第九話 旧友と近況
白夜二日目は何事もなく過ぎ、三日目を迎えた朝。
お邪魔していた北極観測所に来客があった。
エルドラに叩き起こされ、連行された応接室にいたのは、戦って解説できちゃう今をときめくハイエルフのアンガルモ博士である。
「やあ、エルドラ卿。またお会いできてとても嬉しいです。そちらがご友人のユアサさんですか?」
「彼は俺の元同僚のアンガルモだ。変人で名が通っている」
軽く会釈をすると、彼ははははと白い歯を見せながら笑った。
爽やかおじさんなだけあって、細かいことはあまり気にしないらしい。
「それにしても七色の鎧とは凄まじいですな。テレビで目立つこと間違いなしです」
「最近の貴殿はそればかりだな」
「ははは、なにかとめでぃあ露出が多いものでしてね。いやぁ、芸人の漫才を間近で見れて感無量です。そういうエルドラ卿も魔物対策について専門家としてコメントを出していたではありませんか」
「あのような場になど出たくはなかったが、公務であるゆえにしかたなくだ」
おお、エルドラが。
あのアリアと喧嘩して、セレガイオンと嫌味と挑発を繰り返していた彼が。
ごくごく普通に友人みたいな近況の会話をしている!!
珍しい光景に私は知らず知らずの内に息を飲んでいた。
物音を立てないようにお茶を人数分の湯呑に注ぎながら、ほほえましい光景を見守る。
「それで、貴殿は何故ここに?」
「実は、内密に卿の耳に入れたい情報がありまして」
エルドラの表情が強張る。
なんてこった、和やかな空気が消えてしまった。悲しい。もうちょっと見たかったのにな。
「環境保護団体の『リヴァイアサン』が北極の月虹竜と接触したという情報を得ました。この北極のどこかに潜んでいるとみて間違いないでしょう」
「チッ、あの忌々しいドラゴンめ。片利共生するつもりか」
リヴァイアサンといえば、過激な捕鯨反対運動や抗議活動で知られている環境保護団体だ。
魔物の出現を『超自然』と捉えていて、冒険者ギルドと対立している。
如月市でも頻繁にみかける、というか冒険者なんてやってると必ず絡まれる輩だ。
「さらに『原初の迷宮攻略者』も北極へ向かっているそうです」
「手間取っている間に嗅ぎつけられたか」
「ここに来るまでの間にも密偵らしき存在に追跡されました。エルドラ卿、くれぐれもご注意を」
アンガルモの忠告を、エルドラは片手を挙げて制した。
「貴殿の忠告はありがたく受け取っておく。だが、その身は既に高官ではなく、一般市民だ。くれぐれも己の力を過信して密偵を探らないように。それと、業務に関係のない情報を収集するのはやめておけ」
「ですが、エルドラ卿――」
「これは命令だ」
食い下がろうとするアンガルモをきっぱり断じた。
「そう、ですね。どうやらまだ高官だと思っていた節があったようです。この件は一任しても?」
「元よりこれは俺が対処すべき問題だ。貴殿が背負う必要はない。それに俺にはユアサがいる」
エルドラがゴンゴンと私の鎧をノックした。
空気を読んで光を強めておいた。
それを見てアンガルモはくすりと笑う。
エルドラは眉をひそめた。
「何がおかしい?」
「いえ、あなたの口からそのような台詞を聞くとは思わなくて。前は『バウミシュランの血を引く俺に不可能はない』と仰っていらっしゃったのに、ご友人を話題にあげるとは。いやぁ、よいものですな。私もいい人に巡り会いたいものです」
エルドラは無言で湯呑のお茶を飲んだ。
「して、堅苦しい話はここまでにして。ユアサ殿の鎧、少々拝見してもよいでしょうか?」
アンガルモが目を輝かせながら、応接室のソファーから立ち上がる。
私の返事を聞く前に鎧をペタペタ触り始めた。
「私の専門は動植物のなかでも自然に生息する魔物なのですが、大学時代はカースドアイテムを研究していたことがありまして」
「ああ、そういえばそうだったな」
「それにしてもこの鎧は素晴らしい。呪怨が完全にコントロールされていて、暴走する気配がなく、さらに進化までしているとは! これの製作者はドワーフの悪夢人ですな、カースドアイテムの制作で上り詰めた職人とお見受けする」
ひと目見ただけでそんなことまで分かるんだ。
「それを作ったのはフレイとかいう小娘だ」
「な、なんと! そうでしたか、この世界であればきっと思う存分に鍛冶の腕が振えるでしょうな。それはよかった」
知り合いだったんだ。
世界って狭いなあ……
ぴぴぴ、と電子音とバイブレーションの音が室内に響く。
「電話だ。少し失礼する」
エルドラが部屋を出て、通話を始めた。多分、帝国関連だろう。
ぼけーっとしていると、アンガルモがぼそっと呟いた。
「それで、式はいつになりますかな。彼にはとても世話になりましたので、是非とも盛大に祝ってやりたいのです。彼に直接聞けたらいいのですが、あまりプライベートなことは語りたがらない人でして」
「…………………………?????????????????」
式?
魔術式とかそういう?
