愚者へ救いを。
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↑この作品のエピローグとも言える作品になります。こちらをお読みいただいてから読んだ方が楽しめると思います。
電車から見える景色はビルや大型の建物が消え、住宅よりも田畑の方が増え始めた。乗り換えを繰り返したことで、既に車両も二両編成と東京では馴染みのないものになっている。
ハマサジは目的地が近づいていることに気を引き締めながら、スマホを操作した。
画面に浮かぶのはメールに添付された指示書。日本巫術機関の司令官、カムヅミから与えられた任務だ。
実はハマサジは女子高校生でありながら機関に所属する巫術師であるのだ。
巫術師というのは人間に悪さをする妖怪を退治する仕事を生業にする国の職員のことで、ハマサジはその見習い。だが見習いといえど、巫術を扱う以上は巫術師で間違いなかった。
「何より、今回は私一人の任務! やっと司令官も認めてくれたってわけだよね」
今まではユリグルマという名前の上官と二人で任務に当たることが多かった。そうでなくともキャリアのある巫術師とセットにされることが多く、やりがいを感じることは少なかった。
だが今回、晴れてハマサジ一人で任務を行うことができる。任務の規模はともかく、一人ということが重要なのだった。
「ユリグルマおじさんも良い人ではあるんだけど、心配性なところがあるからなぁ」
戦闘時は後方も後方、敵が見えないような位置で待機させられることも多く、それなのに任務後は怪我の有無も確認される。何もしていないのに実績だけが積まれ、しかしユリグルマはまるで父親かのように褒めてくるのだった。
このままでは父に言われたような強い巫術師にはなれない。だから今回のような一人での任務はありがたかった。
「調査任務、か……」
指示書には調査の内容が記されている。
一般人からの通報で、妖怪と思われる人物が浮上した。対象は黒い羽を生やし、奇妙な術を扱うのだという。書面では天狗、と呼称されていた。
ただ一般人を攻撃したという報告は上がっておらず、だからこそ見習いのハマサジに調査任務が下りたのだった。
「羽の生えた人。まぁ、どう考えても妖怪だよね……」
妖怪とは人間に害をなす悪い魂のことで、生き物や道具などに宿り悪さをするのだ。
人ならざるもの。だからこそ調査し、敵意を持つものは退治しなくてはならない。
指示書を読んでいると、スマホの画面上に通知が届いた。トークアプリの通知だった。
「あ、レンからだ」
通っている高校の友達からだった。レンは高校の友達の中では唯一巫術師の一面を知っている少年で、前に妖怪に襲われているところを助けたことがある。
『今日が初めての一人任務なんだっけ?』
『そうだよー』
『そかそか。頑張らんとね』
『うん、頑張る! ありがと!』
顔文字も付けて返信し、ひと息つく。今日は休日だ。彼は今頃何をしているだろうか。
確か部活動も休みだったはず。なら家でのんびりしているか、それとも遊びに出かけているかもしれない。
それが別の女の子とでなければ良いなと思いながら、窓の外を眺めた。
「普通の女の子になりたいって選択肢は、間違ってないと思う」
それはかつてハマサジが巫術師として生きていくことに迷っていた時、レンが言ってくれた言葉だ。
「――だけど君は優しすぎるから、いつかどこかで、助けられなかった人のことを後悔するんじゃないかな」
ハマサジはそれまで、巫術から離れて普通の女子高校生として生活したいと思っていた。だから巫術の鍛錬を強要してくる父への反抗で家出し、大騒動になったことがある。
その時に付き添ってくれたレンは怒るでもなく、かと言ってハマサジの肩を持つわけでもなく、こちらのことを考えた上でそんな言葉をくれた。
確かに自分は助けられるならすべての人を助けたいと思っている。すべての人に幸せになる権利があると思っているからこそ、自分が幸せになる権利を蔑ろにしたくなかったのだ。
その考え方はきっと間違っていない。自分も、みんなのことも、同じように大切にしたい。だけどハマサジが選ぶべきは、普通に生きることではなかったのだ。なぜならその選択肢の先には、誰かを助けられなかった後悔が待っているから。
巫術師として生き、そして幸せになる。そういう選択肢もあるのだということ。
