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5時間目 こうなったらもう、やることは一つ

「あっちゃー、これは見事に…」

「おお…」

 保健室でロールに鏡を渡され、その中を覗き込んだユキはぱちくりと瞼を叩いた。

 案の定、耳の怪我は全然大したことなかった。一応ナギを受け止める傍ら刃物が落ちてくるのは見えていたので、怪我をしないように避けたつもりだったのだ。むしろ完全に避けられなくて少し悔しいくらいである。

 しかし顔を庇った分、その被害を受けたのは髪だったらしい。あの時落下したカッターが耳辺りの髪を綺麗に切り取っている。これはナギが慌てるわけだ。

「特にショックではないのね?」

 ユキの反応を窺っていたロールが意外そうに訊ねてきた。

「まあ別に、こだわりがあって伸ばしてたわけじゃないんで。」

 髪は女の命なんて言いはしますが、あくまでも自分は男ですし。

「ふーん。じゃあなんで伸ばしてたの?」

「あー……なんでなんだろ…?」

 改めて訊かれると自分でも疑問だ。

 ユキは虚空を見上げる。

「髪なんて気にしてる余裕もなかったってのと……もしかしたら、無意識に父さんの面影を追いかけたのかもしれませんね。オレも、母さんも…」

 ユキは寂しげに微笑んだ。

 この髪もこの目も、今はもういない父からそっくりそのまま受け継いだもの。確かに父がこの世にいたんだと、自分に父の面影を重ねることでそう思いたかったのかもしれない。

 ルキアが母親似だったこともあって、きっとその気持ちは自分に大きく偏ってしまって…。

(……なんだろ。)

 つきりと胸が痛んだ気がして、ユキは思わず顔をしかめてしまった。

「そっかそっか! ま、色々と事情はあるわよね!」

 ユキの異変をすぐに察したロールは明るく笑い、次に「うーん…」と頭を傾げた。

「それにしても、どうしましょうかね?」

「どうするも何も……まあ、切り揃えるしかないですよね。」

 このままではあまりにも不恰好なので、それ以外の選択肢などあるまい。

 そう思った時にふと脳裏をよぎったのは。

『いいなー。髪短いユキってのも見てみたいかも。』

 自分が小さい頃の写真を見て、ナギが放ったあの言葉。

 そういえばちょうど先ほど、ハーシュと髪がどうのという話をしたばかり。

 もしかして、あの時からこの未来は確定されていたのだろうか。

 まさか、ナギの言葉は天にも通ずると?

(あいつ、天からいくつ頂き物してんだよ…。)

 他の皆が聞いたら確実に「お前もな。」と返されるだろうことを本気で思い、途端にげんなりと肩を落とすユキだった。

「仕方ない。」

 ふとロールがうん、と頷いた。

「いずれ知れることよ。こうなったらナミを呼びましょ。」

「ナミさん、ですか…?」

 何故、と訊こうとした時には、すでにロールが内線電話を取り上げている頃。

「あ、ナミ? 今すぐ来なさい。」

 開口一番、ロールは単純明快に用件を告げる。

 すると、電話口からは離れていても分かる激昂したナミの声が。

 そりゃそうだろう。この時期は、新入生が提出した入学書類をさばきながら、創立祭の準備もしなきゃいけないのだ。しかも今年は自分がバイトを減らしてしまった分、ただでさえ足りない人手がさらに足りなくなっている。ナミがイライラするのも仕方ない。

 だがそこはさすが飲み仲間のロール。ナミの怒鳴り声など今さら屁でもないようで、彼女は腰に手をやると大仰に息を吐き出した。

「忙しいのは分かってんのよ。いいから早く来なさい。ユキ君の髪が大変なことになってんの。」

「髪…?」

 なんだろう。

 このやり取り、前にもやった気がする。

 次の瞬間、電話が乱暴に切れる音が聞こえた。

「どういうことーっ⁉」

「はっや⁉」

 ナミが駆けつけてくるまでたったの一分。

 さすがに驚いた。

「……って…」

 ユキを見たナミが大きく目を見開く。

「あ、あ、あ……」

「え…?」

「あたしお気に入りのサラサラ直毛があぁぁぁぁっ!!」

「ええーっ⁉」

 がっしりと肩を掴んで詰め寄られ、ユキはびくっと大きく肩を震わせた。

「何⁉ 何があっちゃったの⁉ 自暴自棄なのーっ⁉」

「違う違う違う‼ ただの事故ですって‼ そっちこそどうしたんですか⁉」

 距離が近い! 距離が近い!

