第十三話「永久凍土の楽園」
獄焔が発動した。
黒い炎が吹雪を押し除けて、月虹竜を包み込む。
「おかしい」
私の隣に立つエルドラが言葉を発した。
いつの間にか吹雪が止んでいる。
遠くで様子を伺っていた『悪霊の主』の中で遠距離攻撃を担当しているロドモスの魔法が、青い鱗を穿っていく。
それでも、竜は沈黙を貫く。
「……まさか」
エルドラが息を呑んだ。
懐から一冊の分厚い本を取り出し、開いて羅列した文章を指でなぞって叫ぶ。
「森羅万象を解明せよ!」
不気味な静寂が場を支配していた。
渦巻いていた魔力の流れも、今は感じない。
そして、エルドラが呟いた。
「迷宮化」
「は?」
「あのドラゴン、肉体を【迷宮神】に捧げたらしい」
迷宮を生み出す神話に語られる存在。
その他の神々とは違い、明確な信徒や聖印を持つことのない隠された神格とされている。
「だが、どうやって【迷宮神】と取引を交わした?」
エルドラが歩き出す。
竜の牙が届く範囲に足を踏み入れても、何の反応もなかった。
「エルドラ、待ってよ。【迷宮神】と取引を交わした内容は何だっていうの?」
竜・ドラゴンは、自らの種族に誇りを持っている。
強靭な肉体、頑丈な鱗、長い寿命に空をかける翼。
それらを手放すほどに魅力的なものを取引の材料として持ちかけられるとして。
「『リヴァイアサン』は、環境保護団体のように振る舞う魔物信仰のカルト教団。ルーツはアウターだが、この世界で活動を移してから掲げる教義に変化があった……」
「世界の自然よりも、北極の自然を中心に据えていた。え? それってまさか」
自分で言っておいてなんだが、あり得る悍ましい結論が信じられずにエルドラを見つめる。
苦い表情でエルドラは唇を噛み締めた。
「自らの肉体を対価に迷宮を創り出し、信徒との契約を果たす事によって神格を得る。アウターのドラゴンと違って、地球の魔物は独自の価値観を獲得しているとは感じていたが、まさかここまでとは」
エルドラが忌々しそうに舌打ちを一つ。
ここまで取り乱すのも久々だ。
「迷宮はどこに?」
「ここだ」
エルドラが地面を指差すと同時に、空からオーロラが降り注ぐ。
獄焔で溶けていた氷の大地が厚みを増し、世界の広さがぐにゃぐにゃと曲がる。
月虹竜の体から、若々しい双葉が芽を出す。
その中心から茎が伸び、葉が出て、茶色に染まっていく。
「ハッ、早くもあの竜は世界の根幹を気取るつもりらしいな」
エルドラが私の肩にしがみつく。
私の知らない類の結界で周囲を隔てた。
「迷宮化に伴って空間に異常が起こる。まあ、周囲にいる侵入者を分断する為のものだが、この俺にそれは通用せん。だがダークエルフどもは無理だ。迷宮の外に放り出されるだろうな」
「つまり、二人だけで迷宮を攻略する必要がある?」
「ああ。合流している暇はない。最速で迷宮を攻略し、核となっている元竜の世界樹を破壊するぞ」
竜を討伐するはずが、迷宮攻略する事に。
想定外の事態に私は苦笑いを浮かべた。
「最速攻略かつボス撃破を掲げるとは、随分と自信過剰じゃん?」
「俺とユアサならば可能だ」
「買い被りすぎだけど、最善は尽くすよ」
ぐにゃぐにゃと曲がっていた空間の変化が落ち着いていく。
どうやら迷宮化がついに終わったらしい。
さあて、エルドラの信頼を裏切らないように頑張りますかね。