そのことをレンが教えてくれた。だから彼は大切な友達なのだった。
「ふふ」
思い出に浸ったところでレンからの返信が届く。
『親切なフリする妖怪とかいるかもしれないし、気をつけてね』
確かに人に紛れる妖怪の話は聞いたことがある。調査任務で聞き込みをするときこそ、そういった存在に気をつけなければならないのかもしれなかった。
毎度、レンには頼りっぱなしだ。
期待に応えられるように頑張ろうと、ハマサジは身を引き締めた。
※※※
調査任務は地道な作業だ。
目撃情報を頼りに聞き込みをしたり、調査対象が関わったと思われる場所を辿るのだ。
訪れたのは都会からは離れた場所にある街だった。ここは天狗が最後に目撃された場所。どうやらこの街で起こっていた騒動に巻き込まれる形で目撃されたらしかった。
街では三ヶ月前に猟奇殺人事件が多発していた。犯人は依然逃走中であり、詳しい容姿や手口も判明していない。
そのまま被害者が出なくなったことで事件は風化し、三ヶ月が経った街は元の様相を取り戻していた。人通りもそこらの街と変わらない。
とりあえずは目的地である旅館を目指すべく、スマホの地図アプリを開いた。
「……うーん、さすがに駅から徒歩で行くのは遠そうだなぁ」
ここは小さな駅ではあるが、無人駅ではない。バスも通っていて、おそらくは旅館最寄りのバス停もあるだろう。
とりあえずはホームで見かけた駅員に声をかけてみる。
「すみません。この旅館に行きたいんですけど、バスで近くまで行けたりしますか?」
ハマサジが声をかけると駅員は帽子を目深に被り直し、こちらのスマホの画面を覗く。そしてまずはひと言。
「お客さん。その旅館、三ヶ月前に従業員が亡くなっちゃって今は営業してないよ?」
「あ、大丈夫です。泊まりに行くわけじゃないので」
と言うと、駅員は一瞬だけ不審な表情を浮かべた。その目は心霊スポットに行く若者を見るような目だ。間違いではないと苦笑いしながら、ハマサジは付け足す。
「この前の事件のことを調べてるんです。学校の課題で……」
「ふーん、課題ねぇ。それにしてもまだ犯人も捕まっていないわけだし、危険だよ?」
「心配ありがとうございます。ちゃんと護身用のものは持っているので!」
自信満々に言う。護身用の武器とは巫術だ。ハマサジはこう見えて戦える。決して人に向ける力ではないが、襲われたならやむなしだろう。
そこまで言うならと駅員もため息をつき、ホームの先を指差した。
「あそこのバス停からバスが出てる。十五分くらい乗ったら最寄りのバス停に着くよ」
「ありがとうございます!」
田舎の人は親切だと言うが、まさにそれだろう。ハマサジはぺこりとお辞儀をして、改札を出た。
そうしてバスで揺られること十五分。位置情報的にも旅館の最寄りはここだろう、というところで降車した。
そこからはスマホを頼りに住宅街を歩いて行き、ようやく外観が見えてきた。
家族で営んでいたらしい旅館は三ヶ月前、猟奇殺人犯に惨殺されたことで手入れもされなくなり、荒れ果てている。人が住まなくなれば家はダメになってしまうと言うが、旅館の規模になると荒れるスピードも早いのだろうか。
庭には雑草が生い茂り、風情のあっただろう外観は来るものを拒むような雰囲気を醸す。近所ではお化け屋敷として扱われているらしく、肝試しも後を立たないのだとか。
実際に建物を見て、ハマサジは悲しい気分になった。
「嫌な事件だったねぇ」
旅館をぼうっと眺めていると、突然後ろからおばあちゃんに声をかけられる。腰が悪いのか猫背で、そのせいもあってハマサジより背は低かった。
白髪は後ろで縛ってあり、皺だらけの顔は目が開いてるのかどうかわからない。しかし声色はしゃがれてはいるが優しそうだった。
「おばあちゃんは、事件のことを知ってるんですか?」
「そりゃあ、そうだよ。あたしゃ、すぐ近くの家に住んでるからねぇ」
そう言っておばあちゃんは少しだけ旅館の人との思い出を語った。
旅館は世襲するようにしてかなり昔から営業していたこと。住宅街としての発展により経営難に陥ってはいたが、優しい家族だったこと。高校生だった娘がとても良い子だったということ。
聞けば聞くほど犯人のことが許せなくなる。だが事件の犯人と天狗は別との情報。事件の解決も早急に行われるべきだが、それは警察の仕事だった。
――そう思った時。
「あたしゃね、犯人を見たんだよ」
「え?」
