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明日になれば何かが わかるというけれど
いつの日かきっと
誰もが思う何かは
明日になれば何かが
かわかるというけれど
多くの人が集うこの世界で
分かる形で何かが変わるのは
時が経るからではない
時がたって何かが変わるのなら
人類のすごしてきた歴史は無駄に
なっているというのか
それでも歩んできた道はあるし
そして人が理解してかわるためには
理解する共通の場所を模索もしてきたのだが
時がたてば自動的に何か解決の道が訪れる
ということにはいまだかって西暦は2000を
越えたけどなかった
だけど思う僕らはその歩みを止めることは
ないし、そして不思議なことにも気づいているんだ
理解する共通の場所を探し出す旅は実は
人が考えることができないのではないかとさえ
考えるのではなくて感じるのではないかとさえ




