ある日森の中狼さんに出会った
今、ボクは森の中を歩いている。
まだ夕方までは余裕がありそうなので、なんとか村に辿り着けるよう急いでいる所だ。
こんな状態で夜を迎えるなんて、ゾッとする話である。
そう、ボクは今村に向かっていた。
先ほど諦めかけたその時、遠くに煙のようなものを見つけることが出来た。
ゲームで考えるならば、村の生活レベルでは魔石のようなものは日用品として使えないため、台所ではかまどのようなものを利用しているはずだ。
先ほど見た煙は恐らくそれだろう、と当たりをつけてそちらの方向へ進んでいる。
つまり、実の所村かどうか実際には行ってみないとわからない。
ただ、可能性にかけたということだ。
右手にはそこらで拾った木の棒を持ち、左手にはセラサスから持ち出した医療キットを抱えている。
頼りない護身用の武器と、換金用のアイテムだ。
あとは……モンスターに出会わないよう、祈るのみである。
「思ったより遠い、な……」
セラサスの上から見えた煙だけでは、距離までは測ることができなかった。
ただ、見た感じではそれほど離れてはいないように思えたのだけれど。
しかし、今のボクは幼女なのだ。
ゲームの中では疲れるってこともなかったけれど、これは現実である。
疲れもするし、喉も渇いた。 空腹はさらに酷くなってきている。
恐らく、今のボクは現実世界のボクの歩行速度の半分も出ていればいいところだろう。
正直、途中で誤った方向へ進んでいないかという不安もある。
だけど、立ち止まれば進めなくなりそうなので、とにかく歩みを続けているのが現状だ。
「まぁ、モンスターに出会っていないだけでも幸運と考えよう」
そう、今の所モンスターらしきものと遭遇していない。
出来ればこのまま、出会わないままに村に辿り着けるといいのだけれど……
……などと考えたのがいけなかったのだろうか。
ガサッ
草むらが揺れる音がするとともに、低い唸り声が聞こえてきた。
立った、立った! フラグが立った!
そんな声が脳裏に響く。 内心、かなり動揺しているらしい。
歩みを止め、音のする方向をじっと見つめる。
グルルルル……
草むらの中から、灰色の何かが姿を現す。
赤い目が爛々と輝き、こちらを睨みつけた。
「ワイルドウルフ……」
それは、今のボクと同じくらいの大きさの狼だった。
ワイルドウルフ。
ここがゲームのエタドラの世界観と同等と考えるならば、ワイルドウルフは初心者向けのフィールドに出現する低レベルのモンスターである。
レベルは1~2。 恐らく初心者が最初に狩ることになるモンスターである。
攻撃は噛み付きと突進のみ、初心者でもそれほど苦労なく対応が出来る程度の強さでしかない。
……ゲームであれば。
「そんな易しい相手じゃ……ないよね」
ここはゲームとは違う。
相手の息遣いさえ感じる、リアルなのだ。
既にウルフは戦闘状態に入ったようで、こちらの隙を伺いながら円を描くようにゆっくりと歩を進めている。
ボクは、救急セットを地面において木の棒を構える。
こんなものでも、今はボクの命を預ける唯一無二の相棒なのだ。
と、ウルフの後ろ足の筋肉が張り詰めるのを感じる。 ……来る!
転がるようにして横へ身体を逃がすと、一瞬前までボクが居た空間をウルフが走り抜けていく。
攻撃が不発になったことに気付いたウルフはこちらへ向き直り、また隙を伺い始めた。
(ヤバい、めちゃくちゃコワイ……)
いつもならば、相手が攻撃を始める前に魔法一発で勝負が決まっている所である。
そうでなくても、PTの前衛が受け止めてくれるためこんな風にウルフと一対一で相対することはなかった。
リアルな殺気と、一対一というプレッシャーがこれほどまでに恐怖感を煽るということを初めて知った。
再度ウルフが飛び掛ってくる!
