お見送り
とりあえず買い物をすることになったので俺はいったん部屋まで戻り財布を取ってきた。
身支度が整ったところで大橋を先頭に家を出る。
想像通りに外は暗闇であった。
さらにこのあたりには街灯が少ないというのもあり、都会と比べると段違いに暗いと思う。
確かに一人で歩くのには怖いかもしれないが、長年この町に住んできた俺にとってはもう怖くはない。
強がりとかじゃなく、幼少の時からこの暗がりを体験していると自然と慣れるものだろう。
ただ大橋も転校生ではないから、おそらくこの暗がりは慣れているはずだけど……。
「じゃあ行きましょうか、時見君」
「おう」
結論が出てきそうにないので、大橋の言う通りでとりあえず歩き始めることにした。
「いってらっしゃーい!二人とも気を付けてねー!」
俺がプリンを買ってくるのも手伝ってか、小春は元気よく俺と大橋を送り出した。
俺は小春に軽く手を振り返してから大橋の背中を追う形で歩きだした。
数十歩歩き始めると直ぐに先頭にいた大橋が止まり俺のほうに顔を向けてきた。
つられて俺も立ち止まり不思議に思い大橋に声をかけた。
「急にどうした?忘れ物とか?」
「いいえ、忘れ物はないけれど」
「けど?」
「どうして時見君は私の後ろを歩いているの」
「どうしてって、見送るために一緒に歩いてるんだろ」
「そうではなくて、私はなぜ隣に来てくれないのかを聞いているの」
「……道がわからないなら後ろについていくしかないだろ」
詭弁だ。自分でもわかる。
隣で歩いていたって大橋を見失うことはないし、隣にいるからといって道を教えづらいということもない。
ただ、それほどに大橋の隣を歩くということを避けたかった。その訳は二つある
一つには、誰かに大橋と一緒に歩いているところをほかの人に見られたりしたら、付き合ってるだとか変な噂が出かねない。
噂というか事実ではあるけれど……。
などとごねていると。
「時見君はまだわかっていないの?さっきも言ったのだけど私の言うことに」
「あー、ごめん、RPGの基本として後ろについてみたけど歩きずらいなやっぱり、はっはっはー」
大橋がすべてを話す前に続きを察して、俺は即座に大橋の左隣に並んだ。
「主人公がたどった道をパーティーメンバーがぞろぞろと追いかけるのはどう見てもおかしいと思ってたんだよな」
かといって勇者パーティーが横並び一列で移動するのもそれはそれでおかしい。ということだけ伝えておく。
ともあれ二人しかいない状況で縦一列に並ぶのはおかしいのも事実である。
「……まあいいわ」
若干不服なのか大橋が半目でじいっとこっちを見つめて吐き捨てるように言う。
俺はその視線に耐えることが出来るわけもないので道路側へ視線をそらし続けた。
それが功を奏したのか何事もなく大橋は再度歩き始める。
ここで話を少し前に戻すが、なぜ俺が大橋と隣歩きで歩きたくなかったか、もう一つの訳を語るとしよう。それは、
「……………………」
「……………………」
全く話すことがないこと。
大体の話は俺の家で終わったしそもそも俺は人と話さないというよりかは話したくない。
さらに言えば俺は学校で大橋が誰かと話しているのもあまり見ない。
そうなると必然的に、
「……………………」
「……………………」
沈黙が続くなんとも気まずい空気が出来上がってしまう。
けれども、先ほどの食器洗いの際の気まずい空気を体験した甲斐あって、実際にこの状況になってみると案外悪くもない感じがする。
会話をしないことで音ということに焦点を置いているせいで、町の静けさがより一層増しているように感じる。
大通りとは呼ぶには程遠い小道を歩きながら涼しい夜風を感じ、ぽつりぽつりとある街灯もまた街に静寂をもたらす。
時折通り過ぎていく車やバイクのエンジン音も心地よい騒音となり、それらが過ぎた後にはまた静まりかえる、それがまた気持ちを穏やかにも、寂しくもさせた。
なんともじじ臭い感想になるが、こんな風に当てもなく夜道を散歩するのも案外悪くはないなと思った。
そうして俺が夜の散歩を楽しんでいること約5分、早くも沈黙は破られた。
「夜の街は静かでいいわね」
突然淡白に話しかけられ、しかも同じことを考えていたので若干驚き大橋のほうを向いた。
しかし大橋の目線はこちらを向いておらず、しっかりと前を向いたまま変わらず歩いていたので
「……そうだな」
と俺は当たり障りのない返事をした。
「本当に、静か……」
大橋はしみじみと何かに耽っているようだった。
「…………」
「…………」
どう考えても俺の返しが悪いので、大橋も静かということを復唱するだけで、それから話が広がることはなかった。
いつもだったらこんな返事をして終わりになる。
というよりもこれ以上会話を続けることが苦しすぎるから終わってしまう。
