第十話 見ていて面白いヤツ
ワクチン二回目で体調を崩していましたが、なんとか今日中には間に合いました!!
ホテルに戻る途中、バスに乗って移動している最中の出来事。
「少しシャツのサイズが大きかったようだな。前々から小柄だと思っていたが、日本人は世界的に見ても小柄なのか」
「あ〜、言われてみればそうかも。アウターの人も他の国の人も背が高いや。おかげさまで首が痛いよ」
「奇遇だな。俺も下を向いているから首が痛い」
お互いの顔を眺めながら首を摩る私たち。長距離を移動するバスに乗っているので、二人とも椅子に座っている。
何度見ても公共交通機関を利用するハイエルフを見るのはなんだか変な感じだ。
三百歳相手にタメ口を使っていいものか悩んだが、エルドラによれば聞こえてくる言葉は『言語理解』というスキルで大体が敬語に聞こえるらしい。
侮辱的な言葉を使ったり、蔑みを声音に滲ませない限りは相手にとって好ましく聞こえるそうな。
〈初対面のツンツン具合から一転、【宵闇の塔】から戻って文字でやりとりするようになってから態度が軟化したのは『言語理解』のおかげだったんですねえ。つまり文字を使い始めた並列思考のおかげなわけです〉
調子に乗る並列思考は無視して、私はスマホで母さんに連絡を送る。
母さんから『エルドラさんに失礼がないように、ちゃんとお礼をするのよ』と返事が来た。
「エルドラさん、お昼はもう食べた? 迷惑かけたし、この前のお礼に奢るよ」
「そういえば朝に攫われてから今の今まで君は捕らわれていたのか。このバスが停まったら、どこかで食事でもするか」
窓の外に目を向ける。
開け放たれた窓から温い風がビュウビュウと吹き込む。
「あっつ〜。エルドラさん、その服は暑くないの?」
「最適な温度を維持しているので不快感を覚えたことはない。俺からすれば、いつも鎧を着ている方が暑そうなのだが」
「あ〜ぶっちゃけカースドアイテムって生き物だから多少は内部の温度を操作できるんだよね」
「え、なにそれは」
唖然とするエルドラ。
「え?」
唖然とするエルドラを見て唖然とする私。
がたん、とバスが大きく揺れた。
「鎧型のカースドアイテムを着用されたご経験は……?」
恐る恐る尋ねる私。
首を振って否定するエルドラ。
「そんな経験、あるわけないだろ。迷宮で手に入れたとしても、その場で破壊するのが基本だ」
「だから買い取りとか拒否されるのか〜」
私が一人で過去のことを思い出し、勝手に納得していると私の横でエルドラも腕を組んで頷く。
「そうか。“ゲート”が開く以前、地球には魔力がなかったんだったか。なら、呪いの品を目の当たりにする機会も少ないか」
「そーそー、昔なら呪文を唱えたり祈るだけで怪我や病気が治るなんて有り得なかったからねえ」
「冒険者の危機管理について今一度、ナイトウと話し合わないといけないな……」
こんな時までお仕事内容について考えるとは、エルドラは真面目だなあ。
そんなことをぼーっと考えていると、エルドラがとんでもないことを言い出した。
「新人の育成を担当するとなると、俺とユアサだけでは手が足りんな」
「え?」
「相応の地位を得るには実績が必要だからな。時間は有限だ、さっさと仕事に取り掛かるに限る。明日の朝に空港に向かうんだろ?」
「え……? なんで地位を得るために実績が必要なんですか……? というか引退したんでもう私は関係ないはずなんですけど……?」
エルドラに対してツッコミが追いつかない。
明日の予定に関しては、取調べに関してアンガルモさんに教えていたからエルドラが把握していてもおかしくないとはいえ、どうして私とエルドラがツーマンセルで仕事をすることになっているのか。
「引退? 何を馬鹿なことを言っている? 積み重ねたキャリアを活かさないのは社会に対する冒涜だぞ」
「ふあ?」
いきなり社会を引き合いに出された私は思考が停止する。
なんだって個人の話が社会の話にまで飛躍するのか。
「とにかく、日本に戻ったら冒険者ギルドに来い。また俺からの連絡を無視したら……」
「無視したら?」
「バウミシュラン家に伝わる家畜調教の魔法を使う事になる」
「え、なんなのそれは。私、ペットでも魔物でもないんだけど」
エルドラは肩を竦める。
「嫌だったら、ちゃんと俺からの連絡には目を通せ。余計な手間をかけさせるな」
「えええええ???? ちゃんと返事はしたじゃん!」
「生返事は返事ではない」
「へーへー」
つい脊髄反射で生意気な返事をしてしまった。流石にキレたかと思い、ちらりと隣を見るとエルドラは口をへの字にしていた。
金髪をかき分ける長く尖った耳が、ゆっくりと上下に動いている。
「エルドラ、耳が動いてーー」
「気にするな。動く時は動くものだ」
「……へー。なんか兎の耳みたいだね」
「魔法も使えん動物と同列に語られてもな」
上に、下に。一定のリズムで動くそれは、なんとなく高校時代に音楽室に置かれていたメトロノームを彷彿とさせる。
眠くなりそうなリズムでビートを刻んでいる。
それを眺めているうちに、数週間前にアリアとエルドラが耳のことで口論していたことを思い出した。
「たしか、ハイエルフの耳は大気中の魔力を感じ取る器官なんだっけ?」
「ああ。他種族の血が混ざれば混ざるほど、耳は短く音を捉えるだけの器官に成り果てる」
「へー。だから第二世代は『エルフ』で第三世代は『ハーフエルフ』って呼び方なんだね」
