表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

クリフ

クリス。正式名称はクリストファー・バルロイド。

騎士の家系に生まれた健康的な男児であった。威圧感のある父と似ず、母の可憐な顔立ちを受け継いだのは少し不満であった。

名家の生まれとして何不自由なく暮らしていたクリス、転機があったのは5歳の頃。

騎士として現役の父、健康なクリスと違い母は体が弱かった。そんな母を何よりも大事にしていた父は街の持ち家を別荘とし、実家を街から程なく近い村とした。妻がいるところが実家である。自然豊かで気性も穏やかな村人達なら、心も体も休まるだろうと。


事実、村人たちはクリス達に非常に親切だった。困ったことがあればお互い様だと手を貸し、雨戸が壊れた際には翌日すぐに修理してくれた。母が具合が悪く倒れたと知れば、村の若者が一晩走り続け、翌日には街にいる父を連れてきた。お礼にと渡した現金をさらりと断られた時、母は酷く驚き、そしてとても喜んだ。ここまで優しい人達がいることが、何より嬉しいのだと言う。母がお礼にとクッキーを焼いて渡せば、村人は喜んでその場で食べた。金よりも食べ物が好きだなんて、貧乏人の発想だと思った。クリスが幼馴染にそう言えば、小馬鹿にしたように笑われ、凄く腹が立った。殴りかかったら3倍返しされ、母に泣きついた。


心労がもとに悪くなった母の体調は、村に来てからみるみるよくなっていった。


休日ごとに父も村に帰ってきた。短い時間で母を愛しみ、クリスの頭を撫で、日に日に大きくなる息子の成長を喜んだ。

村人たちも父を暖かく迎えた。おそらく、街土産の食べ物が目当てだったのかもしれない。父が帰る日は母とクリスのみならず、村人達もなんだかそわそわとしていた。

卑しい、クリスは思ったが、父と母が嬉しそうに村人に菓子を配る顔を見れば、2人の前で口に出すことは憚られた。幼馴染に言えば「しょうがないよ。都会の食べ物美味しいもん」と食べかすをつけた顔。まぁそうだよなと、幼馴染の食べかすを取りながらちょっと誇らしくなった。したり顔が気に入らないと取っ組み合いを仕掛けられ、その日の夜は父に泣きついた。大笑いされた。


家にいる以外はずっと幼馴染といた。山を登り川を渡る、一日中遊びまわってくたくたの体で家に帰りに眠った。取っ組み合いの喧嘩は最早日課、ぼろぼろになって帰れば母は男の勲章だと笑って手当してくれた。その度、相手の体に残るような傷は絶対つけるなと毎回のように言われる。傷は勲章だと言ったその口で、クリスは首を傾げた。


エイミーは凄かった。木から木へと飛び移る姿は猿そのもの。かけっこをすれば誰にも負けない。その日も、出会ったばかりの田舎者に負けるのが悔しくて、昼に食べた物が出そうになるのを堪えてエイミーを追いかけた。辿り着いた枝のない木を見上げていると視界が真っ黒になり、気付いたらエイミーの背中に背負われていた。

歩く振動が体に伝わる。小さい背中が、大きく感じた。


声をかけようと思っても、からからに乾いた喉ではうまく話せなかった。

それでも起きたことに気づいたエイミーが、わんわんと泣きながら謝った。ただでさえ滑舌が悪いのにその上泣かれたら、ごめん以外何も聞き取れない。しかしごめんの一言、その言葉を聞いたクリスは目を真ん丸に見開いた。初めて謝られた!その上、遊ぶのもやめると言われた気がした。


それは酷く、クリスの自尊心を傷つけた。エイミーの涙は、弱いものに気を使えない自分への嫌悪感だと思ったからだ。悔しくて、強くなろうと思った、猿のエイミーより強く。今度は動けないエイミーを自分が背負って、しょうがないなと笑ってやるんだと。


