夕日旅立ち
「ユーリ、保存食は買ったわね? アリスさん、水と食料はインベントリに!
エステル、その木箱はこっち! ほらほら急ぎなさい!」
先ほどから元気よく声を張り上げているのはカレンさん。
あの後、治療院へ行って事情を説明した所……。
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「というわけで、お母さん。 まだ退院が決まってないのに悪いんだけどエルフの里に向かいたいんだ。
無理はさせないから、今すぐここを出る準備を……って?」
ボクの言葉を聞くや否や、カレンさんはベッドから乗り出してボクをギュッと抱きしめた。
ちょっと薬草臭い治療院の匂いに混じって、懐かしい匂い。
あの村で、いつもカレンさんに抱きしめられた時にエステルと二人で感じた匂いだ。
「……ユーリ。 貴方の事だから、きっと内心は怯えて傷ついているわね。
いくら大人びたませた子でも、どんなに強くなっても心はまだ弱い子供なんだもの。
でも、背伸びしてそれを見せまいとしてるのも、知ってる」
ドキリとした。
アリスにしか見せていない、ボクの弱い所。
ボクの秘密を知らない人には隠している、本当のボク。
それを知らないカレンさんが、そんなボクの内面に気づいていた。
恥ずかしさや、嬉しさや、安堵感が入り混じってグチャグチャになって……
あ、ダメだ。 視界がぼやける。
「ユーリはまだ子供なのに、こんなにもひどい目に合ってしまったわ。
優しいから人を救おうとしても、報われなかった。
でもね、誰がどんなにユーリを傷つけたとしても、私は絶対にユーリを裏切らない。
エステルも、アリスさんもそうよ。
だから、だから人間を嫌いにならないでね……?」
ボクは耐えきれなくなって、泣きじゃくってしまった。
後で思い出すと恥ずかしくて悶えてしまうだろう。
でも、きっと母親の愛情というものを思い出して、胸の奥はほっこりと温まるのかもしれない。
ひとしきり泣いてボクが落ち着いたところで、カレンさんは手早く荷物を纏め始めた。
「落ち着いた? よし、それじゃさっさと逃げる準備するわよ!
ほら、ユーリはこの荷物を持って! アリスさんは私をおんぶして!
あ、お姫様抱っこでもいいわよ? ほら、さっさとする!」
こちらに来てからなかったくらいに、元気よくカレンさんが指示を出す。
まるで村に居た時のようで、なぜかボクも嬉しくなる。
こうして、カレンさんの指示の元ボクたちの逃避行が始まった。
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「お姉ちゃん、お母さん元気になってよかったね!」
二人で木箱を運びながら、エステルが笑顔を浮かべる。
エステルもカレンさんが元気になった事が嬉しくてしょうがないのだ。
「そうだね。 これからもずっと元気だったら良いね!」
カレンさんが元気になったのは、きっと昔帝国から逃げてきた時の事を思い出しているからだろう。
まだその頃の話は詳しく聞いたことはないけれど、ミランダさんたちと苦労して逃げてあの場所に村を興したと聞いている。
その時も、こうしてミランダさんたちに指示を出しながら脱出を行ったんだろうな。
エステルが両手で抱えている木箱を受け取って、馬車の奥に積んでいく。
急ぎで仕入れた布地や紙などだ。
他にも、鍛冶屋さんに頼み込んで鉄鉱石なども分けて貰って積んでいる。
これらは、これから向かうエルフの里へ納めるものだ。
ボクは必要最小限の荷物で向かおうと思っていたのだけれど、カレンさんの
「お邪魔するのなら、あちらの方が喜ぶような物をお土産にしないとダメでしょう!」
という一言で積み込むことにしたのだ。
サリーナとリタに話を聞いて、アリスとボクで町中を走り回ることになったけれど。
エステルと二人で荷物の積み込みを行っているうちに、カツン、と音がして外から声がかけられた。
「いやぁ、拙者もお二人の笑顔を見れて良かったでござるよ!
やはり幼女の笑顔というものは見ていて心が癒されるでござるな!」
「ローリーさん! うちのエステルに近づかないで!