「旅館に、黒い羽の生えた化け物が入っていくのを見たんだ。あいつが犯人に間違いないんだよ」
おばあちゃんは憤るように言った。開いてるかもわからない目が、初めて睨むように開かれた気がした。
「あの日から娘さんを見かけなくなったんだ……。遺体が見つかったのもあの後だし、あいつが犯人で間違いないんだよ」
「――――」
「けど警察は、羽の生えた人間なんて話を信じちゃくれないからねぇ。報われないよ、涼子ちゃんは……」
もしかしたら日本巫術機関に届いた目撃情報はこのおばあちゃんからの情報だったのかもしれないと思った。異形の話を警察に訴えたならその情報が回ってきてもおかしくはない。
天狗が殺人事件の犯人だという話は情報とは異なるが、かと言っておばあちゃんが嘘をついているようには見えなかった。
「その、羽の生えた人は……」
言いかけた時だった。
突然おばあちゃんがハマサジの背後を指さすと同時、大きな羽音が聞こえた。
振り返れば、電柱の上には太陽を隠すようにして人影が舞い降りていた。
その背にはふたつの、黒い翼が伸びている。情報の存在だった。
「あ、あ、あ……あいつだよ!!」
おばあちゃんは目を見開いて叫んでいた。目撃した時に見たままの怪物が、まさにこの場所に来たのだろう。
天狗はまだ電柱の上に佇んでいた。
黒の長髪を縛っていて、紅白を基調とした和装をしている。頬には煤汚れのような黒ずみがあり、瞳の色は左右で異なった。そして年齢は大学生くらいに見える男だった。
ハマサジはおばあちゃんを庇うようにして立ち、天狗の出方を伺う。
「あなたは……?」
「――探したぞ」
天狗はこちらを憎むように睨みつけていた。とても友好的に話を進められる雰囲気ではない。
ハマサジは悟られないようにして巫術を発動する準備を始めた。
「散々追いかけたが、決着はやっぱ『ここ』でつけるってことか?」
「何を、言ってるの……?」
天狗の言っていることがわからかい。こちらのことを知ってるかのように語るが、ハマサジが会うのは初めてだった。
そこで天狗もハマサジの勘違いに気づいたのだろう。首を振ると、「お前じゃない」と言った。
「用があるのは、後ろの――」
「――あいつだよ!! あいつが猟奇殺人犯だ!!」
おばあちゃんは同じように叫ぶと、ハマサジの方を向く。
「あんた、携帯は持ってるかい!? 警察を呼ぶんだよ!! 早く!!」
「――チッ」
舌打ちしたのは天狗だ。よほど苛立っているらしかった。だがおばあちゃんも、彼を見たのはあの夜の一度だけだと言っている。ふたりに、何の因縁が――。
「――そうか。目撃者を、消しに来たのね」
追われる者にとって、姿を見られているという状況は厄介だ。幸いにもおばあちゃんの情報は普通の人間にとっては荒唐無稽で、警察は取り合わなかった。だから今のうちに消そうという判断だろう。
そうはさせないと、ハマサジは一歩前に出た。
「おばあちゃん。私が時間を稼ぐから、逃げられる?」
「ええ? でも……」
「逃げた先で警察を呼んでくれれば大丈夫! ほら、お願い!」
急かすように言うと、おばあちゃんはようやく小走りで逃げ出した。それを見て天狗の目の色が変わる。逃がさないと言うように、憎しみを浮かべて睨んでいた。
「あなたの相手は、私がするわ」
「何も知らねぇ、馬鹿が。僕の邪魔すんじゃねぇよ」
天狗は電柱から滑空し、こちらへ迫る。速かった。一瞬の間にその距離は詰まる。
だがハマサジも無力というわけではない。手を胸の前で狐の形にして、力を呼び覚ます合図を囁く。
「――憑依」
直後、ぶつかりそうになった両者の間には電撃がほとばしる。一瞬ではあるが、電気の壁がそこに存在したのだ。
「雷の巫術、『光閃』」
「異能者かよ……!」
予想外だったのだろう。天狗は面倒臭そうに表情を歪めた。
ハマサジが行ったのは巫術という異能だ。それは万物に宿る魂である精霊と対話し、その力を借りる技。
例えば先程は電線に宿る雷の精霊との対話により、『光閃』の巫術を使わせてもらったのだ。
精霊と対話し、彼らの魂を自分の身体に宿し、その力を借りて術を発動する。それが巫術という異能だった。
「調査任務だったけど、戦闘になっちゃったなら仕方ないわ。全力で行くよ!」
「やっと追いついたってのに、この機会を逃せねぇんだよ……!!」
