第一話 ドバイを満喫する母/同僚の失態に頭を抱えるエルドラ
ドバイ国際空港にて、長時間に及ぶ取り調べを受けた私はやっとアラブ首長国連邦に入国する許可を得た。
ふっ、これまで入国を拒否できる要項にレベルが含まれていたけれど、今年になってその条文が『攻撃力及び魔法攻撃力』あるいは『攻撃に使用できるスキルや魔法』となったため、私は入国できる無害な存在として認められたのだ。
へっ、私が殺せるのは蚊ぐらいなものさ!!(たまに殺せない時もある)
〈撃力カウンターという最新機器のおかげで無事に入国できたとはいえ、時間がかかりましたね〉
「母さんを待たせちゃったな。母さんはどこかなっと……」
空港のファーストクラス・ラウンジで待っているはずだ。
そう思い、スーツケースをがらごろさせながら向かうと……、母さんはフェイシャルトリートメントを受けていた。無料サービスとはいえ、満喫しすぎである。
「あら、奏。入国審査はもう終わったの?」
「やっとね。朝ごはんはここで済ませちゃおうか」
日本からドバイまでおよそ飛行機で十一時間。
九時に出発した便に乗ったが、それでも朝五時近くだ。まだ街は目を覚ましていないし、観光には不適切な時間帯だ。
二人で雑誌を広げながら、観光プランを練る。
「やっぱり世界一高いっていう高層タワーは欠かせないわね!」
「噴水ショーもやるみたいだから、その時間に間にあうようにして……」
「ショッピングモールにも行きたいわね」
「バスを乗り継いで三時間か……」
「あ、ビーチにも行きたいわ!」
「それは二日目に……」
この旅の主役は母さんなので、母さんの要望は全部採用だ。元々、私は国外旅行に興味がなかったので、どこにも行きたいところはない。
きゃいきゃいはしゃぐ母さんとアラブ首長国連邦の伝統的な朝ごはんを食べ、タクシーに乗って世界にたった一つだけの七つ星ホテル「バージュ・アル・アラブ」にチェックインを済ませる。
ふっ、冒険者っていうのは儲かるぜ……。
それにしても、高級なホテルっていうのはどうしてこう……落ち着かない感じがしてしまうのだろうか。
壁紙一つ、カーペット一つとっても高級感溢れるな……予約した私が言うことじゃないけど……。
荷物を預けて、貴重品を鞄に移したら観光開始だ!
「きゃー! 高いわ、すっごく高いわ奏!!」
おお、母よ。
頼むから少し落ち着いてくれ。
腕にしがみついた母が、眼下に広がる街並みを前にしてきゃいきゃいはしゃぐ。
スマホを取り出してカメラを起動したところまでは良かったが、シャッターボタンを長押しして連続撮影してしまう。
そんなことをしているから、いつもスマホの容量が圧迫されるんだよ。フォルダを整理するこっちの身にもなってくれ。
ドバイでも変わらずTシャツジーパンな私は、蒸し暑い外と違って空調がガンガン効いた室内の肌寒さに鳥肌を立てる。
冒険者かつ真夏日でも鎧を着て走り回る私はともかく、母さんは大丈夫だろうか。熱中症に気をつけないと……。
「あ、そろそろ噴水ショーの時間だわ。移動しましょ!!」
「はいはい、転ばないようにね」
母さん、すごいはしゃいでるなあ。
そういえば、家族で旅行とか行ったことないし、ずっと『旅行に行きたいわねえ』って言ってたもんなあ。
それから、あっちこっち行ってショッピングモールを冷やかして、ホテルに戻ったのは現地時間の夜九時だった。
「きゃー、楽しかった!」
ふかふかのベッドに倒れ込む母さん。
明日の着替えをスーツケースから取り出していると、母さんがこちらを見ながらニマニマしていることに気がついた。
「なに? 顔に何かついてた?」
「奏がすっかり元気になってくれて、母さんは嬉しいの」
母さんはベッドから起き上がる。
「奏ったら、家にいてもずっとぼーっとするばかりで心配だったのよ。そりゃ、畑中さんのことは残念だったけど……」
畑中華菜。
高校時代の友人で、突然姿を眩ませて以降連絡がつかなくなった。
地毛の茶髪を気にするような、生真面目な性格の子だ。
スマホと財布を持ったまま出先で行方を眩ませたということで家出と判断されたらしく、大事にはならなかった。それでも、未だに連絡は取れない。
「きっと、どこかで幸せにやってるわ。そう信じましょ?」
「そうだね」
畑中、どこ行ったんだろうなあ。
あの子、方向音痴だから道に迷ってそうだ。
「ほら、明日は朝食ビュッフェがあるんだから早起きしないと。時差ボケもあるんだから、早めに寝なきゃ」
「はーい!」
呑気にスーツケースを漁り始めた母さんに、私は肩を竦めるのだった。
◇ ◆ ◇ ◆
エルドラ・フォン・ド・バウミシュランはキレていた。
元来、彼は自分の思い通りにならないと苛々する性格の持ち主ではあったが、今回のキレっぷりは過去最高潮とも言えるほどに頭にキていた。
「ユアサ・カナデ……貴様、本当にどこへ姿を眩ませた……!!」
突如、厚い信頼を寄せていた仲間のユアサが姿を眩ませた。辛うじて連絡はついたが、どれも今どこで何をしているのかを尋ねればのらりくらりと会話を流される。
他のメンバーは連絡のやりとりすらできないというのだから、その事だけが彼のプライドを維持していた。
「設置したはずの位置情報を取得する魔法を無効化しただけでも信じ難いが……貴様がいなかったら、誰が俺を守るというのか。せめて後任を見つけてから行方を眩ませろ」
ぶつくさと文句を言いながら、エルドラは門をくぐる。
仲間の行方を探し、説教をしたいところであったが、帝国の魔術師である以上、エルドラは上層部が出した指令に従う必要がある。
『ドバイへ赴き、現地で帝国第六位魔術師と合流して協力し、堕腐教の大司祭を捕らえよ』
ああ、あの板金鎧の騎士がいれば、間違って殺してしまうこともないだろうに。
彼は本当に“都合の良い”ヤツだった。肝心な時に限っていないとは!
