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琥珀_石祠編_  作者: 蔦川 岬
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 六十代半ばの男は部落の会長で、五十嵐いがらし 勇蔵ゆうぞうと名乗った。その五十嵐宅は広い屋敷を丹念に手入れされたムクゲの生け垣で囲まれていた。銅板屋根の豪勢な屋敷の横に、本宅とも劣らない大きな車庫がある。そこに乱暴に停まった軽トラックから五十嵐が降りるのを見届けて、それから路旗は垣根に沿って静かに車を停めた。

 本宅の品の良さを引立たせている日本庭園が、どこか寂しげに秋の空に滲んで見えたのは、庭に植えられている樹木が広葉樹が大半を占めているためだろう。今朝にでも所々に集められた枯れ葉と、これから訪れる冬に備えて冬囲いをしている最中と思われる道具が見えた。路旗と琥珀は今一度顔を合わせて車を降りた。

 他にも車が数台、それとカブと自転車が自由奔放に集合している。その数だけでざっと七台。どうやら区長たちはもう既に席についている気配だった。

「皆さんお集りで、遅くなりましたな。さあさあお二人もどうぞどうぞ」

 朗らかに五十嵐は大声を立てて琥珀達を座敷に導いた。板間の廊下には既にビール瓶のケースが数箱並べられている。少し向こうの方から女達の声が聞こえ、年配の女性が漬け物を持ってやってきた。

「ちょうどよかったわ、皆さん集まったところだよ」

 座敷の襖を開けると同時にざわめきが一層大きく聞こえた。こういう場を苦手にしている琥珀は顔に沈みの色を乗せる。酒も飲めない未成年の琥珀にしてみれば、酒の席ほど気持ちが乗らないものはないのだ。

 一方、路旗の方は満面に笑みを乗せて五十嵐の後ろから座敷に滑り込んだ。

「いやぁ、賑やかでいいですね」

 テーブルが此の字に並べられ、所狭しと雑煮やら折衷やらが置かれている。僅かな隙間に漬け物を置きながら年配の女性は琥珀達に空いている席を促した。

「おにいちゃんはジュースがいいか? 炭酸とかの方がいいかいな」

 席に着くや否や差し出された炭酸飲料をコップに受け取って琥珀は苦笑いした。

「この方々が例の祠を調べてくださる事になったので、皆さんも何かと協力してやってください」

 会長の言葉に、路旗と琥珀は頭を丁寧に下げた。

 続いて区長長の乾杯の挨拶で、会議なのか飲み会なのかわからないくらいの賑やかな会合が始まった。

 四十代から五十代位の区長達の会合に、路旗はビール瓶を持って見事に溶け込んでいる。その様子を横目に、琥珀はというと、台所の仕事が空けてきた女性陣に食べ物を勧められて、思った以上に退屈してはいなかった。

 小腹が空いていたということもあるのだが、ここで出された料理はどれも美味しくて素直に「美味しい」と口にするだけで会話が盛り上がったのだ。

「あそこに祠があるなんて、全く、全然知らなかったよ」

 一番若そうな区長に酌をしながら、路旗は相手の会話に相づちを打っていた。

「ただの岩くれじゃ問題はなさそうなんだけど、ほら、ここの区長たちを見れば判ると思うけど、年齢層がこんだけ高齢化だろう? やっぱりね、色々迷信とか祟りとかそういうのに結構敏感なんだよね」

