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琥珀_石祠編_  作者: 蔦川 岬
1/23

秋風の祠1

 FAX

『 早々にお返事をいただきまして誠に感謝いたします。

 そちらの都合のよろしい日をご連絡下さい。祠まで案内致します。

 ご視察の方、何卒よろしくお願い申し上げます。

   電話番号 ×××(××××)××××

                          五十嵐 勇蔵 』





 1


 雑木林の中を駈けるように風が抜けていった。紅葉の見頃も終わりそれを過ぎた葉が、カサカサと乾いた音を鳴らす。

 正午を過ぎたばかりだというのに、陽は蕩々と夕方の色を帯びていた。それが一段と晩秋らしい寂しさを誘っている。

「随分寒くなったな」

 厚手のセーターの首を顎まで引き上げた眼鏡の男が、車を降りるなり大きく震った。ジャケットの襟を立てると、その間にマフラーを押し込む様に首に巻く。

路旗(みちはた)さんは寒がりですよね」

 後部座席から続いて、ゆっくり降りた少年の髪を風が掻きあげた。

 風に揺れる雑木林のざわめきが一層高まる。

 湿気を僅かに含んだ風は、つい数ヶ月前の真夏の篭った熱をどこかに忘れてきたように、切なげな冷たさを纏っていた。

琥珀(こはく)くんは若いからね、寒さを知らない若き魂」

 にんまりと笑って、路旗という男は肩をすくめた。自分より一回りは歳の若い目の前の少年を見る。

 十八歳になりたての少年は、路旗の言葉に歯にかみながら車のドアを閉めた。

 少年の名は、磐田(いわた) 琥珀(こはく)

「寒いもんは寒いですよ」

 風に巻きあげられた髪を左手で撫でつけながら、琥珀はいまいちど周りを見渡した。

 圃場整備された田園が綺麗に並び、その平野の所々に琥珀達が見上げているような雑木林の小さな杜が、他にも幾つか浮き島のように点々と存在している。大地は山裾に向かって穏やかに標高が上がっているのだろう。

 ちょうど琥珀達は、大地が海から山脈の裾に伸びている中間辺りに居るらしい。見晴らしのいい場所で、街を含めた田園平野を霞む向こうまで見渡せ、顧みれば山脈の大いなる姿も裾野の雑木林も一見できる場所だ。

 刈り上げが終った田園の続く遥か地平線の向こうには、雄々しく連なりこの地を囲む連峰が、影絵のように秋の空を縁取りしていた。

 時折吹く秋風が、稲刈りの終わった田んぼの匂いを運ぶ。どこかで籾殻を焼いているのだろうか。薄い青空に迷わず真っすぐに昇る煙が所々に見えた。

 町の主要道路であろうか、彼らが立っている町道は比較的車の往来が多かった。片側一車線でゆったりと広めの歩道があるのだから、学生達の通学路なのかもしれない。

 待ち合わせ場所はその道路脇の雑木林の杜に面した、然程広くない待避帯である。車が縦列で3台程駐車できるぐらいの面積だ。そこに車を止めて、琥珀と路旗は秋の寒さを分かち合っていた。

 風は野から吹いているが、雪山から吹き下ろしてくるような冷たさを纏っている。

 もうすぐ、この地は雪を迎えるのだろう。

 何台目かの通行車を見送っていると、一台の白い軽トラックが反対側の農道に雑に停車した。荷台から運転席にかけて、ブラシで撫でつけたような洗い落としが、その運転の荒さに釣り合いが取れている。

「やぁ、遅くなりまして申し訳ございません」

 出てきたのは、灰色のスーツ姿に農業用の黒い長靴を履いた六十歳半ばの男性だった。慣れた仕草で左右の交通を確認して、ちょんちょんちょんという足取りで道路を横断してきた。

