落っこちた先は①
作者の趣味詰め合わせとなっております。
そして、1話のみ長いです。今後は5千から3千文字くらいで行く予定です。
ポトンと落ちた。
そうとしか表現が出来ないくらい簡単にその瞬間、私の世界は変化した。
高校卒業して、とある企業の下請けの部品工場に就職できた。
親無し家無しの身としては上出来だったと思う。
ひと月3万の安アパートは日当たり最悪で湿気がひどかったけど、3段ベットでプライベート皆無の施設育ちだった私には、1人の空間ってだけで充分贅沢だった。
志が低い?
生まれた直後に施設の前に放置された人間に何求めてるの?
マイナススタートの人間が真っ当に生きるには人の10倍努力が必要なんだよ?
親がいなくって施設育ちだってだけで他人は冷たい視線を投げかけて区別しようとする。
まして、それ以上の特徴を持っていればなおのこと。
私の右足には膝下から本来あるべきものが無かった。
だから捨てられたのか。
そうでなくとも、捨てられる運命だったのか。
それを問う存在は、幸か不幸か私には存在しなかった。
まぁ、世間に弾かれかけながらも定時制とはいえどうにか高校まで出て、底辺ながらも職を持ち生活の糧を自分で得ることが出来た。
それだけで私は結構満足してた………のに。
夜勤帯勤務を終え、うっすらと明るくなったいつもの家路を辿る私の足元が唐突にストンと無くなって。
落ちた先は…………。
「どこよ、ここ〜〜?!」
投げ出された森?のなかで、思わず叫んだ私は、多分悪くない。
施設育ちだって。
いや、施設育ちだからこそ。
こんな深い緑の中、なんて経験したこと無かった。
ごちゃごちゃした街の中にある古びた県営の施設。基本、私はそこしか知らない。
就職先だって中小企業の工場がひしめく地域の只中だ。
多分昼間、なのに。
覆い茂る木の葉の所為で薄暗い森の中、とか。
私の人生の中で最も縁遠い物だって胸を張って言える。
なのに。
なぜに私はこんなところにいるんだろう?
ここに落ちてから約半日。
幾度となく繰り返した疑問を懲りずに反芻する私の現状。
高い木の上。
木の下には狼っぽい何か(辞典の中で見たサイズより明らかに大きいわ、目が3つあるわで、狼というには明らかに無理がある)が、こちらを獲物認定してガルガル唸ってます。
うん。あれに捕まったら美味しくいただかれるの確定だね!
飢え死にはいやだ。けど、誰かの飢えをしのぐ糧になるのは、もっと嫌だ。
だけど、このまま木の下の狼っぽい何かが諦めてくれない限り、私はその二択のどちらかになるしかない………気がする。
うん。ヤだなぁ。
ため息をついて見下ろしてはみるものの、ガルガル唸ってる現状は変わらず。と、言うか、むしろなんか増えてる?
かといって、あれを追い払う術も今の所思いつかないし。
……これって『詰んでる』って奴かな?
今の所、狼もどきがここまで登ってくる事は無さそうだし、ちょっと落ち着いて状況整理してみよう。
仕事帰り、に唐突に穴に落ちる感覚。
とっさに目を閉じて、お尻から落下。悶絶してから目を開けたら、見知らぬ森の中。
………うん。イミワカンナイ。
会社帰りだし、持ち物はいつもの通勤用リュック1つ。
中身はお財布とか携帯とか………。
サバイバルの役に立ちそうなのは水筒くらい?
