第七話 夢の世界でかつての敵から罵倒される湯浅奏
巨大蜘蛛の討伐を成し遂げ、迷宮内の魔物を討伐した私たちは、夜も遅いので予約していた山小屋で一泊することになった。
街にある冒険者向けの宿屋と違い、扉のない仕切りで区切られた個室が宿泊場所になる。
富士山山頂ということでシャワーはないし、トイレは一回につき二百円と有料で混むといった不便な点はあるが、天気の変わりやすい山頂で雨風を凌げる場所はありがたい。
「(それで今後のご予定は?)」
山小屋の中は既に寝ている人も多いので静かにするのがマナー。
魔力操作で文字を描いてエルドラに問いかける。
「しばらくはあの迷宮で魔物狩りだ。今回だけで1レベルあがったんだろ? あと三匹ほどあの巨大蜘蛛ーー『溶岩蜘蛛』を倒すぞ」
空気を読んで伝達魔術で返事をするエルドラ。
あと三匹ほど迷宮に篭って討伐するということは。つまり、三日ほど富士山に滞在するってことですか?
いくら汗拭きシートとかで清潔にしているとはいえ、文明からそんな長時間離れるのは辛いっす……乙女的な意味で。
「分かってる。今回の反省点も踏まえ、もっと賢く倒すさ。約束する。もう二度とあんなヘマはしない。君がねちょねちょになることはないさ、神に誓ったって良い」
エルドラは無駄にキリッとした顔で誓う。
あの巨大蜘蛛を倒した後、「俺の魔法の技術はこんなことのためにあるんじゃない」とか「こんなの【石鹸神】の修道士や神官が……!」とか言っていたが、魔法でお湯を作らせて鎧を洗った。
べちょべちょの服もついでに洗って、山頂で乾かしたので匂いは少しはマシになっただろう。
「(今度は洗わせるからね)」
釘を刺しておく。
あの粘液は本当に酷い匂いで、おまけに洗っても洗ってもねちょねちょしていた。
もしまた鎧があの粘液で汚れたら、たとえエルドラがゴネても本人に洗わせる。絶対にだ。
まあ、おかげさまで私の内部にあった乙女ゲージがめためたに下がりまくったので、こうして同室になってもまっっったくときめかないのだが。
というか、思えば遠藤とも同室だった時があったから今更なのだけど。
「(迷宮が再生するのは明日の二時か。じゃあ、私はもう寝ます)」
「まだ午後六時にもなっていないんだが」
山に登った挙句、迷宮で魔物と戦ったから私はもうクタクタだよ。
「おやすみなさい」
寝袋に潜り込んだ私は、同室のエルドラに背を向けて目を閉じた。
◇ ◆ ◇ ◆
どんよりと暗い空。分厚い雲。夕焼けなのか、ぺんぺん草すら生えていないそこはいつも赤く照らされている。
息が詰まるようなプレッシャーを、空の上からも土の下からも感じる。
私はここを、『死後の世界』……以下略。
「えっと、私は寝ていただけなのに、なんでここにいるんですかね?」
独り言を呟く。
死んだ覚えもないし、体のどこを見渡しても死因に繋がる怪我もない。
鎧や盾からの呪怨攻撃を疑ったが、それなら必ず予兆があるはずなので、その可能性は限りなく低い。
「あ、なるほど。これは夢か」
枕にするには不向きな不毛の大地から体を起こす。
立ち上がってみても、やはり地平線の彼方まで建物どころか草木の一つ見えやしない。
「そういえば、ここで聖女ダージリアと出会ったんだっけ? ドラゴンに殺されて、蘇生を待っている間にふらりとやって来たんだったなあ」
なんだか遠い昔のように思うが、あれからまだ一週間ぐらいしか経ってない。
ドバイでのあれこれがあったから、なんだか遠い昔のように感じてしまう。
ヒキニートの頃は、ゴロゴロしている間に一日が経っていたからそれほど年月の速さを実感しなかったな。
「……誰もいないか」
周りを見渡しても、白い聖女服も、火力だけならピカイチの漆黒ローブもいない。
もしかして目が覚めるまでここにいるのだろうか。それは流石に辞退したい。
ふと、なんとなしに空を見上げると、遠くの空に赤い物体が飛んでいるのが見えた。
その赤い物体は、体についた沢山の瞳に似た鉱石をぎょろりとこちらへ向けた。
遠くからでも分かる。
紅晶竜『レッドドラゴン』だ。
その巨体と着陸した衝撃で地面を砕きながら、ドラゴンは静かに私を見下ろしている。
反射的に鎧を着用して盾を構えてしまったのは、昔に殺されたトラウマをちょこっとだけ思い出しちゃったから。
いくら【精神】のステータス値が高くても、精神的動揺を抑えたり魔法の効果を受けにくかったりするだけで、トラウマそのものを克服することはできない。
「……えっと、あの、お久しぶりですね」
沈黙に耐えかねた私は、ついに口を開く。
言葉が通じるかは分からないけれど、刺激しないように選んだ発言内容は限りなく無難だった。
「グルルルル……」
ドラゴンは特に気にした様子もなく、私の周囲を歩き回っては翼をばさばさと動かしては土埃を舞いあげる。
どうやらドラゴンは私をしげしげと観察しているようだった。
緊張して強張る私をたっぷりと観察した後、
「弱い」
明確に聞き取れる言葉でそう吐き捨てた。
「弱い、あまりにも弱い。何故、そこまで弱いのか。攻撃力もさることながら、魔法攻撃力もその他のステータスも低い。弱肉強食の理を乗り越えた生き物は栄華を極める代わりに衝動を捨て去ったとしか思えないな」
矢継ぎ早にダメ出し。
夢の世界とはいえ、なかなかに手厳しい指摘だ。
「その癖、防御力だけは高いから、倒すのが厄介。殺したとしても生き返り、対策を施して立ち塞がる。まったく不愉快極まりない」
「そ、その節はどうも……」
「生き物としてその有様はどうなんだ? え? 生きたいと本気で思っているのか? その調子でいつまでやっていけると思っているんだ?」
「ふぁ? え、あ、はい。すみません……?」
なんで私は夢の世界で説教を食らっているんだろう。しかもドラゴンに。
「まあ、いい。今日の要件は他にあるからな」
説教は前座だったと知り、私は面食らう。
あと、ドラゴンの声は渋い。声だけならイケオジだ。
「お前、あの緑の倅と戦うんだろう?」
「……な、なんでそれを?」
夢の世界だから、ドラゴンが知っていてもおかしくはないのかな?
