7時間目 ユキvsシャルロット
両者が睨み合ったまま、その場に満ちるのは不穏な沈黙。
ピリッと研ぎ澄まされた空気の中、二人の鋭い視線が火花を散らす。
「会いたくなかっただなんて、随分な言いようね。この私に直接会えるなんて、どんな幸運だと思って?」
先に口を開いたのはシャルロットの方だった。
ユキもすぐさま負けじと言い返す。
「幸運ねぇ? あんだけ書類関係でバトッたこと、まさか忘れたのか? 気が合わねぇってことは分かってんだろ?」
実を言うと、シャルロットと話すのはこれが初めてではない。申請手続き期間の間、互いに実行委員代表と事務代表として、それはもう何度も何度も電話でやり合った。
そこで彼女の強引さは嫌というほど知っていたので、こうして面と向かって会うことは避けたかった。どう考えてもまともな会話が成り立つとは思わない。
「………」
「………」
ユキの目により一層強い力がこもると、シャルロットもまたきつくユキを見下ろす。
「……か…」
ふとシャルロットの唇が震えた。
「完璧だわ…っ」
「…………は?」
今、なんとおっしゃいました?
ぽかんと口を開けるユキに、シャルロットは何かを噛み締めるように拳を握った。
「私お抱えのスタイリストもびっくりよ。まさかここまでこの魅力を最大限に引き出す技術の持ち主がいるなんて…!」
「え…何言って……」
「ユキッ‼」
「おおっ…」
突然両腕を引っ張られ、ユキはよろけながらも立ち上がる。そんなユキを正面からじっと見上げたシャルロットは、ガシッとその両手を掴んで引き寄せた。
「あなたの魅力、私がさらに極めてあげる。」
妖艶に微笑んだシャルロットの細い指がユキの頬をなぞる。
彼女の瞳に宿った眼力はすさまじく、その瞳に囚われた者は男であろうと女であろうと見とれてしまうだろう。
だが。
「とりあえず、寝言は寝て言え。」
トップモデルの微笑みにユキが返したのは、心底嫌そうな顔と全否定だった。
「ユキ、お前! シャルロット様になんてことを…っ」
「知るか。」
ざわつく周りを、ユキはたった一言で一蹴する。
「オレはオレ。誰の指図も受けない。都合よく使われてなんかやっかよ。用がそれだけなら帰る。」
最後の仕上げに、ユキはシャルロットの手を払いのけた。
「………っ」
シャルロットはうつむき、払われた手を握って微かに震えている。
まあ、今までトップを独走して他人を好きなようにしてきたお嬢様だ。こういう態度を取られるのは相当屈辱的だろう。ここまで怒りを煽っておけば、そうそう自分に絡もうとなどしてこないはず。
「―――グッド。」
そのはずだったのに、何故彼女は自分に向けて親指を立ててくるのだろうか。
「いいわ、その誰にも懐かない気高さ。自分の容姿を引き立てるキャラがよく分かってるじゃない。」
さっきから彼女が何を言っているのかよく分からないのだが…。
ユキは不可解そうに眉を寄せる。
「キャラってなんだよ。オレは別にキャラとか作ってねぇよ。」
「だからこそ、これはれっきとした天性よ! 頂上に君臨するためのね!」
「ああもう! 近寄ってくんな! 何なんだよ、お前! 電話ではあんなにオレのことボロクソに言ってたくせして―――」
「そんなの、今ここにある圧倒的美を前にしたらどうだっていいのよーっ‼」
両腕を突き上げ、まるで癇癪を起こしたかのような甲高い声でシャルロットが叫ぶ。
そのあまりの圧力に、ユキは思わず肩を大きく震わせて黙ってしまった。
「私は、物心つく前から美しさを意識して生きてきたのよ。」
あれ、なんか急に自分語りが始まっちまったぞ。
呆気に取られるユキに構わず、シャルロットは完全に自分の世界に入り込んで語り続ける。