相手が異能者とわかり、生半可な力でかかれば自分がやられると思ったのだろう。天狗は右手を伸ばし、手繰るような動作をした。
途端にハマサジの身体は天狗の方へと引き寄せられる。
「――な!?」
天狗は空いた手に炎を宿している。これが彼の持つ異能なのだろう。だが、なす術なくその技を喰らってやることはできない。
「地の巫術、『鈍界』!」
すぐさま別の精霊と対話し、術を発動。『鈍界』は本来、敵にかかる重力を倍増し速度を遅くする巫術だが、敢えてそれを自分にかけた。
「なんだ、これ……!?」
おかげで天狗の異能による引き寄せは弱まり、重くなりすぎたハマサジを引き寄せることは叶わない。
それがわかると天狗は引き寄せることを諦め、左手の炎をこちらに放った。手のひらから放たれた炎は近づくにつれ大きくなり、ハマサジの視界いっぱいを覆う。
とにかく横に転がった。何とか炎の塊を避けるが、元いた場所に天狗はいない。炎で視界を奪い、その隙にどこかへ移動したようだった。
左右を見回し、おばあちゃんが逃げた方向に空飛ぶ人影が目に入る。
「あ、逃げてる! 逃がさないんだから!」
ここは段々と遠巻きに人だかりができつつあった。遠くにチラホラと野次馬が見える。ならば戦いの余波が届かないように移動する必要もあるだろう。
「地の巫術、『重絶』」
それは重力の影響を制御し、自身の身体能力を向上させる巫術だ。この力で一気に加速し、天狗を追う。
近づいたことで天狗もハマサジが追ってきていることに気付いたらしい。カマイタチのような見えない攻撃を断続的に放ってきた。
「いたっ!」
攻撃が頬に命中し、血が出る。カマイタチの攻撃は見えないので避けようがないのだ。蛇行することで当たらないように工夫はしていたが、それにも限界はある。
「もう! あなた、何が目的なの!?」
「あの雑草を殺すんだよ!? 見てわからないのか!」
「そうね、聞くだけ無駄だった!」
ハマサジは一気に飛び上がり、飛行中の天狗にドロップキックをかます。予想外だったのか、攻撃は脇腹に命中した。
飛行は中断され、天狗はアスファルトの地面に叩きつけられる。だが体操選手のように身体を捻って、すぐに起き上がった。
「クソ、お前はあいつの何なんだ!? 仲間か!?」
「私はハマサジ、巫術師見習いよ。だからあなたのような妖怪を退治するの!」
それが答えだというように身元を明かす。巫術師という単語に聞き馴染みがないようだったが、すぐに天狗は諦めたような顔をした。
「妖怪。そうか、僕は妖怪ってわけか……」
「違うの?」
「いいや。僕は『転愚』の妖怪、カブトだ」
カブトは首を振ってそう答えた。いつかは自分が熊のように駆除される時が来ることを覚悟していたのだ。そういう表情をしている。
「僕には誓いがある。会ったこともない少女に向けた誓いだ」
「会ったこともない……?」
その儚げな表情に攻撃を躊躇う。本当に彼はおばあちゃんが言っていたような悪者なのか、ここに来て初めてハマサジは悩まされた。
「僕が彼女の元に来た時には、もうその子は命を奪われていた。だから亡骸に誓った。必ず犯人を殺すと」
「あなたは赤の他人のために、怒るの?」
聞かれてカブトは考えるように目を瞑った。そして再び開くと、
「僕は、正しくありたい」
「――――」
ハマサジは迷った。カブトを倒すべきか。
こんな顔をする妖怪をハマサジは殺せない。この人は、きっと何かを抱えているだけの人だ。むしろ助けられるべき人なのだ。
だけど激突は避けられない。カブトにはカブトの事情があって、かといってハマサジはおばあちゃんの殺害を見逃すことはできない。
だから結末は、衝突の結果に託すことにした。
「風の巫術、『凛扇』」
それはハマサジが最初に対話した存在に貰った力。烈風を球状に圧縮し、前方に飛ばす。
ビー玉サイズまで圧縮された嵐は触れるものすべてを切り刻みながら消えるまで飛んでいく。
そして通り過ぎる時、音が聞こえるのだ。
凛と、風鈴のような美しい音色が。
「どこまでも真っ直ぐなんだな、お前は」
ハマサジの迷いながらの攻撃を見て、カブトは少しだけ笑った。彼女はどこまでも真っ直ぐに、正しくあろうとする。その姿勢は、自らの信ずる正しさに縋り付くだけのカブトよりも美しく感じた。
だからハマサジにならば、倒されても良いかもしれないと思う。
「けど、今はまだその時じゃねぇ」
懐から取り出したヤツデの葉。それがカブトの武器だった。
