第十五話 紅晶竜、再び
竜の顎が迫る。
乱杭のように鋭く生えた牙を、盾で右へと受け流す。
「ハッ、前に戦った個体より随分と狙いが甘いな!」
私の背後に立ち、魔法の構築を始めたエルドラが吠えた。
直後、【獄焔】が炸裂する。
紅晶竜は避けるでもなく、スキルを使って防御するでもなく、真正面からエルドラの魔法を食らった。
……前に戦った紅晶竜レッドドラゴンならば、貪欲にスキルを使い、ターゲットを逸そうと躍起になっていたはず。だというのに、私のバフスキルにも反応を示さず、爪や牙での攻撃に執着している。
姿形こそ似ているが、中身は別物のようだ。私の中にいる紅晶竜の魔力の残滓が、それを証明している。
「迷宮による記憶の投影、か」
思い当たる現象の名前をポツリと呟く。
迷宮は、不思議な事に侵入者が乗り越えられる強さの魔物しか登場させない。それは己が苦手とする武器を扱う魔物であったり、己の現し身であったり、形は様々だ。それでも、決して倒せないわけではない。
アウターでは、『迷宮の試練』と親しまれ、その中でも過去に倒したことのある魔物の再登場を『記憶の投影』と呼ばれている。
この竜も、誰かの記憶を投影しているのだろう。
しかし、それは私とエルドラではない。
……この迷宮の主の記憶なのだろう。
それも、とびきりの悪意と侮蔑に満ちた認識に基づいている。
脳裏に蘇るのは、かつて『焔ヲ貪ル者』で捕食した竜の記憶。
遥か高みに辿り着く兄たちに及ばなかった劣等感。
どうやら、兄であった竜たちも赤い竜を見下していたようで。
順調に削れていく魔物の体力とは裏腹に、苦いものが蓄積していく。
目の前の魔物は、炎も吐かず、爪と牙で私だけを狙う。
ライオットシールドの効果とはいえ、あまりにも愚直な行動ばかり。
だから、エルドラの攻撃に対して警戒が足りず────
「【獄焔】」
強化を載せまくった高火力の魔法が鱗を灰へと変える。
苦悶の絶叫をあげながら、竜の体が迷宮の床へ沈む。
「……何か納得できない様子だな、ユアサ」
粒子へと砕けていく竜の亡骸。それを眺めていると、隣に来ていたエルドラが私に問いかけてきた。
「レッドドラゴンには何年も苦しめられてきた。恨み辛みはあるけど……こんな扱いを、同族から受けていたのかと思って」
好きか嫌いかで言えば嫌いだ。
執念深く、憎悪と劣等感に満ちた魔物だった。
目的のためならば、未来を捨てて手段を選ばない。
「そういえば、過去に竜の記憶を見たと言っていたな。その感情も、竜鱗が呼応しているのだろう」
エルドラに示された右腕を見る。
鎧の隙間から覗く肌には、半透明の赤い鱗が煌めいていた。
深呼吸を一つすれば、その鱗も解けて消えていく。いつの間に発動していたのか分からない。完全な無意識だった。
「エルドラ、次に進もう。まだレベルアップには、経験値が足りない」
「ユアサ」
名前を呼ばれて振り返る。
相変わらず、金の瞳は私を見下ろしていた。
「憐憫と同情は、時に心を抉る刃となる。相手に共感するのは貴様の良い所だが、そこは間違えるな」
思いがけない助言と忠告。
初めて会った時からは想像もできない発言だった。
「それもそうだね、心しておくよ」
「ふん、分かれば良いのだ。さあ、行くぞ」
魔力回復のポーションを空にしながら、次の階層へ続く壁の穴を潜る。螺旋に続く氷の回廊。そこに蠢く数多の魔物。そのどれもが、高ランク難易度に指定される危険な魔物だ。
エルドラを抱えながら、そこへ飛び降りる。
好機と捉えた魔物が躍り出て、爪や牙や魔法で攻撃を行うが……
「【獄焔】」
その全てを漆黒の焔が焼き払う。螺旋に沿って、私たちが落ちるよりも早く敵を探しては殲滅する。
僅かばかりの経験値が、蓄積されていく。
「エルドラ、着地地点に次の守護者だ!」
「はっ、探す手間が省けた。着地は任せたぞ、ユアサ」
常人ならば即死確定の落下時間と距離。
それでも、冒険者として活動してきた年月とスキルを組み合わせれば。
あらゆる衝撃を床に押し付けて、逃せない衝撃を私に集中させ、継続回復のスキルで立て直す。
クレーターを生み出しながら登場した私たちを出迎えたのは、栗毛の分厚い皮に覆われた、長い鼻と牙を持つ象の始祖。マンモス。驚く気配もなく、淡々と迎撃の準備を始める魔物。
「ぃいやっはぁっ!」
そして、頭上から聞こえたのは。
「一番槍は、この俺だあっ!」
呪われた剣を振り回す〈最低最悪〉な冒険者アレクセイ。