真っ黒の髪をぐちゃにぐちゃにして、こんな事で遊ぶのをやめるのは馬鹿だと言った。

俺は、お前とずっといるからな!とクリスは言い切った。キョトンとした顔で振り返ったエイミー、みるみる内に顔を明るくさせ、大きく何度も頷いた。あほ面だった。


エイミーに負ぶされたまま家に帰り、泥のように眠った翌日、起きたクリスは母に叱られた。生まれて初めて説教をされ、出かけるときは水筒を必ず持っていくこと、無理はしないこと、1人では遠くに行かないことを約束させられる。

街では決して声を荒げることがなかった母、村人達に似てきたようだ。

エイミーも翌日大きなタンコブが頭に1つ。いい気味だ。


懲りずに今日はどこに行くか聞いてきたところは、評価してやろうと思う。


それからもずっとエイミーと2人で遊んだ。幼馴染といれば、どこにだって行ける気がして毎日が楽しい。当時エイミーは髪が短く、村の子供は男か女かよく分からない恰好をしていた。そのせいで10歳になるまで、エイミーが女だとクリスは知らなかった。川遊びをしようと脱いだ相手の裸を見て、初めて気づいた。


クリスは叫んだ。


目をパチクリしたエイミーも、クリスが女だと思っていたらしい。

5年、毎日会っていたにも関わらずお互いの性別すら知らなかったのだ。

この時、否が応にもエイミーを女だと強烈に意識した。


最悪にも、思春期入りかけの時だった。


よこしまな考えが浮かんだ、夢に見て。夜中何度も飛び起きた。

それでも、会う事を止めようとは思わなかった。


よく見ればほんのりと膨らんだ胸、クリスより柔らかそうな体。

怒られるといじけて土をいじる癖。太陽が弾けるように大きな口を開けて笑う顔。

全てがクリスの特別だった。きっかけは最低だが、クリスは確かにエイミーを意識していた。だが恋ではなかった。クリスの隣に花嫁姿で立つエイミーが、想像できなかったからだ。


夜な夜な爆発しそうになる感情を抑えるべく、クリスは父親に頼み込み騎士見習いとして街に戻った。騎士団長の息子のクリス、入団時には既に他とは一線を有していた。思えば、クリスが村に来る前、近所の子供にかけっこで負けたことはなかった。

父と同様、休みの日にだけ村に帰る生活になった。エイミーは不満そうだった。



ある日のことだ。いつものように村に帰ると、クリスは見知らぬ男を見つけた。

ギルドの関係者かと思ったが、4回目の帰省時にもそこにいた男に、ようやく村の新しい住人だと気付いた。

元冒険者で、そこそこ腕が立つらしい。

年は32、涼しい顔とは裏腹に服の下の筋肉が尋常ではなかった。クリスは勝てないと、目を合わせた瞬間に悟ってしまった。

離してみれば無骨さはあるが、こざっぱりとした気性のいい男だった。腹が立ったのは、随分とエイミーになれなれしいことだ。暇があればエイミーの頭に顎を置き、エイミの腹に腕をかけて話しかける。エイミーも話し相手がいることが嬉しいようで、適度に会話をしていた。

村の住人は距離感が分かっていないとは常々思っていたが、冒険者お前は分かれ。


今迄気付かなかったのは、クリスが帰ればエイミーがクリスを優先していたからだ。

その日はたまたま、父より一日早く帰ってきたため現場を見付けた。


見つけた時にはエイミーを自分の胸に引き寄せていた。

勝てないと思ったが、引くわけにはいかない。


確かに、エイミーの花嫁姿の隣に、自分がいることは想像できない。

だが、エイミーの隣に自分以外がいることは、絶対に許せなかった。


無意識に、父から預けられた剣に手を添えていたことに気付く。

恋とは非情で、凶暴なものだと思い知らされた。


クリスは翌日やってきた父に騎士団を辞めることを告げた。理由は、周りが弱すぎるから居ても意味がないにした。本来騎士は18歳になるまで正式には入団できない。クリスは未だ16歳、焦る必要はないと父は認めてくれた。大体の状況を知っている父のしたり顔は、腹が立った。騎士団に挨拶をしにいくと本当の事情が知れ渡っていた、騎士団見習いで一番弱い奴にも馬鹿にされ、言い返せない自分がやるせない。


