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第1話 亡霊貴族(上)

もはや、その心臓も路傍の石と変わりがない──────


帝国と共和国の対立は、より大規模な戦乱へと発展。

5年の歳月を経ても尚、その戦火は拡大の一途を辿っていた。

終わりの見えない殺し合いは、人の尊厳を無意味にしてしまう。


──────そこには、ただ血と腐臭の景色が続いていく。





その日は雨が降っていた。


女将軍は拳銃を抜き、躊躇なく二人の子供を射殺した。

その場には、他に数名の子供たちがいた。

突然のことに皆声を失う。恐怖で泣き叫ぶこともできない。


跪かされ、両腕を拘束された男は、あらん限りに狼狽える。

そして大きな声で、のたうつように泣き叫んだ。


「なんてことを! 相手は子供だぞ! 貴様には血も涙も……っ!」


女将軍はその言葉を最後まで聞かなかった。

同じように、男の頭をただ撃ち抜いてしまったのだ。

そして、兵士たちに命令する。


「……殺せ。残りの子らも全部だ」





7年が経った。


長く続いた戦争も、3年前に帝国が勝利し終結した。

共和国は事実上解体され、全ては帝国の属国となり下がる。


そんな世で、とある青年が生き残っていた。


本当の名は疾うに忘れ、彼を示すものは偽名のみ。

出自を示すものもなく、安らぎを感じることもない。


ただ首に下げた質素な首飾りを見ると、不思議な気分になった。

それは、彼が物心の付いた時には持っていたものだ。

しかし、それは他では見たことのない印が刻まれているだけ。

何の手がかりにもならなかった。


今、彼はとある目的のため森に潜伏していた。


影のように身を潜ませていると、すぐ近くから激しい音が聞こえてくる。

それは剣と剣が交差する音。そして、騎士の叫び声。


「姫様、早くこちらへ! オマエ、早く姫様をお連れするのだ!」


侍女が息を切らしながら、姫の手を引いて走る。


「早く早く! 姫様! 捕まれば、何をされるか!」


懸命に逃げる3人。


だが、明らかに『姫』と呼ばれた人物が足を引っ張っている。

彼女は走ることが得意ではなかった。

その上、幾分かは動きやすそうな服装であっても、豪奢な貴族の装いだ。

目立つことこの上ない。


青年は木の上から、その様子を見て機会を窺っていた。


(予想通り、この路を選んだな。だが、随分追手の数が多い。誰の手引きだ? まったく、いちいち手間のかかる)


そうしている間も3人は追い詰められ、囲まれてしまった。

追手は10人程度だが、姫の護衛は騎士が一人と、侍女が一人。

それも姫を庇いながらでは、まともに戦えないだろう。

結果は見るまでもなかった。


「き、貴様らぁ! この方をどなたと心得るか! こんな狼藉、許されると思っておるのか! 恥を知れぇ、下郎め!」


「どなたも何も、秘匿姫の『ミレナ様』だろ? 女将軍様の娘よ。ずっと籠の鳥で秘密にされてた箱入りのお姫様だ。俺ぁ姫様なんて、抱いたことないからなぁ。さて、どんな味がするやら。楽しみ過ぎてよぉ」


舌なめずりをする男。そして、下卑た笑いをこぼす手下ども。

騎士のような格好はしているものの、その仕草は野盗と変わらない。

護衛の騎士は、ギリギリと怒りを噛み締めた。

なぜなら、目の前の男に見覚えがあったからだ。


「たしか貴様は、金で爵位を買ったのだったな。だが、品性までは買えなかったようだ。皇女に対するこのような狼藉、許されると思うなよ!」


「はて、おかしなことを。オマエはここで死ぬのに、誰がその狼藉を伝えるのか。それとも姫様が言うのか? その口で? 自分が何をされたのかを公言するのか? 俺たちに、どんな風に可愛がって貰ったかを⁉︎ そりゃ傑作だ!」


「この……、畜生どもが!」


下卑た笑いを浮かべる男の一人が、ポカーンとした表情をしている。


「ん? 皇女? 皇女ってのは皇帝の娘じゃないのか?」


「オメェ、何にも知らないのか。女将軍様ってのが、皇帝の娘なんさ。妾腹で、継承権なんざ無いがな。つまりあの姫様は皇帝の孫ってわけよ。要はその気高い御血筋に、俺らの汚ねぇ血を混ぜ混ぜしようってことさ。恐れ多くて身震いしちまうだろぅ? まぁ俺ら全員相手にして、それでも生きていたらの話だがな」