けれどもなぜかこの時の俺は圧倒的良心に満ちており、せっかく話しかけてくれたのだから何か会話を広げなければという寂寥の念に駆られたので、とりあえず当たり障りのないことを話しかけた。
「……えっと、大橋の家はこっちなんだな」
「そうよ」
大橋は俺の話を手短に返すと公園へと続く階段をタンタンと淡々に降りて行った。
「…………」
「…………」
そして再び訪れる沈黙。
結論を述べるのであれば、彼女、大橋朝香も会話を広げるのがド級の下手であった。
沈黙の中、黙々と階段を下り終えると、この町で一番の広さを誇る公園に出た。
おそらく町を超えてこの近辺においても相当でかいと思っているので、俺はこいつをセントラルパークならぬセントラル公園と呼んでいる。
休日の昼には多くの家族連れが訪れるほどであるため、むしろこっちのほうがセントラルパークといっても過言ではないだろう。ニューヨークなんかに負けてたまるか。
それは過言だろって思った人は実際にセントラルパークに行ってから反論していただきたい。……俺は行ったことないけど。
夜のセントラルパークがにぎわっているのかどうかは知らないが、夜のセントラル公園はもちろんにぎわっていない。
人々の声もなければ、敷地の広さほどの街灯の明かりもなく、木々が生い茂っているので、先ほど歩いた道よりもはるかに静けさが増している。
子供のころはこの暗闇と静けさが怖かったっけな、と思っていると。
「……うおっ⁉」
大橋が急に俺の手を握ってきた。
女性対応能力値が1の俺でも、声をかけられるだけでは変な声を出すことはなかったが、流石にいきなり手を握られると驚きを隠せず声を上げてしまった。
ちなみに能力値の1は小春によるものである。
何ですかこれ?なにが起きているのでしょう?新種のいじめ?だとしたらいじめにはなってないから迅速に手を離すことを提案いたしますが……
チェリーにはこのボディタッチは荷が重く、バクバクと急激に早まる心臓の鼓動は収まることを知らない。
早くなりすぎてそのまま心臓が破裂しそうなので、本当に新種のいじめになるかも。
「……えっと良く分からないけど、離していいですか」
俺の忠告もとい救難信号に対して、大橋から有無を言われる前に、俺が手を離してしまおうとしたが……。
「ダメ」
と否定の意志とともに俺の手をさらに強く握ってきた。
「いや、ダメって言われても……」
このままだと俺が心臓ごと爆発し灰燼に帰すこと間違いない。
どうにかしなければならなく一人思索していると、一つのことに気づいた。
彼女、大橋朝香の手が震えていることに
何かを恐れているのか不安があるのか、俺の手を強く握りながらも大橋の手は確実に震えていた。
不思議に思い、大橋のほうを見やる。
だがそれでも大橋の顔は変化せず、無表情のままでまっすぐ前を見つめていた。
そして俺の視線に気づいてか気づかずか、大橋はもう一度
「お願い」
と願う。
俺は大橋がどういった感情なのか全く分からなかった。
むしろ大橋の感情が分かる人は大橋自身しかいないだろう。
「……なんだか知らないけど、今日帰るまではこれでいいよ、そもそも俺に拒否権なんてないんだろ」
俺はわずかに自暴自棄になり挑戦的な口をきいた。
「うん」
大橋は素直に小さい声で頷いた。
本当に何があったのか気になるが、聞いたところで真面目に答えてくれるかはわからないし、俺ができることなんてない、だから大橋に直接聞くことはやめた。
断じてこの状況下に置かれても人と話したくないわけでない。断じて。
ひと悶着があり冷静になったところで次に気づいたことは……。
もちろん握っている彼女の手である。
正確には俺の手の方が握られているのだけれど。
ただ俺が気づいた時にはもう大橋の手の震えは収まっていた。
代わりに俺は大橋の手をまじまじと感じる。
親指以外を包むように握った大橋の指は一つ一つがポッキーのように細くひんやりしていた。
ポッキーは流石に細すぎるから厳密にはトッポくらいの大きさだろうか、いやトッポでも細すぎるな、ルマンド辺りがいいのかもしれない。
でも個人的にトッポが一番だからトッポくらいの大きさにしておこう。そうしよう。
美人の手を身近にあるお菓子でしか例えることのできない自分に嫌気が差すが、そのおかげで落ち着くことが出来たので良しとする。中までチョコたっぷりだし。
なんてくだらないことを考えつつも時々大橋の手を意識しながら歩いているとずっとそわそわして疲れる。
早く大橋の家についてくれればいいのにと思った。
その後、変わらず歩いているとまた話しかけてきたのは大橋だった。
「何か話をしてくれないかしら」
少しは不安が収まったのか大橋の声色はさっきまでの声色に戻りそう言った。
「…………えー」
話すことがないからさっきまで黙っていたのに急に話せと言われても話題がないに決まってる。
ということは今できた話題、すなわち大橋の身に何があったのかを聞くべきなのか?