当然、クリスが戻ればエイミーの関心は冒険者ではなくなる。計画通りだ。

もともと話しかけられなければ、会話をすることはないらしい。エイミーの同年代至上主義は未だ継続中らしい。

身長が伸び、エイミーより頭1つ分大きくなったクリス、エイミーは不思議そうに手をかざしていた。


クリスにとって、恋人のお手本は両親だった。


母を慈しみ、隣に寄り添う父。それが当たり前だと思っていた。

だから手始めとして、エイミーに優しくした。眉を寄せて気持ち悪がられた。

エスコートしようとして、気付けば先に行かれる。追いつこうとして転んだクリスを、お姫様だっこで目的地まで運んでくれた。クリスは顔を覆って道中むせび泣いた。


失敗続きの中、ひとつだけ喜んでくれたことがあった。

帰り道、クリスは少し珍しい石を拾った。少し透明で、青く透き通っている。

隣で綺麗だと共感したエイミーの手に、泥だらけの石を置いた。拭いてから渡せばよかったと後悔した。エイミーは気にせず袖で汚れをふき取って、石を太陽に当てた。

きれい、石を通して太陽を除きこむエイミーの口元が緩んだ。


エイミーの瞳が青に重なり――

無意識にエイミーに顔を近づけていた。エイミーの茶色い瞳と見つめ合う、キョトンとされた後「身長が高い自慢か!」と頭突きをされた。暴君は未だ健在である。ぐわんぐわんと視界が揺れて、生理的に涙が出た。


それでも、一番成功したと確信した。

大切にしまっていると聞いて、クリスは嬉しかった。


昔はエイミーの方が力は強かったが、このころにはクリスの方が少しだけ強くなっていた。

その時期からエイミーの言葉遣いが少し、女性らしくなった。クリスの女顔はそのままであったが、それなりに男らしい顔つきになり、街に行けばよく声をかけられた。


ある日のこと、村に占い師が立ち寄った。


エイミーが興奮して話すのを適当に聞き流したが。なんでも10年に一度、天候を占うために来るらしい。街では聞いたことのない名前だが、村ではよく当たると評判のようだ。母も知っていたのは意外だった。占い結果は村全体として、大きな天災はないが、少し日照りが多いと予言されていた。村人たちは水分が少なくても育つ作物を、重点的に仕入れるようにするようだ。


この頃は、魔王群の侵攻が盛んになっていた。村とは直線上に遠く離れた城壁が、魔王群によって占領され、そこから領土を拡大していると聞いている。


村人達も心配で、村の安否を占い師に聞いた。しばし黙り込み、心配することはないが、用心はせよと忠告されていた。村人達の表情は明るかった。


占い師が来たのは父が丁度帰ってきた時だった。ついでにと、クリスとエイミーの安くはない占い代金を代わりに支払ってくれた。

個別に簡易テントに呼び寄せられる。先にエイミーが呼ばれた。

出てきたエイミーの表情は浮かなかった。話しかけても、俯いたまま生返事をされるのみ。


次いで呼ばれたクリス、占い師と一緒に水晶を見つめる。

占い師の顔はフードで覆われていて見えなかった。男か、女かすらも分からない。


占い師は信じられないと呟き、水晶とクリスを何度か往復して見つめた。

どうやら、クリスは勇者らしい。


100年に一度、魔王が蘇る時に勇者も生まれる。それがクリスだと、にわかには信じられなかった。占い師は外にいた村人や父や母に勇者だと告げ、場が賑やかどころではない大騒ぎとなった。次いで告げられた言葉はなんと、クリスはいずれ本国の姫にプロポーズされるらしい。先ほどとは違い、村人達は黙り込んだ。空気は読める村人たちはクリスと、エイミーに気を使ったのだと思う。

