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新しい? 提案

作者: 絵里子

佐藤愛子氏は、若者に欲望があることはいいことだが、年を取ってまで欲望を持つ必要はないと『幸福とはなんぞや』に書いている。



 しかし本当に若者に欲望があるのだろうか。貧乏だという話はよく聞くが、政府も一向に救済処置をとる気配がない。政府の支持母体である老人たちは言う。若者は車を買わない、ニュースも見ない、根性もない。





ところが現実には若者の住むアパートは賃貸料が高かったり、昨今の光熱費値上がりも結構ひびいていると言う。その上、老人を支える年金も払わねばならないのである。



 たしかに多くの若者は、諦めが早いしギラギラしていない。もうちょっと粘れば、先々展開が変わってきただろうにと思うこともしばしばある。甘やかされすぎと地団駄を踏みたくなる気持ちもわかる。





しかし「もっともっと」と老人が駆け回り、ポックリ逝きたいと言いつつ健康にしがみつく、その醜さを見て若者が、ますます元気をなくしてしまうのではないか。



 ひとつ言えるのは、欲望が文明を進めてきたということである。夢が時代を進めてきたのである。なのにわたしの見る限り、現代での日本の子ども達の将来の夢は「地方公務員」か「ユーチューバー」だそうだ。可愛い我が子になんでも与えてきた結果、大事なものが欠けてしまったとしか思えない。



 老人は欲望をなくす前に、子ども達に関わる勇気を持ってもらいたいものだ。お互いにあまり干渉しないことが美徳とされる現代社会ではかなり難しいだろうが、世代間の異文化交流は子ども達にカルチャーショックを与える。





老人パワーは人にも波及することがあるのだ。子どもの無気力が少しは減るかもしれない。学校側にもそういう機会を作る余裕がほしいところである。

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