「ここが、ドバイか」
アラブ首長国連邦の都市ドバイ。観光業で栄えた大都市であり、最先端の建物や人工島で有名である。
人口の八割がイスラム教を信仰しているということもあり、日本の如月市では見かけないような独特な服装をした人で溢れている。
「……大まかな社会常識はグレニア法国と同じか」
辞令を受けて三時間。スマホの検索機能で調べた限りの情報から、ある程度の常識やマナーを頭に叩き込んだエルドラ。
帝国から外国へ出かける機会の少ない第五位以下の魔術師には些か社会的困難が伴う地域だろう。
「ああ、エルドラ卿……あなたが来てくださったということは、この仕事はもう終わったも同然ですな……」
待ち合わせ場所に訪れた同胞は、かなりげっそりとしていた。
エルドラの記憶にある、第八位魔術師のアンガルモ・エルシナルはもう少し溌剌としていたはず。にも関わらず、エルドラの前にいるのはフードを深く被り、あちらこちらを落ち着きなく見回す不審者だ。
丁寧に編み込んでいたはずの顎髭はボサボサ。
「アンガルモ殿、何故そのように怯えている?」
「実は……少し“厄介な”ことに巻き込まれてしまいまして……」
エルドラはトラブルの気配に顔をしかめ、場所を変えようと申し出たアンガルモの背中を追いかけた。
彼が活動の拠点としているホテルに到着し、ロビーで何があったのか聞いているうちに、エルドラの眉間に皺が寄る。
「ーーなるほど。つまり、その土地の文化もよく知らずに酔った相手の身体にみだりに触れ、事後の対応を誤り、さらにそれを理由に指名手配されていると。アンガルモ殿、貴殿は児童教育からやり直した方がよいのではないのだろうか」
エルドラはバッサリと切り捨てた。
その言葉にアンガルモが面目ないと涙ぐみながら項垂れる。歳上の同業者がめそめそと泣いている情けない姿に、これ以上の嫌味を飛ばすのも躊躇われた。
「……アンガルモ殿、貴殿はこの仕事が終わったら一度帝国に戻るべきだ。金で解決できる問題ではない以上、下手に藪を刺激して蛇を誘き寄せるよりも時間を置いて氷解を待つのが賢明。こちらから帰還できるように上へ進言しておこう」
「ああ、そうですね。どうやら私はこの仕事に向いていないようだ」
エルドラは苦い顔をした。
同じ時期に派遣された己と違い、不安の残る同業者。果たして今回の仕事は上手く行くだろうかと頭を抱えたくなってしまうのも無理はない。
同じハイエルフという魔力を必要とする種族である以上、ばかすか魔法が使えないというハンデが彼の胃をキリキリと痛めていた。
「さあ、ここからは仕事の話をしよう。さっさと片付けるぞ」
「はい、エルドラ卿。こちらが例の奴らが拠点として使用しているホテルの見取り図と、恐らくメンバーと思しき輩の写し絵です」
「……半数が日本人か」
写し絵を眺めたエルドラは、堕腐教の大司祭とその中心人物を守る護衛の多くは黒髪黒目の人種で構成されていることに気づく。
恐らく、大司祭は『田中太郎』というどこからどう見ても偽名としか思えない男だ。
二十代の女性一人を愛人としてホテル内に囲っているらしい。
「どうやらこのホテルは利用客以外の立ち入りを禁止しているようです。大司祭どもはこのホテルを利用する観光客に扮装し、ここから世界各国へ指令を飛ばしているようです。いかがしますか?」
職業による序列を尊ぶ帝国では、年齢よりも肩書きが重要視される。
アンガルモは歳下のエルドラに指示を仰ぐ。
「夜間に襲撃をかけ、大司祭を確保して連行する。今回の件は我々魔術師に一任されているが、民間人に被害が及ばないようにしないとならない……厄介極まりない」
エルドラは大司祭を捕まえるため、アンガルモと綿密に計画を立て始めるのだった。
エルドラは知るよしもない。
まさか、探していた湯浅奏がドバイに観光に訪れている事を、そして大司祭と同じホテルを利用している事も。
そして、湯浅奏も黒髪黒目という外見をしていることも。ましてや女性であることも知らないのであった……。