 酒には弱いのだろうか、すでに鼻の先を赤くして若い区長は口から流れるままに言葉を継ぐ。

「そもそも迷信やら伝説やらがあるんなら、逆手に取って観光地とかにしてしまえばいいんだよな、巷じゃ流行っているんだろう、そういうツアーとか。頭悪いな観光課も」

「アンタ方さんたちは、なんだ? 霊感があるとかいうやつかい」

 区長の一人である老人が話に紛れ込んで路旗を見やった。

「霊感とは少し類が違いますねぇ」

 柔らかい口調で路旗は応える。

「琥珀くんの能力は霊感のソレとは違っていまして、現に彼には幽霊などいうものは見えません」

 琥珀の口から幽霊を見たという話は一度も聞いた事がなかった。

「幽霊が見えない霊能力者ってかい!」

 大声で笑った老人の肩を手の甲で数回叩いて若い男が笑った。

「じいさん、霊能力者じゃないってさっきから言ってるだろ、それってサイコメトラーとかいうんだよな、なぁ兄さん」

 老人のコップにビールが落ちる音がする。それに視線を落として路旗は頷いた。

「そうですね、広義に解釈していただければ、そういう類です」

「おめぇ俺のカミさんはサエコだぞ」

「サエコメトラー」

「ははははははははは、そりゃおっかなそうだ!」



「全く、男共はああいうくだらない話でよくもまぁ続くもんだね」

 テーブル向かいの区長たちのやりとりを、聞くでもないが耳に入った女達が小さく笑い合った。

「それじゃあ、あっちの話によれば、あなたは霊感がないってこと、そうなの?」

 厚焼き卵が乗った皿を差し出して初老の女は琥珀を見た。

「そうです。俺自身、霊感は全くないですよ」

 快く皿を受け取った琥珀は、厚焼き卵を口に運んで美味いと連呼した。

「じゃあなんだい、やっぱりそのサエコメトラーだかっていうのかい?」

「それ、サイコメトラー、山田のじっさんの奥さんがサエコさんってば」

 すかさず隣の女性が嗜めるように割り込んできた。

「サエコさんといえば、霊感が少しあるとかないとか言ってなかった?」

 琥珀を取り囲んだ女性陣が数人頷き合った。

「そうね、サエコさんが馬湧の山裾で白い影を見たって一時騒ぎになったねぇ」

「白い影?」

 雑煮に伸ばしかけていた腕を止めて琥珀は目を細めた。〔馬湧〕という言葉と〔白い影〕という言葉に連想して、あの祠が脳裏に浮き立ったのだ。

〔馬湧〕と〔白い影〕その言葉の持つ音が、祠の前に立った時に琥珀が感じた微かな水の匂いと波長が合う。そんな僅かな接点に琥珀は頭を掻いた。

「それはなんだったんですか?」

「結局判らずじまいよ〜、サエコさんだけでなく何人か見た人もいたらしいけど。私はそんなもの見えなくていいわ」

 漬け物を齧りながら初老の女が言うと、誰もが頷いて同意した。

「馬湧というのは地名ですよね」

「隣の村よ、村というのは合併するうんと昔の話だけどね。少しばかり山に入った場所だけど、こっちと然程変わりない田舎よ。山菜はよく採れるから市内の方からも人の出入りは多いのよ。今は馬湧地区っていうんだけどね」

 如何にも山好きそうな、浅黒い肌をした女性はシャキシャキと歯切れよく話してくれた。

「サエコさんも山菜採りが好きだったわね、よく馬湧に行ってたわ」

「そのサエコさんとは逢えます?」

 見た張本人に確認すれば何か手がかりが得られるかもしれない。琥珀は身を乗り出して女性陣の反応を伺ったのだが、予想外な返答に肩から力が抜ける思いを味わった。

「いやだもう、サエコさんはもう十年前に他界しているわよぉ」

 こちらの女性陣の話に上がれば、十年前に他界している人ですら今も生きているかのように聞こえてくる。

「山田さんってあそこにいる白髪の年配の方ですよね、サエコさんがあの人の奥さんなら、山田さんに聞いてみれば何かわかるかもしれないですね」

 テーブルを挟んで向こうの席で、溜まりになっている区長達を見て琥珀は聞いた。

「無理よ、山田さんとこは夫婦犬猿の仲。ああやって亡くなっても自分の妻のこと悪く言っているのよ」

 嫌だねぇと何人かが顰めた顔を合わせた。

「ガンだったわよねぇ、ほら、あそこの病院こっちの病院って。結局総合病院で終ったのよね」

「あそこの総合病院の内科、評判いいって」

「そうそう、総合病院の内科の先生は腕がいいけど、放射線科の先生は愛想がいいのよ」

「この間、腰が痛くて行ったんだけどね、若い先生に変わってたの」

「あら、腰どうしたの?」

 話が明後日に流れていると悟って、琥珀はコップの残りのジュースを飲み干した。空になった琥珀のコップに次が足される事はなく、女性陣の話は一向に〔山田サエコさんが亡くなった病院の話〕で盛り上がったままだった。

 ふと、コップの雫が気になった琥珀は、布巾を探して視線を巡らせた。廊下の板間の上に置いてあるビール瓶のケースに白っぽい布巾を見つけた時だった。

 廊下を隔てた向こうの庭に、誰かが立っていたように見えた。丹念に刈入れられた垣根の手前に、黒か紺色の制服を着た髪の長い少女が立っていたように思える。

 布巾に気を取られていた視線を庭に向けると、やはりそこには少女が立っていた。

 ふと目が合った瞬間の僅かな時間、琥珀は何度か瞬きしてその垣根を凝視した。そこには既に少女の形はなく、しんみりした庭の風景に少女の制服の裾だけが、鮮やかに瞼に残像を遺していた。

「どうしたんだい? 随分気持ちがそわそわしているようだけど」

 区長達から抜けてきた路旗が、隣に腰を下ろして琥珀の視線の先を振り返った。夕暮れ色に染まった空を背景に、建物や垣根が黒い影を被りつつある。秋の夕暮れに目を細めて、路旗はもう一度琥珀に目線を運んだ。

「さっきから君を見ていた女子に気を取られている?」

 うぐっと琥珀はつばを飲み損ねてむせた。

 確かに五十嵐の家に来たときから、制服姿の女子が隠れてこちらの様子をうかがっているのが丸見えだったのだ。わかっていてもどう対応してよいのか琥珀は考えかねて、あえて気にしない素振りをしていた。だが、あからさまに縁側の向こうからでこちらを見られていては、さすがの琥珀も目線が合わなかった事にしようにも演技が出来なかった。それなのに向こうはさっと雲隠れしたのだ。琥珀が動揺したのは無理もない。

「見た事のない男子がいれば気になるのだねえ」

 青春はいいもんだと、陽気に笑いながら路旗は飲み残してあった酒に口をつけた。


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