プレッシャーに押されたのか、先ほどよりワンテンポ遅い行動となり、それが先ほどとは異なる結果を生み出してしまった。
「痛っ!」
左上腕部に、赤い線が走る。
すれ違いざまに、ウルフの鋭い爪がボクの身体を掠めたのだ。
ゲームでは感じたことのない痛みがボクの判断をさらに鈍らせる。
マズい兆候だ。
「クソ……反応が鈍い!」
正直な所、攻撃は見えているのだ。
チートな能力のないボクに唯一残されている武器、リアルでも自慢だったその反射神経はウルフの攻撃の予兆すら捕らえている。
ではなぜ避けられないのか……
それは初めて感じる殺気に対しての気後れ、また幼女の身体能力の限界が原因である。
つまり、避けようとしても身体の動きが追いついていないのだ。
こちらが追い詰められているのを感じ取ったのか、ウルフは先ほどまでのように飛び掛ってくるのではなく直接噛み付きを行おうとこちらに近づいてくる!
「マズい……! やらせない!」
痛みを堪えて、近づいてくるウルフの頭目掛けて右手の木の棒を振り下ろす!
振り下ろす勢いと、近づいてくる勢いが合わさって威力を増した棒がウルフの頭部へ吸い込まれていく。
ギャンッ!
流石に痛かったのか、ウルフは一旦接近を止めて態勢を整え始めた。
初めてのクリーンヒット。
だけど、ボクの顔は喜びを浮かべるどころではなく、苦い表情を隠せなかった。
なぜならば、その一撃はボクに残酷な現実を伝えていたからだ。
(あれで倒せないということは……奴を倒すほどの攻撃力がない……)
先ほどの一撃は、反射神経を駆使し相手の勢いを利用したカウンター攻撃だった。
だが、結果としてウルフは痛みは感じたものの目に見えたダメージは受けていないように見える。
つまり……ユーリの攻撃では、ウルフに致命的なダメージを与えられないという事だ。
先ほどの反撃で懲りたのか、ウルフは唸り声で威嚇しながらも不用意にこちらへ近づいてこなくなった。
だがそれは、こちらを見逃すのではなく致命の一撃を与えるため、隙を狙っているだけのことである。
左腕から感じる痛みと緊張がもたらす疲労。
ボクがその隙を見せてしまうまで、それほどの猶予は存在しないだろう。
(こうなったら……)
完全に動けなくなる前に、ボクは最後の勝負をかけることにした。
相手の動きは見えている。 攻撃を当てることも出来ている。
ならば、ダメージの通る場所に攻撃を当てれば良い。
狙うはただ一点。 どんな生き物も鍛えられない場所……奴の目だ。
もう少しこの身体の反応が良ければ、動いているウルフの目でも狙えたかもしれない。
でも、今のこの身体ではそれは無理だ。
だから……奴の動きを止める。
ボクは左腕を犠牲にする覚悟を決めた。
相手が左腕に食いついた瞬間。 そこを狙うしかない。
ウルフの動きが止まった。 重心を前に倒し、今にも飛び掛ろうかという態勢をとる。
「……来い!」
ボクが叫ぶと同時に、奴が飛び掛る!
前に出した左腕を目掛けて、大きく開いたウルフの口が向かってくるのが見える。
そして……
「……え?」
襲い来る傷みに耐えようとしたその瞬間、目の前からウルフの姿が消えた。
と、左手の方角から、ドサッという何かが倒れる音が聞こえた。
釣られてその方角を向いたボクは……一本の矢に貫かれ、痙攣をしているウルフの姿を目にする。
「大丈夫!?」
右手の方から、慌てたような女性の声が聞こえる。
そちらに顔を向けると、弓を構えた女性がこちらを心配げに見つめていた。
再度左手を向くと、生命の火が尽き痙攣の止まったウルフが静かに横たわっている。
それを見てボクは……
「たす、かったぁ……」
意識しないようにしていた疲労が全身を襲い、急速に意識を閉ざしていった。
慌ててこちらへ駆け寄る、女性の足音を聞きながら。