第四話 旅立ち
どうしよう。私、今更ながら、とんでもないことに気付いてしまいました。
どうして。どうしてもっと早く、この事実に気付けなかったのか、悔やんでも悔やみきれません。もっと早い段階で気が付いてさえいれば、全力で旅の同行を拒否したというのに。
しかし、こうなってしまったのも、やむなしなんでしょうね。何せ、先程までは城にしろ城下町にしろ、見渡せば周囲に沢山の人がいましたから。実感が湧かなかった――というのが何より、私がこの事実に気付くのを遠ざけていたのでしょう。
「青い空にどこまでも広がる平原。嗚呼――俺の遥かなる旅路がここから始まるんだなあ。てか、これって所謂、フィールドマップってヤツ? ということは……もしかして、遂にエンカウントしちゃう? 俺、モンスターとエンカウントしちゃうの? やっべ! オラ、すんげえワクワクしてきたぞ!」
相変わらず、勇者さんは何がそんなに楽しいのか、すこぶる元気いっぱいです。私とはまるで対照的。私なんて元気が出ないどころか、既にお先が真っ暗で絶望の未来しか見えないというのに。
そう――私はいまこの瞬間から、勇者さんと一緒に危険な旅路への第一歩を踏み出すことになってしまうのです。ええ。勇者さんと一緒に。私と勇者さんのふたりきりで。
これは大変に不味い状況です。だって、男の人と二人旅なんですよ。そして、私は花も恥じらう美少女なんですよ。そんなの――旅の途中で何か――何かしらの間違いが起こる可能性が大じゃないですか。つまりは貞操の危機。
仮に勇者さんがあの軽薄そうな言動とは裏腹に、意外と理性的な人であったとしてもですよ。何せ、美少女との二人旅ですからね、勇者さんの理性がいつまでもつか判ったものではありません。
そもそも。男の人なんて最初は理性的な振りをする生き物。それで私にとても優しくしてくれたり、私のことを理解してくれようとしたり、とにかく私のことを第一に考えてくれようとしたり。
でも、そんなものは全て、上辺だけのまやかしだと理知的な私は知っています。実際はそうやって私の警戒心を解き、油断するのを待っているのです。それこそまるで、獲物が巣にかかるのを虎視眈々と待っている蜘蛛のように。
ああ。男の人はなんて狡猾で恐ろしい生き物なのか。勇者さんがそういう男性でないことを切に願いますが、万が一に備えて取り敢えず――今後は極力、勇者さんとは一定の距離をおくようにしましょう。
「なあなあクリスちゃん。こっからその、ハクラビっていう村までは、徒歩だと結構かかるん?」
「――は、はひっ! あっ……えっと……ば、馬車を使えば、恐らく数時間ほどで。と、徒歩だと、その……ちょっとよく判りません」
「ふうん……まあ、長い道のりになりそうなのは確定ってわけか。うんうん。こいつは丁度良い。ニート生活で鈍ってた体を鍛え直すにはもってこいだな」
クリス――他人からそう呼ばれるのは随分と久しい気がします。
宮廷魔術師になるべく故郷の町を離れ、いまや第二の故郷となったリーブ王国に腰を据えてからは、そんな風に呼ばれることもなくなりましたからね。まあ、なんと呼ばれようとも私は私ですから、特に気にはしませんけど。
ただ――お互いの自己紹介を済ませて以降、私のことをクリスと呼ぶようになってから、以前にも増して、勇者さんが私に馴れ馴れしく接してくるようになったのが、いまとなっては多少の気懸かりではありますが。
それはともかく。勇者さんと今後の旅の方針を話し合った結果、私達は取り敢えず、ここから北上したところにある、アクアという国を目指すことになりました。無論、件の国までは一朝一夕で行ける距離ではありません。故に途中でいくつかの町や村を中継地点として経由する必要があり、ハクラビの村というのもそのひとつなのですが。
私にはさっぱりと判りません。勇者さんはどうして、頑なまでに馬車を利用しようとしないのか。何故に徒歩での移動に拘るのか。
馬車を使えば徒歩とは違って、移動時間の短縮は勿論のこと、魔物と遭遇する確率も格段に減って安全な上、体力の消耗を抑えることが出来ると、正に良いこと尽くめな筈なのに。
馬車の割りと高額な利用料金にしたって、私達には王様から拝領した潤沢過ぎる資金がありますから、そんなものは微々たる問題でしかありません。ああ。それなのにどうして。
「あ、あの。や、やっぱり、馬車を使いませんか? と、徒歩だと、その……色々と不便ですし」
「ああ、まあね。確かに馬車を使えば、楽チンなんだろうけどさ。でも……その楽チンってのが良くねえと俺は思うのよ。人間、どこまでも楽な方へ流されて行くとな、いつの日か――取り返しのつかないツケを支払わされる羽目になるんだ。うん……これは俺の経験談だけどね」
