眠りし君へ
……いつまで寝ているんだよ。
真っ白な病室のベッドに横たわる幼なじみの少女。
彼女は数日前に赤信号で飛び出した男の子を助けてトラックにひかれた。奇跡的に外傷はなかった。その事故を見かけた人達の証言には男の子を助けに飛び出す前に「これで異世界転生、悪役令嬢でもヒロインでもどっちでもいける」と危ない事を叫んでいたらしい。言いたくはないが彼女は妄想壁だった。
それでも、幼なじみと言う良くある間柄で例にも漏れず、俺は彼女に恋をしていた。変なところも可愛いと思っていたわけだ。
「……とりあえず、帰るか。さっさと目を覚まさないとお前の大好きな乙女ゲームの続編が発売になるぞ」
目を覚まさない彼女の髪を撫でてから、病室を出て帰路を歩く。彼女が事故に遭った横断歩道に差し掛かった時、携帯電話の着信が鳴る。
携帯電話を取り出してディスプレイへと視線を移す。
……知らない番号だ。間違い電話か?
ディスプレイに表示された電話番号には心当たりは無い。間違い電話ではないかと思い、出るのをためらっていると電話が1度切れるがすぐに同じ電話番号で着信がある。
「……もしもし」
「聞いてよ。やっぱり、王道の幼なじみルート? それともここは冒険していきなり逆ハールートを狙うべき? どっちだと思う?」
「……人違いだな」
警戒をしながらも電話に出てみると知らない声の女の子の声だけれど、良く知った話し方でわけのわからない……いや、彼女が乙女ゲームにはまってから何度も聞いた言葉が耳に響く。
その言葉に悪い冗談だと思い、電話を切ってみるのだけどすぐに同じ電話番号で着信がある。
「何で切るの?」
「……おい。流石に趣味が悪い嫌がらせだな」
「嫌がらせ? 誰かに嫌がらせをされるような事をしたの? まったく、口が悪くていつも不機嫌そうな表情をしているから」
「悪かったな」
あまりに悪趣味ないたずらに怒りが隠せないのだが、電話の相手の彼女はさも古くから俺を知っているような口調で話をする。
その口調のせいか、いつもの調子で答えてしまう。
「それでさ。相談なんだけど」
「……いや、相談されても困るんだよ。お前、誰だよ?」
「何言っているの? あ、そうか、そうだよね。私は乙女ゲームのヒロインに転生したんだからわからないよね」
電話先の彼女は俺の返事に気分を害する事無く、自分勝手に話を続けようとするのだ。数日前から無くなってしまった幼なじみ相手に行われていた会話に返事をしてしまいそうになるが、俺の幼なじみは病院で眠ったままなのだ。
電話先の相手はそれをわかってこんな性質の悪い冗談を仕掛けてきている。冗談だとしても笑って許せるものではない。
怒鳴らり散らしたい気持ちを抑えて電話先の相手に名前を聞くのだけど相手先の彼女はどうやら頭がいかれているらしい。
「……仮に転生していたらなんで、俺の電話をかけられるんだよ?」
「そう言えば、そうだね。不思議だね。たぶん、世界観は現代日本だから、なんか、ご都合主義的な何かでつながったんだよ。きっと、お助けキャラ的な立ち位置なんだよ」
仮にあいつが好きだったどこぞの乙女ゲームだ、異世界に転生だと言うのが奇跡的に起きたとしよう。それなら、あいつは異世界にいるのだ。
この世界の俺に電話などかけてこられるわけがない。正論をぶつけてみるのだけれどもぶつけられた相手は特に気にした様子はない。
その様子に脱力してしまうのだけれども、彼女は俺が相談に乗ってくれると信じているらしい。どう反応して良いかわからない。彼女の声にはまったく聞き覚えはないが会話の内容は俺が良く知っている彼女の物だ。
「ねえ、聞いている?」
「……なあ、本当に転生したとか言っているのか?」
「信じてないの? それなら、私が知っているあんたの面白エピソードを感動スペクタル長編で伝えようか?」
「いや、遠慮する」
