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琥珀_石祠編_  作者: 蔦川 岬
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秋風の祠2

  2

 

 夕方の三時少し前に五十嵐いがらし家に着いた二人は、本宅で淹れたての紅茶の湯気を眺めていた。

「お仕事の具合がよかったら三時には戻ってらして。明日の町内会の集まりに持って行くお菓子を焼くの。よかったら焼き立てを食べて貰いたいわ」という今朝の夫人の申し出もあって、琥珀こはく路旗みちはたは並んで椅子に腰を下ろし、湯気を上げるティカップを上から眺めていた。

「わざわざ時間を調整させてしまったのなら、謝らなくちゃ」

 奥のキッチンからトレイを手に、夫人が朗らかに笑って出て来た。

「とんでもない。お話を伺ってから楽しみで無意識に調整していたのかもしれませんけども」

「まぁお上手ね」

 即座に路旗が応えると、夫人は尚の事うれしそうに二人の前に腰を下ろした。

 焼きたてのビスケットが綺麗に色別に整列している。その下には華やかな色合いのペーパータオルが敷かれていた。小物ひとつにとっても細やかな配慮を思わせる。おそらくは趣味なのだろうか性格なのだろうか、そういう細やかさが夫人の生き甲斐のように見えた。

(まさに良妻賢母)

 琥珀はおもむろに路旗が昨夜に見せた〔でまかせフェイスブック〕を思い出した。

 かの少女がそこに書いた将来の夢は、良妻賢母。まさしく自分の母親の姿をそのまま憧れとして捉えているような。

(あれはでまかせでもなく偶然的に、本当にあの子のページだったのか)

 路旗のからかいに偶然が便乗しているだけかもしれない。否定的な感情の方が優先的な自分の気持ちに曖昧さを感じながら、琥珀はゆっくり紅茶を啜った。苦みの利いた紅茶に、思わず手が砂糖に伸びた。すかさず気を利かせて取ってくれたのは夫人だった。この細やかな配慮が琥珀の心をくすぐったい気持ちにさせた。

「あらもうこんな時間」

 時刻は四時を回っていた。空が曇って来たのだろうか、鈍色の空が窓の外に淡々と広がっていた。落葉をあと僅かに残した庭木の枝が、風に虚しく靡いている。

「思いの外お時間をとらせました。とても美味しかったです」

 丁寧なしぐさで路旗がお礼を述べて、夕食作りに取りかかろうとする夫人を気遣う素振りをした。

「あの、路旗さん」

 思い出したように夫人が立ち上がった路旗を呼び止めた。

「大変申し訳ないのですが、男手を貸していただけます?」

「男手ですか?」

 両の手を少し掲げて路旗は笑顔で聞き返した。

「ええ、奥の部屋に漬け物があるんですが、パパに頼んでいたのにパパったらいつも忙しくて」

「漬け物石ですね」

 それを退けさせるくらいなら朝飯前だと言わんばかりに、路旗は夫人の後ろに続いて部屋を出て行った。

「俺はいいんですか?」

 テーブルについたままの姿勢で、琥珀は路旗の背中に問いかける。心配するなとばかりに肩越しで手を振って彼は廊下を歩いて行った。

 おそらくは漬物石を退かしているだろう音や、パタパタとボウルを手に小走りする夫人の足音を聞きながら、琥珀はおもむろに廊下を見た。昨日の情景がありありと思い浮かぶ。

 ここからは死角になるのだが、廊下の向こうの庭に確かに少女はいたのだった。

 ただじっと自分を見つめる目がそこにあった。

 ゆっくりと席を立つと、琥珀は静かに廊下に歩み出た。

 手入れのよく届いた庭がある。訊けば勇蔵ゆうぞうは庭いじりが趣味らしい。多忙極める生活をしているのだろうが、愛妻の漬け物の頼みは忘れるくせに、庭木には胴吹き一本たりとも生やさせまいとする姿勢が感じられた。

 ふと、見えた物体に琥珀は目を丸くした。黒髪の少女が琥珀の視野に止まったからだ。今度はハッキリとその姿を捉えた。

 秋の残光に一際その白い肌が浮き立って見える。

 目を丸くしたのは琥珀だけはなかった。学校帰りで家に着いた彼女もまた、琥珀が廊下からこちらを見ている事が心外だったのだろう。自転車からバックを取り出したままの格好で固まった。しかし固まったのは一瞬で、あっという間に琥珀のいる窓辺に歩み寄ってここを開けろと仕草する。その行動の速さは目を見張るものがあった。初めて逢った日に、残像を残す程の俊敏さがあったのは今ので納得させられたのだ。

 半ば少女の勢いに押される形で、琥珀はしぶしぶサッシを開けた。

 よく見れば、〔黒髪の少女〕から連想した清楚なイメージとは遠くも、よく夫人に似た顔立ちで目の大きな少女だ。少し強気な眉の辺りは父親譲りなのだろう。雰囲気はどことなく勇蔵寄りだった。