「で、でも……徒歩だと、やっぱりその……ま、魔物と遭遇する確率が」
「魔物との遭遇、大いに結構じゃないの。魔王と戦う前に実戦経験は出来るだけ積んどきたいし。経験値は多いに越したことはないっしょ? そんで最終的には魔王なんて、レベルを上げて物理で殴り倒す! 俺の! 自慢の拳で!」
「そ、そうは言っても……だって、その……魔物なんですよ? き、危険過ぎます」
「そんなもん、端から百も承知の覚悟完了だよ。てかそもそも、これから魔王を倒しに行こうってのにさ、ただの魔物相手にブルってたら世話ねえじゃん。大体、俺なんてチート能力もねえ、凡人な異世界転移者――戦闘に関してはずぶの素人もいいとこよ。そんな奴がいきなり魔王と戦っても、むしろ、そっちの方が危険度増し増しじゃね?」
これは驚かされました。まさか、勇者さんの口からこんな――真っ当な正論が飛び出すだなんて。勇者さんを説得するつもりが、逆に説得される羽目になるとは。確かに勇者さんの言っていることはもっとものような気がします。あれれ。もしかして、勇者さんって結構、能天気そうに思えて、実は思慮深い方だったり。
私、勇者さんのこと、ちょっと見直しました。いままで能天気で軽薄そうな人だと思ってて本当にごめんなさい。でもやはり――出来れば移動手段は馬車の方が良いです。だって歩くの疲れますし。
「それにほら。仮に魔物と遭遇しても、俺にはクリスちゃんっていう、強い味方がいるわけだし。前衛は俺がなんとか担当するとして、あとは後方からクリスちゃんが魔法で支援してくれれば、きっと魔物との戦闘も乗り切れる! イケるイケるーっ!」
「――へっ? わ、私が、強い味方? ゆ、勇者さんの?」
「何そんな、吃驚した顔してんの? だって、クリスちゃんってば、天才魔術師なんだろ? それならこんな心強い味方はいねえじゃん。だから――もう何も恐くない。俺、ひとりぼっちじゃないもの」
「――は、はいっ! わ、私、その……頑張ります!」
いやはや。こうも頼りにされては仕方ありませんね。元より、魔物と遭遇した場合、私が勇者さんを守るつもりでしたけど。ええ。ここまで期待されているのならば、それにきちんと応えて上げるのが天才美少女たる私の務め。宜しい。私が何故、天才魔術師と呼ばれているのか、その所以をとくとご覧に入れて差し上げましょう。
「おおっ! クリスちゃんが初めて笑った。なあんだ、そういう顔も出来んじゃん。うんうん。やっぱ、女の子は笑顔が一番だな」
「そ、そんな大袈裟な。わ、私だってその、笑うことだってあります……」
「いやまあ、確かにそうなんだけどね。でも、俺としてはこう、貴重なもんを見れた感動が、マッハで有頂天なわけですよ。ああ――守りたい、この笑顔」
「だ、だから、大袈裟ですってば――! ゆ、勇者さんって……なんだかその……ちょっと変わった人ですよね」
「ああ、よく言われる。てか――そうそう、それだよそれ! さっきからずっと気になってたんだ!」
「は、はひっ! こ、今度はなんですか?」
「勇者さんって呼び名! 俺さあ、自己紹介の時、クリスちゃんに名前教えたじゃん。それなのに、なんでいまもまだ、勇者さんなわけ?」
そう言えば、確かに自己紹介の時、勇者さんの名前を聞かされた気がします。こちらの世界では聞き慣れない名前だったので、割りと印象深い感じではあったのですが。
「あっいや。これはえっと……その……な、なんと言うか……ゆ、勇者さんは、勇者さんですから。い、今更、急に呼び方を変えるのはちょっと……」
「……なるほど。俺はいましがた理解したぞ。これはつまりあれだ。眼鏡かけてる奴がメガネ君って渾名をつけられて、そのあと、絶対に本名では呼んで貰えなくなるパターンだわ。うん。間違いない。俺は詳しいんだ」
「あ、あの……その……な、なんか、ごめんなさい……」
「――ああいや、別にそんないいって! お、俺もそこまで気にしてたわけじゃねえし。クリスちゃんの好きなように呼んでいいから。なんなら、いっそのこと本名を勇者に改名するまである。てか……名前が勇者ってなんぞ? 新手のキラキラネーム? 勇者と書いてロトと読むとか、そんな感じなん?」
いやいや。そんな首を傾げて尋ねられても、こちらの方が困ってしまうんですけど。と言うか、キラキラネームってなんですか。そんな言葉、聞いたことないですよ。
恐らく、異世界の言葉なんでしょうけど、私はたまに勇者さんの言っていることがよく判りません。果たして、この人と一緒に旅をして大丈夫なのか、別な意味で心配になってきました。