第十六話 覚悟
地下に向けて伸びた迷宮の遥か底。
北極の氷の厚さよりもなお深い、空間異常による迷宮の最底。
そこに迷宮の主はいた。
【これほど短期間で我が迷宮の最奥に辿り着くとは……矮小な存在だが、驚嘆に値する】
光すら届かない氷に囲まれた狭い空間で、世界樹は螺旋を描きながら天へ枝葉を伸ばしている。
だが、それは樹木と認識するにはあまりに肉の要素に富んでいた。
幹は地へ降臨せんとする竜、枝葉には苦悶の表情を浮かべる竜と人間の成り損ない、そして迷宮を闊歩していた魔物たち。
その竜にあたる部分が、ぎょろりと目玉だけを動かして私たちに話しかけてきたのだ。
上の階では、〈原始の攻略者〉たちがそれぞれの目的の為に殺し合いを繰り広げている。それらの猛攻を回避して迷宮の主に突っ込んできた訳だが、考えの読めない連中のことだから妙なことで気が変わって追いかけてくる可能性が高い。
それに、迷宮が出現し、世界樹が誕生してから数時間が経過している。外の環境に影響を及ぼし始めるだろう。
「エルドラ、あまり時間がない。いつものように私が引きつけるから、アレを頼めるかな?」
ここはいつも通り、私が敵の注意を引きつけている間にエルドラが魔力を貯め、最高火力の【獄焔】を放つ戦法でいこう。というか、これ以外の戦い方など私たちにはない。
エルドラはゆったりとした動作で髪をかきあげる。
「ふっ、アレか。任せろ、とびきりのヤツをこの俺が直々にお見舞いしてやろう」
あまりに頼もしい、余裕たっぷりの笑みと自信に満ちた声音。
「頼りにしてるよ」
よし、エルドラとの意思疎通もバッチリだ。
彼の【獄焔】なら、なんか気持ち悪い目の前の世界樹だってあっという間に燃やし尽くせるだろう。なにせ、神性に王手をかけるような実力の持ち主だし、帝国では一番強いとされる第五階位魔術師だし。
かつてない連帯を感じる。
【策を弄したところで、この世界に根を張り、神格を得た私を破壊できない。この身は世界そのものであり、いずれ神となる。もはや誰にも私を止める事はできない!】
竜が吠えると同時に、枝葉が震える。
どう考えても攻撃の予兆だ。
防御系のスキルを発動すると同時に盾を構え、攻撃に備える────
【避けて!】
聞こえたのは、聖女ダージリア……いや、畑中華菜の悲鳴じみた叫び声だった。
反射で避け、距離を取る。
「なにも、起きない?」
静寂。けれど、耳鳴りが酷い。
身の毛もよだつ、怨恨の染みた殺意。
この感覚には見覚えがある。とても、嫌になる程に。
「呪怨属性の攻撃か!」
四元素でも魔力でも聖なるものでもない。
この世ならざる、悪意に満ちた殺意から生まれた呪い。呪怨属性は、その特異性から扱えるものは限られている。
邪神。それに連なるもの。
あらゆる加護、防御を無視して対象に死を付与する状態異常攻撃。
これに対応できるのは、私だけだ。
死にはするが生き返る。
だが、悪寒が止まらない。なんだ、何か見落としているような。
その正体を探るべく、記憶を漁って辿り着いたのは。
「神格を、得た……?」
『神格を得た』『いずれ神となる』といった、竜の発言。竜は傲慢だが、虚言は口にしない。神格を得たならば、『神々の書斎』を閲覧したのではないか。
だからこそ、私に対して呪怨属性を用いた。
目の前にいる竜は、【迷宮神】と取引を交わし、黄金協定の抜け穴を掻い潜って神格を得て神になろうとしている。
そんな奴の放つ呪怨は、神官や配下の魔物と果たして同じなのか?
答えはノーだ。
神の下僕は、神の威光を借りて奇跡を起こす。
ならば神が自ら奇跡を起こしたとすると。
それは、超常の言葉で片付けられるものじゃない。現実改変、存在の否定、あるいは抹消だって可能だ。
一度でも食らえばアウト、そして次は回避不可の呪怨攻撃を繰り出してくる。それで私は文字通り終わる。
……私に対処できる相手ではない。
ある人物の言葉が脳裏に蘇る。
『君も神格を得ないか?』
魔素同位体、並行世界におけるエルドラと似て非なる存在。時間跳躍を何度も繰り返す者の言葉。
神格を得た存在に対抗するには、同じ次元に至る必要がある。思いついた策は、現状の問題を解決しても更なる問題を引き起こす未来しかない。
『神格を得ても碌なことはない。ましてや短命な人間では、終わりのない生命など確実に持て余す。身の丈に合った人生を送る方がいいに決まっている』
人間として生まれた私には、想像なんてできないほどに、生き物から離れた存在になる事へのエルドラの警告。
それでも、他に選択肢が思い浮かばなかった。
聖女ダージリア、畑中華菜が辿った結末。
その一端を垣間見ても、選択を変える訳にはいかなかった。
目の前の竜が引き起こした惨劇。
自らの賛同者や信奉者さえ利用する、卑劣な存在がこの世界に神として君臨するのは許せない。許せるわけがない。
馬鹿騒ぎするが人助けのためならば命すら捨てる冒険者のいる日本支部のギルドに属する人々。
共に仕事をした『悪霊の主』。
こんな私を慕う『始まりの一歩』。
私を対等に扱ってくれた『終の極光』。
身勝手な正義や価値観ではあるが、迷宮という謎に挑む『原始の攻略者たち』。
人生を捨てた私を、見捨てなかった母さん。
そして、私の親友、畑中華菜を救いたいという実現するのも困難な願いに、真摯に向き合ってくれているエルドラ。
そんな彼らが脅かされるのは、絶対に許せない。
初めから私の運命は決まっていたのだ。
何か見えざる大いなる意志とやらに、歩む道を舗装されていたのかもしれない。それでも、見知らぬ誰かの思い通りになるのはここまでだ。
「覚悟を決めたよ。……こういう真面目なやつ、本当は柄じゃないんだけどね」
「ユアサ?」
並列思考を起動する。
自分のスキルを選び、組み合わせて進化する。これまで無意識にセーブをかけていたユニークスキルを狙って。
【む……? 何をしている?】
竜が私に問いかける。
私は笑って答えた。
【神格を得て神になるのは、お前じゃない。この世界の神になるのは私とエルドラだ】




