クリスマスイブの日、課長に呼び出された
ちょっと時期が過ぎてしまったけれども、クリスマスイブのお話です。
む”~ む”~ む”~ む”~
枕元のスマホが鳴っている。画面を見ると課長からだ。多分ろくでもない。
「・・・・・はい」
「石井?お休みのところ申し訳ないけど、今A案件がトラブってるんで急いで出社してくれるかな?」
「・・・A案件?お忘れでしたらアレですけど、先月後任に引き継いで、今はS案件やってますが、なんで俺が?」
「その・・・うん、後任の坂口がやらかしたみたいで、A案件に詳しい君の助けが欲しいんだよ」
ここ最近で最悪の目覚めだ。トラブルで起こされるなんて。
『坂口がやらかした』って?クソ真面目で几帳面な坂口雪菜がやらかすか?あるとすれば、客から無理難題を押し付けられて断れなくて抱え込んだ挙句、納期に間に合わないパターンくらいしか思いつかない。
ああ・・・あれか。客が事あるごとに要件出して来たやつだ。コストに見合わないのでずっと断ってきたやつか。担当が俺から坂口に代わったのを見計らって、ねじ込んできたんだな。押しに弱いからなあいつ。
身支度をしながら、トラブル内容の予測と対策を考えていた。想定通りであるなら、多分何とか目途は付くはずだ。
スマホの時計は午前11時、会社には12時前には到着するはずだ。途中でブランチを買って会社で食べよう。休日なので道中は空いていると思っていたが、車が多くてバスは遅れるし、電車もいっぱいで、街は家族連れやカップル達など幸せそうな顔をしている人で溢れていた。お店もサンタやトナカイ、クリスマスツリーの装飾ばかりだ。
ああそうか、今日はクリスマスイブだ。こっちは今から休日出勤なのに。周囲の幸せそうな顔が羨ましい。ちょっと悔しい。だから購買欲と食欲で悔しさを解消してやる。エキナカでローストレッグとオードブルを買って、打ち合わせの卓に並べて、説明を聞きながら食ってやる。ホールケーキもノンアルシャンパンもついでに。
先月からS社のプロジェクトルームでS案件の仕事をしていたから、ここの事務所に来るのは1か月振りくらいとなる。外の喧騒と打って変わって、休日のオフィスビルのロビーやエレベータには人はいない。もし他にエレベータに乗る人がいたら、ローストレッグの香害で訴えられていたかもしれない。
事務所フロアに入った途端に坂口が飛び出して来た。
「石井先輩、すみません!お休みのところ呼び出してしまって。ご予定とか大丈夫でしたか・・・って、わぁ、何ですかそれ?」
エキナカで買ったブランチの量を見て驚いている。確かに買い過ぎだったかもしれない。
「坂口、お疲れ。これは朝ごはん兼昼ごはん兼おやつだ。で、課長は?」
「課長は今、部長と会議室です。今日の事について説明させてください。打ち合わせコーナーへどうぞ」
コートとカバンを机に置いて、打ち合わせコーナーに向かった。フロアに坂口以外は誰も見えない。どうやら部長と課長、俺と坂口だけらしい。
打ち合わせコーナーの卓にローストレッグとオードブル、ケーキとノンアルシャンパンを並べる。
「坂口、気にせず説明してくれていいぞ。時間が勿体ないので食べながら聞くから」
まずはオードブルのサラダから。ベジタブルファーストだしな。ポテサラかと思ったものはホースラディッシュだった。危ない危ない。
「え、あ、はい。じゃあ説明しますけど、あの、私もお昼まだなんでめっちゃ目に毒です」
「じゃあ、欲しいものを言え。蓋に取り分けておいてやる」
坂口はノートパソコンを打ち合わせコーナーのモニターに繋げようとする手を止めて、『あれと、これと』と料理を指し示す。面倒になったので、オードブルに付いていたプラのフォークを渡して『適当に食え』と促した。
「マグカップがあるなら持ってこい。ノンアルシャンパンも分けてやる」
坂口は速攻で自席にあるマグカップを持ってきた。俺に対しては全く遠慮が無いやつだ。
「先輩、お金は後で払いますので・・・」
察したのか?
