承認欲望は過剰な欲望という意義の拡散は本当か
承認欲求という言葉があるらしい
知らなかったが
いわゆるSNSではいいねやコメント集めだけを
目的としてしまう行動
まあ空気読むというのも究極まで考えると
同じような部類のものともいえなくはないが
それはまた今度の機会にして
そもそも承認願望は基本的に何か幼稚で
悪いもののように捉えられているように
思えたのだが
どんな欲望も存在しているのだから
それ事態を否定する行動は人間存在の
破滅をもたらさないとも限らないから
それを単純に幼稚などと捉えるのは
変な過剰な解釈ともいえなくはない
ただそれだけで承認欲望イコール変なこと
という考えをを否定する決定打にはならない
一番当たり前の道筋は
過剰なるものは何でも悪くなることがある
という考えだ
だから過剰でなければ
承認欲望も別に悪くはないということは納得できる
これは当たり前
それに承認欲望がなければ
競争する意味とかももちろんなくなってしまう
可能性もでてくる
それでは過剰なるという単純な言葉ではなくて
どんな承認欲望がいけないのかもう少し考えてみたい
欲望を満たすことがなければ人間
食欲も睡眠欲も捨てなければならないと
なると人は1週間と生きられないかもしれない
もしくは仙人になるかだ
欲望を満たす行為は悪ではないが
それでも何かが悪を引き起こすから
欲望を満たす行為そのものが悪という
空気があるのだろう。
だから欲望イコール悪と規定しがちなのだが
だから過剰だとさらにおかしいという話になる
しかし単に過剰というだけで何かを悪と
決め付けるのはどうかとはおもう
過剰に求めるときの理由付けの意味が
何であるのかということ
それが重要なのではないか
ただ承認願望と規定されてしまうようでいて
実はそうでないという風にその時はなっている
かもしれない
結局自己中心性がそのもの悪という
概念が蔓延して
そのまま解釈されることなく
この世界に猛威を振るっているともいえる




