第八話 そっぽ向くエルドラ
溶岩に満ちた洞窟のなか、私は汗が伝う感触が気持ち悪くて頬を拭った。
手の甲を頬が触れた瞬間、ビリリと痛みが走る。どうやら魔物の攻撃を避けた拍子に軽い火傷を負ったらしい。治しておこう。
「エルドラ、そっちの様子はどう?」
「こちらも敵影なし。子蜘蛛含めて、この階層にいる魔物は全て討伐した。所詮は俺の敵ではないな」
エルドラは長い足で巨大蜘蛛の脚をまたぐようにしてこちらに来た。
溶岩に囲まれ、熱気が容赦なく浴びせられる環境にいるというのに彼の顔は涼しげ。
彼が身に纏うローブには、着用者を環境ダメージから守る魔法が込められている。
その代わり防御力はかなり低いが、この殺人サウナでは重宝するだろう。
「はあ、四体目の魔物を空間収納魔法でしまう作業があるんだったな……」
隣に立ったエルドラが辟易したような声で呟いた。
インベントリの魔法が込められた腕輪から取り出した水はすっかり温くなり、というかむしろお湯と化していた。
未開封のボトルを一本、エルドラに渡す。
「他に人員がいれば、こんな面倒な作業をしなくとも済むのだがな……」
冒険者は徒党を組んで迷宮を探索する。
ゲームの用語を当てはめて表現するなら、『攻撃職』という攻撃を担当する人員と『回復職』の回復担当に大まかに分けられる。
終の極光で言えば、遠藤とミリルが攻撃職を、フレイヤが回復職だ。
彼らが戦闘に集中するため、『運送屋』というもう一つの役割が存在する。
アウターから伝来した概念で、迷宮までの案内や馬車などの手配、消耗品の管理と魔物の解体を担当するのだ。
遠藤たちのパーティーにいた頃は、固定ではなかったけれど『運送屋』が追従することが多かった。
今回、二人だけで出来たばかりの迷宮にいるのは極めて珍しい例だ。
「嘆いていても仕方ないよ。今は出来ることをしよう」
こうなった理由に心当たりがないわけでもない。
ハイエルフという高慢な種族と、攻撃力がないことで有名な『盾職』の私。おまけに素顔も声も分からないときた。
遠藤のカリスマ性やフレイヤの名声なども手伝ってある程度の金を積めば雇えたが、この面子では金以前の問題だ。
冒険者は虚栄と自尊心で依頼を受ける。だから、たとえ死んでも依頼を達成する。
だが、『運送屋』は冒険者ではない。彼らは金貨と危険を天秤に掛ける。物差しは信頼。
魔物を倒せる腕があるからといって、仕事のパートナーに選ぶわけではないのだ。
……他の冒険者?
ああ、誰だって漆黒の炎でこんがりローストされたくはないよ。分かるさ、分かるとも。
募集要項に「『豪炎耐性』があるとより良い」と書いてあったら、誰だって警戒するさ。
誤射癖、ぜんぜん直らないんだもんなあ。
最近だと「当ててもダメージが入ってないならなんら問題はない」と開き直る生意気な性格になっちゃって。
おかげで耐性がモリモリあがっていくよ。
そんなことを考えていたせいか、気がつけばエルドラは私が水を飲んでいる間に巨大蜘蛛を空間魔法に収納したようだ。
巨大蜘蛛が暴れ回った場所でこちらに背中を向けて立っている。
空間を操作する魔法は集中力と時間を必要とするらしい。
魔法に特化したステータスとスキルを持つエルドラでさえ五分近く詠唱していたのだから、その難易度は推して量るべし。
ちなみに、私の持つインベントリの魔法を封じ込めた腕輪は死体を収納するのに向いていない。時間経過と外気で腐敗してしまう。
「エルドラ、どうしたの?」
いつもなら「やれやれ、こんな下らない仕事に俺が時間を割かなければいけないとは」とかぶつぶつ呟いているのに無言だ。
「おーい?」
「……む、なんだユアサか」
ぼーっとどこか一点を見つめて考え事に耽っていたエルドラが、視線を動かして私を捉える。
「今回で四体目だけど、どうする? 疲れているなら一度、麓に下りて本格的な休憩でもしようか?」
「ああ、そうだな。迷宮が成長してきているし、二人だけで探索するのも難しくなる。引き際だな」
初探索時、この番人の間にいた子蜘蛛は五匹。
四日目の今では十二匹ほどまで数を増やしている。
道中に遭遇する魔物が単体から群れになりつつあるのも、迷宮が時間をかけて成長している証だ。
幸いにも変質の兆候は見られない。
「ユアサ、今のレベルは?」
私はステータスを開いてレベルを確認する。
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湯浅奏 人間(地球) レベル:45 天職:聖騎士
生命力:100%
魔力:600/600
ステータス:
【筋力】150
【器用】38
【敏捷】25
