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とある令嬢の修羅場体験記

作者: 水無月 ジュン

「今まで怖かったでしょう。ですがもう大丈夫です。犯人は捕まったのですから。」


 私の頭を優しく撫でる手と、私の顔を覗き込む穏やかな瞳に今まで張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れてしまいました。

 もう三月も苦しめられていた気味の悪い手紙や、性質の悪い嫌がらせ、付き纏われている恐怖感から解放されるのだと思った瞬間、安堵で視界が滲んでしまい、私のお慕い申し上げておりますクリス様の美しいお顔がよく見えません。それに、腰が抜けてしまいましたわ。

 よろめく私を支えて下さる、細いけれどよく鍛えられた腕。次の瞬間、その腕に引き寄せ抱きしめられ、その肩へ頭を預けました。なんとも言えぬ安心感で心が満たされます。それにしてもいい香りですわ。こうしたまま息を大きく吸い込むと、安心感だけでなく幸福感まで感じるのはなぜでしょう。


「何より、大切な貴女が無事で良かった…。」

「クリス様…」

「グローリア、困った時はいつでも私を頼ると良い。いくら婚約者でもあの男では不甲斐なさ過ぎて…とても貴女を任せられない。」


 甘く心地よい声に酔いしれていた私は、この部屋に私達以外の人物が入ってきた事に気付きませんでした。

 あぁ、私としたことがなんということでしょう。見られてはいけない人たちに見られてしまいましたわ。




「グローリア、この状況は…どういう事だ!?」

「貴様、私の婚約者を誑かしてどういうつもりだ。すぐに彼女から離れろ!」


 ドカドカと品の無い足音が聞こえ、私はクリス様から引き剥がされてしまいました。いくら親バカ…もとい、お父様が私の事を心配してくださっているのだとしても、少し乱暴すぎるのではないでしょうか?


「グローリア、一体何を考えている!?アレクという婚約者がありながら、私室に男を連れ込むとは…そんなふしだらな娘に育てた覚えはない!」

「お父様…違うのです!」

「何が違うと言うのだ。先程の行いを不貞行為と呼ばないのならなんと呼ぶのだ!?」


 お父様はすっかりおかんむりです。こうなってしまっては、とても私の話を聞いて頂けそうにありません。

 困りましたわ。


「セバスを…セバスチャンを呼べ!」

「旦那様、如何なされましたでしょうか?」

「年頃の娘の部屋に…いや、屋敷に儂の知らぬ男を入れるとは…何を考えておるのだ!茶まで用意しおって!」

「旦那様…これには深い事情が…」


 お父様は家令(セバスチャン)を呼びつけ、八つ当たりしています。これはかなりご立腹ですわね…。セバスには申し訳ないけれど、お父様のお相手はお願いすることにいたしましょう。セバスの入れてくださるハーブティを頂けば、きっと落ち着いてクリス様の件はすぐに納得してくださる筈ですわ。その後、別件で大暴れするのは致し方ありませんわね。腹をくくりましょう。


「貴様、見かけぬ顔だな…先程はよくも私を侮辱してくれたな!許すまじ!」

「事実を述べたまでだが?今のままの貴方では、とても彼女を守れるとは思えぬ。いくら任務のため、王都を離れていたとしても彼女を守る術はある。それを怠って偉そうに…そんな男に私の大切なグローリアを渡せるわけがない。」

「グローリアどういう事だ?此奴とはどの様な関係なのだ!?」


 この状況に既視感を覚えるのはなぜでしょう…。

 あらあら、アレク様も怒っていらっしゃいますわ。もしかしてヤキモチを焼いてくださっているのかしら?普段のアレク様も素敵ですが、怒った顔も素敵です。こういうのを惚れ直す、なんていうのでしょうか?