クリスは慌ててエイミーに顔を向けた、ようやっと顔を上げたエイミーは少しだけほっとした表情をしていて、気に入らなかった。


後日、正式なお告げが本国から届いた。どうやら、あの占い師が当たるのは本当だったらしい。


勇者になれば、最北端にある村から最南端の本国まで一度、向かわなければいけなかった。そこで旅の仲間を選ぶそうだ。


その頃には普通に戻っていたエイミーが「なんで戻るの?ここで仲間と合流すればよくない?」と度々言っていた。これにはクリスも同感だった。王のお目通りをする。人間のしきたりは世間から疎い村人からすれば、面倒でしかないだろう。クリスも王族は要領が悪いと、内心で溜息をついた。


旅立つ前日、クリスはエイミーに告白した。


16歳、エイミーとクリスは既に結婚が出来る年になっていた。すぐに結婚してもよかったが、クリスが死んだ場合、エイミーが未亡人になるのは避けたかった。誰かの物になるのは耐えられないが、エイミーに不幸になってほしくはない。


「旅が終わるまで、結婚せずに俺を待ってて欲しい」


エイミーは間もおかず答えた。


「うーん。お姫様にプロポーズされる人はちょっと…わたし寝取られ地雷なの」


クリスは頭を抱えた。


街では寝取られ、もとい特定の嫌な女の恋人を、可愛い女が一目惚れさせて奪い去っていく小説が流行っていた。今では更にそれを奪い返す小説、可愛い女が痛い目を見る小説が派生としてはやっている。運命の恋人同士が結ばれる話など遠い昔、様々な種類の恋愛小説が生まれ。同時に受け付けられない、所謂地雷という言葉が生まれた。


この村の人間はそういった娯楽に疎い。ぐるぐる回る頭を落ち着かせようと周囲に見渡せば、木の陰から覗く冒険者がグッと親指を付き出した。あいつだ!殺してやろうと思った、この時には既に、クリスは冒険者に勝てる実力があった。


もう帰っていいかと聞いてくるエイミーの腕を掴んだ。

クリスには説得できるものがなかった。信じてくれと言っても無理だろう、あの占い師は良く当たる。クリスと占い師どちらを信じるかと言えば、エイミーは占い師を信じる。信心深いエイミーがこういう時、憎い。


「もし、俺が帰って来た時に1人だったら、信じてくれるか?」

「おとなしく姫様と結婚して、村のことは忘れた方が利口だよ。帰ってくんな」

「うるさい!帰ってきたら結婚しろよ。相手がいても別れさせるからな!」

 酷い言葉だ。ぐっ、と息を呑んだエイミーはしばらく固まり。ようやく、ため息をついた。

「うちの村は離婚出来ないんだけど…いいよ、会えたら考えてあげる。絶対に無理だと思うけど」


ここで結ばれた恋人達は幸せになれると言われる丘の上、エイミーと結ばれたのかは分からなかった。


帰り道、騒がしくして申し訳ないとエイミーが木々に謝っていた。曰く、木に謝っているのではなく、神様に謝っているらしい。都会生まれのクリスには、しっくり来なかった。


信心深くないクリスはエイミーに聞こえない様に鼻を鳴らし、もし神様とやらがいるのなら、俺とエイミーをいま結ばせてくれよと愚痴を零した。



こうして、クリスは1人本国に旅立った。

辿り着き、拍子抜けをした。本国が選んだ戦士や魔法使いが弱いこと弱い事。正直、街の騎士見習いの方がまだ強い。魔王舐めてんのかと、説教をしたくなった。


反対にクリスは王から流石勇者だと驚かれた。

クリスが強いのではなく、周りが弱いのだとは言えなかった。


魔王退治、1人で行った方が早いかもしれない。しかし騎士の息子として王の言葉は絶対だ。ありがたく戦力して本国一の戦士、姫様である魔法使い、大聖教の一番弟子である僧侶を迎え入れることとなった。面倒をみきれないと思い、村にいる元冒険者を戦力として無理やり本国に呼び寄せた。来なければ、王の徴収を無視した罪人として、指名手配するつもりだった。

