6時間目 髪切っただけで、そんなに変わる…?
自分でも相当印象が変わっている気はしていた。
だから、なかなか鏡を見る勇気が起きなくて。
「うおぉ……」
トモたちから押しつけられた鏡を覗き込んだユキがこぼしたのは、感嘆の息とも呻き声とも判別がつかない一言だった。
「あの人、すげぇ…」
ユキと一緒になって鏡を覗くトモたちはそう唸るしかなかった。
ばっさりと短く整えられた髪。それは確かにユキの性格が醸し出す雰囲気に非常によく似合っていた。それだけでも十分だったのだが、さらにワックスでワイルドに毛先を遊ばせた結果、普段無愛想なユキをそういう方向のイケメンに完璧に仕上げている。
まさに孤高の一匹狼。触れたら怪我をしてしまいそうだが、それ故に惹かれてやまない魅力がたっぷりだ。
さすがは髪への愛情が人一倍のナミが手がけただけはある。
髪型だけでここまで人を変えるとは。
「……にしても、かなりすっきりしたね。」
「ほんとにな…。」
トモに言われ、ユキは半ば茫然として自分の頬をなぞる。
正直、自分でもびっくりしている。
髪が短かった頃なんてもう五年前のことだ。やはり昔と今じゃ全然印象が違う。
でも、自分で見ても似合っているなとすんなり思ってしまうのが、複雑というかなんというか…。
「うわ…なんか、他人見てるみたい……」
衝撃が抜けきらず、まじまじと鏡を見るユキ。
そんなユキに。
「ユキ、ごめんね。」
トモが突然そう告げた。
「何が?」
顔を上げるユキ。
次の瞬間。
カシャッ
トモの手に握られていた携帯電話が白い光を放った。
続いて何やら世話しなく携帯電話を操作するトモ。
「おい、今何した?」
「…………いや…」
「何したって訊いてんだよ。」
とてつもなく嫌な予感がする。
状況を察して早くも怒りオーラを滲ませるユキに、トモはしらーっと視線を逸らした。
「その…ユキの安否を気にする人があまりにも多いもんで……元気だよって、一斉送信を…」
「それに写真を添える意味は?」
「えっと…主に女子からの注文といいますか……」
「お前なぁ…っ!」
やっぱりそんなことだろうと思った。
ユキはトモの胸ぐらを掴み上げる。
「めんどくせぇからって、テキトーに都合よく使われとくのもほどほどにしろよ‼」
「これ、おれのせいだけじゃない! ユキが人気者すぎるのも原因だもーん‼ おれのケータイやばいことになってんだよ⁉」
トモがぶんぶんと首を大きく振る。
ユキはさらに目くじらを立てた。
「オレもオレでやばかったけど、そこは無視したぞ⁉ お前の場合、もっと毅然として断らないから…」
「待って、待って! 今通常モードで近寄って来ないで‼」
「はあっ⁉」
「だってユキさん、髪切ったせいでイケメン度が軽く五倍くらいになってんだもん! 男のおれでもどきどきしちゃうからぁーっ‼」
そう叫ぶトモは、確かに少し顔を赤らめている。
だがよく分からないトモの心境よりも、さっきからまたうるさく震え始めた携帯電話の方が気になるユキは、遠慮なくトモとの距離を詰めた。
「ああもう! お前が余計な情報ばらまいたせいで、オレのケータイまでうるさくなったじゃねぇか‼」
「うわーん、もう許してぇー‼」
「うぜぇ‼ とりあえず、その気持ち悪い態度をどうにか―――」
カシャッ
そこに響いたのは新たなシャッター音。
ほとんど反射的にそちらを振り向く。
すると保健室の窓から身を乗り出し、数分前のトモと同じように携帯電話を向けてくるウォルトの姿があった。
「げっ…」
これには呻くしかないユキだった。
情報拡散が速すぎる。事故が起きたのはほんの二時間前ですよ? なんだってあなたがすでにそこにいるんですか⁉
想定外の事態にユキが固まっていると、それに気づいたウォルトが今度は連写モードに切り替えて携帯電話を構えた。そして一瞬の内に大量の写真を収めた彼は、年寄りとは思えない早さで携帯電話を操作してそれを耳に当てた。
「……おお、サヤさん! 今送った写真を今すぐ見るといい‼」
電話の相手はまさかの母親。
「なっ……ちょっと‼」
「いいから見るんじゃ! お宅の息子が愉快なことになっとるぞーい♪」
「ストップ、ストップ‼ なんでどいつもこいつもやること一緒なんですか‼」
慌ててウォルトを捕まえようとしたのだが、ウォルトはそれを見越した動きで颯爽とそこを去っていってしまう。
「ああ、くっそ…っ」