あ、携帯は当然のように圏外だった。
ため息を1つ。
空を仰げば鬱蒼と重なり合う木々の枝葉。空すら見えやしない。
「………どうしようかなぁ」
つぶやいて、水筒のお茶を一口、飲んだ。
…………麦茶美味しい。
どうやら、自分はどこか別の次元に『落ちて』しまったらしい。
施設育ちで小遣い0の身分では無料の図書館はとてもありがたい場所で、暇つぶしがてらに読んだ小説の中にそんな内容のもの確かにあった。
まぁ、まさか、自分がそんな経験するなんて思ってもみなかったけど。
「あ、チートとか?」
思わず、つぶやく。
死んだ覚えも、神様的存在にあった覚えも無かったけど、もしかしたらお約束的な何かが授かってたりするかもしれない。
とりあえず、この状況を打開できる何か。
攻撃出来る力が欲しい。
「………ファイアーボール?」
……………はい。何も、起こりませんでした〜〜〜。
うわ、なんだかめちゃくちゃ恥ずかしい。
精神のどこかがゴリゴリと削られた気がする。
誰もいないよね?聞いてないよね?!
キョロキョロと辺りを見渡すけど、当然のように何もない。見渡す限り木の葉木の葉木の葉。
うん、ちょっとホッとした。
あれ、誰かに見られてたら軽く死ねる気がするし。主に恥ずかしさで。
大きく安堵のため息をついて。
現状は何も変わってないことに気付き、安心してる場合じゃない事に気づく。
だって、このままじゃ遠からず、狼(?)の餌食確定。
と、いうか、なんかそれ以外の形の物も増えてきてるんですけど?
イノシシっぽいのとかクマっぽいのとか。後、直視したく無いけどクモとかムカデっぽいの………。
なかには木に登ろうとするのもいて、だけど、登れない他の獣に引き摺り下ろされてたり、する。
何?抜け駆け禁止!的な?
そんな取り合うほど、私美味しくないですよ?自分で言うのもなんだけど栄養足りてないせいかガリだしチビだし、マジで食べるところないから!
って、声を大にして訴えたところで聞いてはくれないんだろうなぁ。
八方塞がりの現状に泣きたくなったその時。
ごうっっっ!!と強い風とともに青白い炎の渦が木の下に集まっていた獣達を飲み込んだ。
渦巻く風が熱気を運んできて、思わず目を瞑る。
そうして、目を開けた時には、木の下でガルガル唸っていた獣達の姿は跡形もなく消えていて。
「………なんだ。人がいたのか」
鼓膜を震わす低い声、と共に大きな剣を手に持った黒づくめの大男が姿を現した。
突然の急展開に頭がついてこなくて、ポカンと見つめるしか出来ない。
そんな視線を気にもせずに、ゆったりとした足取りで男が歩み寄ってきた。
黒い髪は柔らかなウェーブを描き奔放に四方八方に散っていた。
見上げる瞳は緑と青のオッドアイ。少しつり目なせいでなんだかネコっぽい。
ただし家猫なんて可愛いものじゃないけど。
クロヒョウとかヤマネコとかそういう大型肉食獣系ね。
だって威圧感半端ないんだよ。
ただ、歩いてくるだけ、なのに。なんでか凄く恐い。
下手したらさっきの狼もどきとかより恐いってどういうことだろう?