 ですが、アレク様には知られたくありませんでした。こうなってしまった以上、お話ししないという選択肢はございません。あの恐怖を思い出してしまいそうで気が乗りませんが、勇気を出してお話ししなくては…。


「グローリア、私から話そう。貴女は疲れているでしょうから、ソファに掛けなさい。」


 クリス様は私の心の中までお見通しなのですね。嬉しいような恥ずかしいような…思わず頬に熱を感じてしまいましたわ。

 クリス様に手を引かれ、ソファに腰掛けます。こういう細やかな気遣いはアレク様には御座いませんね。アレク様もこの機会にクリス様に教えて頂いたらいかがでしょうか…と思いましたが、そんなことをしてはただでさえ多くのご令嬢方の憧れであるアレク様が更におモテになってしまいますわね。婚約者としては、アレク様が女性に言い寄られるのは気分がよくありません。前言を撤回いたします。


「事の始まりは、三月ほど前。気味の悪い手紙が屋敷に届いた。差出人不明の手紙だ。初めは3日に1通程度だったのが2日に1通になり、やがては日に何通も届く様になった。どんな内容かは現物を見たら良い。そのうち、屋敷の窓が割られたり、塀に落書きをされたりなどの嫌がらせをされる様になった。極め付けは、グローリアに気付かれぬように付き纏い、時には危害を加え……常に監視している事をほのめかす様な文章を送り付けて彼女を精神的に追い詰めた。私はそんな彼女を救うため、彼女の護衛をしているのだ。」

「グローリア、なぜ私に相談しない!」

「グローリアは、貴方に無用な心配をかけたくなかっただけです。もし、知らせたら貴方は任務中でも構わず戻ってくるでしょう?貴方の出世の邪魔をしたくなかったのですよ。」


 アレク様は将来を嘱望された有能な人材です。ゆくゆくは国王陛下の右腕となってこの国を導いていく存在なのです。私も、そんなアレク様を支えるべく努力をしています。無用な心配をかけてはいけません。アレク様はお優しいので、相談したらきっとすぐに駆けつけて助けてくださる事でしょう。ですが、それはつまり、大切な任務を投げ出してしまうという事。アレク様にも、周りの方々にも迷惑をかけてしまうのは目に見えています。

 アレク様のお仕事の邪魔をして、足枷となってしまっては、私は何のために努力しているのかわかりませんし、彼に相応しくないと彼を狙う方達に婚約者の座から引き摺り降ろされてしまうことは必至でしょう。

 大好きなアレク様…たとえ私達の婚約が政治的な思惑が絡むものだとしても、アレク様をお慕いする気持ちは本物です。もちろん、クリス様とはまた別の種類の感情で…です。


「そのような下らぬ理由で私ではなく此奴を頼ったというのか!?」

「下らぬ…とは口が過ぎる!ほんっとにどうしようもないバカだな。少しは彼女の気持ちを考えろ。…こんなバカに私の大切なグローリアを渡せるか!」

「ふざけるな!私は彼女の婚約者だ!!貴様に何の権限があってそんなことを!!」

「悪いが貴方よりもずっと、彼女との付き合いは長いものでね。」

「グローリア、君にとって此奴はどんな存在なんだ!?」

「そうですわね…私にとって永遠の憧れの存在とでも申しましょうか。今も昔もお慕いしておりますわ。」


 あら、アレク様。なぜそんなに狼狽えていらっしゃるの?…クリス様なぜそんなに楽しそうなのでしょう?その笑顔はまるで悪戯が成功した子どものようですわね。


「私とグローリアはそんなよそよそしい関係じゃないだろう?私達はもっと親密で…この間だって一緒に湯浴みをしたじゃないか?」

「グ…グローリア…私という者が有りながら…この男とそんなことを…」


 あらあら、クリス様ったらアレク様をからかいすぎですわ。もうこの位で辞めて差し上げて下さいな……え?アレク様が気付くまで辞めないのですか?もう困りましたわね。……なるほど、アレク様はいずれ上に立つお方、その様な能力も必要だとお考えなのですね!

