水は交わっていくけど濁らない
ある人がいった
「自然のきれいな水は
汚い水があるからといって
嫌だとかいうことは絶対にない
水は周りがきれいだとか汚いとか関係なく
濁るだとか澄んでいく関係なく
それはそのまま混じっていく
そして流れ流れていく中で
汚いものは下に沈み、
きれいなものは上に浮かんでくる
そしていつのまに
きれいなままの水となっていき
大海に流れつく
それが自然の水の姿
その水のように
生きていくのが
人の生涯なのかもしれない
そう思えるようになれれば
いいのかもしれない
思うに我々は自然というのを
自分たちの自然体として考える作業が少ない
自然体とか尊びながら
それで自然とは何なのかってことを考えない
だから本当の意味で自然体ということを
理解できないのかもしれない
そんなことを考えると
既成概念でなく自然とそれこそ
自然にとらえるという感動的体験が
人には必要なのだろう
文明とか情報という足かせで
稼ぐことばかりに明け暮れて
社畜とか社会をののしって
いくのは本当の意味で自然なのだろうか
まあそういう生き方をすべて否定する
わけではないが
何か欠けているような気がしてならない
本当の意味での自然を実は感じるのは
難しいある種哲学みたいなもの
人の思索の限定を情報分析とか
情報吸収とかにして速読的に
理解してしまうのでは
何も深まらないような気がしてならない
なので自然を追及すると哲学的に
なるんだと思う
そういう意味で情報に翻弄されない
情報を分類する価値基準というものに
ついて直接考えることは重要で
そこから自然への入り口が見えてくるのかもしれない