第八話 超絶ピンチ!!(色んな意味で)
縄でぐるぐる巻きにされた私は、現在進行形で床に転がされていた。
場所はドバイから遠く離れた場所ということだけは分かるが、詳細な場所は不明だ。
「ここがバレるのも時間の問題アルね。さて、君にはハイエルフ相手の交渉材料になってもらうアル」
「そ、そんなあ……」
私を人質にした翠花は、非道にもそんな台詞を口にしてテイムしたモンスターたちに見張りを任せて何処かへ行ってしまった。
「……ねえ、鳥さん。あとでおやつあげるから、見逃してくれない?」
監視を任された鳥さんは「駄目ピヨ」と却下。よく調教されたもふもふさんですこと。
ここで縄をぶち破れば、事態はややこしくなる。
面倒なことになった。
「旅行に来ただけなのに、本当に変なことになっちゃったなあ……」
ため息を吐く私に鳥さんは「幸せが逃げるピヨ」と全く有り難くないアドバイスをしてきた。うるせえよ、お前の主人が理由なんだわ。
耳を澄ませば、微かに翠花の声が聞こえた。
「……資料は既に送信した。現在、冒険者二名含め、ハイエルフと思しき魔術師三名から捜索されている」
どうやら誰かと電話で話しているらしい。
さすがに元冒険者の聴力を持ってしても、電話の向こうで誰が話しているのかまでは聞き取れない。
〈口調が変わりましたね。やっぱり語尾に「アル」とつけていたのは演技だった?〉
まあ、犯罪組織の幹部を殺したっていうんだから、演技の一つや二つはしていたんでしょ。
「すまない、どうやらもう居場所が発覚したようだ」
通話を終了したことを告げる電子音。
きっとテイムした小型の魔物にホテルを監視させていたのだろう。
居場所が発覚したということは、エルドラたちはここに向かっていると考えて良さそう。
隙を見て逃げ出そうと考えていたけれど、その必要はないようだ。
「これだからアウターの連中は嫌いだ。クソ、神に探し物の在処を問いかけるってそんなのアリかよ……!」
悪態を吐く翠花。
『神に探し物の在処を問いかける』というのは、多分だけど叡智神の神聖魔法『インスピレーション』だ。
有形無形問わず、いかなる質問も相応の魔力を支払えば直感という形で教えてくれるというトンデモ魔法だ。
いいなあ、私もそういう賢い魔法が使いたかったよ。
あれから聖女ダージリアについて調べたけど、そもそも聖女ダージリア自体が根拠のない伝承扱いされていたんだもんなあ。
やっぱりあれは死んだ時に見た幻覚なのかね。
〈並列思考も知らないことだからねえ。なんとも言えん〉
そもそも聖印もないのに神聖魔法が使えている時点でどうなんだって話なんだけど。
取り留めもないことを考えていると、翠花が戻ってきた。
その姿に私は驚く。
「その、格好は……」
いつものチャイナドレスは脱ぎ、黒のピッチリとしたスキニーパンツとハイネックの服に着替えている。さらに鼻まで覆うマスクを装着していた。
この格好は見覚えがある。
報復や復讐を教義とする暗月教、そのエリートだけが着用を許されている『代行者』の正装だ。
「神はあの御方だけ。これまで何もしてこなかったヤツらが何だって今更首を突っ込んでくるんだ……!」
翠花はガンと壁を殴る。
拳を中心としてコンクリートに亀裂が走った。
「ドラゴンが現れて、地球上にあったどれほどの都市が襲われたと思っている!? 神や仏が何をした!? これも試練だと高みの見物を決め込むだけで、救いの手すら差し伸べなかったじゃないか!!」
怒りを瞳に宿しながら、ぶつぶつと何かに取り憑かれるように呟く翠花。
〈大事な人や故郷を亡くした心につけこまれたってところかな。たしか暗月神と契約すると、死後、魂を暗月神の墓所へ引き摺り込まれて、永劫の時間を番人として過ごすことになるんだっけ?〉
そうそう。眠ることも休むことも許されず、神の下僕となってずっと働き続ける。
アウターでは、死よりも恐ろしい苦痛と表現されていた。
私にとっては分からない価値観だ。
「……必ず“ゲート”を開いた奴に報いを受けさせ、残る二匹のドラゴンは一枚一枚鱗を剥がして佳丽と同じ苦しみを与えてやる」
復讐かあ。
悲劇を食い止める為に暗月神と契約したと言えば美談になるけれど、神との契約は大体が理不尽だ。
神はたとえ何があろうとも絶対に契約を履行する。
