし……生きていけないですうう~~!!!」
そのナナミの言葉に、ぴくりとクロが反応する。
「おいおい、泣くなって! 燃えちまったもんはしょうがねぇって自分で言ったろ!」
「でも、でもお~~……やっぱり、あれだけは~!」
泣き喚くナナミに、狼狽えるクニアキ。
そんな二人を後目に、クロは近くにあったコンビニ袋をごそごそとあさると、何かの板を取り出した。
「ねえねえ、ナナちゃん」
「な゙ん゙でずがぁ゙……」
「欲しいのって、これー?」
クロが差し出した板を見て、ナナミが目をひんむく。
――それは、家族写真の入った写真立てだった。
「……!!!! こ、こここ、これこれこれ、ど、どどどどう、どうどう」
「落ち着けよ。DJみてぇになってんぞ」
「く、かかか、管理人さま! これ、どうしたんですか!?」
「んー? ひろったー!」
ナナミは写真を握りしめたまま、わなわなと震えだす。
「……あ、あああありがとうございますうううううう!!!!」
思い切り抱きしめられたクロが、「んぎゅ」と空気の抜けるような声を出す。
「これです私のです!! ありがとうございます!! 恩人です!!! 聖人ですうううう!!!」
「ぬ、うぎゅ、む」
「お、おい、放してやれって!」
「あっ、ごめんなさい!!!」
「ふひぇぇー……すっごい元気だねー」
ようやく解放されたクロが、大きく空気を吸い込む。
「改めて、ありがとうございます……! 本当に、ほんっとうに嬉しいです!!!」
「ナナちゃん、これでもう死なない?」
「うん! うん! 死にません~!!」
「良かったー」
クロがにぱっと笑った。
「じゃあ、とりあえず、二人ともごはん食べなよ! これ、ぼくが作ったけどー、ちゃんと見てつくったからだいじょうぶなやつ!」
そういうと、クロはいそいそとご飯を運んできた。
今日もクロはおにぎりと卵焼きを作ったらしく、更にはお味噌汁も運び入れてくる。
「本当に大丈夫か……?」
「だいじょーぶ! 買ってきたものばっかで、クニアキもそろそろ飽きたでしょー?」
「まぁなぁ……」
ナナミは涙を拭き、「いただきます~!」と言うと、ばくばくとご飯を詰め込み始めた。
クニアキも恐る恐る口に運ぶと、大丈夫と判断したのか、ナナミに続いて食べ始めた。
そんな二人を見て、クロが満足そうに笑う。
「ヒトがごはん食べる音って、いいよねー」
クロがそう呟いて、にこにこと二人を見ていた。
◇
その夜……。
バスタオルで作られた即席の仕切りをはさみ、クニアキとナナミは寝息を立てていた。
そんな明かりの落ちた部屋の隅で、クロは巻物のようなものを広げていた。
「……びーっくりしたー。人間って、あんなんで死にそうになるんだ。覚えとこっと」
手元のコンビニ袋から筆のようなものを取り出すと、それでさらさらと何かを書き込んだ。
「おうちとご飯あげるだけじゃダメなのかな? あと“ぶらっくきぎょう”ってなんだろー? それも死んじゃいそうになるやつ?」
小首を傾げたクロは、巻物を眺めながら「うーん」と唸った後、ぽつりと呟いた。
「……ヒトの飼育って、むずかしーなー」