第七話 妖怪
「じゃあ早速、作戦会議始めますか」
「お、おー!」
夕暮れ刻。
誰もいなくなった教室にて、黒板につらつらと字を書く青年と、椅子に座って控えめに腕を上げる少女。
どうしてこうなったか。
それは先ほど楓の目的が友達を作ることだと判明したからだ。
人生で友人と呼べる人物がいないという、悲しい現実に、和也の声色にも真剣味を帯びている。
「まずはそうだなぁ。第一印象において大事な要素とか挙げてみよう」
「大事な、えと……その……」
指を絡ませ、目を泳がせながら、必死に答えようとする。
しかし、ぱっと浮かんでこない。
友達とどう遊ぼうか、どう過ごそうか、そんな事ばかり考えていたせいで、友人を作る方法だなんて完全に蚊帳の外だったのだ。
急に挙げろと言われても、コミュニケーション能力不足も手伝ってしまし、ただ口籠るだけになってしまう。
そんな楓の様子を見て、和也は即座に助け舟を出す。
「清潔さとか大切だと思わない? 綺麗な人と汚い人だと、断然綺麗な人の方が印象いいしさ」
「そ、そうだね。うん確かにそう思う」
「立花さんはその辺完璧にクリアしてるし、ここは大丈夫だ」
「そうかな……」
若干照れて、頬を恥ずかしそうに掻く楓。
そこで和也は区切り、彼女を正面に捉えて続ける。
「立花さん、ちょっと笑ってみてもらっていいかな?」
「え、いやその……」
「一度だけでいいんだ。どうかお願いします」
丁寧に頭を下げる和也に、断りきれなくなった楓は意を決した。
笑えと言われて笑うのは意外と難しい。
基本的に無表情にとっては尚更だ。
だがこれも友人の頼みだ。
勇気を振り絞って、楽しかった思い出を振り返りつつ、渾身の笑顔を繰り出す。
「ど、どうかな?」
きっと彼女は満天の微笑みをしているのであろう。
和也も楓の気持ちは理解していた。
けれども、どう捉え方を変えても、『危ないおじさんが子どもに話けかけようとしている』ようにしか見えない。
下手したら警察を呼ばれるレベルのソレだった。
「…その内自然に笑えるさ」
「ええぇ!」
「いやそんな風に言われるなんて! みたいな顔されても」
突然笑えと言うのも無茶振りが過ぎたかもしれないと反省する。
実際笑顔は、楽しい出来事があれば自然と外に浮き出てくるだろう。
ならば他の力を付けていく。
清潔さは無問題だ。
となると、彼女に足りないものは圧倒的にコミュニケーション能力。
えっと、あの、が多く、会話の流れが悪くなる。
これさえ改善されれば、相当違うと断言できる。
楓の座っている席の前に椅子を運ぶ。
うなだれている彼女と向かい合う形となった。
「立花さん。ほら起きて」
「へ?」
「今度は話す練習をしよう。大丈夫、最後まで付き合うからさ」
そう言って、涙目の楓を立ち直らせる。
意欲はあるようだから、溜まった雫を拭き取り、和也と目を合わせた。
その瞳は濡れながらも、決意に燃える意思がそこに。
やる気は満ち溢れている。
和也は軽く微笑むと、
「まずは普通に話すことから始めよう。やっぱり会話は人間関係の基本だからね。俺と話すのが厳しいなら、妹でも連れてくるよ」
「そ、そんなことないですよ……。こうして手伝ってくれるし……」
「なら俺も嬉しいよ。にしても話す内容か……。そうだ! 妖怪の話とかどうかな? 立花さんも妖怪だったよね?」
「へ? そうですけど……」
「俺、妖怪の事全然知らなくて。学園生活で妖怪に対してのタブーとか知っておきたくて。それなら立花さんも話しやすいと思うし」
「妖怪の事なら確かにいくらでも話せますけど……練習になるかな……」
「今はとにかく人前でしっかり話せるようにしないとね。練習にはなるさ」
この学園に来た経緯ならともかく、妖怪に関してなら大丈夫だ。
気軽に喋るのが苦手なら、説明することを練習としても効果はある。
というか本来であれば、こちらの方が難易度は高い。
だが常日頃人と話すにはどうしたらいいか考えている楓にとってはさして難しいとは言えないのだ。
えっと、と切り出しリズムを作る。
「よ、妖怪は人の畏れが実体化したようなものだと思ってください。詳しく言うと、自然がもたらす恩恵と感謝、恐怖と信仰。それらを象り、多くの人々が信じた非日常の存在ですね」
「……ごめん。俺の頭じゃよくわかんない」
恩恵とか恐怖とか。そんな立て続けに言われても、和也の残念な頭では理解できなかった。とても残念なことに。
「す、すみません! 出直します!」
「いや大丈夫だって。俺が馬鹿なだけだから、自分のペースでゆっくりやって欲しい」
和也は気遣ってくれているのが、分かってしまう。
こんな調子では駄目だと言い聞かせ、素人でも解り易く、脳内の文章をかみ砕いていく。
自分にしか理解できない、一方的な会話を止める。
たったこれだけでも大きく違う。
「簡単に言うなら、そうですね……人間が勝手に勘違いして信じていたら何故か生まれちゃったって感じ?」
「一気に適当になったね」