「いいえ、今来たところです」

 路旗は先ほどまで震って寒がっていた肩を、何事もなかったかのように落ち着かせ、笑顔を見せて応えた。そして琥珀を促すように前に勧める。

「これはこれは、お世話になります」

 男は大げさに喜び、琥珀に握手を求めた。

「困っていたんですよ、こういうのはなにぶん初めてでして」

 農協と書かれた帽子を外し、男はせわしなく会釈した。

「それで、例の祠は?」

「ええ、こちらです。ついてきてください、ちょっとばかり薮なんですがね」

 駐車している路旗の車を迂回して、少し向こうに雑木林の入り口があるのだと、そう説明しながら忙しなく歩く男を琥珀と路旗はゆっくり追った。

「入り口なんてもんではないんですが、専らここが作業用入り口でして」

 慣れた仕草で男は薮の中に入って手招いた。

 作業用とは名ばかりで、林道でもなく砂利すらも敷かれていないその様子に、琥珀は少し躊躇いがちに路旗を見やる。路旗は少しだけ口の端を引き上げた程度の苦笑いで応えた。

 赤茶けた下草が踏まれて隙間を開けていた。そこが辛うじて入り口らしさを思わせただけだった。路肩を経て蓋のない側溝を跨ぐと、枯れた下草がカサカサと音をたてた。冬を待つ低木の枝がぎこちなく三人の足腰にまとわりつき、踏みつぶされ華奢な音を挙げる。

 風はひゅうひゅうとやむ事なく吹いている。抜けるような青空に、雑木林の木々が泳ぐようになびき続けていた。どれほど歩いた、という程ではなかった。ほんの数分程度の薮漕ぎだったので、距離にしてみれば車を停めた待避帯からほとんど離れていないとみえる。

「こちらですよ、こっちこっち」

 ズボンについたセンダングサの種子を、面倒くさそうに払いのけながら男は二人を振り返った。

「これですか」

 一歩前に出たのは路旗だった。枯れたカラスウリの蔦を静かに掻き上げる。

 五十センチ程の高さの小さな石の塊が、かろうじて祠だと思わせる形を留めていた。長年草木の陰になっていただろう石の正面は、苔がぬめるように茂り、水分を含ませその空間だけじっとりとした湿気を纏っていた。

「一角塚」

 石の正面を指でなぞりながら路旗はかろうじて読み取れるだろう文字を読んだ。

「一角塚ですか? 一里塚ではなくて?」

 男は路旗の後ろから覗き込むように祠を見ている。

「ええ、〔里〕ではなく〔角〕ですね」

 確認するように路旗は何度も石の正面を指でなぞった。

「一里に似たような意味ではありますかいな?」

 男の問いに路旗も首を傾げる。

 一里塚ではないとなると、些か厄介なものだと男は曇った表情をあからさまにして唸った。新たな一里塚のような類いだとしたら、振興局に申請でもして移設やら何やらの補助金を期待したいところだったのだろう。

「滅相なものですかなぁ」

 触らぬ神に祟りなしと、男は両手を擦り合わせた。路旗は男の前で一通り祠を丹念に見た後、もう一度周りを見渡して空を仰いだ。

 枯れ葉がまだらに残った枝が、青空に這うように伸びている。

「何かわかりそうかな、琥珀くん」

 そうして自分たちの後ろに居る琥珀に目を向ける。

「一角塚ですか……」

 祠を直視しながら琥珀は静かに呟いた。自分の脛程の大きさもない古びた石の塊である。時代が古いものであるのは見て取れた。

「そんな名前、聞いた事もないですがなぁ。道祖神やお地蔵様ならまだしも」

 農協の帽子をかぶり直しながらせわしなく男は首を傾げている。

「うちの方も村が合併したのはもう四十年も前のことになりますし、なにぶん村の資料館が火事になってしまっていましてね、資料館の元館長もこの祠の事は何もわからないそうで」

「資料館が火事?」

 琥珀が言葉を何度か復唱した。

「火事がなにか関係ありそうかい」

 路旗が琥珀の顔を覗き込むように伺ったが、琥珀は首を横に振りそれを否定した。

「関係はなさそうです」

 何か因縁がましい事が連結していると、その言葉にチリチリとした気を感じる事が多いのだが、今のところ琥珀にはそれらしい気は伝わらなかった。

「火事と言っても戦後間もない話ですので、それよりもうずっと昔のそのまた昔の何かでしょうなぁ」

 男の言葉を聞いて路旗も納得したように頷いた。

「そういえば、入り口が作業用とか言っていましたが、どういう作業なんですか」

 眼を閉じたまま琥珀は聞いた。視野を遮ると、湧いて来たような水の香りが鼻を突く。澱みのない清らかな水の匂いだが、それは秋を迎えた草木の独特な香りにかき消されるほど儚いものだった。