無意識に体が大木の幹へと縋り付く。
男の人が木のすぐ下までたどり着いた。端正な顔立ちが私を見上げ、しっかりと目が合った。
瞬間、男の人の目が何かに驚いたように見開かれ、次いでキツい目つきがふわりと解けた。
途端に、男の人を取り巻いていた空気が変わった。
さっきまでが極寒の雪山なら、今はポカポカ
春の花畑にいるような………。
何言ってるか分からない?うん、私も。
ただ、今の彼は『恐く無い』。
木にしがみついてその変化をぼんやりと見つめる私に、男の人がかすかに首を傾げた。
「もう、危険は無いぞ?降りてこないのか?」
不思議そうな声。
そう、だね。確かに『恐い』ものは何もなくなった。
出来れば、私だって、命の恩人をこんな高みから見下ろすんじゃなくて、ちゃんと降りてお礼言ったり、したい。
ん、だけど。
足元を見下ろす。
地面までの距離、約5メートル。太い枝が伸びて二股に分かれているところに私は座り込んでいるわけなのだ。
木の幹は、周りを囲むには私が5人くらい必要なほど太くてがっしりしてる。表面がゴツゴツしてるから、多分それに足を引っ掛けるようにしてここまで登ったんだとは、思う。
そう、『思う』なのよ。
狼もどきに追いかけられて夢中で手近な木によじ登ったんだけど、どうやってここまでたどり着いたのか、記憶がサッパリ。
火事場のなんとやら、すごいね。
登り方分かんないなら、当然降り方も分かんないわけで。
と、いうか、やり方わかっても多分無理。
足が………体がカタカタ震えてる。
危険が去ったと認識した途端、ようやく体が正常に恐怖を訴えだしたんだ。
「もしかして、自分で降りれない?」
不思議そうな顔のまま聞かれて、こくんと頷く。
男の人の目が再び大きく見開かれた後、口元を手で覆って俯いてしまった。
………隠そうとしてるみたいだけど、肩、震えてるよ、お兄さん。今、絶対笑ってるよね。
いいけど、さ。
私だってそっちの立場だったら笑ってると思うもん。自分で登ったくせに降りれないとか、どんな小さな子供だよ、って。
だって、命がけだったんだもん!必死だったんだもん!
心の中で文句を言いながら、黙ってうつむく後頭部を見つめていたら、視線に気づいたのか笑が治まったのか、男の人が顔を上げた。
そして、おもむろに手に持っていた剣が地面に突き立てられ、両手がふわりとこちらに差し伸べられた。
「受け止めるから、飛び降りろ」
………飛び降りる?ココから?
思わず男の人の顔と拡げられた腕をまじまじと観察する。
確かにがっしりとして力強そうな腕だね。
私くらい簡単に受け止められるだろう。
けど、ここは約5メートルの高さがあって、万が一失敗して落とされたら?
最悪の未来が脳裏に浮かび、しりごみ。
小さく首を横にふると、男の人が困った様に目を細めた。
けど、怒ってるとかそんな感じはしない。
どちらかといえば、しょうがないなぁって呆れながらも見守られてるような……。
そう、感じてしまうくらい、その瞳はとても穏やかで優しかった。
「大丈夫」
囁くような声は、とても甘く響いた。
とろりと耳から流れ込んだ声に思考が停止する。
そして。
「…………おいで」
柔らかな微笑みとともに促された瞬間、私の体はいつの間にか宙に舞っていた。
「風よ………」
男の人が口の中で小さく呟いた途端、ふわりと私の周りの空気が渦巻き、気がつけばがっしりとした腕の中に抱き込まれていた。
「ほら、怖くなかっただろう?」
まるで小さい子をあやすような手つきで男の人が私の頭を優しく撫で、その感触で、私はようやく我に返った。
今、体勝手に動いた〜〜。
なんで?
催眠術?明らかに、この人の声で反応して動いたよね?!
怖!!
ってか、なんか風が変な動きしなかった?
してたよね?
まるで、この人の腕の中に連れて行ってくれたみたいな。
頭の中はパニックで大騒ぎなのに、体も表情もピクリとも動かない。
人間って驚きすぎると固まるのね。知らなかったよ。
ジッと腕の中で男の人の顔を見つめる。
遠目にも分かってたけど、本当に顔立ちが整ってるな〜。
綺麗というよりワイルド系?
黒いと思ってた髪はよく見ると深い青。紺色?
うん。染めてるんでも無い限り、異世界決定。こんな色、地球じゃありえない。
まぁ、そもそもこんな大きな剣持ってる時点でもう、ね。
そして、瞳の色が・・・・・・・。
遠目では青と緑のオッドアイとしかわからなかったんだけど。近くで見るとこれがまた圧巻だった。
まるでサファイヤやエメラルドのように透き通って鮮やかな色。その中に朱色の花が咲いていた。
確かひまわりの花の瞳、とか騒がれていたタレントがいたけど、あんな感じっていえばわかるかな?