どうせ他に思い付きそうにないのでその話題を振ってしまおう。
「……さっきはどうしたの?なんかあった?」
俺はあたかも何もなかったかのように何があったのかを聞いた。
「別に何もないわ」
「あぁ……そう」
「何もないわ」
念入りに何もなかったことを伝えてくる。
大橋が会話下手なのか、そもそもこの話がまずかったのか、それとも両方なのかどうかは判断できないが、とりあえずこの話題は振らないほうがよかったかもしれない。
別の話題、別の話題……。
「あー……えっと……星が綺麗だな」
俺は言ってから空を見た。
そこには都会とはかけ離れた場所だからこそ見える満天の星空が広がっている…………
ことはなかった。
今日の天気予報で晴れのち曇りと言われていたのをすっかり忘れていた。
天気は予報通りに曇りだった。
曇りが外れるってなかなかないよな、雲見ればわかるだろうし。
「星見えないわよ」
大橋も星を確認するように上を見上げていた。
なんかそこまでしてもらうと申し訳なくなってきた。
「予報でも曇りになっていたわ」
いや知ってたんかい。
それでも明らかに嘘をついた俺が悪いので謝っておこう。
「ごめん、俺の目が腐ってた」
「ならいいわ」
いやよくないだろ。
カップルで彼氏の目が腐ってることを気にしない彼女がどこにいるんだ。
「時見君の目が腐って削げ落ちたら代わりに私が目になってあげるわ」
「凄くいいこと言ってるようだけど、そもそも何一つとして的を得てないからね」
「人の善意を踏みにじるのは美徳とは言えないわね」
「善意も何も、まず彼氏の目が腐り、削げ落ちるのをどうにかしてほしい」
「どうにかしてほしいも何も、目が腐っているといったのは時見君じゃない」
「……………………ぐう」
俺はぐうの音も出なかったので、とりあえずぐうとだけ返しておいた。
俺は大橋に絶対に口論で勝てないことを悟った。
あれ?でもよく考えたら俺が墓穴を掘っただけかもしれない。
とりあえず気持ちを切り替えて、別の話題を探してみるが、もう天気の話以外何も思いつかない。
「えー……あー……」
と一人うねっていると。
「着いたわ」
「え」
大橋の家に着いた。
案外近所に家はあった。
俺の予想とは違い大橋の家はいたって普通だった。
もっとこう、豪邸に住んでいて、執事やメイドが大勢いる環境に生まれ、帰った際には
「おかえりなさいませお嬢様、隣の不審者は通報した方がよろしいのでしょうか」
「結構よ、この不審者は気の知れた不審者だから心配する必要はないわ」
なんて会話を繰り広げるものだと思っていた……気の知れた不審者は不審ではないと思う。
が実際に俺の眼前にある建物は一軒家。
表札には大橋と表記があり、インターホンも機械式で押したらピンポーンと小うるさい音を出すものだと思う。
セントラル公園くらい広い庭もなく、洋風の城のような囲いもない。
俺の妄想が肥大しすぎているのもあるが、そのくらい気品高い立ち振る舞いを大橋は日常的にしているのである。
「なんか普通だな」
思ったままをうっかり口にしてしまった。
「時見君がどんな変態的な想像を膨らませていたかは知らないけれど、見ての通り普通の家よ」
「変態的な妄想はしてないけどな」
段々と大橋の奇想天外な発言も慣れてきた。
「じゃあ着いたんなら、俺はこれで」
大橋から手を離し、そそくさと帰ろうとする。
「待って」
と後ろから呼び止める声がした。
ですよねー、俺もそんな簡単に帰らしてもらえると思ってませんよ。どうせ爆弾発言残すんでしょ、知ってる知ってる。よくある展開だもん。
わざと俺が逆フラグを立てると
「ありがとう、付き合ってくれてとても嬉しかったわ」
と大橋は微笑んだ。
「……そりゃどうも」
感謝を受け取ったが、俺は何が嬉しかったのかさっぱりわからなかった。
「じゃあ、また明日」
と今度は大橋が踵を返しそそくさと家に帰っていく。
表情はよく見えなかった、けれど大橋の頬が少し赤くなっていたように見えた。
「……じゃあ、また」
と大橋がいなくなってからぽつりとつぶやいた。
誰も人がいない状態のまま家の前で立ち止まっていても不自然なので、来た道を戻る。