 身の丈もある程の大きなサッシを開けると、廊下は縁側になる。そこに座るよう手を伸べられて琥珀は無言で腰を下ろした。

「あの、ひとつ聞いていい?」

 突然のため口にあっけにとられている間に、莉子りこが琥珀の横に滑り込んだ。お互いの距離はあるものの、肩を並べる形で並んで腰を下ろす。

 読めない空気が漂った。聞きたい事があると言っておきながら、莉子は話の続きをしてこない。ただ制服から出た足をフラフラと揺らしたかと思えば、きゅっと引き締めたり、少し気張ったような雰囲気を感じさせたりと、隣に座っている琥珀も気が気でなくなった。

 痺れをきらした琥珀が堪らず眉を寄せて先手を打った。

「聞きたい事ってなにかな」

「え?」

「さっきそう言ったよね」

「あ、うん、そう、なんだけど」

 強気な声音で聞いてきたさっきの威勢はどこに行ったのだろうというくらい、か細い繊細な声を上げて莉子は背を丸めた。

「あの、聞いていい?」

「うん、だから聞きたい事ってなに」

 莉子の顔を横目で見ると、長い髪が被って琥珀側からは表情がよく見えなかった。

(あんな髪、邪魔くさそうだな)などと余計な事を考える暇は琥珀に随分与えられた。

「路旗、さんだっけか? どうして琥珀さんの事、路旗さんは〔琥珀くん〕って呼ぶの?」

「え?」

 またも突飛な質問に、琥珀が困惑を隠しきれない表情で少女を見やる。

「二人は家族じゃないんだよね。パパから聞いたけど、琥珀さんの名字は路旗さんとは違うし」

 堰を切ったように莉子は次から次と琥珀に質問を浴びせた。

「琥珀さんは路旗さんを下の名前で呼ばないでしょう、琥珀さんはどうして路旗さんの名前じゃなく名字で呼ぶの」

「それは、気がついたらそう呼んでいたんだけども」

 しぶしぶと琥珀は答えた。言われてみれば、出逢った頃から路旗の事を琥珀は「路旗さん」と呼んでいた。それは数年経っても変わらない。同じく路旗の方も、出逢った頃から琥珀を「くん」付けで呼んでいたのだ。

「ちょっと遠い親戚というか、なんと言うか。路旗さんは叔父クラスというより兄クラスという感じで、俺的には上司というか先輩というか、師匠? うーんどうなんだ」

 説明しながらも琥珀自身わからなくなっていた。路旗との関係をこうやって改めて考えた事など今迄なかったような気がする。こめかみを押さえながら琥珀は深く考え込んだ。

「そっかぁ、よくわかんないけど、そうなんだね」

 莉子のため息まじりの返事がした。納得がいくような答えを返した覚えのない琥珀は、ただ莉子の言葉を聞くだけに留まってしまう。

 莉子は何度も呪文の様に「そっか、そうなんだ」を繰り返し、そして最後に「私には兄弟がいないし、親戚も歳が近い子いないし。学校ではみんな私を名字で呼ぶの」と語尾を寂々したまま黙り込んだ。

(そんな普通の事をいったい何故、どうしてそれを今、ここで訊いてくる来るんだ、この人は)

 莉子の質問の意図が分からず、琥珀は驚いた目を見開いたままその横顔を眺め続けた。相変わらず横髪が顔を覆って、琥珀からは表情が読み取れない。僅かな秋風に揺らぐ絹のような髪から見え隠れする耳は、僅かに紅潮していたのも琥珀は気がつかない。

「琥珀くんとは、遠い遠い遠ーい親戚関係かな」

 突然後ろから聞き慣れた声がして、振り返った二人にしれっと応えたのは路旗だった。夫人の漬け物石の件は終ったようで、気がつけばキッチンから程よい調理の香りが漂って来ている。

「家系図を部屋いっぱいに並べて、ようやく隅から隅くらいの遠い血縁だよ」

 突然の言葉に面喰った顔で莉子は路旗を見上げていたが、我に返ったように顔を赤らめて、次の瞬間には即座に後ずさった。

「ついでに上司でも先輩でも師匠でもない、琥珀くんとは相棒だよ」

 路旗が口の端をあげて愛想笑いする。

「挨拶が遅れたね。詳細はお父様から聞いているかな?」

 言い終るや否や、莉子は返事もせずに背を向けて全速力で走って行った。ドタバタと玄関から廊下を駆け上がる音がする。

 どこかの部屋の扉が勢いよく閉じられた音がして、しんと家の中が静まり返った頃、突然の事に路旗は肩を竦めて目の前の琥珀に目線を落とした。

「琥珀くん、今時の十代女子はオッサンにはあんなに拒絶反応するのかい」

「さぁ、俺は女子じゃないのでわからないです」

 そうでなくてもわからない事だらけの上に、女子などという生物は琥珀には全く理解し得ない存在だった。

 女子という生物の謎解きよりも、琥珀には今やらねばならない謎解きの方が優先である。


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