翠花は、祝福を得た代わりに絶対に外せない枷を自ら首に嵌めたようなものなのだ。
昏い覚悟を秘めた菫色の瞳から私は視線を逸らす。
部外者の私が何か言ったところで、きっと心には響かないだろう。
翠花が顔を上げると同時に、建物の壁を粉砕しながら一人の女性が姿を現した。
「……来たか。シンディ、アレクセイ」
〈大食らい〉のシンディ。
ドレッドヘアーのポニーテールをなびかせながら、外の光を背にした大柄の女性が立っていた。
「翠花、アンタとは数回程度しか組んだことはないけれど、私の前で女を盾にしたんだ。その報いを受ける覚悟はあるんだろうね?」
その横に、細身の三白眼の青年が立つ。
手にした錆びた剣は戦いの予感に震え、濃密な呪いの気配を振りまいている。
「前々からテメェのモンスターを斬ってみたいと思ってたんだ……なあ、いいだろ? いいよな? うん、いい。斬るぜ!」
さすがは〈最低最悪〉のアレクセイ。
振る舞いから欠片も正気と常識が感じ取れない。
二人の冒険者から殺気を叩きつけられても、翠花は微塵も動揺を見せなかった。
二対の短剣を構えると、配下のモンスターたちも戦闘態勢に入る。建物内に獣の足音と唸り声が木霊する。
「一度しか警告しない。今すぐにこの場から立ち去れ。さもなくば、殺す」
ゾッとするような低い声の警告。
翠花の命令を二人は鼻で笑った。
「「やれるものなら、やってみろ!!」」
その言葉を合図にして、戦闘が始まった。
〈大食らい〉のシンディががちんと歯を鳴らすたびに建物は円形に抉れ、そこにあったはずのコンクリートや鉄筋は消失する。
「『発射』!」
シンディがさながらガムを吐き捨てるように、噛み砕いて即席の弾丸と変えた塊を襲いかかる魔物の腹に向けて吐き出す。
グシャッと鈍い音が響いて、狼の姿をした魔物が地面に落ち、赤い血が床に飛び散った。
「アハハハッ、魔物のビュッフェみてぇだな! 斬った側から補充される、やっぱりテメェは最高だぜ翠花ァッ!!」
魔物に噛みつかれながら剣を振るい、満面の笑みを崩さず剣に魔力を流す。
魔物の血と所有者の魔力をたらふく吸った呪いの武器は、戦うための力を所有者に返す。神聖魔法とはまた違った原理で作用する回復魔法の類だ。
斬りつけた相手の血を吸って回復する。
敵の数が多ければ多いほど、〈最低最悪〉は回復できる。
噂によれば、回復するために味方を斬ったこともあるというのだから、彼がどれだけ狂戦士なのか分かるね。こわ……。
「ひええ」
広がる血痕から距離を取るために私はゴロゴロ転がる。
シンディとアレクセイは協力して人質を救出するよりも、翠花を叩いた方が早いと判断したらしい。
まあ、ダース単位の魔物に囲まれた状況なら、足手纏いの一般人を気にかける余裕もないか。シンディは少し焦った表情をしているから、状況は芳しくないんだろう。
そんなことを考えて思わず遠い目をしていると、私を監視していた鳥さんが私を拘束している縄を足で掴んだ。
「ーー『沈黙』」
インコによく似たその鳥は魔法を詠唱する。
『サイレント』
対魔術師用に開発された魔法で、音の発生を抑制する効果を持つ。詠唱し、魔力を消費しないと魔法を使えない魔術師にとってはまさに脅威だ。
そして翼を広げ、パタパタと動かし始めた。
ふわりと身体が浮く。
そのまますいーっと音もなく運ばれていく。ちょうど二人の死角になるように、魔物たちが連携して動いている。
え? なにこれ? 私、今度は鳥に攫われるの?
……まあ、ここにいたらいつかは巻き添えを食らう気がするし、いっかあ。
アレクセイなんかは、斬りつけられる魔物がいなくなったらこっちを斬りつけてきそうだし。
翠花は魔物と戦う二人に向けて短剣を投げたり、魔物に支援系のスキルを使用していたりと忙しそうにしている。
そうして私は建物の外に運ばれた。
昼過ぎぐらいだろうか。日差しは強く、むわっとした熱気と湿気が容赦なく襲ってきた。
風が吹くと塩の香りが乗っていることに気づく。
波がぶつかる音が遠くから聞こえてきた。
どうやらここは港らしい。
何隻もの大きな船が停泊している。
鳥は私を掴んだまま、船に運び入れるためのコンテナへ向かう。
〈本体、これこのままだと国外ルート一直線じゃないですか?〉
ま、まずい!!