「ふふふ、私には分かりますぞ。エルドラ卿のあのご様子からして、もう既に婚姻の申込みまで済んでいるのでしょう?」
私は無言で首を横に振った。
「(婚姻以前に恋愛関係でもないです)」
「おや? ですが、彼の魔力を見る限り……」
アンガルモは顎に手を当て、にやりと笑った。
たびたびセレガイオンがヴォルンに話しかける前に浮かべていた意地の悪い顔にとても良く似ている。
玩具を見つけた猫みたいに目が爛々と輝いていた。
「ほお。ほお、ほお。いやはや、目が離せない展開になってきましたな」
「(あの、なんの話をしているんですか)」
「ところでユアサ殿、エルドラ卿の他にもあの悪名高き『悪霊の主』と契約を結んでいるとお聞きしました」
強引に話題を変えられた気もしたが、先程の話題を深く追求しても面倒なことになりそうだったので、話の流れに身を任せる。
「なにかと派手な噂は聞きますが、実力は折り紙付きです。どうかエルドラ卿をよろしくおねがいしますね。あの人は、なんというか悪い人ではないんです。言葉が足りずにちょっと誤解されやすいだけで、いい人なんです。なにとぞ、なにとぞよろしくおねがいいたします!」
両手をガントレット越しに握られ、激しく振り回された。
「それにしても、何故七色に光っているんでしょうか。往々にしてカースドアイテムというものは呪怨の濃霧や怨嗟の呻き声を漏らしているはずなのですが。それにその胸元の印はどこかで見た記憶があるような……ないような……」
それから、エルドラが戻ってくるまでひたすらカースドアイテムの成り立ちや起源、それにまつわる神話と考察について教えてもらった。
曰く、魔王側に寝返った際に作り上げた品物で、恨みや妬みを込めて作り上げた物が原初のカースドアイテムというらしい。
なので、迷宮で自然生成される他、カースドアイテムを作れるのは魔族か悪夢人だけらしい。
「――アンガルモ。そろそろ時間じゃないのか」
カースドアイテムについて語り始めて一時間。
エルドラが私の隣で腕を組みながら、壁にかけられた時計を顎で示す。
その時、こんこんと扉がノックされた。
『ご歓談中、失礼します』
何故かクラシカルなメイド服を着た人工知能体が扉を開け、ぺこりと頭を下げる。
『花御博士がアンガルモ様をお呼びです。いかがなさいますか』
「おお、そうでした。博士とは魔物が地球にもたらした影響について議論する予定でしたな。私としたことが、時間を忘れてついつい熱中して語ってしまいました。それでは、お二人さん。また後で」
爽やかな笑みを浮かべてアンガルモはメイドに連れられて応接室を出ていった。
二人っきりになった部屋の中で私はふうと息を吐く。
話を聞いているだけなのに、何故か精神的に疲れた。
それもこれも、いきなり『式』とか言うからだ。
心臓がとまるかと思った。この日ばかりはフルフェイスでよかったと思う。
「悪かったな」
「え?」
「あいつは一度熱中するとしばらく語る。悪癖だが、治る気配が一向にない」
「カースドアイテムの話は面白かったから気にしていないよ。神話の考察を聞けたのはいい体験だった」
エルドラは腕を組んだまま、そうかとだけ答えた。
眉間に寄っていた皺が緩む。
……なるほど。これがアンガルモの言っていた『言葉が足りない』ってやつか。
「エルドラ」
「なんだ」
「『リヴァイアサン』の話、聞かせてよ。衝突する可能性があるんでしょ?」
エルドラが顔をしかめた。
湯呑の冷えたお茶を飲む。
「なるべくなら、やつらに勘付かれる前に片付けておきたかったのだが……」
エルドラにしては妙に歯切れ悪く話を切り出す。
それは、あまりにもぶっとんだ内容だった。
「『リヴァイアサン』のリーダーは、帝国側で要注意人物としてマークしている。近年、魔物を利用した悪質なカルト宗教の母体となっている可能性があり、深刻な被害を地球にもたらすと予見されている」
「カルト宗教? 邪神関連?」
「背後に【堕腐神】が絡んでいるが、『リヴァイアサン』そのものに邪神はそれほど食い込んでいない。独自の宗教を編み出していると言っても過言ではないな」
「独自の宗教か。外側は神様が存在して、目に見える恩恵があるのにわざわざ神様を作るんだね」
考えてみれば不思議な話だ。
この前、遭遇したグレニアの司祭のように、恩恵を通じて神を崇める世界なのに、恩恵を与えない神が信仰される。
さほど宗教から入れ込んでいない私からすると、信仰するメリットもないのに崇める意義が理解できない。
「六大神はその恩恵を与える見返りに魔力と信仰を糧として蓄えている。いわば取引のようなものだ。だが、それ以外の信仰は利益よりも信仰そのものに重きを置いている」
「グレニアのような『見返りを求めての信仰は信仰にあらず』だっけ」
「ああ。無償の奉仕と献身を美徳とする、旧世代的価値観だ。無為に人員を浪費するだけの愚策としか思えんが、一生が短く数の多い種族にとっては社会を運営するために必要な思考誘導だ」
「む、難しいな……」
その日、その日をぼんやりと生きていた私にはさっぱり分からない。
「『リヴァイアサン』の究極の目的は、自然への回帰。ひいては超自然への進化――とどのつまり、魔物になることだ」
「え?」
「月虹竜との接触で、彼らは脱皮するための知恵を身に着けただろうな。恐らく、まともに会話は通じない。魂すらも魔に染まっているだろう」
「魔物に、なる? それって、ワイバーンのこと?」
ドラゴンはその周辺環境を大きく変えてしまうという。
長くとどまることはめったに無いので、あまり報告例はないが、外側にはかつて国一つが様変わりしてしまったという歴史がある。
「ああ。ドラゴンは取引を行った相手に鱗を分け与える。ある程度のレベルがあるならともかく、地球人であればその自我を喰われるだろうな」
……レベル、上げておいてよかった。
レッドドラゴンを討伐したのに、意識を喰われてワイバーンになったら元も子もない。
私はぶわっと鳥肌がたった腕を鎧の上から擦った。




