第二話 魔王VS狼人間
魔王。
異世界から渡って来たと、巷で評判の人物。
ここ数日はヨーロッパ各地の妖怪、異能者、有力な人間を訪ねてまわっていると聞く。
危険極まりない名称に、下手に手を出して異世界の住人を刺激したらどんな結果になるか不明のため、彼女が日本にいない隙を狙っての作戦だったが、ついにその姿を現したらしい。
人形を連想させる容姿だが、相手は魔王。
学園の長、ドラゴン、『警備員』に次いで、吸血鬼が要注意人物として挙げていた事もあり、油断などはできない。
鋭く、碧い眼差しが、ジャックを貫いた。
「狼人間、か。ふむ……」
顎に手を当て、どこか考え込む素振りを見せた。
敵を前にして考え事とは、傲慢にも程がある。
当然、ジャック側にも時間的な余裕が与えられる。
今の内に戦場を離脱すべきか、手元の戦力を結集して魔王を叩くべきか。
数体が命を落とし、敵の力は未知数。
近距離戦を挑もうにも、邪魔がいる。
勝てる可能性があるにしろ、間違いなく家族から犠牲が出る。
僅か数秒の思考の末、ジャックは決断した。
吸血鬼、死んだ家族には悪いが、一時撤退だ。
魔王を倒して得られる物と魔王から逃げて得られる物を秤に乗せれば、傾く方は決まっている。
隙を窺おうと、魔王を見据えた瞬間、
「三分だな」
微塵も温かさを感じさせない冷徹な声が、ジャックを、いや狼人間達全てを震わせる。
心臓を見えない手で鷲掴みされたかのように、息が詰まる。
彼の判断は遅かった。
それ以前に、魔王に敵と認識された時点で、彼らの運命は既に確定していたのだ。
「我極魂装、解放――」
彼女の声に呼応し、大気が、大地が、魂が揺らめく。
赤黒い光が、身体から溢れ出し、荒れ狂う暴風を巻き起こす。
剥きだしの殺意が。
烈風の如き暴力が。
他者を絶望へと叩き落とす破壊が。
戦闘特化型種族の頂点。
異世界の魔王の力が今、解き放たれる。
「我が手は勝利の為に」
大地を割り、迸る熱気を纏い、ソレは顕現した。
初めは、巨人の腕だと思った。
だが一本、二本に収まらず、何十本もの腕らしき物が触手のように地の底から這い上がってくる。
ジャックの知る腕の概念を完全に粉砕し、ありとあらゆる常識をぶち壊す規模。
触手と呼ぶには、鋼鉄のように強固。
腕と呼ぶには、大木のように太く。
大木と呼ぶには、星のように脈動し。
星と呼ぶには、あまりに邪悪で、黒に満ちた、負の塊。
巨大で荒々しく、圧倒的で、破壊的で、絶望的までの、力の象徴。
ただ其処に在るだけで、力の奔流が吹き荒れる。
魔王はソレを、子を愛でるかのように、優しく撫でる。
そして爛々と輝く碧い眼差しを狼人間に向けた。
「殺れ」
地獄からの剛腕が、命を握り潰さんと狼の群れに迫る。
地を抉り、風は唸り、命を掻き消す何十もの巨人の腕。
轟音は大気を揺るがし、理不尽に命の芽を摘む。
襲い来る暴力に、我に返ったジャックは即座に後方へと回避する。
逃れられなかった家族は五指に潰された。
またある者は人間大の拳によって地面の染みへと姿を変えた。
家族が、次々と肉塊に、翡翠の粒子に。この世からあの世へと。
かけがえのないジャックの家族が塵のように理不尽に殺された。
その現実を直視し、激情を胸に家族と連携を取りながら、魔王への攻撃を敢行する。
だがその程度で魔王を殺そうなど考えが甘かった。
魔王は一切避ける素振りを見せる事なく、巨人の腕が狼を阻む。
「臆せず私に挑むその姿勢は評価してやる。が、意気込みだけで私は殺せんぞ」
「ちぃ!」
どこか愉しげに笑みを漏らす銀の魔王から一旦離れるが、逃げ切れなかった家族が一体肉片と化した。
四方からの連続攻撃はいとも簡単に薙ぎ払われ、空中、地中問わず完膚なきまでに破壊される。
積み上げてきた経験も、技術も、そんなものは関係ないと圧倒的までの暴力に粉砕し、絶望を叩きつけてくる。
ジャックがこれまで対峙してきたどんな相手よりも強い。
この短い戦闘の中で、万に一つも勝てる可能性がない事を、歯がゆい思いをしながらも、ジャックは認めた。
敵は強大。
戦力は減少の一途。
魔王とまともにやり合うのは無理だ。
危機に勝機を見出すのは人間の得意技であって、本来危機に陥れる側の狼人間がこの状況に対応できないのは必然であった。
どうにか此処から逃走しなければ、結末は死あるのみ。
全身全霊を以ってして、この場を離脱し、どれだけ家族が、己が生き残るか。
犠牲が出るとかそんな話ではなく、全滅するかどうかの瀬戸際だ。
