第一話 召喚
勇者召喚というものをご存知でしょうか。
なんでも、聞くところによりますと――この世には異世界なるものが存在するらしく、定められた儀式を執り行うことによって、勇者となる若者をひとり、件の異世界からこちらの世界へと呼び寄せることが出来るのだとか。
いやはや。なんと言うか、本当――法螺話もここまで出来が悪いと逆に感心してしまいますね。だって異世界ですよ。異世界なんてもの、本当に実在するわけないじゃないですか、常識的に考えて。
それをまったく。言うにこと欠いて、異世界から勇者を召喚するだなんて。単なる妄想の類いにしたって、あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎますよ。思わず、鼻で笑ってしまいますね。恐らく、小さな子供だって信じないですよ、こんな酷い法螺話は。
でも、私に勇者召喚の儀式を依頼してきた、国王様の目は真剣そのものでした。いえ。真剣さを通り越して、目が血走っていました。おまけに鼻息は荒いし、口は臭いし、何に使ったか判らない手で私の両手を握ってくるし。
もう本当、凄く怖かった。このまま強引に押し倒されて、私の大切な純潔が奪われるのではないかと、不安と恐怖で心が押し潰されそうでした。なんと言っても、私は美少女なものですから。そして、男はみんなケダモノですから。隙あらばってヤツですよね。
まったく。美少女に生まれついてさえいなければ、こんな不安を抱える必要などなかったというのに。これは大変に悔やまれるところです。
ともあれ、王様の剣幕があまりにも恐ろしく、ここで迂闊に王様の依頼を断ったら、不敬罪と称して――どんないやらしいことをされるか判ったものではない――と考えた私は、不本意ながら、王様の依頼を渋々と承諾することに相成りました。ただの法螺話に付き合わされるなんて、面倒臭いこと、この上ないんですけどね。
しかし、ここで疑問が残ります。何故、王様はよりにもよって、私に白羽の矢を立てたのでしょうか。別に私じゃなくても、召喚の儀式を行える魔術師など、城内を探せば山ほどいるでしょうに。
もしかして――私が魔術の才能に恵まれ、若くして宮廷魔術師の職に就く、才色兼備を絵に描いたような美少女だったからでしょうか。
異世界から勇者を召喚しようと言うのですからね、恐らく、精霊や使い魔などを召喚するのとは勝手が違います。召喚の成功率だって格段に低いものとなるでしょう。つまり、並大抵の魔術師では荷が重すぎると。それ故、より確実に勇者召喚の儀式を成功させるべく、天才魔術師たる私にお鉢が回ってきたと。そういうことなのかも知れませんね。
それから、あくる日のこと。四方が冷たい石壁で取り囲まれた、薄暗くて狭い部屋にて、召喚の儀式は執り行われました。部屋には召喚者である私ひとり――余計な部外者は一切立ち入らせません。儀式を行うにあたって、集中力を高める為にも、ひとりの方が何かと都合が良いからです。
いやまあ。勇者召喚なんて嘘っぱちだと思ってますから、こんなに本腰をいれる必要はないんですけどね――とにかく、ひとりの方が良いのです。
さて、肝心の儀式の内容ですが。勇者召喚について記載された、かなり怪しげな文献を参照してみたところ――これといって特筆して変わった手法を用いるわけでもなく、どうやら精霊や使い魔などを召喚する際に行う、一般的な儀式とさして変わりがないようでした。
てっきり、異世界から勇者を召喚するぐらいだから、何かしら特殊な儀式を行うものと想定していたのですが、存外に普通だったのでとんだ肩透かしを食らった格好です。まあ、所詮は法螺話ですからね、面倒がないのは良いことです。ええ。勇者召喚なんてただの法螺話――と、実際に儀式を始めるまではそう思っていたのですが。
結論から言うと、勇者召喚の話は本当だったみたいです。召喚の呪文を唱え終え、儀式がつつがなく終了した、正にいま現在――私の目の前には見慣れぬ格好をした青年がひとり、床に描かれた魔方陣の上で唖然とした表情をして立ち竦んでいます。これには私も思わず、彼と同様に唖然とする他はありません。だって、儀式が本当に成功するなんて思ってなかったし。勇者召喚なんてただの法螺話――全ては王様の妄想だと思ってたし。
と言うか、どうしましょう。どうやら私、本当に異世界人を呼び寄せてしまったようです。勇者召喚なんて完全に眉唾だと思ってたから、心の準備なんてまったくしてなかったのに。
ここは何か。何か彼に話し掛けた方が良いのでしょうか。でも、なんと話し掛ければ良いのか判りません。そもそも、彼にこちらの言葉は通じるのでしょうか。異世界の言語なんて、流石の私も知らないですよ。