横なぎに振るう。たったそれだけのことで、ハマサジの巫術もろとも彼女は吹き飛ばされた。
風の精霊に力を借りるハマサジに対し、カブトは風そのものを操っているのだ。軍配はカブトに上がることが必然。
それなのに風の巫術で勝負を仕掛けたのは、きっとハマサジの迷いの表れだったのだろう。
気絶した彼女を見下ろし、その傷を癒す。カブトには他者の傷を吸収する力があった。
「――目覚めたら、すぐに追ってくるだろうな」
だからそれまでに終わらせなくてはならない。三ヶ月前から続く因縁に終止符を打つのだ。カブトは再び黒い翼で飛び上がると、目的の相手を追った。
※※※
そしてカブトは先ほどのおばあちゃんに追いついた。彼女はカブトを待つように山の頂上付近、見覚えのある場所にいた。
切り株に腰掛け、街を見下ろしている。そのハイライトのない瞳には何の感慨も浮かんでいないように思えた。
「どうして今、僕の前に姿を現そうと思ったんだ」
カブトは問いかける。話す間もなく殺すべきなのをわかっていて、それでもそうしたのは、まだ人を殺すということに抵抗があるからなのだろうか。
「この三ヶ月間、お前は僕の前から姿を消して以来ずっと、その足取りを掴ませることはなかった」
「それは、灯台下暗しだったねぇ。あたしゃ、ずっとここにいたよ」
「今お前が化けてるおばあさんのことも、殺したのか?」
尋ねると、おばあちゃんは軽快に笑った。何も面白いことは言っていない。だが、本人のツボにはハマったのだろう。ケラケラと笑い、その間にカブトの視界を風が運んだ落ち葉が遮った。
その落ち葉が通り過ぎた時、おばあちゃんはウィッグを取り、メイク落としで特殊メイクを落としていた。
赤い髪。中世的な童顔。善悪を別の世界に置いてきたような無邪気な表情。これが、三ヶ月前にこの街を騒がせた猟奇殺人犯ウィードの正体だ。
「おばあちゃんさ、帰る場所がないんだって言ったら快くボクのことを泊めてくれたんだ」
メイクも落とし終わり、タオルで顔を拭きながら嬉しそうに語った。
「ご飯もくれて、いつまででもいて良いよって」
「そんな良い人を――」
「だから殺したんだよ」
タオルから顔を上げ、当然のような顔でこちらを見ていた。その表情には一点の曇りもない。
この男は自分が間違ったことをしたとも、悪いことをしたとも思っていない。ただその選択がこの男にとって当然だから殺すのだ。
だから悪意も、殺意もこの男は抱かない。呼吸をすることと、食事をすることと、殺人とが同じ意識のもとで行われているのだ。
「だっていつまでもいて良いなんて言われたらさ、困るじゃない。出て行きにくくて」
「そうか」
「それにおばあちゃん腰がすごい悪かったみたいでさ、買い物もボクが付き添ってあげなきゃろくにできないんだ。そんなの、死んだ方がマシじゃない」
「そうだな」
やはり理解はできなかった。
三ヶ月前、この場所で会話を交わした時と何も変わらない。この男はすべての人間の理解の外にいるのだ。
「なんでオレがオマエの前に姿を見せたか、だっけ?」
ウィードの一人称が変わる。彼は興奮すると、コロコロと一人称や二人称が変わる癖があるのだ。
「それはさ、そろそろこの街を離れようと思って駅員のフリして次の行き先を考えてた時にあの女の子が現れたからなんだよね」
あの女の子。おそらくはハマサジのことだろう。彼女と駅で出会ったことが、姿を晒すひとつのきっかけとなった。
「あの子は巫術師で、カブトのことを探してた。心を読んだからわかる。最初に見た時はボクを狙ってきたのかと思ったから焦ったよ」
だから帽子を目深に被り、顔が見られないように気をつけた。しかしハマサジの心を読めば、狙いがウィードではないことがすぐにわかった。
読心はウィードの持つ、妖怪としての能力なのだ。
「とうとう巫術師たちにバレちゃったかと思ったけど、バレたのはカブトだったね。ドンマイドンマイ」
「それが、なんで僕に姿を見せる話に繋がるんだ」
ウィードは他人の心を読み、他人の声を真似ることができる。だからその能力を活かして変装をし、悪事を重ねてきた。
その最中、彼は素晴らしいオモチャに出会ったのだ。
「キミが、魅力的なんだよ」
ウィードは恍惚に、頬に手を当てて言った。頬は紅潮していて、本気で言っていることが伝わる。
もちろんカブトにその手の趣味はないし、相手が殺人鬼などでは笑えない。