それがそれぞれ青と緑の中に浮かんでるの。
あまりの美しさに吸い込まれそう。
「・・・・・・気に入った?」
少し面白そうにほころんだ瞳と声に我に返る。
なんと、いつの間にやら男の人の頬に手を当ててがっつりとのぞき込んでいたよ、私!
その距離約10センチ。近いっ!!美形が近いから!!
「ごめんなさい!!」
とっさに体ごと後ろに下がろうとしてぐらりとバランスが崩れ、再び抱き寄せられた。
ああっ、そういえば抱っこされてたんだった。
片腕に乗せられ、背中にもう片方の手が添えられて・・・・、いわゆる縦抱っこ?子供抱き?
そのことも改めて認識すれば、顔にぐわっと熱が上がる。
うん、絶対今顔が赤い。真っ赤だと思う。
だってしょうがないじゃん。
男の人とこんなに近い距離になったことないんだもん。しかも抱っことか。
物心ついた頃まで遡っても思いつかない。
逆に、なんで今までこの状況にきづかないかな?
のんきに相手の顔観察してる場合じゃないじゃん!!
「あ・・・あ・・の・・・・・おろして」
少しでも距離を稼ごうと相手の胸に手をついて訴える。かみかみだけど・・・・・。
しかし。
私的には当然の訴えは、なぜか不思議そうな顔で首を傾げられるというリアクションを男の人から引き出した。
いや、こっちが「なんで?」だから!
「おもいし・・・・」
「いや?ぜんぜん?」
どうにか絞り出した声はあっという間に叩き落された。
「恥ずかしいんで・・・・」
「子供が変な遠慮しなくていい」
子供?まさかの子供扱いですか?
確かにチビだけど!ぎりぎり150ですけど!
対してこの視界の高さからこのひと2メートルかそれ以上ありそう・・・・・。
ああ、子供扱いされますよねえ、そりゃあ。
もっと言えば童顔につるペタだしね。自覚ありますよ?
この間仕事帰りに補導されかけましたこらね、おまわりさんに。中学生に間違えられて。
・・・・・・泣いていいでしょうか?
黙り込んだ私に何を思ったのか、お兄さんは慰めるように私の頭を撫でると歩き出した。
「とりあえず、ここを離れるぞ。今日はなんだか魔獣どもが騒がしい」
それって、さっきみたいなのがまた出てくるってことですか?
それは確かに勘弁だけど・・・!
「っちょっと、まって!!」
慌てて肩をたたいてストップをかける。
「つえ!そこに落ちてる杖、取って!」
指さした先には、大切な私の相棒がコロンと転がっていた。
さっきの炎で幸運にも燃えることが無かった、私の大切な宝物。
男の人は、少し首を傾げてから、杖の方に手を伸ばした。
「こい」
フワリと風が動き、杖が男の人の手に飛んできた。
魔法?魔法なの?!