砕けた説明になってしまったものの、おかげでそれなりに把握できるようになった。
妖怪というのは人間の想像が軸となって創造された異常の存在。
当然ながら種類ごとに体格も力も違う。
楓のように人型の妖怪もいれば、化物のような異形の妖怪もいる。
果ては実体さえない個体もいるという。
人を喰うのが好きなのもいれば、人を守るのが好きなものもいる。
まさしく千差万別。
人に害なす妖怪は忍者たちによって秘密裏に始末されるらしい。
おかげで世間には認識されていないようだ。
しかし、そんな妖怪たちにも共通点は存在する。
「――知名度?」
「うん、じゃなかった、はい。妖怪の力は知名度に左右されます。人の思念を基本として生まれているので、大きく影響がありますね。有名どころなら九尾、酒呑童子、鞍馬天狗あたりですか。彼らは日本妖怪でも随一の力を誇ると聞きます。大きく分類すれば狐系列、鬼系列も強力ですね」
「へー。じゃあ逆に伝承じゃいくら反則的でもマイナーなら弱いってことか」
「そうなりますね」
楓は説明モードに入って、かつ、話せる分野のせいか目を輝かせている。
反対に和也は手を組み、その上に顎を乗せながら思う。
この話が真実だとすると、相当数の妖怪が世界中に存在することとなる。
そんなもの異世界に行く前も帰ってきてからも知らなかった。
全く気づかなかった。
機嫌がよくなった楓は、和也の聞いてもいないことを続けざまに言う。
「いくら強くてもそれだけ有名ってことですから、弱点も多いんですよ。吸血鬼なんていい例です。太陽、聖水、にんにく、十字架、炎、流水、簡単に用意できて、なんの力も持たない人間にすら滅ぼされる可能性が高い、残念な物の怪で妖怪の中でも有名ですね。実力だけなら世界有数なんですが」
吸血鬼も大変なようだ。
止まらないマシンガントークを聞きながら、内心同情する。
妖怪世界もなかなかに複雑で、スリリングらしい。
極力関わりたくないものだ。
特に鬼とは遭遇したくない。
世界的知名度の輩とトラブルを起こしたら生き残れる気がしなかった。
「鬼って怖いね。俺は吸血鬼とか酒呑童子……あと牛鬼ぐらいしか知らないけどさ。まあもしも出会ったら即刻逃げる……あれどうしたの?」
「え? あの……」
意味もなく、なんとなく呟いていると、楓が表情を曇らせた。
説明口調も収まって静かになる。
後ろめたい、思い出したくない、恐れている、そんな感じだ。
触れてはいけない部分をつついてしまったのかも、と不安になると同時に楓を気遣おうとする。
和也が心配しているのに気づき、手を振り否定する。
「い、いや何でもないです……」
「……そうか」
声が微かに震えていた。
明らかに動揺している。
どうも嫌な予感がするが、何よりも勝手に詮索しては本人に良くない。
時が来れば、話してくれることもあるだろう。
牛鬼。
とりあえず、このキーワードだけ頭に留めておく事にして、気づかない振りをしておいた。
しばらく、それこそ友達同士がするような雑談をした。
僅かだが緊張が解けてきたのか、楓の表情も心なしか温かくなってきていた。
「……舞を呼べばよかったな。ああ絶対そっちの方がよかった。あいつなら放っておいても仲良くなりそうだったのに」
「舞、さん?」
「うん、俺の妹なんだけどさ。人あたりもいいし、こういうのはピッタリだなと思って。今日はもう遅いし帰ってるかな? 明日にでも連れてくるよ」
「妹いたんですね。あれ? でも妹なのに同じ学年? 年齢が合わないし……」
言う必要がなかったから、すっかり言い忘れていた。
頭上にはてなマークを出して、混乱中の楓に訂正する。
「俺が一つ上なんだよ。でもちょっとした事情があって同じ一年生として入学したんだ」
「……ごめんなさい」
「いや全然。俺はそこまで隠す必要はないしね。なんなら俺の異能について話そうか?」
「ならいいんだけど……でもやっぱりごめんなさい」
楓が申し訳なさそうにしているが、正直なところ勇者だという事実がバレても大して問題はない。
知られるのはいい。ただ自分から話そうとは思えない。
教訓にもならない戦争の話なんて誰も聞きたくないだろう。
異能については明かしてもいい。
能力の性質上、このクラスでは使われる可能性がある。
危険で暴走という、よくあるパターンにも当てはまらないから安全性も折り紙付きだ。
ふと、外を見ると日が沈み始めていた。
気づかないうちに時間が過ぎている。
楓に意識を向けすぎていたようだ。
晩御飯の材料も調達しなければならないから、今日はここらで解散だ。
「暗くなってきたし、そろそろ帰ろうか。立花さんは寮だったよね? そこまでは送ってくよ」
「……じゃあお願いします」
楓は恥ずかしそうにしながらも、頷いた。
口調とか表情とかその他もろもろ安定していない。
それでもあの冷たい雰囲気ではなくなっただけ、彼女も成長したのかもしれない。
和也はこの街で初めてできた友達と、楓は人生で初めてできた友達と、教室をあとにするのだった。