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次の日の月曜日からは、またいつもの朝が始まった。
莉子と勇蔵は早朝に家をでていた。路旗と琥珀は五十嵐夫人と朝食を摂った後、祠のある杜に向かう。
いつになく朝露を纏った枯れ草の湿気が、冷気を地表近くに漂わせていた。天気予報は快晴を示していたが、そのぶん朝は靄が一段と濃かった。
路旗達が祠に着いた時間帯でさえ、杜の木立が水墨画のような世界に導いている。濃淡の木々が今居る世界を別の世界へ繋げる役目を担っているような錯覚さえするのだ。
この日ばかりは、琥珀も深く帽子を被ってダウンのジャケットにマフラーを巻いた。
目を閉じると、そこにあった水の匂いがたゆとうように琥珀の意識に色を染めた。路旗はその後ろで、両方のポケットに入れたカイロを揺すっている。
「さすがに今日は寒いですね」
琥珀はチラリと寒がりの路旗に目をやる。案の定、寒さを全身で訴えている風貌だ。
「一向に雪が降ってしまえば、それはそれで納得してしまえるんだけどね、おかしなものだ」
いつになく早口で路旗が応える。
「出直してもう少し暖かくなってからにしますか?」
「いいや、朝のうちが一番記憶を感じやすいだろう。気を遣ってくれてありがとう」
どういたしましてと、琥珀は歩みを進めた。
何度か足を踏み入れているので、薮はとうに道ができている。少しばかりの靄があっても距離が然程ない祠までは安易にたどり着けた。この靄の中でさえ、今となってははっきり判る。
蒼い紺青の色を秘めた祠の気は、確かにそこに存在していた。それなのに、波間がざわめく水の中から物を見るような定まらない感覚が琥珀の意識に応えていた。
一度閉じた目を開き、琥珀はゆっくりとその祠に触れてみた。
秋の冷気をそのまま凝縮して石に宿したかのような冷たさだった。
ただ、一昨日とは違う感触がある。莉子のストラップが触れた右の掌が微かな痺れを伴う。
(やっぱり)
莉子のストラップから受けた衝撃が、琥珀の中で呼び水のように祠の記憶を誘おうとしている。
あれほど薄かった祠の持つ気が、どんどん濃くなって琥珀の右手に集まってくる。淡く青白い光さえ幻影となって見える気がする程、強く確かな力だった。
ぐっと押されるような空気の圧迫感を、右手は感じている。
「いきますよ、路旗さん」
「うん、頼んだよ」
ゆったりとした路旗の返事を耳に、琥珀は静かに息を吸い込んだ。