ビックリして大きく目を見開いた私の手に杖が渡された。
1本の木から掘り出されたそれはシンプルな形をしているけど、持ち手のすぐ下のまっすぐになった所からたくさんの桜の花と花弁が彫り込まれている。
住んでいた孤児院の恒例行事で訪れていた老人ホームで、仲良くなったお爺ちゃんからプレゼントされたものだ。
プラスチックの安っぽい杖を使っていた私に「それよりはマシだろ」と、昔自分が使っていたという杖をくれたのだ。
「足が萎えて車椅子になったからもう自分には必要無いんだ」
そう言って渡してくれた杖は、なんの飾り気も無いけど天然木の立派なもので、その様子を見ていたこれまた仲良しだったお婆ちゃんが「女の子なのに可愛く無い」と言い出した。
それにお爺ちゃんが「モノは良いんじゃ!」とブツブツ言いながらも、職員さんから借りた小刀でパパッと彫ってくれた曰くつきの1品だ。
見事な桜の花が眼の前で彫られていく様子が魔法のようで、とても興奮した。
素人技とは思えぬ見事さに聞けば、なんと昔宮大工をしていたとの事で、知り合いの仏師に興味本位で教わっていたそうだ。
先のお婆ちゃんに譲ってもらった柘植の櫛と合わせて私の宝物。
2人とももう亡くなってしまったから、形見のようになっちゃったけど。
ぎゅっと大切に杖を抱きしめた私の表情に何か感じるものがあったのか、男の人は無言で頭をぽんぽんと軽く撫で、今度こそ歩き出した。
男の人の足は速かった。
最初はゆっくりと、それから徐々にスピードが上がっていき、今では私が全力疾走するよりもよほど速いスピードで駆け抜けていく。
背中には大剣を背負い、私を片腕に抱えて、その上足場の悪い森の中、にもかかわらず、だ。
しかも、男の人の息使いからはまだ余裕が感じられた。
たぶん、まだ全力じゃないんだ。
景色が次々に後ろに跳んでいく様子は爽快だった。
木の根や倒木を飛び越えたりもするから浮遊感やらもあって快適とはいいがたいけど不安は無かったのは、しっかりと抱かれた腕の力強さと温もりのおかげだろう。
自分の現在の状況がどう見えるかは自分の精神安定のためにも考えない事にした。
だって、どう考えても私の足でこのスピードでの移動は不可能だし、男の人急いでるみたいだし。
そんな中で、「恥ずかしいから降ろしてほしい」なんて我儘、言えるはずも無い。
力を抜いて、せめて邪魔にならないように極力じっとしているうちに、徐々に景色が変わってきた。
空が見えないほどに密集していた巨木たちがまばらになりさらにサイズダウン。
息苦しく感じていた呼吸すらも楽になってきて、気が付けば森を抜けていた。
体感的には一時間ほど。
ゆっくりと男の人がスピードを緩め、足を止めたのは、森を抜けて少し行った草原の中だった。
「道がある」
思わず呟いた私に男の人が笑う。
いや、だって、ついさっきまで人の痕跡なんて皆無の場所にいたし、なんだか、ホッとしたんだよね。
やっと「人の領域」に戻ってきた、って感じがして。
「ここまでくれば、もう大丈夫だ。日暮れまでに外に出たかったから急いだんだが、きつくなかったか?」
クックっと喉の奥で笑いながら、男の人が穏やかな顔で覗き込んできた。
「大丈夫、です。私、何にもしてないですし」
移動中、抱っこされてただけだからね。
これで疲れたなんて言ったらバチが当たりそう。
「そうか。強いんだな」
男の人の瞳が柔らかく細められる。
青と緑の瞳に見つめられて、心臓がドキンと跳ね上がった。
いや、だってなんか瞳が………。
なんて言ったらいいのか分からないんだけど、すごく優しいというか、なんか甘いというか………。
「いや、何もしてないですし、助けてもらってるし………。て、そうですよ。助けてもらったのに、私、ろくにお礼も言ってない!!」
しどろもどろと紡いだ自分の言葉にビックリだよ。
命の恩人じゃん、この人。
何、のんびり運んでもらってるの!