貴方はそっちで馬に飼葉をやってて下さいな!」
「殺生な! 幼女分が足りてないのでござるよ!」
ローリーさんがカレンさんに叱られている。
全く、あの人は村に居た時と変わらず、懲りないな……
先ほど治療院を出る時に、カレンさんに挨拶するよう言われて病室に顔を出した所、一緒に着いてくると言い出したのだ。
カレンさんは若干嫌そうな顔をしていたものの、エステルが顔見知りの人という事で喜び、なし崩し的に着いてくる事となったのだ。
まぁ、思ったより男気はあるし、あの時の恩もあるし、意外と紳士なので水浴びを覗いてくる点にさえ気をつければ問題ないだろう。
結局、エルフ組も加えて合計7人という大所帯となってしまったが、かなり大き目の馬車を手配していたのが幸いだったと言える。
それに加え、かさばる荷物の大部分をインベントリに格納出来るというのも大きい。
2人が御者台に座るとして、5人程度ならある程度余裕を持って馬車の中で過ごす事が出来そうだ。
そうして準備を進めるうちに空がオレンジに染まった所で、ようやく準備が整った。
時間は夕暮れ、本当ならこんな時間に出発するのは無謀ではあるのだけれど。
そちらに関してはボクとアリスがいるしいざとなればセラサスを持ち出せる事からあまり心配はしていない。
本当は挨拶などしていきたかったけれど、一応は事情聴取を抜け出したという形になるのでギルドに顔を出すのはマズいだろう。
というわけで、このまま町を出ることにした。
「さて、それじゃ出発するよ! 皆、準備はいい?」
思い思いの返事が返り、全員が同意をしたところでアリスが手綱を緩める。
ゆっくりと2頭の馬が歩み始め、初めての様子にエステルとリタが喜んで騒ぎ始める。
「わぁ……リタちゃん! ほら、動いたよ!」
「うぁー! エステル、すごいすごい!」
カレンさんとサリーナは、その二人の様子を微笑ましく見守り。
ローリーさんは……エステルの様子を微笑ましく? 見守り。
ボクは、アリスの隣で夕日でオレンジに染まる町並みを眺めていた。
……この町の事を、この町で出会った人達の事を忘れないように。
「そこの馬車、止まれ!」
町の門に到達した所で、門番の兵士に止められる。
そろそろ日が落ち、夜にさしかかろうとする時間帯である。
これから外に出れば夜になるわけで、そんな時間に外に出ようなどと怪しいに決まっている。
事前に打ち合わせて居た通り、強行突破も見据えて目くらましに使えそうな呪文を用意。
アリスがゆっくりと馬車を停止させる。
しかし、事態は思ったものとは違う方向に進む。
「幼い黒い服を着た少女……貴方がユーリ殿ですね?
ギルドより、ユーリ殿については無条件で通すよう事前の申請が来ております」
「ギルドが? ……そっか、多分カイルさんだね。 今日の件についてせめてもの侘びって所かな?」
「否。 むしろ敵対しないための布石の一つでしょう。
ここで下手を打つと、また悪印象を積み重ねる事になりますので」
「うーん、騎士団と国はともかく、ギルドの皆にはお世話になったという気持ちしかないんだけどなぁ」
頭をポリポリと掻いていると、門番の兵士が懐から何かを取り出した。
「失礼。 ギルドマスターより手紙を預かっております。 お受け取り頂けますか?」
「ありがとうございます。 ……それでは通らせて貰いますね。 お疲れ様です」
「いえ。 旅のご無事を!」
敬礼をする兵士に軽く頭を下げて、馬車は門を通りぬける。
後は、エルフの里のある大森林に向かうのみ。
「アリス、ボク読めないから読んで?」
丁寧に蝋で封をされた手紙をアリスに渡し、代わりに手綱を受け取る。
馬車の操作なんて初めてだけど、これは中々面白いかもしれない……
「……本日の件の侘びと、今後もギルドとしては友好関係を続けたいとの事。
ジェイガン様とは継続して連絡をとり、今回の件の進展については情報を集める事。
今後も何かあればギルドへ連絡をして貰えれば優先的に便宜を図るとの事」
「そっか。 ギルドが味方をしてくれるっていうのは嬉しいね。
とはいえ、そうそう連絡は取れないと思うけど」
「否。 続きがあります。
お土産を用意したので、何かあればそれを用いて連絡をとるように、との事。
大森林への進入許可と併せ、大森林前で引き渡されるようです」
「お土産ねぇ……通信も魔道具か何かかな?
ま、楽しみにしておこうか。 さて、悪いけど少し眠くなっちゃった」
「是。 替わりますので手綱を。 中に入られますか?」
「ううん、このままでいい……肩借りるね?」
アリスの肩にもたれるようにしてくっつくと、目を閉じる。
流石に朝から働きづめで疲れきってしまったのだ。
馬車の揺れとともに、すぐに睡魔がボクを襲い、そして意識は途切れる。
……エルフの里が良い所だと、いいなぁ。