「いや、お金はいい。そもそも俺が買い過ぎたんだ。手伝ってくれるならむしろ助かる。それより食いながらで良いから説明してくれ」
「はい、わかりました。タコ、酸っぱ!」
「カルパッチョな。ワインビネガーが効いてるな」
「これ中身がふんわりしてて凄く美味しいですね」
「ほうれん草のキッシュな。チーズが玉子の風味を殺さない程度の分量でいい仕事をしている。いやいや、食レポはいいからトラブルの説明を早よ!」
坂口の説明だと、課長がノルマ達成の評価が欲しくて今まで断ってきた客の要件を独断で無理やり契約したそうだ。にも関わらず、要件リストへの記載を忘れて坂口に伝える事なく放置していたらしい。納期が迫ってきて思い出したらしく、慌てた課長が坂口に泣きついてきた。
「それで『私一人じゃ無理なので、A案件に詳しい人を呼んでください』って言ったんです。詳しい人って、前任者の先輩しかいませんけどね」
それで、俺が呼ばれたのか。
坂口は鴨肉のパストラミにホースラディッシュをたっぷり載せて、フォークで器用に丸めて口に運んだ。ホースラディッシュ多くね?知らんぞ。あ、ほらやっぱり。辛そう。
「ツーンと来た。なんですか?この白いの」
「知らずに載せてたのか。ホースラディッシュだよ。西洋わさびな。てか、俺は『坂口がやらかした』って課長から聞いたぞ?」
「課長、私のせいにしてひどいです。でも先輩って『課長がやらかした』だと絶対に出社しませんよね。その意味だと課長は賢いと言うしかないですね、不本意ながら。先輩が手伝いに来てくれて嬉しいです」
坂口の仮説は正しい。課長がやらかしたのなら『ふーん、自業自得っすね』と言って電話を切って二度寝していただろう。坂口は新人教育の時からずっと面倒を見てきた優秀な後輩だから、仕方ないなと思って・・・出社したわ。今まさに会社にいるわ、俺。課長め、策士だな。
「まあ・・・坂口も俺も、課長の被害者だな」
ローストレッグを坂口に取り分けてやる。
トラブルの内容は把握出来たし、想定の範囲で助かった。これなら3つある課題のうちの2つは月曜日までには目途が付く。納期もクリアできるだろう。残り一つは客との調整で、コストが見合わないので取り下げて貰えばよい。月曜日に俺から客に電話する事にした。
ケーキを切り分けて坂口と食べていると、部長と課長が会議室から戻ってきた。
「こんなところで何を食ってるんだ、お前らは・・・」
部長が呆れたように言った。ノンアルシャンパンの瓶を手にして怪訝そうにラベルを見ている。
「課長のこの度の失態は全て聞きました。あと月曜日には片が付きますのでご安心を」
課長を一瞥し、部長に報告した。
「課長、自分の失態を人のせいにするとは、社会人として、いや人としてどうかと思います」
課長は『申し訳ない』と平謝りだった。
2つの課題を俺と坂口で手分けして今日中に終わらせることになった。部長と課長は夕方頃に「終わったら連絡して」と言い残して帰宅した。居ても戦力にならない部長が帰るのはわかるが、やらかし張本人の課長が帰るのは責任上、いや人としてどうかと思う。
想定では18時には終わるだろうと思っていたが、気が付いたら20時を過ぎていた。
「坂口、そっち終わった?」
「はい、後は共有フォルダにアップすれば終わりです」
「よし、片付けをして帰るか。明日の日曜日は出てこなくていいな。月曜日に客へ連絡して、課長に『らいおん屋の羊羹』持たせて謝罪に行かせよう」
「その羊羹で謝罪って何なんですかね?」
「さあな、そーゆーもんなんだろとしか」
片付けを終わらせて、坂口と事務所を後にする。エレベータを降りてオフィスビルのロビーを歩きながら坂口に言った。
「じゃあ、俺は晩メシを食って帰るから。坂口も気を付けて帰れよ」
「あのっ、今日のお礼に、仕事もですけどお昼も頂きましたので、晩御飯、奢らせてくださいっ」