早まる鼓動と、まとまらない思考を落ち着かせ、魔王の魔の手からの家族を救おうと、決死の抵抗を試みる。
何とか腕の猛攻を潜り抜け、漆黒の巨腕の根元部分に渾身の拳撃を繰り出す。
が、金剛石でも殴りつけたかの感触に表情を歪ませる。
柔軟に動く上に、途轍もなく頑丈。
対策を立てる余裕もない。
即座に全速力で回避行動に移る。
その数秒の攻防の合間に、二体の家族が翡翠の粒子となって飛散した。
「クソッ! 化け物が……!」
悪夢のごとし巨人の腕の大群、ソレを涼しい顔で操る魔王、どちらとも化け物だ。
皮膚が裂け、血が滲む右の拳を庇いながら、悪態を吐く。
人間の兵器のような機械的な形状でもない、異能のようなシンプルな現象でもない、妖怪のような不可思議な怪異でもない。
此処にきてようやく、あの少女が、異世界の住人だと思い知った。
異世界の法則で運用される力はジャックにとって完全なる未知の領域。
魔王に目を向ければ、地面から掘り進んで、奇襲を仕掛けようとした家族が異能者に防がれ、巨腕に潰された。
逃げる事を諦め、捨て身の特攻をするも、無残に散ってゆく家族達。
常に人間の上に立ち、命を弄んできた狼人間が、こうも簡単に、人形のように事切れる。
原型さえ残さず、一矢報いる事もできず、一方的に、理不尽に、殺戮される。
格も、次元も違う。
魔王からは逃げられないと、目前に迫る巨大な手を見て、絶望のままに、そう悟った。
「……一分か。準備運動にもならんな」
巨人の腕は消え失せ、燦々たる破壊痕が残り、鮮血で柔らかくなった大地の中央で、クルミは肩を鳴らし、呟いた。
この世界でも上位に位置する狼人間と聞いて、血が躍ったが、期待外れもいいとこだった。
正確に分析すれば、肉弾戦を主とする狼人間ではクルミに有効打を与えられないのもあるが、それを差し引いても、残念極まりなかった。
戦闘開始直後はまだしも、中盤から終盤にかけては逃げてばかりで、戦おうとする意志が感じられなかった。
頭の狼人間を潰した後は、特に酷かった。
統率性もなく、格段に戦闘能力が落ちた群れなど、もはや敵とすら呼べない。
これでは弱い者虐めだ。
クルミは強者と闘争をする為に此処に立っている。
強者との死闘に悦びを覚える性質はインデスト人の根底に根付いており、先代魔王らとは目指す方向性が違うクルミであっても、其処は同質。
弱者を叩き潰すのは趣味ではなく、どんなに雑魚を始末したところで、それは名誉でも誇りにもならない。
弱者に勝ち誇って歓喜するような輩は、インデストでも見下される部類である。
いくら連戦連勝しようとも、相手が超一流でなければ、意義は感じられないのだ。
「ま、魔王様? い、いい、い今の何ですか? 私初めて見たんですけど……」
戦闘が終わり、凛々しい表情が一転。
一段落して、盛大に落ち着きがなくなるメイド服の少女。
名を藤美守と言い、魔王自ら勧誘した異能『結界障壁』保持者だ。
物理攻撃を完全にシャットアウトし、防御面に関しては魔王軍随一の性能を誇っているが、如何せん自信がなく、いつも不安そうに顔色を窺っているような女の子だ。
「ミモリには見せていなかったか。アレは私の我極魂装だ」
「まぎあ?」
「肉体に宿る魂を原動力とし、己の自我や願望、夢を世界に具現化させ、法則を、概念さえも捻じ曲げる力の総称だ。地球人にとっての異能のようなモノだな。インデスト人なら誰しも備えているという違いはあるが」
我極魂装とはインデスト人特有の強烈な自我、つまり魂を実体化させ、身体機能の強化や物質の操作など様々な能力を発揮する力だ。
インデスト人ならば、どんな環境であろうとも、抑圧されようとも、洗脳されようとも、必ず自我を保ち、覚醒する。
空の上に辿り着きたかった或る者はどんな荒天にも屈しない強靭な翼を。
生物の構造を知りたかった或る者は生命をあらゆる形に改造する外法を。
世界を旅したかった或る者は次元さえも飛び越える時空の門を。
クルミならば、無数の巨腕。
欲しいモノは必ず掴み取る。人も物も勝利も全てだ。
今までも、これからも変わる事のない、絶対の大望。
自らの手に収まる程度で満足するはずがない魔王が故に、この頑強で、凶悪で、圧倒的な数の腕が具現化している。
何者も寄せ付けず、何者であっても己の糧とする。
実に自分勝手な力だ。
心の在り方一つで変化し、妖怪並に多種多様で、固有の能力。
異能よりも遥かに自由で、能力者の才能、努力、記憶、経験、信念、価値観全てが反映される、何よりも危険で、何よりも自由なモノ。
