ノーベル賞って必要なの?
ノーベル賞の本来の目的を考えると
平和や人類の文明に貢献した人を表彰するということになる
その趣旨は素晴らしいが、時には政治的な思惑に利用されたりも
しているようだ
特に平和賞に関してはその傾向が強くでてしまうのはもちろん
政治と平和があまりにも深くかかわっているからだろう
そこで考えるのだがノーベル平和賞って本当は理想的にはいらない
のではないだろうか
さてあまりにも唐突な話かもしれないので戸惑いを隠せないかもしれないが
それともそれはそうだそもそも完全でない人が何をもって貢献したのかって
判断を下していることが上から目線でどうよってことは言えるかもしれない
もちろんそれもそうだと思うし、そもそもそれほどノーベル平和賞を
偉大なものだとは思っていたりは個人的にはしないのだが
そういうことではなくてここでいいたいのは理想的にはいらないということ
敏感は方なら私のいいたいことが予測できるかもしれない
まああれですよ
それはそうとしてどうしてこんなことを書いているのかそれについて
少し述べていきたいと思います
私とノーベル賞との出会いは科学者志望時代のことになります
当たり前のようですが平和とか文明とかに関心があったわけではなく
知性の象徴みたいな位置づけですね
偉大な発見をしたらもらえるものの中で一番知名度がある賞ということです
アインシュタインとか日本では湯川博士とかももらっていますし
このときは特に物質の根源ということやら、宇宙の根源やら
そもそも時間とは何なのかってことに関心を持っていたわけです
まあ流れでSFなども好きでしたが
それでノーベル賞は一つの象徴とはなっていたのですが
確かに技術的なことで表彰されるという意味ではノーベル賞は
今後もあってもいいだろうと思います
研究者の励みになりますしね。
しかし平和賞だけは実はずっとあり続けては理論的にはいけないものです
もう気づきましたよね
そうです平和賞がある限り平和な世界は訪れていないということです
それでこれを書きたかった理由は実は夢でノーベル賞を終らせた男が
スピーチするという場面をみたからです。
なんともドラマチックですが
できたら小説にしたいところですがそのイメージだけでは
どうにもこうにもなりませんので現在保留中。
まあそれはさておいて平和賞を終らせる人が今後出てくるのでしょうか
それは早くきてもらうことを願うばかりです




