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琥珀_石祠編_  作者: 蔦川 岬
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−4


 翌日から琥珀こはく達は、五十嵐夫人と朝食を取ってから、祠のある杜に向かった。

 五十嵐勇蔵いがらしゆうぞうと娘の莉子りこはそれぞれ朝が早いので、先に朝食を取って出かけてしまう。支度に追われる夫人は二人を送り出した後からゆっくり朝食を食べるのだそうだが、この日から朝ご飯を共に出来る相手が出来て嬉しそうにしていた。

 早速、朝食を摂りながら夫人は、その色白な顔を少しばかり紅潮させながら話始めた。

「莉子はパパが五十路に出来た子供だったから、とりわけ溺愛しているんですよ」

 パパという呼び名がこれほどまで違和感のある人物もそうそういないだろう。

 一瞬誰を示す言葉なのか二人は考えを巡らせたのだが、莉子の父親他ならぬ勇蔵の事だ。

 五十嵐夫妻は十三歳の歳の差のある夫婦だという。確かに夫人は六十代には見えず、それでもこざっぱりとした貫禄が良妻賢母の安定した雰囲気を際立たせていた。

 昨日の会合のときはたまに座敷に顔を出す程度で、片付けやら何やらを隈無くこなしていた女性が目の前の夫人であったのを思い出す。

「あの通り年頃だから色々と気恥ずかしいらしくて、挨拶もしていなくてごめんなさいね」

「いいえいいえ、お気になさらず」

 路旗がさわやかな笑みで対応した。

 ご飯のおかわりはいかがと、手を差し伸べられて琥珀は会釈で応えた。炊きたての白米が湯気を立ててまた琥珀の手元に置かれると、普段は朝食を取る習慣のない身体が飯をくれと欲求しているのだ。

「琥珀さんは、まだお若そうね」

 たくあんを啄みながら夫人は少し目を細めた。

「十八になります」

「あら、莉子とみっつしか違わないのね」

 どこか嬉しそうな目つきで夫人は言った。

「兄弟が出来たみたいでいいわ、ほんとにいいわ」

 その言葉が異様に琥珀の胸につっかっていた。


 祠に向かう車中、どこか腑に落ちない気持ちに苛まれていた琥珀に気がついたのか、コイン精米ボックスの横に並ぶ自動販売機に路旗は車を寄せた。そのまま車を降りて自販機の前に立つ。そして少し屈んで車内の琥珀に笑みを送った。

「コーヒーでいいです」

 後部座席からずんぐりむっくりに応えると、やがて二回ほど自動販売機が作動した音が聞こえた。

「ミルクたっぷり砂糖少しの珈琲どうぞ」

 運転席から渡された缶コーヒーを受け取って琥珀は黙った。それに関しても路旗は何を聞くわけでもなく、そのまま車を走らせながら缶コーヒーを啜るだけで、静かな沈黙を守っていた。

「ねぇ路旗さん」

 琥珀がようやく低い声で囁いたのは、祠のある杜の入り口に着いたときだった。缶コーヒーの最後の一口を飲み干そうと顔を上げた路旗とバックミラー越しに目が合う。

「俺は一人っ子の方がいいと思うんですけど、兄弟なんか居るだけ難儀だと思うんです」

 バックミラーから目を背けて、琥珀は消え入るような声で呟いた。

「それは君の意見だろう」

 飲み干した缶をギアシフトに吊るしたナイロン袋に入れながら、路旗はただ静かに応えた。

「五十嵐夫人は自分の子供に兄弟がいればいいと思っているのだし、差詰め莉子ちゃんは兄弟が欲しいと思っているかどうかはわからないけどね」

 莉子の話になって、琥珀は六つ歳の離れた妹を思い出した。もう七年ほど逢っていない血の繋がった妹だが、二人の仲はお世辞でも善くなかった。避けてきていたのは琥珀の方だ。

「君はどう思う? 莉子ちゃんは兄弟が欲しいと思っていると思うかい」

「どうして俺に聞くんですか」

「琥珀くんが先に投げかけてきた話だろう」

 面白おかしそうに路旗は車のエンジンを切って、鍵を下げた左手の腕を後部座席にひらつかせた。

「まぁ、兄弟がいないと遺産相続で揉める事はなさそうな分、よしとして。さぁ、お仕事しようか相棒」

 路旗に続いて車を降りた琥珀は目を細めた。昨日来たときと変わりない風が吹いていた。稲の匂いの中に微かな氷の気配を感じ、気温だけはうんと下がった事を悟る。

 僅かだが吐く息も白さを帯びていた。

 朝露で湿った薮を歩く事数分。朝の光を浴びた祠は不思議な事に、より一層の静寂を纏っていた。

 琥珀は祠の前に立ち、静かに目を閉じた。その後ろで路旗がメモ帳を待機している気配がする。

 町道を走る車の往来の音と、どこか遠くの電車の音。鳥のさえずりが鐘の音のように琥珀の脳裏に吸い込まれていった。

 ここまでの感覚はいつも通りだ。このまま文字なり風景の断片なりが見えてくるはずなのだが、その気配は一向にない。ゆらりゆらりとした波間のような穏やかな波長が、形になっては溶けて消えいく様が琥珀の読み取った気だった。

「おかしい」

 小さく呟く。その言葉に路旗が反応した気配はなかった。

「見えない……けど、絶対ある」

 たなびく波の狭間に、見え隠れする何かがあるのは確かだった。普段ならここで何かが見えるはずなのに、それが不可解にも見えないのだ。

 そこに何かがあるのにそれが何かわからない。

 喉の袂が窮屈になって、胸の奥が搾られるような不快感だった。

「少し休もう」

 幾許とそうしていたのだろう。額に汗を噴き出していた琥珀に路旗が声をかけた。

 現実に還ると、祠の持つ波立つ気とは打って変わった朝の風景が広がっていた。大きく息をついて琥珀は頭上を見やった。青空に冬を待つ木々の枝がゆっくりと揺れていた。

「路旗さん、俺今回ギブアップかも」

 少しだけ弱音とやらを呟きたくなるような心境だった。見えるようで見えないのは琥珀自身の修行や能力とかやらが足りないせいかもしれなかったが、この例えようのない不快感にどう対応していいのか酷く迷ったのだ。それだけ経験した事のない胸のつっかかりだった。

「琥珀くん、ネバーギブアップ」

 その声に振り向くと、路旗が涼しい顔で親指を立てていた。

「路旗さん、俺……」

「焦らない焦らない、ゆっくりゆっくり」

 どこかまったりするフレーズと、朝日を纏った路旗の姿は、まさに後光が射して見えるようだった。というのは、琥珀の後日談である。

 

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