クルミは異能に近いと言うが、適当な言葉がこれしかなかっただけに過ぎず、正確には別物と言えよう。
魂に染みついた、それぞれの夢が、欲望が、形となり、闘争本能のままに、自分勝手に世界に牙を剥く。
これこそが我極魂装。
そして自分至上主義の強者共が、最強だと認めた者こそが、ルーキフェル=イブリス=クルミナレッテ、魔王なのである。
「……つまり魔法みたいなモノで、その中でも魔王様は超凄いって事ですね!」
「貴様理解していないな……。だが私が凄いのは揺るぎない事実だ」
説明を省略したのもあって、それっぽい事を返してお茶を濁す部下に冷徹な視線を送る。
褒め言葉は素直に受け取らせてはもらうが。
「まあ、私の力はいずれ懇切丁寧に永久に脳に刻み込んでやる程度に教えてやるとして、だ。壁の展開時間が三三秒か。最低でも一分は保たせろ」
「……申し訳ございません」
美守は表情を緊張で引き締め、俯く。
「わざわざ私が囮なんぞを引き受けたのも貴様の戦闘訓練、能力向上の為なのだからな。気合を入れろ」
クルミは淡々と、言葉を紡ぐ。
フリーネと人質の救出も、勇者との共闘も、強者との戦いも、部下の戦闘訓練のついでに過ぎない。
インデストでは珍しい防御特化能力で、それでいて応用力の高い優秀な性質。
事務的能力、礼儀作法も優れており、傍に置いておくのに適切な人材だ。
経験を積み、成長をさせておくに越したことはない。
しかし初めて出会った頃から如何せん自信のない性格だった。
風魔忍者の管理の下、貴重な異能者として生き、いつだって安全圏で保護されて、ぬくぬく育った彼女は、自分で行動する気概が感じられなかった。
そしてクルミは己の意思ない人間が大嫌いである。
つい熱の入った熱い説得、もとい超絶上から目線な説教によって美守は自分の意思と自由に目覚めて、今日にまで至る。
そんな何かと不安がる美守の性根を叩き直す機会を探っていたところに丁度いい話が飛び込んできたわけだ。
西洋の上位妖怪相手なら経験を積むのに適した相手と言えるし、限界以上の力を発揮させるような機会なんてそうはない。
これを機に徹底的に美守をしごいて鍛え上げるつもりだった。
故に城周り、城内にいる敵を誘き出す危険な役目を担当し、真正面から進軍しているのだ。
ちなみにフリーネと人質の救出は和也任せで、勇者ならこのような苦難も突破できるだろうと気にもかけていない。
失敗したなら、後は私がやってやろう、その程度の考えだ。
「展開時間だけでなく、集中力も足りていない。壁の強度に乱れがある。敵の数が多いからと云って、それに惑わされるな。貴様には壁を張る事しか出来んのだ。自らの強みを自ら消すとは愚の骨頂だぞ」
鋭い指摘にひたすら縮こまる美守。
反論する余地もなく、己の至らなさを不甲斐なく感じる。
彼女に勧誘された一番の理由は異能の防御性能だ。
だから期待通りの能力を発揮できなければ、元いた場所かどこかに捨てられるだろう。
出身も血筋も一切問わないが、徹底した実力主義の魔王軍に弱者の居場所はないのだ。
必要以上に魔王の情報を知ったせいで、処理されるかもしれない。
どうれあれ結果を出さなければ、明るい未来はない。
そして叱られて、ガラスのハートが砕けそうだ。
しかしそんな不安に駆られる美守に、クルミは血に染まる大地を踏みしめながら、背を向けて、堂々と言い放つ。
「だが安心するがいい。必ず貴様は伸びる。私の目に狂いなど在るはずがないからな。これは約束された未来だ。期待しているぞ、ミモリよ」
沈んだ顔から一転し、美守の表情に明るさが戻る。
なんだかんだ面倒見の良い、自分よりも小さく、自分よりも遥かに大きい上司に、己の意思を示すように、感謝をしながら、自信を持って頷いた。
超絶的に上から目線で、実力主義で、弱者にはとことん冷たい魔王だが、実はほんのちょっとは気遣ってくれたりする。
数か月の付き合いでも、そんな彼女の一面を美守は知っていた。
小さくて、ゲーム好きで、子どもっぽいところもあるけれど、この親しみやすい異界の魔王を自分の主だと決めたのだ。
これからも凹んだり、落ち込んだり、投げ出したくなる時もあるだろう。
それでも魔王の為なら頑張れる。
美守なりの決意を込めて、大きな声で返事をする。
「はい! 魔王様の為、頑張ります!」
「いい返事だ。早速だが前方の妖怪共を三分間防いでこい」
「はい! ……え?」
露骨な、かませだったね……