冒険者からの恨みがましい目、戦士からの尊敬の視線、クリスはすべてを避けるように空を見上げた。今日はいい天気だ。


こうして、勇者一行の旅は  始まらなかった。

弱すぎて話にならない。一年間は元冒険者の指導の下、各々が鍛えられた。

その間クリス1人が街を襲う魔王群と戦い、退ける日々となった。

元冒険者は冒険者兼、勇者一行になった。


敵の大小関わらず、苦労なく倒せた。

四天王の1人、死に際一番下だと名乗った魔物は冒険者より弱いと感じた。


毎日のようにクリスは手紙を書いたが、エイミーからの便りはなかった。

届いていないのか、読んでいないのか。返事が来ない事だけは確かだった。


父はまめな男で、あの無骨な手に小さいペンを持ち。休日には村に戻るにも関わらず、母に手紙を書いていた。

そういうものだと思っていた。

それを見習い、暇を無理矢理作っては筆を取った。

浮気しないようにと、クリスはせっせと手を動かした。


最近姫がよく話しかけてくるなと思った、失礼のないように対応することにした。

ますます話しかけられるようになった。そんなことより、修行をして欲しかった。


ようやく一年がたち、ついに勇者一行として魔王退治の旅が始まった。


3人の実力も、街の新人騎士に協力し合えばなんとか勝てる実力にはなっていた。

傍らで成長を喜び号泣する冒険者の苦労を思い、クリスは深く頷いた。


魔王軍側近四天王は、クリスの手によって残り2人となっていた。

下から3番目もそれほど強くなかった。


旅は順調であったが、何せ敵の数が多い。

強い敵を倒すのは苦ではない。けれど、弱い敵は数で勝負してくるため面倒で仕方なかった。

弱い一匹を見逃すことで、大勢の人間が死ぬことが分かっていた。取りこぼすことなど出来る筈もなく、クリスは作業のように黙々と敵を倒し続けた。


虫に似た生き物。クイーンラッカルが兵隊ラッカルを捕食し、完全体として襲いかかってきたとき、一行は思わず拍手をした。一体倒せば終わるというのは何と楽なことか。


クリスが旅立ってから2年ほどが過ぎ、ようやく育った故郷である村に近づいてきたころ。

立ち寄った宿に、一枚の手紙が届いた。

占い師からだった。いぶかしげに一枚の紙を慎重に開いた。

丁寧に書こうとはしたのだろう、それでも歪んで読みにくい、汚い字でこう書いてあった。


【5年に一度の月の無い日 勇者の村が襲われる】


一行のみの簡素な走り書き。


内容は、信じがたいことだった。

占い師は、村は大丈夫だろうと言っていた。


だが、一言も村が襲われないとは言わなかった。

それがこの答えなのだろう。


クリスが間に合わなければ村は滅ぶ。

それが占い師の答えだった。


血の気の引いたクリスが荷物も持たず馬を走らせようとすると

手紙を読んだ冒険者がクリスを止め

急いで荷造りをして他の一行を置いたまま村に向かった


3日、寝ずに走り続けた

父と、危ないからと街に戻った母を無視し、ただただ村に向かって。


なぜもっと早く言ってくれなかっただと思う反面

あの場で言われたら、クリスは村から出なかっただろう。

来たとしても、冒険者は村に置いてきた。


分かっている、分かっているとも。

クリスの噛みしめすぎた唇から血がたらりと流れる。


勇者という立場を断れる筈がない

大勢の罪のない人間が死ぬことになる

冒険者がいなければ、他の仲間が既に死んでいたかもしれない


それでも、それでも


クリスは走り続けた。

馬が疲れて歩みを止め、初日の夜にその場に置いてきた

冒険者が使う魔法で体に無理をさせ

走り続け、ようやく近づいた頃。


死者を弔う丘から4本の火柱が上がっていたのを見つけた

何故かは分からなかったが、魔物がそちらに向かえば時間が稼げるとクリスは思った。



冒険者は血相を変え。

村ではなく、丘に向かって走り出した。

クリフは村に向かえと、それだけ告げて。