【耐久】450
【知力】90
【精神】100
【魔力】600
【魔耐】700
スキル:言語理解LV20・神聖魔法LV20・風圧LV2[+方向指定]・鉄壁LV15[+効果時間延長]・カバーリングLV20[+対象指定]・暗視LV9・並列思考LV20・聖騎士の堅陣LV14・魔力自動回復LV 1・魔力増加LV 3・重力魔法LV7
固有スキル:大地耐性LV1・暴風耐性LV3・吸収効率化LV6・魔力操作LV15
ユニークスキル:
焔ヲ貪ル者(飢エル者・悪食・飽食・炎喰ライ・火炎耐性・豪炎耐性)
堅牢(物理耐性・斬撃耐性・殴打耐性・刺突耐性・腐食耐性・酸耐性・魔耐性・毒無効・疾病耐性・呪怨耐性・噛みつき耐性)
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「45。『神聖魔法』『豪炎耐性』はおかげさまでスキルレベルがカンストして20だね」
「そういえば、何の神を信仰しているんだ?」
「いや、特に信仰してないけど」
エルドラが信じられない物を見たかのように目を見開く。
そして、冷静な声で反論してきた。
「いや、それはおかしい」
「そうは言われましても」
「神聖魔法とは、魔力を信仰する神に捧げて発動するもの。理論を知らずとも対象を癒すことはできるが、逆説的にいえば信仰無くして発動は不可能だ」
エルドラは懐から【叡智神】の聖印を取り出す。
ネックレス型のそれには、鉄の板に正円と巻紙の印が刻まれていた。
「たぶん、聖女ダージリアじゃないかなあ。伝承によると、聖句を唱えなくても奇跡が起こせたんでしょ?」
「だが、あれは……」
「私を聖騎士に任命したのは間違い無いし、何が狙いかは分からないのは不気味だけど聖印がなくても神聖魔法が使えてる」
「実害がない限りは気にしない性分か。邪神じゃないことを祈るばかりだ」
エルドラは「『能天気、ここに極まれり』だな」と鼻で笑う。
「まあ、特殊神聖魔法が使えないのは不便だけど」
「それこそが神聖魔法を扱う醍醐味だというのに、基本だけでここまで来れた幸運を感謝するんだな」
「厳しい戒律が課せられていないことに感謝してるよ」
信者となるには、実際に祠を尋ねて祈りを捧げる必要がある。
それからそれぞれの神が定めた信仰に従って活動するほど神聖魔法は強力なものになるのだ。
「叡智教は『常に冷静に。情報を精査せよ』だっけ? 感情が赴くまま、本能に任せて行動してはいけないんだったよね?」
カッとなっての犯行や、衝動を理由に行動すれば、神の恩恵を失う。
そんな経緯があるから、叡智教を信仰する神官は大体が利口で嫌味や皮肉が得意だと一目見て分かる顔つきをしていることが多い。
「よく知っているな。激情に駆られて謀反を起こした神官は、目の前で聖印を失ったという逸話もある」
「いついかなる時も打算的に行動しろってことでしょ。なんか大変そう」
「無鉄砲よりマシだ」
暗月教は復讐、堕腐教は金への執着と道徳を軽んじる思考、などなど。
多様な宗教があるように、その戒律も独特でバリエーションに富んでいる。
「もし『全ての神を信仰する』なんて宣う人がいたら大変なことになりそう」
「それは相当な馬鹿か、破滅願望のある愚か者だ」
飲みかけのペットボトルを腕輪にしまって、盾を片手に出口へ向かう。
道中の魔物は全てエルドラが仕留めたが、どこかに魔物が潜んでいないとも限らない。
警戒しつつ、溶岩が流れる洞窟を進む。
「麓に下りたら、お前がどうして神聖魔法を扱えるのか調べる必要がありそうだな。邪神じゃなければいいんだが……」
「どうやって調べるの?」
「【叡智神】の力を借りて『神々の図書館』から探るしかあるまい」
あかしっくれこーど?
宇宙誕生から未来に至るまであらゆることが記されるとかいう?
……異世界って、すごいなあ。
「冒険者ギルドに戻って迷宮について報告しないといけない。時間は有限だ、三時間で下山するぞ」
「流石にそれは無謀でしょ」
流石の無茶振りに私は反論した。
エルドラは出来ると主張して譲らなかった。
人間とハイエルフの歩幅の違いを解説して、ようやくエルドラは折れてくれた。
「エルドラは、長命の癖にせっかちだね。もっとのんびりしたまえ」
「短命の癖にまったりしすぎだ。もっと警戒心と危機感と自覚を持て。そんなだからアリアやカローラにつけこまれるんだ」
「え? なにかされたっけ?」
「…………ふん、馬鹿め」
エルドラはそっぽ向いた。
彼が何を意味してそんな発言をしたのか、私にはさっぱり分からなかった。
「もっと警戒しろ」(警戒しろとは言っていない)