ちなみに第四世代から『〜〜エルフ』という呼称は使わなくなる。
血統主義や出生地主義が入り乱れている地球と違い、アウターでは血統主義を原則として条件付きで出生地主義を取り入れている国が殆どだ。
「地球では混血を指す言葉はないのか?」
「あるっちゃあるけど、場合によっては差別になるからなあ。民族っていうよりは国で考えることが多いかな。言われてみれば、種族について深く考えたことはなかったなあ」
「俺からすれば、民族のルーツを深掘りせずとも国家が成り立っていることの方が不可思議なんだが」
「あ〜、それは歴史と土地が影響してるかもねえ」
目的地までまだまだあるバスの中、私とエルドラはそれぞれの国の歴史について教え合ったり、他愛もない冗談を言い合ったりした。
特にエルドラは日本の歴史に興味が湧いたらしい。意外なことにエルドラは歴史が好きだそうだ。歴史を語る口ぶりに呼応するかのように耳が上下に動く。
「その耳ってさ、やっぱり感情ーー」
「動く時は、動くもんだ。気にしなくていい」
エルドラは一際、強い口調でぴしゃりと言い放つと両手で端を摘んだ。
耳はまるで別の生き物のようにもぞもぞしていた。押さえつけられた犬の尻尾みたいで面白かったので笑っていると、エルドラが「後で覚えてろよ」と恐ろしいことを言ってきた。
元仲間を脅すなんて最低だと思うよ。
◇ ◆ ◇ ◆
隣から聞きなれない女の声がする。
少し低めな声音のそれは、気を抜けばすぐにでも眠ってしまいそうになる波長だった。
「へー『インスピレーション』って儀式魔法なんだ。それは知らなかったなあ。一時間の祈祷が必要なんだっけ?」
エルドラは頷く。
彼をよく知る人がここにいれば、心ここにあらずであることをすぐさま見抜いたであろう。
素顔も声も知らない仲間の正体を、よもやこんな所で目にすると思っていなかったばっかりに、エルドラの胸中は荒れ狂っていた。
小柄な体躯だとは思っていたが、まさか女だったとは。
あの無口っぷりが嘘のようによく喋る。
『ユアサカナデ』と人質になった女が同一人物だと暴いたのは彼自身であるが、ユアサカナデの正体にもっとも衝撃を受けていたのは彼だ。
「なんというか……君はとても変わっているな」
率直な感想がエルドラの口から溢れ出す。
魔法を当てたことに腹を立てなかったこともそうだが、過去の彼女の振る舞いを振り返ってもそうとしか思えない行動ばかり脳裏を過る。
「そお? エルドラもなかなか変わってると思うけど」
隣に座る奏は大して気にした様子もなく、ケラケラと笑っている。
軽口を言い返す顔に妬み嫉みはなく、純然に言われた言葉を深読みせずに受け取っていることが分かる。
揚げ足取りと悪意に満ちていた帝国とは違う世界で生きてきたのだと、彼女を構成する雰囲気が物語っていた。
「なんだか『君』って呼ばれると、前に出会った別のエルドラを思い出すよ。御守りを使ったけど、後で請求されたりしないかな〜。お金で片付けられたらいいんだけど」
「いざとなれば消せばいい」
「その解決方法は物騒すぎるんだよねえ〜」
ふいに、彼女から貰った御守りの存在を思い出す。ポケットに入れたまま、ここまで持ってきたそれは呪力の気配も魔法の気配もない。
もう一人の自分の目的はまだ不明。もしなんらかの方法で時間遡行を可能とした未来の自分であるならば、その目的次第によっては、殺害も視野に入れなくてはいけないだろう。
もっとも、過去の改変は神々の協定により一部を除いて不可能なはずだが……。
(黄金協定は既に破られている。未来では、過去改変が許されているのかもしれない)
神による現世への干渉、過去改変、新しい神の誕生を制限する神々の取り決め。
それを『黄金協定』という。
並行世界の観測はできても、異世界の観測までは出来なかったがゆえに、文言のなかに異世界は含まれていなかった。だからこそ、存在しないと言われている異世界『地球』との接続は帝国にとっても衝撃であった。
王権交代の最中に起こった出来事であった為、一年という期間をおいてようやく帝国は調査に乗り切れるための体制を整えることに成功し、エルドラが日本に派遣されたわけだが……。
(帝国からの報告によれば、“ゲート”の開通に神が関与していたことは間違い無いらしいが、どの神までかは判別できないという……堕腐神、不滅神が怪しいと睨んでいたが、関係なかったな)
翠花の様子を見る限り、暗月神も“ゲート”の開通に関与していないと見て間違いはないだろうとエルドラは類推する。
ならば、もう一人の自分の正体は“ゲート”の調査に訪れた可能性がある。
「今度、もう一人の俺とやらに会うことがあれば紹介してくれ。話がしたい」
「ん〜、いつになるか分からないけど覚えておくよ」
無口だった甲冑と同一人物とは思えないほど暢気な解答が返ってきた。
普通なら、混乱するような事態でもすぐに適応してしまうところをエルドラは尊敬していた。
もっとも使用者を発狂させるといわれているカースドアイテムを好んで使ったり、血塗れなのを忘れてバスに乗ろうとしたり、人間関係の機微に聡いのに妙な思い込みから変な勘違いをするところは今すぐにでも改善するべきだと思うが。
「つくづく理解し難い」
ーーだからこそ、予想外の行動ばかりするから見ていて飽きないのだが。
エルドラの呟きは窓の外の喧騒とクラクションに掻き消された。
お互いがお互いを「面白い」と思っている場面ほど、側から見ていて面白いことはないよね