「アナタは本当に魅力的なオモチャだ。どこまでもワタシを、オレを、ボクを楽しませてくれる」
その魅力とは恋愛感情ではない。それはオモチャを壊すことしか遊び方を見つけられなかった子どもの戯言だ。
「巫術師がキミを探している。この状況は、またオマエをオモチャにできる絶好の機会だと思った」
「だから変装の精度を落とし、敢えて僕に見つかるように画策したのか」
カブトは他人の悪意を探知する能力を持っている。それは裏を返せば、全く悪意を持たない人間のことを探すことも不可能ではないのだ。
そしてそれに該当するのはウィードただ一人。この男だけは本当に、一欠片も悪意を持たない。
だからこの男が少しでも本性を出せばすぐに見つけることができるのだ。今回、それができたように。
「ねぇ、教えてよカブト」
「――――」
「あれだけ正しくあろうとするキミが、人類の敵とみなされて、国から消されそうになってるわけだけど」
ウィードはカブトの心に問いかける。
再びその心をへし折るために、問いを重ねる。
「妖怪、なんて呼ばれ方して、どう思った?」
カブトは深呼吸した。
大丈夫。大丈夫だと自分の心に言い聞かせる。
ウィードの言葉に惑わされてはいけない。術中にハマるのではなく、彼を失望させられるように強い心を持つのだ。
「少しだけ」
「……?」
「少しだけ、残念に思ったよ」
ウィードは目を見張る。彼は心が読めるから、その言葉が本心であることは伝わったのだろう。
そうだ。カブトは国が自分を殺す選択をしたことを、少しだけ残念に思った。
逆にそれしか思わなかったのは当たり前なのだ。どこの世界に背中から羽が生えた人間がいるというのだろう。
元々、時間の問題だった。
国にバレればいずれそういう対応がされるだろうことを想像しなかったわけではない。
それに――。
「ち、ちょっと待ってよ。それだけ?」
「ああ、それだけだ」
――ハマサジという少女。彼女の負の感情を読み取った時、そこにあるのは罪悪感だった。
殺意でも、怒りでもない。カブトという妖怪を殺さなくてはならない自分の使命へのどうしようもない慟哭。それを感じ取ったから、カブトは絶望せずにいられた。
彼女の優しさこそがカブトを救ったのだ。
「……なぁんだ」
ウィードは残念そうに唇を尖らせた。面白くないと言うように足元の石を蹴る。
それが茂みに消えていった時、その方向にカブトは人影を見つけた。能力を発動し、その悪意を探知する。
そしてその人影の正体がウィードにバレないうちに動くことにした。
「――ふっ」
カブトはウィードに向けて踏み込む。その行動をわかっていたように彼も懐から拳銃を取り出した。
「遅い!」
その手を蹴飛ばし、拳銃を払う。勢いのまま左手で胸ぐらを掴むが。
「ハッタリだよ」
ウィードは反対の手も拳銃を握っており、それがカブトの脇腹に既に当てられている。
だが問題はない。そちらは、彼女が何とかしてくれる。
「風の巫術、『空風波』!」
拳銃から銃弾が放たれるよりも早く、筒を通ってきたように点で貫く突風がウィードの武器を破壊した。
「なっ……!?」
「お前の怖さは事前に色々準備をしてることと、何を考えているかわからねぇところだ」
カブトは足を払い、ウィードをうつ伏せに倒す。そして両手を背中に回して身動きが取れないように抑えた。
「だが今回は突発的な行動だから準備する時間もなかった。それが敗因だよ」
彼の素の戦闘能力は一般人と大差ない。拳銃などの武器を自衛隊や警察に変装して入手してくるのが怖いだけなのだ。
だから言動に惑わされなければ、このように簡単に組み伏せることができる。
「ありがとう、ハマサジ」
茂みに向かって声をかけると、彼女はこちらに顔を見せた。
「話、途中から聞いてたよ。私の、せいだったんだね……」
「いや、気にしなくて良い。このバカの戯言だ」
この少女は優しすぎる。何を申し訳なく思う必要があるというのか。
悪いのは全部ウィードなのだ。だから何も心配することはない。
「よく、僕じゃなくてこいつを狙おうと思ったな。心の中ではまだどっちを攻撃して良いか半信半疑だっただろ?」
彼女が到着したのはウィードがおばあちゃんのメイクやウィッグを外してからだ。服は変わっていないものの、背筋を伸ばした立ち姿や性別の差から彼がおばあちゃんと同一人物だとは思わなかっただろう。