逆フラグが折られなかったことも驚いたが、それ以上に俺は脳裏に張り付いた大橋の笑顔が忘れられなかった。
あんなの反則だろ。不意にもドキッとしてしまった。
ただそんな笑顔は俺なんかに見せずにもっといいやつに見せてやれよ。いや、いいやつって誰だよ。
自分で言って俺はいいやつというのがどういうやつなのか分からなかった。
俺は黙々と来た道を戻り、とうとう大橋の表情を忘れることができず、家に着いた。
「ただいま」
と同時に靴を脱ぎ、俺はいったん自室に向かう。
「あー、おかえりー」
小春から元気に返事が返ってくる。
トントンと階段を上っていき自室に戻った途端、どっと疲れが出た。
「はぁ…………」
今日という一日は散々だった、変な奴に告白されるし、変な奴に罵られるし、そしてその変な奴と半ば強制的に恋人になり、さらには変な奴によって恋に堕とされそうになった。
そしてその変な奴が同一人物であることも大きな問題である。
今までそんな軽い気持ちで恋に堕ちるなんて頭の中がお花畑すぎないか?なんて思っていたけれどどうにも実際この状況に直面したら百八十度俺の意見は変わった。
なんか美人の笑顔だけでここまで惚れそうになると、結局俺も他人と同じく容姿だけでコロッと落ちるやつなんだなと自分が嫌になる。
家に戻り段々冷静になってくると、俺は自分を取り戻せた。
大丈夫俺は未だ堕ちていない、そこら辺の低脳クソリア充なんかとは精神の鍛え方が違うんだよ!陰キャラなめんな!
俺は謎の強がりを見せ、耐えきった。
恋に落ちる予定何て自分の手帳にはないのである。
とりあえず、と部屋に戻った俺だったが、喉が渇いたので牛乳を飲みにリビングに向かう。
リビングに入ると、小春がソファの上でくつろいでいた。
「おかえりー」
「ただいまー」
「大橋さんと二人っきりでどうだった」
ニマニマしながら小春が聞いてくる。
「別になんもなかったよ」
「ふーーーん」
変わらずニマニマしながらこっちを見てきた。
「ほんとに何にもないって」
言って冷蔵庫を開き牛乳パックを取り出す。
俺は食器棚からマグカップを取り出し、こぽこぽこぽと牛乳を注いで小春の隣に腰かけた。
「まぁ、何があったとしても小春には言わないけど」
恋愛脳の小春に恋バナなんてしたらどうなるかわかったもんじゃない。
「じゃあやっぱり何かあったんだね」
「いやそうじゃ……まぁ、何かはあったよ」
俺は意地を張る必要もなく、何かはあったので正直に白状した。
「なるほどねー、大体わかったよ、うん、とりあえずは詮索しないでおくよ」
どうやら逃れられたらしい。
安堵とともに持ってきた牛乳を一口飲む。
もう今日はやることないし風呂でも入れてこようかと思ったとき、小春に話しかけられた。
「ところでさ、お兄ちゃん」
「何?」
「プリンは?」
「…………あ」
やっば、めちゃくちゃ忘れてた。
だからあんなに探ってきたのか!頼み事しといて手ぶらで帰って来たらそりゃ不思議に思うわ!
「プ・リ・ン・は?」
ニマニマがだんだん怒り顔に見えてくる、怒り顔になっている。
「すみませんでしたぁぁ!今すぐに買ってまいります!サー!」
「女性の教官には語尾はサーじゃないマムをつけなさい!」
「イエス!マム!」
「よろしい!ではプリンを二つ買ってきたまえ!」
「あ、それはダメ、一日一個ね」
「……てへぺろ☆」
どさくさに紛れてプリンを所望してきた小春を軽く叱咤すると、小春は某キャンディーのイメージキャラクターのように舌を出してごまかしてきた。
かわいくなかったらそんなもので許されない。
「じゃあ、行ってくる」
もちろん許して、牛乳を一気に飲み干して立ち上がる。
「ありがとー、ってか私も行こうか?」
「いや、いいよ俺が悪いし、面倒くさいでしょ」
「なんかごめんね、じゃあ先にお風呂沸かしとくね」
「それは助かる、本当にごめん、秒で買ってくる」
「うむ、では行ってきたまえ時見二等兵!」
「イエッサー!」
俺は勢いよくリビングの扉を開け玄関へと向かった。
「だからマムだって!」
背後から小春の大きな声が飛んできたが気にせず玄関を出た。
その後、俺がコンビニから帰って来てからはいつも通りに風呂に入り、いつも通りにゲームで小春にコテンパンにやられたのは言うまでもない。