馬湧うまう地域に行く広域農道の計画がありましてね、ここを切り開いてあの町道とつなげる計画があるんですよ、そりゃこの杜っこ迂回していくのとじゃ10分も違ってくるらしいんです。

 その測量会社の作業員達がこの祠を見つけましてね。どんな由来でこの祠が存在しているのかって話になったもんだと、役所の建設課さんから聞かれたもんですが」

「判らない、ということなんですね」

 話が長くなりそうなのを悟って、琥珀は颯爽と切り上げた。

 年配の話の長さとややこしさはいつまで経っても慣れることはできないと実感している。

 磐田 琥珀。

 彼は物の記憶を読むことができる。

 どんなに古い物にでも記憶は微かに残り、その僅かな残り香を辿って琥珀は物の記憶している世界に往く事ができるのだ。どうしてそんな事ができるようになったのか、琥珀自身もよくわかっていない。ただ物心がついた頃から、そういうものが少しずつ見えていただけだ。

 その能力を見込んだのが路旗だった。能力的にはまだ蕾のような状態なのだが、神社の仕事の傍ら臨時で悩み人の相談をしていた路旗の紹介で、こういう仕事は何度かアルバイト的にしてきている。ネットオークションで買った骨董品はどの時代のものだとか、先祖の形見なのだが誰のなのかだとか、専らの能力発揮はその程度の仕事だ。それが人生を支える仕事になるのかといえば、琥珀自身は考えもしていないのだが、路旗の手伝いにもなればと引き受け始めたのはほんの数年前だった。それでも、記憶読みの相談は一年に一回あるかないかだ。

 僅かな物の記憶が垣間見えた気がした安堵感もあり、琥珀は静かに眼を開けた。

「少し、時間がかかるかもしれません」

「どれくらいです?」

 鼻の上にかいた汗を指で摘み擦りながら、男は少し心配そうな声をあげた。

「速くて三日。遅くて七日」

 今迄の仕事の平均日数をあげた。読みにくいものは相当読みにくい。物についている色々な人々の想いが入り交わって、本来見たい場所を探るのは至難な事だったりする。今回の様に年数が経てば経つ物ほど、薄いベールを幾重にも重ねた数多の記憶が琥珀の意識を邪魔するのだ。琥珀は難しい顔をして路旗を振り返る。

「でも、今回は七日。もうちょっと掛かるかもしれないです」

 祠の持つ記憶は確かにあるが、その匂いが脆く薄い。そして、今までにない複雑な感覚が琥珀の心の底に得体の知れない不安を残した。その様子を悟った路旗が無言で頷く。

「祭事も終った事だし、今月はいつまでも付き合うよ」

 その言葉に安堵して琥珀は男の方に向きを変えた。

「少し、年代の古いもののようなので時間はかかるかもしれませんが、やってみます」

「それはありがたいですが、こういうのもなんですが日数が掛かるという事は、なんですなぁ、あの」

 先ほどまでの威勢のいい話口調より、上擦った声でおずおずと切り出した男に、路旗は満面の笑みで答えた。

「ご安心ください。うちは出来高で、最初に掲示した数字より高くなる事はほとんどありません」

 こういう科学的ではない世界では、料金を気にするのは実に一般的である。

 ほっと肩をなで下ろした様子で男は朗らかに二人を見直した。

「これから私の家で区長が集まった会合を開きます。ぜひ、お二方にもご参加いただきたい。祠にまつわる何か情報を得られるかもしれませんで」

 祠を後にした路旗は、組合長の軽トラの後を追って車を走らせた。

 舗装されたての道路に白線を引く工事現場の片側通行に出くわし、時間を持て余すように二人は窓の外の風景を眺めた。

 もう半月かひと月早い時期だったら、この辺りは一面金色に輝く稲穂が眩しかっただろう。そんな事を考えながらも、二人の意識には先程の祠の風景が蘇っていた。

 自らその記憶を封印したような、それでも押さえきれない。琥珀には経験した事のない複雑な雰囲気が漂っていた。

 路旗もそれを感じていたのだろうか。窓を眺める琥珀の顔をバックミラー越しにチラリと見た。

 

 

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