「華やかな舞台に、美しい衣装。そしてそれを輝かせるきらびやかなモデルたち。私はずっと華やかさと美しさに囲まれて生きてきたわ。より華やかに、より美しく! 私はただ理想を追いかけるのみ! 理想を実現できるなら、なんだっていいわ! 私の美的センスが納得できればいいのよ! 中身がどんなクズだろうと、どんだけ性格が合わなかろうとね‼」
「うわ、病気だ…」
するっと本音が出ていってしまう。
どうしてこう、何かを極めた人間は常識という概念をどこかに捨て置いてくるのだろう。一つのことに懸けるその熱意はすごいと思うが、せめて最低限の道徳は身につけていていただきたい。
「私は美しさに妥協したくないだけよ。だからこうしてあなたを連れてこさせたわけだし。」
シャルロットは腕を組み、ユキの全身を頭から爪先までを嘗めるように眺めた。
「一応、入学当初から目はつけておいたのよ。まだ蕾だと思って寝かせておいたら…」
途端にきらめく黄金色の双眸。
「身長一七八センチ、体重五九キロ、体脂肪率は一三パーセントってところかしら。ものすごく細身だけどひょろいってわけじゃなくて、ちゃんと筋肉はついてるのよね。体育の評価の断トツの一位って話だもの。脱いだらすごそうよね。」
「………っ」
一目でデリケートな情報をさらっと見抜かれるなんて、ドン引きものなのだが。
さっと顔を青くするユキだったが、完全にプロとしてのスイッチが入っているシャルロットは、そんなこと気にも留めない。
「女でも羨ましくなるくらいに白く透き通った肌。太陽よりも月明かりが似合うきらきらした銀色の髪。涼やかで切れ長な青い目。もうほんとに、冬に生まれましたってのを体現した色彩だわ。髪が長かった時もまあまあ及第点越えではあったけど、これはもう完璧よ! その容姿とそれを後押しする気高さ! ユキヒョウのごときクールな狩人、もしくは孤高に佇む白狼! どっちの二つ名もありだわー‼ いやーん! 私の理想がそのまま目の前にいるー♪」
あー……そういえば自分は、この人の好みど真ん中なんでした。
徐々にテンションを上げて最後にはその場で跳び跳ね始めるシャルロットに、ユキは今さらのようにハーシュとの会話を思い出していた。
「―――ってなわけで、覚悟なさい。」
シャルロットがパチリと指を鳴らす。
次の瞬間、彼女の後ろに衣装やらメイク道具やらを構えた生徒たちが並び立った。
「……一応訊いといてやる。何させる気だ。」
ユキはすぐさまシャルロットから距離を取って身構える。
「この創立祭に足りないものが何か分かるかしら?」
シャルロットはふとそんなことをユキに訊ねた。
「どれだけこだわって舞台を作り上げても、賞賛するオーディエンスがいないことには意味がないの。人を集めるために必要なもの……それは、誰もが目を離せなくなる魅力を放つ広告塔よ‼ あなたには特別に、私の隣を歩く資格を与えてあげるわ! 見なさいな! この素晴らしい環境を‼」
そこでようやく室内の状況に目がいく。
ここって、どこでしたっけ?
それが第一の感想だった。
遮光カーテンが閉め切られた暗い室内。普段そこにある教壇とピアノは脇に寄せられている。
空いた空間にあったのは、色とりどりの衣装がかかったハンガーラックに簡易更衣室。果てには画像処理ソフトを搭載した高性能パソコンまで。
まるでテレビでしかみないような撮影スタジオ。一体創立祭ごときにどれだけの投資をしたんだ。ここが音楽室であった要素が根こそぎ剥ぎ取られているではないか。
「創立祭にあたっては、外部の手は借りちゃいけない規則のはずだけど?」
「分かってるわよ。」
苦々しいユキの指摘に、シャルロットは堂々としていた。その理由はすぐに彼女の口から語られる。
「機材と衣装の手配こそ依頼したけど、それ以外は全部実行委員にやらせたわよ。メイクも撮影もその後の処理も、その他諸々ぜーんぶ私が教えてあげたわ。四月の間にみっちりとね。おかげで寝不足だったわよ。」
トップモデル自ら教鞭を握ったと?