 問答無用で顔を近づけてくるナミを手で押し退け、ユキはどうにか彼女と距離を取ろうとする。

「いやー、こうなったら言うけど、ナミって重度の髪フェチなのよー。」

「髪フェチ⁉」

 そういえば、ナミの口から髪という単語を何度も聞いたような記憶があるような。

 ロールの説明を受けて、これまでのナミの行動に色々と合点がいった。

「うううーっ‼ 毎日毎日、そっと一なでしていくのがあたしの密かな楽しみだったのにいぃぃぃっ‼」

「そっとっていうか、わりと分かりやすく触ってましたよ⁉」

「ああっ! さらっとシルクみたいなこの触り心地最高の髪! 全然癖がなくてふわっと軽くて細くて、見てるだけでもう幸せだったのに…っ! なんでこんなバッサリとーっ‼」

 ナミは本気で悔しそうだ。

「ナミさん……あの…っ」

「うう…」

「痛い……痛いです…っ」

「だって、こうなったら髪切るしかないでしょー。最後に好きなだけ触らせてー。」

 ロールに髪フェチを暴露されたことで開き直ったらしく、ナミは言葉のとおり好きなようにユキの髪に指を通したり、髪を掻き回したりする。

 そんな時間がどれほど過ぎただろう。

「―――よし。」

 腹から一声を出した後、ナミがパッとユキの髪から手を離した。

「もう、こうなったらとことんよ。」

 ぐっと拳を握り締めた彼女は、普段からずっと腰につけているウエストポーチのチャックに手をかけた。

 そこから出てきたのは細身の鋏と櫛。

「さあ、やるわよ。」

「え…」

 ナミの雰囲気ががらりと変わり、突然据わった目つきで彼女に見下ろされたユキは大いに戸惑う。

 次の瞬間、まるで示し合わせていたかのような手際のよさでロールがバスタオルとシーツをユキの首に巻いた。

 それでハッとして周囲を見回せば、水の入った霧吹きやらドライヤーやら、美容室顔負けの備品たちがいつの間にやらワゴンの上に用意されている。

(ナミさんを呼んだのってそういう理由⁉)

 ユキは目を白黒させる。

 いや髪を切ってくれるのはありがたいのだが、その前に突っ込みどころがありすぎて処理が追いつかない。

 なんでポーチの中から当然のように鋏が出てくるんですか? まさか毎日持ち歩いてるの? それになんで保健室にこんな装備が揃ってるんです?

 それより何より、自分を見下ろすナミの目が完全にプロのそれになっているのは何故⁉

「大丈夫よ、ユキ君。あの人、髪が好き過ぎるあまり美容師免許まで取ってるから。技術は私が保証するわ。だから、下手に抵抗しちゃだめよ。」

「いや、抵抗するなって…」

 ここまでされて、逆に抵抗する余地などあるのだろうか。

 まな板の上に乗せられた鯉は、どう足掻いたって料理されるのを待つしかないわけで…

「………」

 ユキはごくりと固唾を飲んだ。

 

 ★

 

「うっわ⁉ ナミさん、今結構ガッツリいきませんでした⁉」

「うん、いった。」

「どこまで切る気なんですか⁉ 今あんまり短くされると都合悪い――」

「つべこべ言わない! いいから任せなさい!」

 保健室から聞こえてくるユキとナミの押し問答。

「……何か見えるか?」

「いや、何も…」

 保健室のドアに張りついていた男子たちはしばらく室内の様子を探ろうと粘っていたが、やがて諦めて肩を落とした。

「くっそー、ロールちゃんめー……」

 保健室に入ったユキを見た時、ロールの顔つきが変わるのは一瞬の出来事だった。

 ロールは椅子から立ち上がるや否やユキを迎えに走り、ユキを部屋の奥に押し込むのと同時にユキ以外の生徒を全員保健室から追い出した。

 そしてナミが入っていってからはこのとおり。保健室の鍵を閉め、外に野次馬が溜まらないようにカーテンまで閉めきってしまったのである。

 さらにロールから連絡を受けた教師面々も彼女と結託。今は一時的に男女校舎間の行き来が禁止され、保健室周辺の廊下もほとんど立ち入り禁止状態だ。

 たかが生徒一人の髪。されど、その被害者がよりによってユキだったのが大問題。何せユキの髪がバッサリと切れてしまった現場を見た生徒が多すぎる。このくらい徹底した人払いをかけなかったら、今頃ここは満員電車ばりの光景になっていただろう。

「……トモ。お前、さっきから電話すげぇな。」

「うん…こんな時ばかりは、知り合いが多いことを後悔するよ。」

 ずっと震えている携帯電話を握るトモは、完全に弱り切っていた。

 ここにいるのは、ユキに付き添ってきたおかげで立ち入り禁止になる前に保健室近くにいられたごく少数。これ以上の混乱を避けるために、あえてここから動くなと命令されたのだ。

 その結果、立ち入り禁止命令によってユキの様子を探れなくなった生徒が連絡をするのはトモばかり。初めは一つ一つの電話に困り顔で対応していたトモだったが、その内電話に出ること自体をやめてしまった。