ここからじゃウォルトを捕まえられない。
窓辺に駆け寄り、悔しげに奥歯を噛むユキだった。
「ユキ……お前っ…」
すっかりウォルトに気を取られていたユキは、名前を呼ばれてハッとした。
窓の外には、何人もの生徒が野次馬として集まっていたのだ。自分の姿を見た奴らが面白いくらいに驚いた顔をし、それぞれが友人に情報を広げているのが見て取れる。
切った髪はすぐには戻らないし、いずれ皆に見られるものではあるけれど…。
(マジで何? この反応……)
なんだか突然異世界に放り込まれたような気がして、ちょっとばかり身の危険を感じてしまうユキだった。
★
さて、今は土曜日の昼を少し回ったところ。周りの騒ぎようを見ると今日は部屋にこもっていたいのだが、そうもいかないのが現実だ。
「おわっ…ユキ、お前……やったなぁ…」
覚悟を決めて保健室を出たユキに、その近くで生徒たちを追い払う役をしていたガルムはそんな感想を述べた。
それは決して自分の劇的変化をからかったものではなく、むしろその逆。
お前…これから大変だな。
目だけで同情的にそう訴えられ、なんとも言えない気分になった。
その後ナミに呼び出しをくらい、一応髪を切ってもらった事実はあるので逆らわずに事務室へ。
自分を見た事務員面々の反応とナミの自慢げな顔といったら、こっちはただただ恥ずかしくなるばかり。
気をよくしたナミが外で昼食をご馳走してくれると言うので、その誘いはありがたく受けることにした。学校にいたら食事どころではないだろうし、自分ももう少し周りの反応を受け入れる心の準備をしたかったからだ。
学校に戻ってからは……悲惨というただ一言に尽きる。
たかが髪。ちょっと見た目の印象が変わっただけで、中身は自分のままだ。だというのに、男子も女子もべたべたと近寄ってくる上に、こちらの態度に逐一過剰とも取れる反応をするのだ。
いくらなんでも大袈裟では?
あっという間に募った不満からいつもの調子で怒鳴りはしたが、男子は雰囲気にぴったりだと手を叩き、女子からは黄色い歓声が飛ぶわ飛ぶわ。エヴィンなんか鼻血を出してぶっ倒れたくらいだ。イライラしていたとはいえ、呼ばれた条件反射で怒鳴るんじゃなかった。
「……すまない。別に切れという意味であんな話をしたわけじゃなかったんだ。」
一番まともだったのは、どこか申し訳なさそうに気まずげな顔をしたハーシュだった。
こんなことになるなら、去年レードルとともに盛大に暴れるんじゃなかった。いけ好かない生意気な奴と金持ちに叩かれていた庶民に戻りたい。
普段からちょくちょく思ってはいることだが、今日ばかりは本気で過去の自分を蹴り飛ばしたくなった。
ともかくこんな調子では作業が進まないし、何より自分の気力が持たない。
ひととおり皆の気が済んだだろうというところで、各教師たちに連絡を取って生徒たちの指導を強化してもらうことにした。
「ガルム先生、徹底的にしごいてやってください。」
真っ先に電話をかけた相手と自分のドスの利いた声に、群がっていた生徒たちが蛇に睨まれた蛙のように固まった。
どうせもう知れている手の内。なら堂々と使うことを躊躇う意味もない。
オレを本気の本気でキレさせたらどうなるか、まさか忘れたわけじゃないだろうな?
あえて大勢の生徒たちが恐れる教師に電話をかけまくる自分に、男子も女子も大慌てで持ち場に帰っていった。
「お疲れ。ちょっとした書類整理の仕事用意したから、会議室でやってこい。」
総じて同情的なガルムや教師面々に肩を叩かれ、素直に言葉に甘えて会議室に引きこもらせてもらった。
「あ……」
パチリとホチキスで書類をまとめている最中、ユキはふとあることに気づく。
「そういえば、ナギのやつどこ行ったんだ?」
周りが騒がしすぎて全然気にしていなかった。
確かトモたちと保健室に入ってきたのは見た。だがウォルトが乱入してきた時には、もう保健室からいなくなっていたような気がする。
「オレ、あいつのせいでこうなったんだけど…」
ぼやく。
そもそもナギが自分の気を引こうとあんな無茶をしなければ、こうしてパニックになることもなかったわけだ。
そのくせして、事件を引き起こした本人が消え去っているのはどういう了見だ?
自分の説教を恐れて逃げたか? いやでもそれなら、まず保健室に来ることすらしないだろう。
それとも他の奴らと同じく、髪を切った自分に何か過剰反応をしているのか?