少なからず、それは意外な事実だった。
「案外マメなのな。ただ撮られるのが仕事のお嬢様かと思ってたわ。」
「美を追求するのに、その技術を知らなくて何を語るというの?」
シャルロットは至って真面目。
(悪い子ではない……なるほどな。)
ハーシュの評価に少しは納得がいった。
ユキは重たげな溜め息をつく。
「まあ、その熱意と向上心は認めてやる。ただ、それを他人に押しつけるのはどうかと思うぞ。これだけの環境を作るのに、たった一ヶ月で技術を身につけるように強要したわけだろ。どんだけスパルタだ。ブラック企業も真っ青だぞ。」
「その分の報酬は用意しているわ。途中で根を上げた人も引き留めてはいないわよ。ここに残っているのは私に心酔してついてきた可愛い仲間たち。決して使い捨てにする気はなくてよ。」
「ほう…」
ユキは周囲の人間に目を配る。
確かにシャルロットの指示に従う彼らに不満げな色は一切ない。
これは驚いた。ただの我が儘娘かと思いきや、将来大企業の経営を担う者としての心得は一応あるらしい。ついてきた仲間を使い捨てにするつもりはないと言うあたり、この横暴とも取れる無茶の数々を吹っかけながら、将来の自分と会社の経営を担う部下を厳選していたといったところか。
「なるほどな。」
ある程度シャルロットの人となりを理解し、ユキは目を閉じてしみじみと頷く。
そして。
「なら、オレのことも引き留めんな。」
ばっさりと、彼女に乱雑な言葉を叩きつけた。
さっきまでの空気は、彼女の信念に感化されて協力する流れだったじゃないか。
そんな全員の突っ込みが聞こえてきそうだが、勘違いしないでもらいたい。彼女の信念とその実現方法はそれぞれ別問題。信念に筋さえ通っていれば、何をやってもいいというわけじゃない。
ユキは心底呆れた顔で腕を組んだ。
「お前の言いたいことは分かった。要は、オレにお前と組んで創立祭の宣伝をしろって言いたいんだろ。それについての答えはふざけんな、だ。オレはただでさえ忙しいんだよ。モデルごっこに付き合ってる暇なんかない。」
「なっ…」
今までこんな風にぞんざいに扱われたことがないからだろう。顔を赤くしたシャルロットは、想定外の事態に少し混乱しているようだった。
「何よ! この私が認めてあげてるのよ⁉ いいから騙されたと思って隣に立ってみなさいよ! 世界変わっちゃうんだからね! あなた自身もびっくりするレベルなんだから!」
混乱のせいか、突っかかり方が少々子供っぽくなっている。
だが、何をどう言われようと自分の気持ちは変わらない。
ユキはシャルロットを煙たがるように手を振った。
「はいはい。もう十分びっくりしてますよ。大体お前がオレのこと認めてるってのは、単純にオレの見た目がお前の好みってだけだろうが。使うならオレじゃなくて他の奴にしろよ。オレは客寄せパンダじゃねぇっての。」
「分かってないわね! 私は誰もが憧れるトップモデルなのよ⁉ 同業者でもない高校生が私の隣に立っても、私のオーラに負けていい作品なんて出来上がらないのよ‼」
「だったら、オレにもその理屈は通るだろ。」
「あんたは自分のオーラを全っ然分かってない‼ 自分がどんだけ目立つのか、ちょっとはまともに受け止めなさいよ! 宝の持ち腐れもいい加減になさい⁉」
一際高いシャルロットの怒鳴り声。
その場がしんと静まり返った。
「あんたみたいなタイプ、一番嫌いだわ! 力を持ってるくせに使わない! 使おうともしない奴!」
興奮して肩をいからせたシャルロットが、ユキの眼前に指を突きつけた。
「あんたは分かってるはずよ。自分が持つ手札の多さとその強さを。そして、それが自分を裏切らないってこともね。だからこそのその自信。この私に引けを取らないオーラを放ってる。だけどね、持ってるだけじゃ意味ないのよ。使わなければ、それはただのガラクタと一緒だわ。あんたのその態度はね、自分が持つ手札と、そして何より自分自身への冒涜行為なのよ‼」
室内が二つのざわめきで騒然となった。
一つはシャルロットがここまで怒りを露にしていることへのもの。
そしてもう一つは、彼女がよりによってユキに喧嘩を吹っかけていることへのものだ。
「ふーん…」
ユキの唇が薄く開く。
「なんだ。見た目よければそれでよしみたいなこと言ってたくせに、ちゃんと見るとこ見てんじゃん。ちょっと気に入ったわ。」
ほんの少し吊り上がるユキの唇。
しかしそれは、ものの数秒の内に真剣な表情の中に消えていった。
「お前がそこまで言うなら、オレも真面目に返そう。オレは自分が持つものをないがしろにするつもりはないし、常に使うべき時は考えてる。オレがそれを使わないのは、今は使うべき時じゃないと判断してるからだ。」
「使うべき時じゃない、ですって…?」
シャルロットがさらに顔を歪ませるが、対するユキは至って冷静なまま。