「こ、このぉ! そのようなことを、この姫の守護騎士であるヴェルフェス・サジェスがさせると思うか! 貴様ら全員、私が成敗してくれるわ!」


護衛の騎士ヴェルフェスは、自身を鼓舞するかのように叫ぶ。


だが、結局は多勢に無勢。

この戦力差では、到底敵うはずもないことは彼自身も分かっていた。

しかし、それでもその剣を下げるわけにはいかない。


その時、追手らに動揺が走る。


「な、なんだオマ……」


何かを言いかけ、事切れる追手。

すでに数人の追手らが絶命し倒れていた。

そこには青年が立っていたのだ。


……偽物の名を持つ彼が。


「な、なんだ貴様!」


「だ、誰だ? 狩人か……?」


騎士ヴェルフェスの目には、10代後半の若者にしか見えなかった。

暗い色の革鎧と短めの剣、その冷たい目からは何の思惑も感じられない。


だが、その若者は次々と素早い動きで追手を殺す。

そして、あっさりと全員を始末してしまった。


「貴殿は敵か……?」


ヴェルフェスは剣を構えるが、息も絶え絶えだ。

青年の動きを見るに、今のヴェルフェスでは太刀打ちできないだろう。

しかし、それでも構える他なかった。


だが、青年は少し前に進み出た後、剣を置いて跪く。


「姫様、お迎えが遅くなり大変申し訳ございません。将軍様のおられる場所まで、貴女を護衛するように仰せつかりました。ゾーア・レイデルガローと申します。以後、お見知り置きを」





なんとか追手から逃れた一行は、4人で先を急ぐ。


足取りは軽くはない。

だが、姫は緊張から解放され、少しだけ明るい表情を見せた。


「本当に助かりました。なんとお礼を申し上げて良いやら……」


「ひ、姫様。あまりこの男に近付いては……。この男は、あのレイデルガロー卿の……」


騎士は訝しげな表情で、青年を睨みつける。


青年は『レイデルガロー』と名乗った。


それは、帝国貴族の名だ。

子供の多い貴族ではあるが、実子はいない。

そこへは選ばれた孤児が送られ、思想や戦闘の英才教育が施されるのだ。

そうして卿は、帝国随一の暗殺集団を作り上げた。


ヴェルフェスはごくりと喉を鳴らす。


「亡霊貴族レイデルガロー。その子供たちは恐ろしき暗殺者で、姿は死霊のように掻き消えるとか。はたまたその姿を見たものは、悉く非業の死を遂げる、とも。それにレイデルガローと言えば……」


そういったキナ臭さも問題だが、実はもう一つ問題がある。


今、姫は皇女でありながら追われている。

それは、クーデターがあったからだ。

中央軍が皇弟を擁立し、王都を乗っ取ったのだ。

今は皇帝派が敗走し、散り散りになってしまった。


そして、レイデルガロー卿は皇弟派側という噂だった。


皇帝の娘であった女将軍は皇帝派であり、今や皇弟派に追われる身だ。

つまり、将軍の娘からすれば、彼は紛れもなく敵なのだ。

それがなぜ姫を助けたのか。


騎士にも侍女にもまったく理解ができないのだ。


「ですが、彼は助けてくれました。私は信用に足る人物だと考えます。ゾーア様、お許し下さい。ヴェルフェスはどうも心配性で……」


「いいえ。お気遣い有難う御座います。確かに私はレイデルガローの者ではありますが、元は下賤の生まれ。ヴェルフェス様がお疑いになるのは当然かと」


「そんなことは……。それで任務ということでしたが、レイデルガロー卿はなんと……?」


「姫を護れと。そして、将軍の元へお連れしろとだけ。将軍様と当主の間で、どういった密約があったかは知りません。ただ現在は皇弟派が優勢ではありますが、その蛮行は目に余るということかもしれません。実際、王都は凄惨を極めた状況となっており……」


「そうでしたか。レイデルガロー卿は思慮深く、崇高な方なのかもしれませんね。一度お会いして、お礼を言いたいのですが……。それも厳しいでしょうか。くれぐれもよろしくお伝え下さい」


箱入り娘の姫は、優しく気高い。

だが、側にいた騎士ヴェルフェスや侍女シェマは違う。


彼らは、怪訝そうな表情で青年ゾーアを見ていた。





追手から逃げ延びた一行は、小さな村へと辿り着いた。


宿屋でくつろぐ姫と侍女シェマ。久しぶりにホッと人心地をついた。

ゾーアは外へ見回りに行き、ヴェルフェスは宿屋のすぐ近くで待機している。


「姫様は気を許し過ぎですよ。あんなどこぞの馬の骨とも……。まぁ形式だけは貴族ですけど」


「シェマ。そんなことを言ってはいけません。命を救っていただいた方に」


「た、たしかにそうですが……。ただ私は、姫様にはもう少し人を疑うということを知ってほしいのです」


「分かっています。特にこうなってしまった以上、私も籠の鳥ではいられませんし。……それにしても、どうしてこう何度も居場所を知られてしまうのでしょうか。どこかに追跡者がいるということでしょうか」