海を泳ぐとなると、迷子になる可能性が高くなる。そうなったら母さんの元に戻るまで一体何日かかるやら。
こらぁ! 国外まで大人しく誘拐されるつもりはないぞ!!
「暴れるなっ! 落とすぞ!」
たかが数メートルの落下で死ねる身体じゃないんだよこっちは!!
おら、解放しろ鳥め!
暴れる私にキレてガアガア鳴く鳥。
いいかげんに縄を引きちぎろうかと腕に力を込めたその瞬間、ガッと頭を背後から掴まれる。
「暴れるな、女。今の俺は余裕がない」
首筋に突きつけられた短剣はヌルリとした血に塗れている。
桃に混じって、背後から血の匂いがしてきた。
あの短時間でどうやってアレクセイとシンディを倒したのかは知らないが、翠花はそこに立っていた。
いや、短距離を転移したのか。
暗月教の特殊神聖魔法に『影潜み』というものがあった。影に潜み、その中を移動するというもの。
やべ、本当にどうしよう。
こうなったら正体がバレるのも覚悟して縄を引きちぎるか……?
考えあぐねている間にもコンテナとの距離は縮まっていく。
あのコンテナの中に入ったら最後、船に詰め込まれて行き先不明のツアーが始まるのは必然。そうなれば、空を飛べない私は大人しくするか大海原にこの身一つで戦いを挑むことになる。
……エルドラさん、早く助けて!!
隙を伺うが、さすがは翠花。
再召喚したパンダと鳥のツーマンセル体制で見張らせている。
鞄から巻物を取り出して、自分の傷を治すという抜け目なさまで兼ね備えていた。
もうちょっと油断してくれてもいいのよ……?
ついに私はコンテナに運び込まれ、扉が閉まる。
ああ、これは自分でどうにかするしかないかも。
と思っていると、風が私の頬を撫でた。
閉め切った空間に風が吹き込むはずがない。キョトンとして周囲を見回していると、にゅっと伸びた手が私の服を掴み、強引に引っ張り寄せた。
「わ? わ! わあ……」
気がつけば私はコンテナの外にいて、先ほどまで翠花に閉じ込められていたはずのコンテナの扉を眺めていた。
事情が飲み込めず、混乱していた私は背中に感じた硬い感触に振り返る。
漆黒の法衣鎧を彩る緋緋色金、蜂蜜のような深い金髪をなびかせながら佇むハイエルフの男。
「エッ、ルドラしゃん……!?」
驚きすぎて変な噛み方をしてしまった。
っていうか、ちょっと待って。これ、もしかしなくても抱きしめられている…………????
「不安な思いをさせてすまなかったな。もう大丈夫だ」
そう言って微笑むエルドラ。
何かの気配を感じてすぐに表情を引き締める。
「構えろ、ツイファが来るぞ」
エルドラの宣言通り、影が蠢き盛り上がって人の形を取る。
翠花《ツイファ》が配下の魔物を従えてこちらを睨んでいた。
「これは困ったな。交渉に使うための人質を掠め取られるとは思わなかったよ」
「あまり帝国の魔術師を舐めないことだな。我々に不可能はない」
「見逃してくれないかな? 君たちに危害を加えるつもりはないんだ」
翠花の問いかけに、エルドラはすっと目を鋭くした。私を抱きしめる腕に力が篭る。
「大司祭の殺害、冒険者の殺害三件、さらには一般人の誘拐と脅迫……これだけのことを我々の前でやっておきながら何のお咎めも無しに自由になれるかと思うか?」
声に怒気を滲ませ、翠花を睨むエルドラ。
短い付き合いだったが、ここまで怒りを露わにした彼を見たのは初めてだった。
「ドラゴン討伐を成し遂げた英雄をこの手にかけると思うと複雑だが……大義の為だ。やむをえない」
短剣を構える翠花。牙を剥き出しにして唸り声をあげる魔物たち。
警戒して杖を向けるリィズと剣を構えるアンガルモ。
エルドラは私を抱えながら、静かに告げた。
「抵抗するなら手足を炭にするまで。貴様を捕らえた後でじっくりと話を聞かせてもらう」
そうして、本日二度目の戦闘が開始したのだった。