ならばどちらが悪者であるのかなど、部外者のハマサジには想像でしか判断できない。
大前提として、彼女にとってはカブトだけが妖怪であり、ウィードは人間なのだ。
「友達が言ってくれたの」
「……?」
「親切なフリをする妖怪もいるかもしれないって。この人は、そうなんでしょう?」
カブトはふっと笑った。
つまりカブトはその友達とやらに助けられたわけだ。心の中で、誰とも知らない人間に感謝をする。
「――それで巫術師の嬢ちゃんは僕たち妖怪を、どうするんだ」
カブトはハマサジを見上げてそれを尋ねた。彼女はわかりやすく、聞かれたくないことを聞かれてしまったという表情を浮かべる。
だがハマサジは迷いながらも、瞑った目を開きひと言。
「祓うわ……」
そう告げた。
彼女は殺すとは言わなかった。それが優しさであり、甘さだろう。これからも自分たちのような妖怪を相手にしていくならば、その甘さはいつか致命的な失敗を招く。
だが今だけは、カブトだけは、その優しさに甘えてしまっても良いと思った。
「――そんなこと、させるわけないじゃん!」
しかしウィードはこの絶体絶命な状況下でも諦めることをしなかった。
それまで黙っていたくせに暴れ出す。だが両腕も足も抑えてあり、まともな身動きは取れない。
ハマサジの方も巫術の準備を始めていた。前に一度見た技、『凛扇』の圧縮された嵐が彼女の手のひらに形成される。
「風の巫術――」
「――させないってば!」
ウィードは首に下げていた数珠を噛みちぎり、そこらにばら撒いた。それに何の意味があるのかと考察する間もなく、辺り一面は白に染まる。
彼らが次の瞬間に鳴り響いた轟音を聴く頃には、その身体は吹き飛んでいた。
ウィードの首から下げられていた数珠は、高威力の爆弾だった。それらがすべて起爆し、三人の身体を跡形もなく吹き飛ばす。
だが直後、すぐにカブトにかけられていた『呪い』の効果が発動した。
傷を癒す力。それはカブトの身体が吹き飛んだことで自動発動し、周囲の全ての被害を瞬時に癒す。
「クソ、僕の力を……!」
利用された。と叫ぶ頃にはウィードの姿はなかった。彼は中途半端に再生し始めた段階の朧げな意識で逃げ去ったのだろう。
すぐに追おうとする。だが倒れているハマサジを無視することはできなかった。
結局カブトは三ヶ月前に続き、再びウィードを逃すことになる。
※※※
ハマサジが目を覚ますと、陽が沈み始めているのが最初に見えた。そして遅れてここが公園であることを理解する。
「起きたか」
公園のベンチに寝かされていたハマサジ。カブトは彼女をベンチの反対側から背もたれに腰掛けて見守っていたらしかった。
「助けて、くれたんだ」
「巻き込んだのは僕だしな」
「でも、私はあなたを殺そうと……」
カブトはそれを聞いて首を振った。ハマサジを安心させるような、優しさが見えた。
「良いんだ。僕は元々、罪を重ねすぎてる」
「でも誰にも手をあげていないって報告だったよ?」
ハマサジにはすでに彼が悪い妖怪には見えなかった。彼はきっと、不運にもその力を授かってしまった哀れな青年なのだ。
助けてあげたいと、ハマサジは思った。
「三ヶ月前、僕はウィードにとあるゲームをふっかけられた」
カブトは騒動の最中、天秤ゲームと名付けられたお遊びに参加させられる。街の至る所に爆弾が仕掛けられていたために人々を人質に取られ、参加を断ることはできなかった。
それはカブトに二人のうちどちらかの命を選ばせる残酷なゲームだった。
「ウィードは僕の選択を予想し、僕が選ばない方により無関係な死者が出るようにゲームを作った。そのせいで、僕は数え切れないほどの死体の山を積み上げた」
「そんな……」
思い出されるのは絶望だった。
提示された二名のうち、先に救う方を決めてしまえば、救わなかった方が死ぬ。ウィードはそこに罠を仕込み、確実にカブトの心が折れるような構成にした。
結果的に多くの命を救うことができず、カブトはただ爆発が彼らの生涯に幕を下ろすところを嘆いていた。
「だから僕に、殺されることに文句を言う資格なんてない」
カブトは自嘲するように薄く笑みを浮かべ、こちらを見る。ハマサジにそんな人を殺せるわけがないとわかっていて、それでもカブトは頼むのだ。
「僕を、――殺してくれ」
その言葉を咀嚼し。
自分の心に落とし込み。
やがてハマサジは、ゆっくりと首を振った。