妙な違和感を覚えた。

クリスも出来ることなら、丘に向かいたいと思った。

それでも勇者として、村に向かったクリスは道中村に向かう魔物を殺し

ようやく2年ぶりに村に戻った。


魔物は村に一匹も辿り着いていなかった。

クリスは、間に合ったのだ。


「みんな無事か!?」


クリスの呼びかけに、住民達は地下にある隠れ家から顔を出した。

地面に足を付けた村人はクリスの無事を喜び、丘の火事を見て悲鳴を上げた。

エイミーの母親と父親だけが娘はどこだと、周囲をキョロキョロと見回している。


村人達は、何も知らなかった。

襲われることも、何故自分達が避難していたのかも。


エイミーが今日だけは火を使うな、隠れ家から出るなと言ったそうだ。それが占い師の予言だとそう告げただけで、村人は素直に従った。

思えば、月が無い日に火を欠かさない村に、明かりがないことがおかしかった。

4本の木の周りは草さえ生えておらず、雷でも落ちない限り火は付かない筈だ。

この場にいないエイミー。


点と線が、繋がった。

同時に受け入れたくない結論を付きつけられた。


クリスが丘の上を見た時にはもう、火は消えていた。

それでも丘に向かって走ると、冒険者と途中で合流し。無理やり村に戻らされた。

エイミーの安否を聞いた。何もない、灰しかないと言われた。

木は自然発火で、エイミーは村のどこかに隠れているんだと、そう自分に信じ込ませたクリスは疲労する体を押して村中を探し続けた。水の入った壺の中も探した。もしかしたらひょっこり、帰ってくるかもしれないと信じて。


翌日になっても、3日経っても、エイミーは村に、クリスのもとに戻って来ることはなかった。


火をつけて村まで戻った可能性は、冒険者にないと言われた。

魔物が、火と人の匂いのあるところを襲う習性がある。たった1人、たった1人でもいれば匂いを嗅ぎ分けられることを、エイミーに教えていたらしい。


泣きながら謝られても、なんといえばいいのか分からなかった。

危険だから近づくなと、冒険者がエイミーに忠告のつもりで言っていたのだと分かっていたからだ。



クリスは丘に向かった。


冒険者の言うとおり、丘は何もなかった。大量の白い灰が風に乗って舞うのみ。

エイミーがどこにいたか、どこに眠っているのかも分からない。

それほどまで、すべてが無くなっていた。


木の根元。エイミーに感謝の念をこめて祝詞を捧げる村人とクリスの父母。

エイミーの親だけが泣き叫んでいた。

神様、娘を返して。信心深い村人もその時は何も言えず、ただただ悲しそうに手を合わせた。


クリスは黙ったまま、祝詞を聞き流し灰を見続けた。

神など、いないと思った。母親は、クリスの背中をずっと撫でていた。

泣かない息子を、酷く心配していた。



更に3日後、馬を連れた他の仲間が合流した。

魔法使いである姫がクリスを慰める、クリスも何か言おうと口を開きかけて

やはり何も言えなかった。


魔王はその一週間後にクリスの手によって消滅した。

早く1人になりたかった。


王都に行くと王は喜んでいた。

死者は最小限で済んだと、王都の人間たちも顔を綻ばせている。


最小限の中には、エイミーもいた。

とても喜べる心境ではなかった。口元を上げるだけで、それなりに喜んで見える自分の顔にクリスは感謝した。


国を救った褒美として、娘の結婚相手として認めると王は言った。

王の横で頬をピンクに染め、魔法使いが勇者を見つめている。

周りも浮かれているのがよく分かった。冒険者だけが無表情にその場に立っている。



クリスは、ようやく口を開いた





何もなくなった丘の上、それでもエイミーと一緒に見下ろした景色は変わらずそこにある。

座り込んだクリスの持つ手紙は、何度も読み返すせいで、酷くくたびれていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