 ですが、そんな悠長な事を言っていられるような状況ではなさそうです…。


「私の婚約者に触れるな!」

「アレク様、いけませんー!!」


 思わずはしたなく叫んでしまいました。私の心配をよそに、クリス様は殴りかかろうとしたアレク様をひらりとかわしました。


「まったく…まだ気付かないのですか?気付くまで言うつもりは無かったのですが仕方ありませんね。…この程度の変装が見破れなくてどうするのです?愚かな弟…『愚弟』とは貴方の為に存在する様な言葉ですね。まぁ愚弟といっても『義理の』ですけど。」


 大きな溜息をついて、クリス様がかぶっていた鬘を取ります。その姿を見たアレク様は呆然。

 ニコニコ黒い笑顔で微笑むクリス様に、アレク様は真っ青な顔で玉のような汗を浮かべています。よく見れば、足もガクガク震え出して…そんな姿もキュートで堪りませんね!大好きなアレク様の普段見られない一面を見られて、私は嬉しゅう御座います。


「グローリアは今回の件で、家族とアレク以外の男に恐怖心を抱くようになってしまいました。たとえ護衛でも殿方と四六時中一緒なのは不安でしょうから、私がその役を買って出たのですよ。元女騎士の私にはうってつけでしょう?」

「しっ失礼致いたしました!クリスティーナ義姉様(おねえさま)!!」

「…普段から、バカには私の大切なグローリアを渡せないと言っているでしょう?あえて同じ台詞を多用したのに、私だと気付かないとは…。湯浴みの話だって…貴方も知っている筈ですよ?あの時は思考がダダ漏れで…あんなに羨ましがっていたではありませんか?…はぁ…まったく、アレクの目は節穴ですか?」


 クリス様ことクリスティーナ様は私の母方の従姉です。母方の実家は、武術の才に富んだ家系で、クリスティーナ様も例にもれず大変優秀です。その才能を買われ、結婚直前まで女性騎士として王妃様に仕えていらっしゃいました。

 アレク様のお兄様であるベンジャミン様はクリス様の元上司です。職場恋愛が禁止されている訳ではなかったのですが、2人はずっと関係を隠し通し、やっと半年前にご結婚されました。

 結婚を機にクリス様は退職され、剣を持つ事は辞められたのですが、私の身を守る為、この3ヶ月間殿方のフリをしてずっと私の側にいて下さったのです。もちろんアレク様のお兄様であり、クリス様の旦那様であるベンジャミン様はご存知でしてよ?


「こんなにも判断力が鈍るということは、アレクがグローリアの事を思うが故なのでしょうね。馬鹿なのは困りますが、その愛情深さだけは認めましょう。」

「アレク様…ご心配をおかけいたしました。」

「グローリア…一瞬でも疑ってしまって悪かった…これからは、もっと大切にするよ。義姉様…大変申し訳御座いません…数々の無礼をお許し下さい…。」

「私が許しても、ベンジャミンが許すかしら?…まぁ、十分楽しませてもらったから私を殴ろうとした事はベンジャミンには内緒にしてあげてもよろしくてよ?」



 そんな訳で、なんとか丸く収まりました。アレク様は滝のような汗を流していらっしゃいますけど、きっとセバスのお茶を頂けば心が落ち着く筈ですわ。




 ……あぁ、この状況…思い出しましたわ!先程覚えた既視感の原因はこれに違いありませんね!


 先日クリス様と拝見致しました歌劇のひと幕にソックリだったのです。俗に言う修羅場という状況だと教えていただいたのですが、先程までのあれも修羅場だったのでしょうか。もしそうなら、修羅場とはなかなかオツなものですわ…存分に楽しませて頂き、本当に感謝しております。


 ……え、お父様ですか?

 お父様ならセバスの用意したハーブティーと甘味でまったり寛いでいらっしゃいました。

 ですがその後、アレク様と一緒に例の手紙を見た瞬間…父もアレク様も発狂して大暴れ。

 だからこの2人には知られたくなかったのです…。必要以上の大騒ぎになるのが目に見えていましたからね。


 今頃犯人は、2人の恐ろしい仕打ちを受けている事でしょう…散々苦しめられた犯人とはいえ、気の毒になってしまいますわ。犯人様の無事を、心よりお祈り申し上げます。


グローリアは本当の修羅場を知らない。

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[気になる点] 犯人は、アレクに横恋慕してる女でしょうか。 現王太子殿下はアレクに全幅の信頼を置… …きすぎて親友だと思っていて、その婚約者であるグローリアをも大切に思ってるため、 アレクと、お父…
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