理解できないという顔をするカブトに、ハマサジはひと呼吸置いて自分の結論を述べる。
「あなたは、救われて良いんだよ」
ずっと、カブトは辛かったのだ。
三ヶ月前の罪悪感を引きずり、それをウィードを殺すための使命感に変えて、今日まで彼はそのために生きていた。
そんな息の詰まるような生活を想像するだけで、ハマサジは涙が出そうになる。
それはただ、不幸なだけではないか。
誰かを傷つけたわけでもない。望んでその状況を生み出したわけでもない。
カブトは多くを救おうとして、足掻いて、結果的に取りこぼした。しかしそれを責められる謂れはないだろう。
そんな一生懸命な人を殺せるほど、ハマサジは非情にはなれなかった。
「僕は――」
「だったら、あなたが救った人たちの言葉を聞きにいきましょう?」
そう言って、ハマサジはカブトと共に何人かを訪ねた。
暴力団組織の人間は小指を詰め、組織からは足を洗っていた。建設現場に出て汗を流しているところを呼び止めると、カブトに感謝の言葉を告げていた。彼は真っ当に働いて金を稼ぎ、食べるご飯はうまいと笑った。
『お前のおかげだ』
老人ホームの老人はたまたま外のベンチで休んでいた。もう記憶力もあまり良くないだろうに、カブトの姿を見るとすぐにありがとうと言った。カブトが救ったおかげで、孫の結婚式に参列することができたようだった。
『お前のおかげだ』
会社員の男は今日も残業をしていた。ブラック企業での生活は変わらず、きっと大変なのだろう。だけど死の恐怖を経て逞しくなったのか、上司の言葉を受けても傷つかなくなったと笑みを浮かべた。
『お前のおかげだ』
そして、カブトが最初に助けた女には新しい彼氏ができていた。前のヒップホッパーのようなタイプとはまるで異なる誠実そうな男性と共に歩いていて、カブトを見つけるなり手を振っていた。
「全部、あなたのおかげだよ」
「僕の……」
「そう」
再び公園に戻ってきた二人は、並んでベンチに座っていた。
「罪悪感に縛られるだけじゃなくて、あなたは自分が助けられたものをもっと誇って良いんだよ?」
「――――」
カブトが救えた人たち。それは失った命の数に比べたなら、限りなく少ないのかもしれない。
だけど救われた彼らの表情は生き生きとしていて、みんな一様に感謝の言葉を述べていた。
それでカブトが許されるわけではない。彼がそういう風に考えてしまうことはハマサジにも想像ができる。
「罪悪感が拭えないなら、その分だけ人を助けよう。誰かの命を奪うために生きるんじゃなくて、誰かの命を守るために生きよう」
ハマサジは夕暮れを見つめながら、そう言った。
ウィードを殺すために生きていたカブト。他に贖罪の方法が見つけられなかった青年に、ハマサジは別の道を提示する。
誰かを救う道。困っている人や苦しんでいる人を助ける存在になる。そういう贖罪の仕方を提示するのだ。
「その上で、ウィードを倒すの。わかった?」
「誰かを救うために、あいつを倒す……」
「そ。根底は人を救うためっていう風に決めるの! 良いでしょ?」
人差し指を突きつけ、悪戯に笑ってみせる。カブトもつられて口角が上がり、ふっと息を漏らした。
「でも僕は、妖怪だ」
「それなら大丈夫だよ」
先程、救った人たちへの挨拶回りの最中にハマサジは日本巫術機関の本部に調査報告を済ませていた。
内容はこうだ。
天狗、改めカブトと名乗る調査対象は異能の力を持つが、妖怪とは異なり他者に危害を加える性質を持たない。故に特殊巫術師としての登録を推薦する。
上官のユリグルマにも署名をもらい、送信してあった報告書の返信がスマホのメールボックスに少し前に届いていた。
「あなたをただの妖怪じゃなく、特殊巫術師として登録するための面接の許可が下りたから!」
「勝手に!?」
驚くカブト。だが妖怪として処分されるよりは全然良い。
ハマサジのお節介に大笑いして、頭が上がらないと頬を掻いた。
「僕は、救われて良いんだな」
「当たり前だよ!」
「そうか」
もうその表情には「死にたい」なんて願望はなかった。肩の力も抜け、リラックスできたようだった。
「じゃあ今度は僕が、みんなのことを救えるようにならなくちゃな」
その晴れやかな笑顔は妖しさなんて微塵もなくて、どうして彼が妖怪に見えたのだろうと疑問すら覚えた。
ハマサジの初めての一人任務はこのようにして幕を閉じる。
少しの達成感と、取り逃した敵への憤りを胸に。