「それなのですが、あのゾーアとかいう男。怪し過ぎませんか? 皇弟派ですよ? 急に現れたのだって。ずっと追跡していたのは、あの男だったのかも」


「シェマ。それはさっきも言ったように……」


「救って頂いた、ですよね。それは分かりますが……。それと私は、ヴェルフェス様も怪しいと睨んでおります」


「ど、どうしてそんな……。彼はずっと私を守ってくれているのですよ? それはもう小さな頃から。だから私は、彼を父のように慕っています。彼に限って、そんなことはありえません」


「ですが、どうにも。あの年で結婚もされず……。私は見てしまったのです。彼の目が、姫様をなんだか、いやらしいものを見るような……」


「やめて! ……そんな話、聞きたくはありません。シェマ、あなたも精神的に参っているのは理解しています。ですが、いくらなんでもそんな……。そんな穢らわしいことはありえません。彼に限ってそんな……」


「でも、姫様!」


「……一人にしてくれますか、シェマ。……お願い」


執拗な追手に、姫も疲弊していた。シェマは無言のまま部屋を出ていった。





ヴェルフェスは宿屋に入ってくるゾーアを見つけ、カッと睨みつけた。


「貴様、どこへ行っていた?」


「周囲を警戒に」


「そんなことを言いながら、増援を呼んだのではないのか? レイデルガローの暗殺稼業。どこまで本当かは知らぬ。だが、卑しい出の貴様らなら、姫の暗殺なぞお手のものだろう? 姫は騙せても、私は騙せんぞ」


「いいえ。そのようなことは……」


ヴェルフェスはゾーアの胸ぐらを掴み、勢いよく壁に押し付けた。


「いいか。覚えておけ。姫に仇なす者は、誰だろうと容赦はせん」


「その台詞は、守れてから言って下さい。私がいなければ、姫はあの輩の慰みものになっていたでしょう。しかも皇帝の血筋。数年前の戦時下で平然と行われていたことが、またこの帝国内でも行われるだけですよ」


「減らず口が! いいか、貴様は大人しくしていろ! 亡霊の手なぞ借りん!」


ヴェルフェスは手を離す。そして再び睨みつけ、部屋に戻っていった。


戦時下で行われていたこと。


それは非人道的なものだった。

特に帝国兵が共和国へ行った蛮行は、今でも語られている。

女性は悉く陵辱され、男は意味もなく拷問されたのだ。


中でも、共和国の大統領に関しては凄惨を極めた。

彼は公開処刑されたが、その家族も酷い扱いを受けたのだ。

特に、娘たちへの暴行は目に余るもので、死体はそのまま広場に放置された。

しかも、その暴行は当時の大統領の目の前で行われたのだ。

彼は、血の涙を流したとも言われている。


そういった蛮行は、帝国軍の勝利により誰も断罪できなくなってしまった。

だが今回、皇弟派のクーデターにより、その皇帝派も粛清されつつあった。


ヴェルフェスの去っていく背を確認したゾーア。

彼には、早急に対策を打つ必要があった。

事態は切迫していたのだ。


(さて……。すでにこの村も囲まれているとはな。随分と姫様に固執するじゃないか。誰の差金だ? あの姫がどうなろうと知ったことではないが……。将軍の元へ辿り着いた時に、傷物では色々と支障が出てしまう)


いくつかのおかしな点があった。


今まで姫に接触する機会を窺っていたが、幾度となく姫は襲撃を受けている。

初めはゾーアも、自身と同じような目的の別働隊がいるのことを疑っていた。

だが、自身以外の追跡者など存在するはずもない。


さらに不自然なのが逃走経路だ。

あきらかに将軍のいる場所から離れていっている。

実際、少し前の村では、近い場所まで行ける馬車の直通便があったのだ。

だが、それは使われなかった。


おかげで、彼らは随分と危ない橋を渡り続けている。

なにせ今までの追手の大半は、秘密裏にゾーアが始末し続けていたのだから。


(全く難儀なことだ。ただ姫を将軍のところへ導けば済む話だったのに、結局姿を見せなくてはいけなくなった。この不可解な逃避行は、やはりあの男が原因か。ヴェルフェス。だが、ヤツは皇帝派で、怪しい動きもなかった。それにヤツはどうやら、姫に個人的な感情を抱いているように思えるフシがある。なら、なおのこと姫を危険に晒すなぞ考えにくいが……)


ゾーアの中で思考が堂々巡りをする。

しかし、情報が足りない。


それに、村を包囲している集団は、彼が秘密裏に動ける規模ではなかった。

それこそ、村が消滅するほどの数であった。

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