「あ、あの、ありがとうございます。私、わけわからないうちにあんな所にいて、なんか、変な生き物に囲まれちゃって。もう食べられちゃうんだろうなぁ、って、思ってて。なのに助けてもらったのにお礼も言わないとか、どんだけ失礼なんだって!」
アワアワとお礼を言おうとしているうちになんだか訳が分からなくなってきた私の背中を、男の人が宥めるようにトントンと叩いた。
「うん。分かった。いや、分かんないがとりあえず、落ち着け。お礼はちゃんと聞いたから。ほら、飲めるか?」
いつの間にか小さな泉のそばに着いていて、座り込んだ男の人に木でできた水筒らしいものを渡された。
反射的に受け取ったそれの中身は冷たい水で、一口含んだ途端に、自分がひどく喉が渇いていたことに気づいた。
気づいた途端に思わず煽ってしまった水は勢いが良すぎたみたいで、気管へ流れ込み思いっきりむせた。
「ああ、落ち着け。そんなに焦らなくても大丈夫だ。少しずつ、ゆっくり、な?」
盛大に咳き込んだ私に少し焦ったように水筒を取り上げた男の人は、トントンと背中を叩いてくれて、咳が治ると、ゆっくりと水筒を傾けてくれた。
焦れったいくらいに僅かずつしか流れ込んで来ない水に、水筒を男の人の手の上から握り傾けようとするけど、ビクともしない。
ねだるような視線を向ければ、困ったような顔で首を横に振られてしまった。
「ダメだ。またむせる。体が、気持ちについてきてないんだ。ゆっくり、ゆっくり、だ」
少しずつ流れ込んでくる水は、時間をかけ、私の体を潤してくれた。
半分ほど飲んだところでようやく満足して、そっと水筒を押しやる。
男の人が「もう良いのか?」言いたそうな顔でわずかに首をかしげた。
「も、いいです。ありがとう」
お礼を言ってひと息。
そういえば、男の人の膝の上に座ってるよ、私。
気づくの遅いよ、私。
はい。
胡座をかくように座り込んだ男の人の片膝の上に抱えられるようにして座り込んで水を飲ませてもらってましたよ、っと。
子供か!
今更ながら恥ずかしさがこみ上げてきて、さりげなく膝の上から降りようとするけど、腰に回った腕が強くて逃げられません。
何この羞恥プレイ、第2弾。
だけど、ここで押し問答しても森の中での抱っこ攻防の二の舞になるだけな気がするし、それよりも今はもっと気になることがあるので、潔く諦めよう。
抱え込んでるのは相手の方だし、きっと嫌じゃないんだろう。
もしかしたら、ここいら辺では、この体勢が普通なのかもしれないし。
………まぁ、その場合、ここら辺の文化を受け入れるには多大な羞恥心と戦う羽目になりそうだけど………。って、違う。そこじゃない。なんか思考が上滑りするな〜。やっぱ、現実逃避したがってるんだろうなぁ………。
うん、本題に戻ろう。
「あの、先ほどは助けていただいて本当にありがとうございました。
私は山田さくらって言います。
お名前、お聞きしても良いですか?」
そう、羞恥心放り投げても聴きたかったこと。
私、まだ、この人の名前も知らないのよ。
なのに、お世話になってるこの現状。非常に居た堪れない。
「あぁ、俺の名はアシュレイだ。アシュレイ=サンドラング」
おう、耳に馴染まないカタカナ名詞。聞き取りにくい。
「…………アシュ……レー?」
「言いにくいならアーシュでいい」
口ごもる私に苦笑されたよ……。
「さくら、が名前です」
「さくら。変わった響きだな」
名前が先になるんだと慌てて言いそえると、アーシュはあっさりと発音してくださいましたよ。外国圏の人ならさしすせそは発音しにくいかな〜と思った私の期待はブロークン。
ダメの子は私だけだった。
「生まれた頃に咲く花の名前なんです。薄紅色の………、あっ、この花!」
説明途中で思い出して、杖を見せる。
彫り込まれた桜の花を見て男の人が目を細める。
「綺麗な彫り物だな。俺は見たことがないが、さくらの国ではよくある花なのか?」
杖を受け取りしげしげと眺めるアーシュに少し肩が落ちる。
海外にはあまり無いかも知れないけど、知名度は高い筈の桜を知らない?
「………春になると咲くの。木に咲くんだけど………」
「では、さくらは春に産まれたんだな」
桜の説明にはスルーで別の所に食いついてきた。そっか、四季はあるのかな?
「あの………」
「アーシュだ。呼んで」
ふふ。質問しようとしたらダメ出しきた。
なんで、そんなキラキラの目で見てるんですかね?名前?呼んで欲しいの?