どう対処して良いかわからずに質問をしてしまう。彼女はため息を吐いた後に俺を挑発するように言う。
その言葉になぜか背中に冷たい物が走った。直感的に彼女は本当に俺の恥ずかしい過去を知っている。そう確信めいた物があった。
「……言って置くぞ。お前、死んでないからな。転生だとかわけのわからない事を言っていないで戻って来いよ」
「死んでないの? それなら、私の身体は?」
「病院」
「病院か? エッチな事とかしてない?」
「するか!!」
認めたくはないのだけど、電話先の彼女は俺の良く知っている幼なじみなのだ。この電話がどのような現象で繋がっているかはわからない。
とりあえずは死んではない事を伝えてみると自分の身体の事は心配のようである……心配しているのだと思いたい。
「してないの? 抵抗できないからいろいろな事をし放題だよ」
「……お前、自分の身体を何だと思っているんだよ?」
「だって、私、転生中だし、どうしようもできないし。何より、私は今のこっちの世界を楽しみたい。周りはイケメンの素敵ボイス、これだけでごはん3杯はいける。それにイケメン同士の絡み合い。鼻血の出し過ぎで出血多量になりそうよ」
……自分の身体の事より、どうやら、転生先を楽しみまくっているようだ。
こんな幼なじみに惚れていると言う事実に頭が痛くなってくるのだけれど、そこは惚れた弱みと言う物なのだろうか特に責めるような言葉は出てこない。
熱くなっている幼なじみの様子にどう対応して良いかわからないのだけど、彼女がこっちに戻ってくる気にならない間はどうやらこっちの世界には戻ってこられないような気がする。
少しでも戻って来たいと言う気持ちにしないといけないのではないか? 実際、今は入院しているわけだが意識を取り戻さないのだ。脳死だとか問題はあるのではないだろうか?
「……なあ、こっちの世界のお前の身体が死んだら、そっちのお前はどうなるんだ?」
「へ?」
「身体は生きているんだ。意識が飛んでいるって考えれば、肉体が死んだなら今のお前は死んだりしないのか?」
「それは考えていなかった……」
仮に意識が飛んでいると仮定した時に彼女はどうなるのだろうか? その疑問を投げかけてみるとどうやら彼女も考えていなかったようでため息が漏れる。
「死にたいのか?」
「別に死にたくはないけど、だからと言って私に何かできる事ってある?」
「戻りたいって祈ってみるとか? 奇跡が起こるかも知れないぞ」
「わかってないね。奇跡は起きないから奇跡なんだよ」
「……転生だとかわけのわからない事を言っていた人間の言葉とは思えないぞ」
正直、彼女に起きている事に対して、俺も彼女も状況が理解できていないのだ。
彼女をこちらの世界に戻す方法などわかるわけがない。2人で頭を抱えてみるのだけど良い考えなど出てくるわけがない。
「……とりあえず、全ルート攻略してみるか?」
「全ルート攻略か……そんなに時間的な猶予ってあるのかな? 転生先、ルート攻略まで3年かかるんだけど、攻略対象5人に逆ハールート入れて18年だけど、攻略後にループするかもわからないし」
「無理だな」
ゲームの世界に転生したのであればゲームを攻略すれば何かあるかも知れない。ただ、どうやら、彼女が転生した世界は高校3年間で攻略キャラに想いを伝えるようだ。
こちらの世界と時間が同様に流れるかはわからないが最低でも3年、おじさんとおばさんが彼女が目を覚ます事を諦めるには充分な時間だろう。
正直、普通の家庭なのだから金銭的にもかなりの問題なのだ。
「……眠った女の子を起こす方法? そうなると王子様のキス的な何か? 真実の愛的な?」
「相手を見つけてから言え」
「相手はあんた」
2人で頭を悩ませていると彼女は考えた末に飛んでもない事を言い始める。
その言葉に一瞬、心臓が跳ね上がるような感覚に陥るのだけどなんとか平静を努めてため息を吐いた。