という私の推測をドラゴンは否定する。
「ドラゴンの血肉を食らっておきながら、魂の繋がりが生じないとでも思ったか? しかし、お前の魂は色々とキナ臭いぞ。どうにかしろ」
「へ? 魂がキナ臭い?」
「神霊に悪霊にハイエルフに……まあ、うち二つは同位体だが」
「は?」
突きつけられる新事実に私は目を瞬く。
「なんか増えてない? うち二つが同じってどういう意味ですか?」
「それは今日の要件に何ら関係ない。黙って余の語る言葉を拝聴しろ、地を這う蜥蜴風情が」
「あ、はい」
ドラゴンは丸太よりも幅のある尾をゆらりと振る。
「緑の倅は気候を操っているが、最強とは程遠い。あやつにはこれまで『オジサマって本当にクソ雑魚だね。良い加減、同じ鱗を持つ魚に種族変えたら? 竜族の面汚し♡ガルグレイユ様にその魂と鱗をお返ししろ♡ばーか、ばーか』と馬鹿にされてきた」
「はあ……?」
唐突のクソガキめいたグリーンドラゴンの過去の発言に、ここが夢の世界であることを一瞬だけ忘れてしまうほど呆気に取られた。
ドラゴンの煽りに魚が使われることも初めて知ったよ。
「ーーゆえに、あの緑の倅にも死んでもらう。こうなれば道連れだ。知識を与えてやるから、やつを“捕食”して繋がりを作れ」
「ちなみに拒否権は?」
「あると思うのか?」
こうして、夢の世界で私はかつて討伐したドラゴンから一方的に要求を突きつけられたのだった……。
◇ ◆ ◇ ◆
ぺちぺち、ぺちぺち。
誰かに頬を叩かれる感触に瞼を開くと、そこはイケメンだったーー
「ようやく覚めたか。いきなり鎧と盾を装備したから何事かと思ったぞ」
眉間に皺を寄せていたエルドラは、私が目を覚ましたことを確認するとふっと表情を和らげ……
落ち着け、私の乙女ゲージ。
奴は三百年誤射マンうっかりさん、惚れたら死ぬまで振り回される未来しかない。
よし、動悸が落ち着いてきた。この動悸はあれだから。変な夢見た時特有のアレだから。
決して幼馴染に起こされるシチュを連想して不覚にもドキドキしたアレじゃないから。
……とりあえず、面頬下ろしとこ。
「寝ぼけているのか。随分と魘されていたみたいだが……」
エルドラは無情にも問答無用でガシャっと面頬をあげた。
視線がかち合う。
エルドラは無言で懐から鏡を取り出してこちらに向けた。
見慣れたはずの自分の顔に、見慣れないものが二つ。
キラキラとした赤い鱗が目元に数枚。
左目は『血瞳晶』を彷彿とさせる紅の虹彩に縦に裂けた瞳孔。
じっと見ていると、まるで何事もなかったかのようにスッと消えて元通りの顔になる。
「ユアサ、道端に落ちてるドラゴンの肉でも食ったか?」
「(……まあ、そういうこともあるよね)」
思い当たる節がありますね。
拾い食いではないけれど、ドラゴンの肉なら食べたことがありますよ。
「なるほど。その身に鱗を宿したか。道理でドラゴン臭いわけだ。その臭いをどうにかしろ、我慢ならん」
エルドラは私がそこら辺に放置していた汗拭きシートをこちらに向かって放り投げる。
寝る前に拭いたというのに、この短時間で臭くなるものなのか。試しに嗅いでみたが自分ではよく分からない。
「それで、どんな夢を見た?」
「(あ〜、少し長くなるけどいい?)」
とりあえず夢でドラゴンに教えられた情報を伝える。
「(緑色の鉄の塊、出来れば車体を誘導したい地点に放置して竜の遺灰をふんだんに蒔く……どしたの?)」
エルドラが突然、ぶっと吹き出して口元を手で覆ったので文字を中断する。
「な、なるほど。たしかにドラゴンは生後数年で……馬車が……車ならあるいは……いや、だが、それは……」
「(夢で見聞きしたものなんだけど、そんなに不味いの?)」
「そのドラゴンは夢の中でその作戦について他に何と言っていた?」
「(『緑の倅を“分からせ”てやれとしか……)」
もしかしてそんなにやばい作戦?
ドラゴンと車を組み合わせるのって予期せぬトラブルでも生み出すの?
思わず体を拭いていた手を止める。
「……レベルを上げてから考える。それまではこの件について質問されても俺は絶対に答えない。他のやつにも質問はするな」
「(なんで?)」
「命令だ」
「(……まあ、エルドラがどうにかするならいいけど)」
私は欠伸を一つして、鎧と盾をしまって寝袋に戻る。
今度こそ私は朝になるまで変な夢を見ることなくぐっすりと眠ったのだった。
ドラゴンカー……いや、まさかな。