いやいや。それよりも何よりも――いま注視すべきはこの異世界人の知的レベルでしょう。もしも、彼の知能がそこらの動物並みに低く、女と見るや否や、オークのように鼻息を荒くする野蛮人レベルだった場合――これほど恐ろしいことはありません。何せ、この薄暗くて狭い密室の中、彼の目の前にはいま、飛びっきりの美少女が無防備に佇んでいるのですから。
「あのう……なんだか凄く狼狽えてるところ、申しわけないんですが。ひとつ伺っても宜しいでしょうか?」
「――は、はひっ! な、ななな、なんでござりましょうか!」
「えっと……ここは一体、どこなんですかねえ? 俺、さっきまでコンビニにいた筈なんですけど。なんか、気付いたら、ここにいて……」
話し掛けられました。私、異世界人に話し掛けられましたよ。これは所謂、異文化交流――否、異世界交流の第一歩というヤツでしょうか。と言うか、私と彼との間で普通に会話が成立していることが驚きです。異世界の言語とはなんだったのか。
もしや、彼の言語を自動的にこちらの世界の言語に変換する術式が、先程行った儀式の中に組み込まれていたのでしょうか。うん。きっとそうだ。天才美少女である私がそう思うのだから間違いない。
それにしても――彼の言ったコンビニとは一体、なんのことなのでしょうか。彼の話を鑑みるに人の名前でないことは確かでしょうね。恐らく、彼の住んでいる国か町の名前あたりが妥当なところでしょうか。
つまり、彼は異世界にあるコンビニという国から、遥々、こちらの世界へやって来たわけですね。あっいや。やって来たと言うか、私が呼び寄せたんですけど。
しかし、これは困ったことになりました。当然と言えば当然なのですが、彼はいま、自分の置かれている現状をまったくと理解出来ていないようです。はて。そんな彼にこの現状をどう説明して差し上げれば良いものか。
貴方は勇者となるべく、異世界からこちらの世界へと召喚されたのです!――駄目だ、この説明では完璧に駄目です。これでは完全に――何言ってんだ、こいつ?――状態になることは確定。きっと、彼は私のことを頭のイカれた美少女だと思ってしまうでしょう。少なくとも、私が彼の立場だったら、絶対にそう思います。ああもう。言葉が。適切な言葉が見付かりません。私は一体、どうすれば。
「汗……凄いですけど、大丈夫ですか? それになんだか、さっきから顔も赤いし。もしかして、どこか具合が悪いとか?」
「――へっ? あっ。やっ。その……だ、大丈夫です。お、お構いなく……」
「はあ、そうですか、それなら良いんですけど。ああ――てかホント、マジでここはどこなんすかねえ? ひょっとして、君も俺のお仲間さんだったり? 俺と同じで、君も気付いたら、ここにいたってパターン?」
「あっいや。わ、私はそのお……うーんと……えーと……」
自分で呼び寄せておいてなんですが。なんだかもう、この異世界人の相手をするのが面倒になってきました。そもそも、私がみずから望んで彼を召喚したわけじゃないのです。なのに何故、私がここまで頭を悩ませなければいけないのか。
そうです。本来ならば、こちらの世界へ召喚されて右も左も判らない彼のアフターケアを行うのは私ではなく、全ての元凶である王様こそがその役目を担うべき。故に私はこれ以上、彼にかかずらう必要など皆無です。あとのことは王様に丸投げしましょう。
うん。それが良い。ほんの短い間の異世界交流でしたが、異世界人と接する貴重な経験も出来ましたし。何より――この薄暗くて狭い密室の中、いつ襲い掛かられるか判らない恐怖を抱えながら、いつまでも男性とふたりきりでいたくありませんし。
「なんか、マジで顔色が悪そうだけど、本当に大丈夫なん? 汗の量も、さっきより、凄いことになってんだけど……」
「その……わ、私じゃその、上手く説明、出来なくて。王様……王様を呼んできます。だ、だから、貴方はここで待ってて」
「はい――? 王様って言うと……王様のこと? 何それ、なんかの冗談?」
「く、詳しいことは王様に。そ、それじゃあ、私はこれで……」
「あっ! ちょっと待って! 王様ってなんの話だよ! てか、もしかしてここ……ニホンじゃねえのか? おいおい、マジでなんだよこれ、俺の身に何が起こったし!」
背後で何事かわけの判らぬことを喚いている彼を残して、私は一路、王様の元へと駆け出しました。元より、私が王様から承った依頼は、飽くまでも勇者召喚の儀式を行うことのみ。つまり、それ以上のことは最早、依頼の範疇じゃないのです。
そういうわけなので――王様に依頼結果の報告を済ませたら、今日はもう、さっさと城内の私室に戻り、早々に寝てしまうことにします。なんだか思いの外、どっと疲れてしまいましたし。
そして、あの異世界人のことは綺麗さっぱり忘れてしまいましょう。所詮は召喚者と被召喚者の関係というだけですし。恐らく、彼とはもう二度と会うことも話すこともないでしょうから。異世界の話とか、ちょっぴり興味があったりもしましたが。
まあ、何はともあれ、無事に依頼は果たせたのですから、それで全て良しとしましょう。