「おれ、舐められてるのかなぁ…」

「ナギの犬って堂々としすぎて、他の奴らにも犬って思われてんじゃん? 主に女子に。」

「そうね…。犯人はどうせランカなんだろうけどさ。とほほ…」

 複雑そうな苦笑いをするトモ。

 一方で。

「おお…っ」

 ナギの周囲に集まった数人が呻き声をあげた。

「これが…ユキなのか…」

「やっべー、今と全然違う…」

 その反応から、彼らが何を見ているのかは明白。

「なになにー、小さい頃のユキの写真見てんのー?」

 どうせならもう一度見よう。

 そんな軽い気持ちでナギを囲む輪に入ったトモは、次の瞬間にはなんともいえない顔で固まる他に取れる態度がなかった。

 ナギが皆に見せていたのは、以前にユキからもらった写真そのものではなく、それを携帯電話に収めた画像だった。

 最初はもらった写真をそのまま携帯電話で撮影したのかと思ったのだが、そんなことはなかった。

 明らかに綺麗すぎるのだ。

 確かナギが持っていった写真は約五年前のものということもあって、それなりの劣化や退色が見られていたはず。それが今ナギの携帯電話に写る画像はどうだろう。まるで昨日撮ったと言わんばかりの鮮やかさで綺麗に復元されているではないか。

(誰かに頼んだのか、特急で画像処理技術を身につけたのか……どっちだろう?)

 どちらにせよ、ナギのユキへの“好き”が大きすぎることには変わりないが…。

「うーん…」

 トモの複雑な心境など知る由もなく、ナギは何かを真剣に考え込んでいる。

「今頃…きっと、こうなってんだよね。」

 さっき聞こえてきた会話から察するに、相当さっぱりとした仕上がりになるのは確実っぽい。

 全員は虚空に目をやり、各々がユキの姿を想像する。

 結果。

「……だめだ! 想像つかん!」

「写真見てもこう…いまいち結びつかないんだよなぁ。」

「しっくりこないね…」

 皆が皆、悩ましげに顔をしかめた。

 ひとまず、今は時間が過ぎていくのを待つしかない。

 それからはそれぞれ好きなように時間を潰した。

 進展が見られたのは二十分ほどが経過した頃。

「やっだ、ユキ君! 見立てどおり、こっちの方が断然似合うー♪」

 保健室から聞こえてきた上機嫌なナミの声。

 全員がハッと顔を上げた。

「そうは言われても、オレには何も見えてないんですけど…」

「心配しなくても、ちゃ~んとイケメンよ! んじゃ、仕上げ入りま~す‼」

「待って! それワックス! なんでそんなものまでポーチから出てくるんですか⁉」

「こんなこともあろうかと。」

「絶対嘘だーっ! いや、ほんとに待って! 校則違反……」

「なんない、なんない! 過度じゃなきゃいいのよ!」

「わわっ…」

「ほーら、じっとする! ここまできたら完璧にさせなさい‼」

 一体全体、中でユキはどんな風に仕上げられているのだろう。

 興味を抑えるのにも限界が近づいてきて、廊下のナギたちはそわそわと保健室のドアに集まった。

「あー♪ 幸せ~っ‼」

 保健室からナミが出てきたのは、さらに五分くらいが経ってからだった。

「あ、あの…」

「ユキは…」

 全身で幸せを噛み締めているナミに、ナギとトモがそっと声をかける。すると、ナミは彼らに向かって自信満々に親指を立てて見せた。

「バッチリ! めっちゃかっこよく仕上げたわよ‼ あ~、これで仕事も捗るわ~‼」

 ナミがスキップで廊下を駆け抜けていく。

「………」

 そんな彼女をしばし無言で見送り、次に誰からともなく顔を見合わせる。

 そして。

「―――うん。」

 全員で頷き合い、皆はおそるおそる保健室のドアをくぐった。

 室内ではちょうど後片づけが行われているところだった。

 ロールがワゴンを奥の部屋に押していく。

 そして、こちらに背を向けて箒を掃くユキの姿が。

(か、髪がない…っ)

 肩よりも長かった髪は全て切り落とされ、床に散らばってしまっていた。

「……ユ、ユキ…?」

 意を決してトモがユキを呼ぶ。

 ぴくりと震えるユキの肩。

「………」

 微妙な沈黙がその場に満ちる中、ようやく腹をくくったユキがゆっくりとトモたちを振り向く。

「―――‼」

 誰も何も言えなかった。

「…なんだよ。」

 口をあんぐりと開けて硬直する全員の反応に居心地を悪くなったのか、ユキが仄かに頬を染める。

 

 

 ―――いや、もう誰⁉

 

 

 想像以上の仕上がりに、皆が心に抱いた第一の感想はまったく同じだった。

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