心臓が若干、高鳴っているわけだけど彼女は俺の気持ちなど気にする事無く、俺を指定するのだ。
「俺で良いのかよ?」
「他にいる? こんな事を話しして他の人が信じると思う?」
「思わないだろうな。正直、俺だって信じるのに抵抗がある」
男として見られていないような気がしかしない。ただ、彼女はすでに割り切っているようで冷静にこの状況を考え始めたようだ。
正直、俺だって信じるのに抵抗があるのだ。こんな事を友人に話しても信じて貰えるわけがない。
「とりあえず、覚悟を決めなさい。私が良いと言っているんだから、目を覚まさなくてもキスで興奮したらいろいろして良いから、その代り、ムービーで最初から最後まで録画して添付してね」
「するか!? と言うか、見たいのか? そんな物!?」
「しないの? それはそれで不満」
自分の身体の事を何とも思っていない幼なじみの態度に声を上げてしまう。
その声に電話先からはすねたような声が聞こえるのだ。
許可が出たと捉えて良いのか? ……いや、ダメだろう。病院で意識のない幼なじみに何かしているなんて、バレたらいろいろ終わる。
「とりあえず、早く、病室に戻る。キスもムービーだからね」
「……どうして、そんな物を録画したがるんだよ?」
「決まっているでしょ。あんたとの記念なんだから全部、収めるわ。感動スペクタル長編で伝えて行かないといけないでしょ。ずっとそばでね」
電話先の彼女は病院に戻るように急かす。
なぜ、彼女が俺の恥を記録したいかはわからないけど、とりあえず、弱みを握られる事は確かな気がする。
「……とりあえず、面会時間はまだ大丈夫か?」
「月明かりの差し込む薄暗い病室の方が萌える? そうなると夜に病室に忍び込む?」
「……なんで、そんなにテンションが高いんだよ?」
キスをしないといけない状況になっているのだけど、まだ心の整理は付いていなかったりする。
そのため、時間を確認するのだけど面会時間が終わるにはまだ時間がある。決心がつかないのだけど電話からは茶化すような声が聞こえる。
彼女の声にため息が漏れるわけだけどどこかでずっと想っていた幼なじみとのファーストキスに高鳴っている。ただ、それを口に出す事はできない。
「何で? 決まっているでしょ。ずっと好きだったあんたとのキスなんだから」
「え? おい。どういう事だ?」
「……」
そんな俺に向かって彼女は嬉しそうにつぶやいた。
その声に驚きの声を上げてしまうのだけど返事はない。慌てて携帯電話を確認するのだけど電話には先ほどまで映っていた知らない電話番号は表示されていない。
慌てて着信履歴を確認するのだけど電話番号はどこにもない。
携帯電話をポケットに戻し、あいつがいる病院に向かって駆け出す。心臓がばくばくするがそんな物にかまっているヒマなんてない。
彼女が目を覚ましている可能性、ただ、同時に彼女が二度と目を覚まさない可能性が頭の中でぐるぐると回る。
病院に到着すると一直線に彼女の病室のドアを開ける。彼女は先ほどと同様にベッドに眠っており、一先ず、安心して胸をなで下ろした。
「……しないといけないのか?」
彼女の顔を覗き込む。見なれた彼女の顔に心臓が大きく脈打つ。
眠ったままの彼女にキスをして良い物かと悩む。覚悟が決まらない。彼女の顔を眺めてどれだけの時間が流れただろう?
それは数秒の気もするし、永遠のようにも覚えた。
……覚悟を決めろ。
もしかしたら、本当に目を覚ますかも知れない。このまま、眠っていて欲しくない。
少しでも可能性があるのならと自分に都合よく言い聞かせて彼女との距離を縮めて唇を重ねた。
「ねえ。ムービーは?」
「……目覚めて最初の言葉がそれか?」
「それなら、もう1回して欲しいかな?」
目覚めの一言に大きく肩をとしてしまうのだけど彼女はイタズラな笑みを浮かべて笑った。