メディアをうのみにしていいの?
メディアで気を付けないといけないことは
人のイマジーネーションを実は限定してしまうという効果もあるってこと
確かに人は何か手掛かりになるものがなく
自己で集中して何か新しい認識を手に入れるというのも難しい作業
だから目先の情報を手に入れてしまう
もちろんそれはビジネスとかその場限りの作業なら
それでもいいのだろうけど
人の価値観という問題となると
本来そういう情報だけでは本当は物足りない
私は科学を学んだが科学の中で客観的に事実というものが
重要だとされるし、それに再現性がないとだめとも言われる
意見や仮説では科学とはなりえない
ただあまりにも大きなテーマの場合
より論理的や理論的な意見や仮説しか存立しえないというのはある
毎日のニュースはいわばこの意見や仮説のようなもの
というのも国や時代によって変わる解釈であるので
だからその情報は情報であって発信してインフルエンサーといっていいのか
そういう組織や個人の考え方とか下手したら推論の反映でしかない
つまり情報とおもっていたが純粋情報というものはなく
どれもこれも発信した人の思想でしかない
それが悪いということをいいたいのではなくて
それを考えみて聞き入れたりしないといけない
まあ簡単にいうならうのみにしないできちんとした判断基準を
持つようにするべきということにはなる
しかしそういう思想からくる情報にまみれて判断基準をもって
結論づけると科学などの学問の世界でNGとなる
それはソースが1次ソースではないからだ
さかのぼることができないソースが1次ソースなのだが
ニュースの場合記者の観点は何次かわからないくたくたに
なった紙切れみたいなそういうものに実はなっていたりする
下手したら破れかけた宝の地図かもしれない
そもそも全体像が見えていない部分からの憶測となることも
稀にあるだろう
1次ソースをどうやって見つけるのか
記者のように探すことをしないといけないのか
いや実はそれも重要かもしれないけど
実は1次ソースは感情などや周り何かに影響されていない
人間の根本にあるものに尋ねるべきだと
そういうことをいう哲学者たちもいたりする
宗教的には神に尋ねるとか仏に帰依するという人もいるかもしれない
どこまでしなくても生の心で判断すれば
ある程度は入ってくるべき情報の本来の姿がどこにあるのか
見出すことも可能なのだとは思う
ただそれをするくせが人にはないのだと思う
特に便利になりすぎた現代文明の場合はそうなのかもしれない
簡単にいろいろなものが手に入ると人は
横着になるから




