印象操作されないため 結果的と原因的を見極めよう
世の中にある何かに対して結果的なことなのに
それを原因的だと思って判断してしまうことがよくある
これはある種の妄想を誘引する要素になっている
例えばマスコミが流すニュースについて
それは断面を切り取ったものでしかないから
ある種どうしても性質上一方的にならざるおえない
日本ではそういうものだと知っていてもそれが
全体と思ってしまう傾向があるが海外ではそういうことは
ほとんどない特に西洋ではそうだが
たぶん日本人はどちらかというと直感的なものを
大事にするから直感にそって得られた情報として
ニュースを認識してしまいがちなのだと思い
だからそれが全体となるのだろう
その話はおいておいて
こうしたニュースのようなものは結果的なものなのだが
それを原因的なものとして根拠にしだすと
もう何がなんだかわからなくなる
ニュースから本質を議論することがだから必要なのだが
何がニュースなのかということを本質として議論しがちではある
それも実は問題なのだが長くなるので今回はこれはよしておこう
簡単なこと妄想に流されないようにするには結果的なものは
結果的なものと考えるということ
ニュースで必要なのは情報であって記者の解釈ではない
もちろん記者の解釈は一つの思想的にそんな考えがあるのだなって
思うことであって分離してとらえないといけないってこと
ニュースには情報と記者の思想の二つがあるわけで
それを見分けないでニュースを拡散していると
印象操作されてしまうだろうね