「まったく、無茶な戦いばかりする男アルね……」
ため息を吐きながら、真紅のチャイナドレスの裾を揺らす〈桃源郷〉で知られる翠花。
手にした扇で、頭部への狙撃を防ぐ。
「ちっ、これを防いだか」
舌打ちを一つ。素早い手つきで薬莢を込め直す〈永久凍土〉のルカ。
「さあ、退きな男共!恋する乙女の行手を邪魔するなら殺すよ!」
そして、私より遥かに大きなクレーターを生み出しながら、土埃から姿を現したのは〈大食らい〉のシンディ。その陰からひょっこりと姿を見せるのは、人工知能体えみり。
「あの、ヴォルンさんは何処……?」
あちらこちらから吹き荒ぶ殺気のなかで、きょろきょろと周囲を見渡してヴォルンの名前を呼びながら探している。
どうやら、混沌としていた状況は更に加速するらしい。
〈原始の攻略者〉が一つの場所に集うと、必ず殺し合いが起きる。
それほどまでに利害とウマが合わないのだ。
氷の回廊は騒ぎに似合わずしんと冷えていた。
天井から垂れ下がる氷柱は、落ちれば人も魔物も同じように串刺しにしてしまうだろうに、〈原始の攻略者〉たちはそんなことお構いなしに暴れ始めている。あの面々がそろうと、迷宮の危険度なんて外気温みたいなものだ。相手を殺す方がよほど重要、という顔をしている。
マンモスは、目の前の大騒ぎを前にしても全く動じない。沈黙の守護者、というより、数多の阿呆の相手をするために悟りを開いた魔物、とでも呼びたくなる落ち着きだった。
アレクセイは相変わらず、殺意を燃料にしたロケットのように突っ込んでいる。翠花は呆れ顔でその背に扇を向け、ルカは冷めた目でスコープを覗き、シンディは土埃から戦車みたいに現れ、えみりは殺意の渦中で行方不明の男を探している。
どいつもこいつも、迷宮にとっては珍獣みたいな存在だ。
エルドラは、そんな地獄の開幕を見てやけに満足そうに鼻を鳴らした。
「良い景色ではないか、ユアサ。馬鹿を集めておくと便利だ」
「便利って言い方、雑すぎない?」
「事実だ。あいつらは前衛として優秀だ。しかも他人の利益にならない限り、勝手に潰し合う」
つまり、前方に撒き餌を投げておけば後ろの私たちは安全という、冒険者らしからぬ理屈である。合理的と言えば合理的だが、採用するにも勇気がいる。
「大丈夫だ、ユアサ。連中は相対すると“最も強い敵への挑戦権”を競い始める。あれはあれで、変な秩序があるのだ」
「秩序……ねえ。少なくとも平和じゃないのは分かるけどさ」
目の前では、アレクセイがいきなりマンモスに斬りかかり、翠花が「待つアル!」と飛びかかり、シンディが横合いから殴り込み、ルカが「動くなって言ってんだろ」と射線を通し、マンモスがため息みたいな鼻息をつく、そんなカオスが展開中。
この時点で、守護者側に同情してしまうのは私だけだろうか。迷宮だって、こんな迷惑な攻略者たちの相手をする羽目になるとは思っていなかったに違いない。
エルドラはそっと私の肘をつついた。
「今だ。奴らが“誰が最初に殺すか”で揉めている間に、横を抜けるぞ」
「成功すると思う?」
「試さねば分からん。だが、あいつらは獲物の取り合いで忙しい。俺たちなど眼中にない」
確かに、地獄の盆踊りみたいな乱戦の中に、私たちを気にする気配は一切ない。最悪に忙しそうで、最低に迷惑で、最高に頼りになる連中だ。
えみりを見る。視線がかち合うと「ヴォルンさんは何処ですか?」と問いかけてきたので首を横に振った。えみりを狙う攻撃はシンディが全て防いでいた。どうやら、何らかの理由でえらく気に入られた様子だ。しばらくはシンディと共にいるなら安全だろう。
私は一度だけ深呼吸をし、エルドラと視線を合わせた。
「行くぞ」
「分かった。エルドラに合わせるよ」
その瞬間、私たちは一歩横へ滑り込み、氷の裂け目のような抜け道へと走り出した。背後では、アレクセイの咆哮が響き、翠花の怒号が飛び、シンディが何かを丸ごと噛み砕く音がして、ルカが「おい、動くなつってんだろ!」と怒鳴っている。
迷宮の奥へ続く通路は、そんな喧騒とは対照的に澄み切っていた。静けさが、逆に不気味なくらいだ。
「……本当に上手くいった」
「言っただろう。混沌は使いようだ。迷宮にとっての試練は、我々にとっての追い風にもなる」
エルドラの金の瞳が細められ、口の端がわずかに上がる。
そして、通路の最奥に位置するのは荘厳な分厚い氷の扉。
迷宮の主が待ち構える、最奥の間。
世界樹となって世の理を書き換えようと目論む元竜の巣窟であった。




