14話
「まあ、今日はこんなものかしら」
集中力を削られながら、ファーナスは作業を中断した。
「いつもこれを?」
ヘルトが尋ねる。
「お客さんの装備がある時はそっちが最優先だけど、今日はないから」
ファーナスは黒い豆を砕いてお湯を入れ、紙で濾す。最近貿易によってブームとなっている代物だ。眠気が飛ぶのでファーナスも良く飲んでいる。
「飲む?」
ファーナスは尋ねる。
「コーヒーですか。頂きます」
ファーナスは二杯分作った。
「貴族様のお口に合うといいけど」
ファーナスは意地悪く言う。
「その呼び方はやめてくださいよ。それに昔飲んだことありますから」
「そうなんだ。おいしいと思った?」
ファーナスは壁にもたれ掛かりながら話しかける。
「いえ、苦くて飲めたものじゃないって思いました」
「今は?」
「今も__苦いです」
ヘルトは苦笑いをして言う。
「お子ちゃまね」
そう言ってファーナスは褐色の液体をすする__牛乳と砂糖をたっぷり入れた。
「僕、ダンジョンを制覇したい」
ヘルトは唐突に述べた。
「死にかけたのによく言えるわね」
ファーナスは茶化すように言うが、彼は構わず続ける。
「ええ、確かに。でも行ってみたい。ドリームの最後まで」
「まあ、行けたら確かに英雄よ」
全ての探検家の夢だ。到達すれば彼の名前は国中に広まり、一族の名誉もうなぎのぼりだ。
「いえ、そういう意味ではなく。ただ行ってみたい」
彼は見上げてそう言った。
「あなたも含め、ダンジョン関連の方々は僕には理解できないほど多くの思いを持っている。ツァーリさんなんて特に。夫を亡くしてもなんであんなに明るくダンジョンに潜れるのか、見当もつかない」
ヘルトはこっちを向いた。
「行ってみたいんです。皆が夢見るダンジョンの最深部を」
その目は希望に満ちていた。その目にもファーナスは覚えがあった。私の一番大好きだった人の目。私の目標だった人の目。
「そう、でも今のあなたじゃ無理ね」
「ええ、もっと経験を積まないと。パーティーメンバーも必要ですし、それに__」
「装備でしょ?」
ファーナスは遮って言った。
「そうですね。あの、改めて僕のあの装備直して頂けないでしょうか」
彼は向き直って言った。
「待ってて」
ファーナスは立ち上がって、工房の奥から大きな袋を抱えて持ってくる。そしてそれを作業台の上に置き、中身をすべて出す。
「着けて」
ヘルトは頷き、無言でその装備をつける。
「どう?」
ファーナスが尋ねる。
「ぴったりですが、腰のところを緩めてほしいかなと。僕は長剣を使うので腰を捩じれるだけの余裕が欲しいです」
「分かった」
ファーナスは紙にメモをする。そしてヘルトの装備をいったん外させ、調整した上でまた着けてもらう。
「どう?」
「完璧です」
「よかった」
短いやり取りはそこで終わった。
「あの、この装備は__?」
ヘルトは恐る恐る尋ねた。言うまでもない、ファーナスが無心で作ったあの装備だ。
「あなたに合わせたの。レア素材は使っていないけどディープまでなら問題ないわ」
「ありがとうございます。あの、お金は?」
「いらないわ。それはまだ半人前の私が作ったものだから」
ファーナスはかぶりを振る。
「報酬はしっかり受け取りなさい」
2人の会話に割り込む声があった。
「職人はその技能を売る仕事だ。対価を受け取るのは仕事への責任だよ」
ファーナスは声の方を向く。すると父がそこにいた。
「お父さん!いつ帰って来たの?」
びっくりしてファーナスが尋ねる。
「君たちが装備の調整を始めたあたりから」
ファーナスとヘルトは顔を見合わせる。両者とも真剣で父の帰宅に気が付かなかった。
「職人って___。私まだ装備を作ること認められてないわよ?」
ファーナスは疑問だった。なぜ頑なに私に新規装備を作らせなかった父が急にこんなことを言い出したのかが。
「いや、充分だ。それだけの装備を少ない素材で作り上げる。もう俺が教えることなどない」
父は首を振った。職人としての意地か、悔しさがにじんでいる。
「だが、ファーナス」
父は真っすぐファーナスを見て、こぶしを作って言う。
「その装備を渡せば、俺はお前を一人前として認める。だが、職人とは一生その道を貫くということだ。妻のような冒険者を目指すことは出来なくなる」
「お父さん」
ファーナスは父を見た。その姿は頑固おやじとは程遠い、儚いものに感じた。その姿を見てファーナスは父の真意に気づいた。
「お父さんが私を認めなかったのは、私に冒険者になる選択肢を残しておいてくれたから?」
言うと、父はハッとした顔をする。そして片膝をつき、片手で顔を覆う。小さい嗚咽が指の隙間からこぼれ出る。
「すまない。俺はお前に気を遣わせて鍛冶屋の道に引き込んでしまった。そしてそれすらも悟らせてしまった本当にすまない」
「お父さん」
ファーナスは父に近寄る。初めて見る父の涙を見て、ファーナスは心の内を空ける。
「私ね、確かにお父さんに気を遣って鍛冶屋になった。お母さんみたいになりたいと思ったときだってあったわ。復讐だって。だけど、この工房に来る人はみんなキラキラした顔で、ダンジョンに入っていくの。その人たちの命を守って一緒に夢をかなえられる装備を作るお父さん、とってもかっこよかった。今日ヘルトの装備を調整して思ったの、私はお父さんみたいになりたいって。だから私は鍛冶屋になります。これからも鍛えてください」
そう言うと、父の嗚咽は大きくなる。あれだけ大きかった父の姿は今はとても小さく見えた。