「………」
なんだか無性に腹が立った。
ユキはさくっと書類整理を終わらせると、ナギを探すために会議室を出た。
「ユキ‼」
「うおっ⁉」
ドアをくぐった瞬間に声をかけられ、ユキは思わず会議室の中にもう一度身を隠してしまった。
「ごめん、ごめん! びっくりしたよね! でも、逃げないで!」
「何⁉ なんだよ⁉」
会議室の中にまで押しかけられた上にがっちりと腕を捕まれ、ユキはほとんど反射的に身を引く。
爽やかな印象の彼には少しだけ見覚えがあった。こいつは確か、実行委員の副委員長じゃないか。
「今出てきたってことは、会議室での仕事終わったんだよね?」
「お、おお…まあ……」
「頼む! じゃあ話を聞いて! 話にはそんな時間をかけないから!」
「は…?」
何をそんなに焦っているのやら。
状況についていけないユキは首を傾げるしかない。
「とりあえず、会議室を出ない? ここにいたら、俺がガルム先生に締められそうだし。」
「まあ…そうかもな。」
そういえば気を利かせてくれたガルムが、会議室への立ち入りを制限してくれていたんだった。
「ごめん。本当にごめん。今から土下座して謝っとくから。」
「いや…なんでそんなに謝る?」
「ごめん。マジでごめん。」
「だから…」
腕を何度も引っ張られ、困惑顔のユキはずるずると廊下に引きずり出される。
「―――ん?」
足元に違和感。
下を見ると、何故か廊下に大きなネットが敷かれていた。
「おわっ⁉」
視界が回るのは一瞬の出来事。
外で待機していたらしい数人が一気にネットを引き、その上に足を乗せていたユキは思い切り廊下に転ばされる。
「いってぇ…わわわっ⁉」
体勢を整える間もなく、あっという間に地面の感覚が遠くなる。
ユキをネットの中に閉じ込めた彼らが計画的な役割分担と手さばきでネットに竿を通し、ユキごとネットを持ち上げたのだ。
「―――よし。確保。」
器用にネットから逃れていた彼がガッツポーズを決める。
「確保って、どういうことだ⁉ お前、時間はかけないって…」
「言ったよ。話には、時間をかけないって。」
「なっ…⁉」
ネットの中で暴れるユキは目を見開く。
そんなユキに、彼は先ほどの宣言どおり床に膝をついてユキに頭を下げた。
「ごめん。さすがに俺たちも、権力には勝てないんだわ。今度何か奢るから、許して?」
「権、力…?」
「ってなわけで、連行‼」
「はい‼」
号令がかかった瞬間、竿を掴む他の連中が息を揃えて走り出した。
「ああぁぁぁっ! なんかどこに連れていかれるのか分かったぞ⁉ 離せこの野郎ーっ‼」
「すみません、先輩! 無理ですーっ‼」
「でも、殺さないでくださーい‼」
「つーか、なんだこの運び方⁉ オレは魚か何かか⁉」
「うーん、猛獣かな‼ だから最初から、まともな手段で連れていこうなんて思ってなーい‼」
「てめえぇぇぇっ‼」
なるほどな!
どうりであんなに謝ってくるわけだ‼
ユキを運ぶ彼らは男子校舎から女子校舎へと一直線に向かう。こんな目立つ運び方だ。途中にすれ違った生徒たちは、皆目を真ん丸にして彼らを二度見した。
そんな風に皆の注目を集めながら彼らが向かったのは、女子校舎四階の音楽室。
創立祭までの間、実行委員会が拠点の一つとして独占している教室だ。
「くそ…お前ら……覚えとけよ…」
床に片膝をついたユキは口元を覆う。
ようやく解放されたはいいものの、道中はかなり揺れた上に自分もかなり暴れたもんで、頭がくらくらして気持ち悪い。
「ふん。ようやくお出ましね。」
視界に誰かの足が入り込んでくる。
「この私の指名を断るなんて、そんな身の程知らずはあなたが初めてよ。」
腰まで伸びる艶やかな黒髪。
泣きぼくろがポイントの色っぽい黄金色の瞳。
制服の上からでも分かる、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだしなやかな体躯。
そして何より、群衆の引き込むその強いオーラ。
「―――はじめまして、ね。ユキ。」
流行の最先端を切っていくトップモデルことシャルロット。
そこに立っていたのは、今年の創立祭のテーマである華やかな美しさを体現したかのような少女だった。
「……どうも。オレは会いたくなかったよ。」
顔を上げたユキは、そんな大物を相手に真っ正面から啖呵を切ってみせるのだった。