坂口はバッグのショルダーベルトをぎゅっと握って、俯いていた。
クソ真面目で几帳面な坂口の、誠心誠意のお礼なのだろう。
「・・・うん、じゃあ、わかった。何か食べたいものとかあるか?」
「あの、お昼のキッシュが食べたいです。一口サイズだったので物足りないというか美味しかったので」
テイクアウトのオードブルに入っていたキッシュを食べに行くのは無理があるが、知り合いの洋食屋ならメニューにある。そこにするか。
「わかった。少し歩くけどいいか?」
夜の街は、車道に車が溢れていてヘッドライトの灯りと街路樹のライトアップで、普段より随分と明るくなっている。歩道を歩く学生グループやカップル達は賑やかで嬉しそうな顔をしている。その脇を坂口と俺は洋食屋に向かって歩いた。
カラン、カラーン
昔ながらのドアチャイムの音。
「あらぁ、タクロー君いらっしゃい」
洋食屋のマスターの奥さんが出迎えてくれた。厨房にはマスターの顔が見える。店内はお客さんで埋まっている様子だった。
「後ろの子は彼女さん?」
坂口が奥さんに軽く会釈する。
「いえ、会社の後輩です。休日出勤で一緒になったので。席、空いてます?」
奥さんは左手を頬に当て『そぉねぇ』と言いつつ店内を見渡す。
「よ、タクロー君。奥の個室使いな。予約席だけど一時間半くらい連絡無しで来ないようだからいいだろ。で、ついに彼女できたか!?」
マスターが出てきて、店の奥の個室を案内してくれた。
「会社の後輩ですって。取り合えずほうれん草とチーズのキッシュいいですか?他のは後で頼みます」
マスターは『あいよ』と言って厨房に戻っていった。
坂口はコートをかけて、席に着いた。
「お知り合いのお店なんですねぇ。先輩だから見栄張って彼女って言うかと思ったのに。『タクロー君』って呼ばれてるんですね」
坂口はいたずらっ子のようにニタニタしている。
「何だよ。それに見栄張って彼女って言っちゃうと坂口に一生ネタにされそうな気がする」
「そうですよ、一生ネタにしようかと思ったのに。そうだ!私もこれから『タクロー君』って呼ぼう!」
「100万年早ぇわ!」
それから坂口の仕事の愚痴などを散々聞かされた。アルありシャンパンでほろ酔いになったのか饒舌、というより力いっぱい熱弁している。普段言えない事をしっかり吐き出している坂口の姿は微笑ましく思えた。クソ真面目で几帳面で取っつきにくそうな坂口にこんな一面があったなんて。
「言わせて貰いますけどね、タクロー君も相当取っつきにくいですからね。いつも眉間に皺を寄せてて、私以外の同期のみんな、怖がってますから」
「生まれつきだわ、ほっとけや!てか先輩に『タクロー君』呼びとか調子に乗んな!」
2時間くらい経っただろうか。トイレに行くついでに奥さんに言って会計を済ませておいた。
「そろそろ帰るぞ。駅まで送っていくから」
「はーい。先輩、良かったですね。クリぼっちじゃなくて」
「はいはいありがとねー、坂口のお陰だねー」
「誠意が感じられなーーーーい!」
洋食屋のマスターと奥さんに挨拶して店を出た。坂口は会計が無い事を不思議に思っていたようだが。
夜中の街は、車道の車も人通りも少なくなってはいるものの、普段よりは随分と賑やかさを維持していた。駅のホームで坂口との別れ際。坂口は酔いが醒めたのかしおらしくなっていた。
「先輩、今日は色々ありがとうございました。大変でしたけど楽しかったです」
「いやいいよ。気を付けて帰りな」
「はい・・・先輩、やっぱ『タクロー君』って呼びたいです」
坂口の顔はいたずらっ子のそれではなく、恋慕の思いが感じられた。
最後までお読み頂きありがとうございました。評価、ご感想を頂けましたら幸いです。
なお「こんな課長なんているわけない」と思うかもしれませんが、実在の人物がモデルです(笑)
いや(泣)が正解かも。