「……………アーシュ」
「ああ。なんだ?」
ポツリと呼んで見たら、ものっすごいいい笑顔が返ってきた。
なんだろう?名前呼んだだけなのに、なんだか何かがゴリゴリと削れていく気がするんだけれども。
まぁ、イケメンにお膝抱っこで至近距離ってだけでもダメージ大きいんですけどね。
笑顔が凶器に見えるなぁ。
主に私の心を殺す的な意味で…………。
「さくらは気づいたらあの場所に居たと言ったな?」
黙り込んだ私に、逆に質問が飛んできた。
コクリと頷く。
「仕事から帰ってる途中で足を踏み外してどこかに落ちた感覚がして、思わず目を閉じたの。転んだって思って。で、目を開けたら森の中………です」
簡単に説明したら、アーシュが少し難しい顔で黙り込んだ。
考え込んでいる端正な横顔を、ぼんやりと見つめる。
うん。お肌すべすべ。毛穴も見えない。イケメンは肌も綺麗なんだな………。
「ドゥーン大陸、ナスカ大陸、エドイング大陸、ドローンブ大陸。どれか聞き覚えはあるか?」
あげられた大陸の全てに首を横にふる。
世界史も地理も苦手だったし、国名なら知らないものがあっても不思議じゃ無い。でも「大陸」って括られたら流石にわかる。
私の世界に、そんな大陸、無かった。
薄々気づいてたけど、やっぱりここは私の知らないどこか別の世界なんだ。
想像しているのと、それが現実になるのでは間にとても高い壁があったらしい。
認識した途端、血の気が引いていくのが自分でもわかった。
そんなに大好きな場所では無いつもりだった。
うまく世間に馴染めない私は学校でも、社会人になってもどこか異分子で居心地が悪かったから。
だけど、こうなって気づくこともある。
初めて手に入れた自分だけの場所。
少しずつ集めてた和風小物たち。
最近仲良くなったご近所のお散歩猫。
慰問で行った老人ホームのおじいちゃんやおばあちゃんたち。
少しずつ、本当に少しずつ集めていった、細やかなでも大切な、私を形作るものがちゃんとあった。
「………ごくたまに別の世界からやってくる者がいると噂に聞いたことがある。おそらく、さくらもそうなんだと思う」
たぶん、今の私の顔色は最悪なんだと思う。
アーシュが気遣うように私の目を見つめながらゆっくりとした口調でそう言った。
アァ、やだ。
物語の主人公になんてなりたくなんか無いのに。
平凡で退屈な毎日に充分満足してたのに。
神様、あんまりです。
スタートにハンデあるんだから、もうちょっと優しくしてよ。
「………もどれない?」
ポツリと溢れた声は我ながら消え入りそうな頼りない響きだった。
アーシュがどこか痛むように顔を歪め、さっきの私みたいにゆっくりと首を横に振った。
「すまない。俺には分からない」
「………そっかぁ」
アーシュのせいじゃ無いから、そんなに申し訳なさそうな顔しなくていいんだけど。
ごめんね、そう、言ってあげれる余裕が今の私には無いみたいだ。
なんだか冷たいなぁって思ってたら、アーシュがそっと私の頬を指先で辿って、ぎゅっと抱きしめてくてた。
胸元に顔を押し付けられて、そうして、ようやく自分が泣いているんだって気づいた。
こんな風に溢れてくる涙もあるんだ、って他人事のように考えてる私の、髪を、背中を、アーシュの大きな手が優しく撫でていく。
その手がやけに温かく感じたのを最後の記憶に私の意識はフェードアウトした。
うぅ〜ん、真っ暗。
読んでくださり、ありがとうございました。
主人公の設定被ってるじゃん!って方は夜凪通でございます。ありがとうございます。
そして、懲りずに恋愛ジャンル再挑戦。
しかし、書き上げたストック分では未だ恋愛に入っておりません。
あれ?全部で5万字くらい書いたのにおかしいなぁ?
恋愛慣れしてない、というか人馴れしてない主人公がひたすらもだもだしております。
そのうち糖度が上がるはず!と自分を鼓舞しつつ頑張っていこうと思います。