「そうだ。確かにお前がいる業界は、持ってるものをフルに使う必要があるんだろう。一番の商売道具が自分自身だもんな。出し惜しみしてる場合じゃないだろう。オレが気に食わないってのも分かりはするよ?」
「だ、だったら―――」
「お前の業界はって、言っただろ?」
そこですっと光るユキの瞳。
空色の双眸に宿った、切れるような冷悧さと圧倒的な眼力に、シャルロットを始めとする全員が気圧されて口をつぐんだ。
「オレとお前じゃ、志す分野も目指す場所も違うんだ。当然、力の使い方もその目的だって変わるに決まってる。お前の信念が間違ってるわけじゃないが、その信念がどの世界でも通用するわけじゃない。将来的に経営者を買って出る気概があるなら、もっと視野を広げるんだな。先導力があるってのと、ただ押しつけるってのを履き違えるんじゃねぇぞ。お嬢様?」
堂々と自身の意見を語るユキ。
そこにはシャルロットが言うように、トップモデルと名高い彼女に一切引けを取らないオーラが漂っていた。
★
「あー、めんどかった。」
ユキは肩を回しながら男子校舎に戻る。
面と向かってよくよく話を聞いてみたら案外骨のある相手だったもんで、思わず余計な弁論をしてしまったではないか。
まあそのおかげでシャルロットの当初の目的がうやむやになったので、それはそれで結果オーライだが。
携帯電話に目を落とし、ユキはげんなりと息を吐き出す。
時刻は十七時を回ったところ。下校時刻の十九時まではまだ長い。
「あ…」
前方にとある人物の影を見つけ、ユキは床を蹴った。
「ナギ。」
とりあえず逃げられたら嫌なので、声をかけると同時に二の腕を捕まえておく。
「えっ⁉」
腕を引かれたナギが素っ頓狂な声をあげ、次いでユキを見上げた瞳が真ん丸になる。
「お前、どこ行くの?」
「あ……えっと、月曜日から研究室だから、その準備に…」
ナギが指差した先は、一般生徒が立ち入りを禁止されている区域だ。各教科の資料室や特殊機材の保管室があったりで、自分も数える程度しか入っていない。
そういえば、ナギが個人的に使っている実験室もこの区域の中だったか。
人が全くいない区域。
非常に心が惹かれた。
「なぁ、ナギ。ちょっと匿ってくれねぇ?」
「え……匿うって…」
「もう疲れた。なんもしたくねぇ。……っていっても、今日はどこに行っても見世物状態だからよ。」
ちょうどいい。今日はもう気力が限界なのだ。時間も時間だし、自分がサボったところで教師たちも怒りはしないだろう。
「だめか?」
小首を傾げて訊ねるユキ。
すると。
「あ……う、うん。いいよ、いいよ! ユキ、今日大変だったもんね。実験室開けてくるー。」
カードキーを取り出したナギがパタパタと実験室へと駆けていった。
(……なんだ?)
ちょっとした違和感。
もしかして今、わざと目を逸らされた…?
「ユキー! こっちー‼」
鍵を開けたナギがこちらに手を振って、小動物のような仕草でその中に消えていく。
気のせいだろうか。
遠くに見えるナギの様子は普通に見えたので、この時はあまり気にしないことにした。
だが時間が過ぎるにつれて、その違和感が間違いじゃなかったと知ることになる。
「………」
すっかり日も暮れた藍色の空を眺めていたユキは、ふと視線を滑らせる。
そこでは、ナギがひたすらにパソコンのキーボードを叩いていた。
いつもみたく狂ったようにしゃべりもしなければ、自分が見ていても目を合わせてこない。最初は単純に研究者モードで作業に集中しているのかと思いたかったのだが、やっぱりそれも違うと思う。
キーボードを叩くスピードが普段から比べると遅すぎる。しかも自分が動く度にびくりと肩を震わせるのだ。確実に集中しているわけがないだろう。
つまり何か?
こちらを意識しているくせに、あえて無視を決め込んでいると?
「ナギ。」
試しに呼びかけてみる。
「な、何…?」
返ってきた声は妙に上擦っていた。
「この後、オレの部屋来いよ。匿ってくれた礼に、なんか作る。」
さあ、普段なら絶対に断らない誘いのはずだ。
どう出る?
「えっ…と……」
ナギが露骨に顔を逸らした。
「別に、そんなこと気にしないでいいのに。」
その言葉が放たれた瞬間。
ガタッ
ユキは勢いよく椅子から立ち上がった。そのままつかつかとナギの元へ歩み寄ったユキは、力強くナギの腕を掴む。
「強制。」
据わった声で一言。
「ええっ⁉」
ナギが焦ったように目を見開いた。
知ったことか。
今の自分は機嫌が悪い。
「続きは明日にでもやれ。行くぞ。」
ユキは問答無用でナギの腕を引く。
「ちょ、ちょっと待って…」
「待たない。」
「ユキー‼」
「待たねぇったら待たねぇんだよ。」
か弱いナギの抵抗を無視して易々とその体を引きずり、ユキは実験室を後にした。