第十七話 共同戦線
寄せては打ち返す黒い波。
風が水面を叩き、走り抜ける。
そんな静かな海から、黒く汚れた人影が、ゆらゆらと現れ、岸に上がった。
「……ここか………」
日本の街からグリフォンに乗って、吸血鬼を追跡していたの桐生和也だ。
超人的肉体を保持しているが、流石に疲労を感じさせる面持ちだった。
足を手に入れ、無事に追行できたはいいが、飛行中にキメラごと撃ち落とされ、パラシュート無しのスカイダイビングを敢行させられた。
和也の目が確かなら、人間側の防衛戦力によるミサイル攻撃だったはずだ。
職務をきちんと果たすのはいいが、今回ばかりは空気を読んでほしいものである。
おかげで空の様子を窺いながら、陸を走り、国境を越え、海を渡り、トライアスロンをする羽目となってしまった。
人間戦力と合流するにも、いちいち事情を説明しなければいかないし、何よりも時間が惜しかった。
攻撃を受けてからは吸血鬼側もより速く、隠れるようにして移動したので、一時でも目を離せば見失ってしまうところであったのだ。
「というか、どこだここ……」
上着を絞り、水気を抜く。
ひたすら追い続ける事に意識を集中させていたせいで、地理がさっぱり分からない。
日本ではないと推測されるが、何処の国なのかも見当もつかなかった。
綺麗な砂浜と奥に広がる森に、曇天の空模様。
烏がけたましく鳴き、森を進んだ先に、吸血鬼達が消えて行った西洋の城のような建築物が目に入る。
場所を特定できるような知識も物もない和也には、厳しい状況だ。
そんな中、上着に入れっぱなしだった携帯が小刻みに振動する。電話だ。
『やあ桐生君。こうして声を交わすのは久しぶりだね』
男性とも女性とも取れる中性的な声質。
清条ヶ峰学園の学園長だ。
タイミング的にどこかで見ていたとか、携帯が無事だったとか、それはいい。
水分を搾り取る作業を継続しながら、携帯を耳と肩に挟む。
『日本からコルシカ島まで実質人力で辿り着くとは大したものだ。勇者の名は伊達じゃあないね。いや不法入国者かな今は』
「茶化すなら電話切りますよ」
余計な話をする暇はないので、さっさと進めておきたい。
しかし此処がコルシカ島だったとは驚きだ。
かのフランス皇帝ナポレオン一世の出身地とされる島。
時々楓と歴史談義する身としては、感慨深いものがあるが、フリーネの救出が最優先の現状では無理な話だ。
『まあ落ち着いてくれ。いくら私とて世間話だけをしにきたわけじゃない。偶には助言をね』
助言という事なので、耳を傾ける。
『例の吸血鬼だが、あれはペーテル=ブロゴヨヴィッチという世界最初の吸血鬼でね。しかも数百年生き残った珍しい個体なのさ。修羅場を潜った回数は世界でも有数だろう。簡単に斃されてくれる程甘くはない。弱点を的確に攻める事を心掛けておくといい』
ペーテル=ブロゴヨヴィッチ。
世界各地で吸血鬼にまつわる事件は発生しているが、世界で初めて『吸血鬼』の言葉が公式に記録された、はじまりの吸血鬼である。
彼以後、吸血鬼の知名度は急速に広まり、ドラキュラ伯爵で絶対的な名を誇るようになった。
全ての吸血鬼のモデルとなった伝承だ。
鵜呑みはしないが、参考にはなる。
濡れた服から意識を傾け、答えた。
「分かってます。アレは強い」
一目で大体相手の実力は感じ取れる。
異世界で戦争を経験してきた和也でも、あの吸血鬼は強者だと、直観的に感じた。
敵を侮り、隙を見せるなんて以ての外だ。
正確に実力を見抜き、柔軟に対応し、確実に仕留める。
吸血鬼側が帰還した直後で、態勢を立て直さない内に、城に忍び込み、フリーネと人質の子どもを救い出す。
それが和也の為すべき事だ。
『そして彼らの居城は対人間用の罠が内部にも外部にも設置された堅牢な城だ。うっかり、で簡単に首が飛ぶ。勿論多数の西洋妖怪が城の周りを徘徊している。いくら君とて突破は難しいだろうね』
当然の守りだ。
愚かで、哀れな人間をこれまでも何人も屠ってきたのだろう。
侵入者を阻む罠がいくらあっても不思議ではない。
名のある妖怪がいくらいても極々自然な話だ。
フリーネが城の何処にいるのかも不明だ。
人質が複数いる可能性もある。
だが、それでも。
『さて敵は強大だ。君とて死ぬかもしれない。フリーネ=ドラゴニックや人質が五体満足で、無事である保証もない。死力を尽くしても無駄に終わる事だってあるだろう。今ならばまだ引き返せる。人間側の戦力も動き出し、彼らが救助してくれるかもしれない。それでも行くかい?』
和也の答えは決まっている。
「行きます」
断言する。
どこか試すような学園長の問いなど無駄だ。
和也に、勇者に、『逃げ』は有り得ない。
戦略的な撤退はしよう。必要なら背中を見せて走り去ろう。
武器だって捨てよう。頭だって下げよう。
だが、自らの命が惜しくて、尻尾巻いて逃げるなんてのは、和也の選択肢に最初から存在しない。
面倒事だろうが何だろうが、背負い込む覚悟はとうに出来ている。
状況から予想すると、フリーネの行動を制限し、命令に従わせるように人質を取った。
なら、無闇に人質を傷つけるような真似はしないだろうし、下手な事してフリーネの理性の枷を外してしまったら、どうなるのか彼らが一番理解しているはずだ。
人間側の戦力が彼女達を助けてくれるとも限らない。
尊い犠牲として、妖怪ごと消し飛ばしてしまう事だって考えられる。
今、最も敵に近く、戦える力があって、状況も把握できているのは和也唯一人。
止められても、頼まれても、やるしかない。
フリーネは友人であり、和也は元であっても、勇者なのだから。
『流石は勇者。名に相応しき物言いだ』
手放しに称賛する響きだ。
しかし、学園長は声を落とし、どこか楽しげに続ける。
『だがね桐生君。格好つけたところ悪いが、残念な事に、君は一人じゃない』
和也の前方、森の中から、来た。
堂々と。悠然と。
一歩、また一歩、地に存在感を刻みこみ、木々を揺らす。
彼女が此処の支配者だと、空気が、草木が、虫が、大地が、示す。
漆黒のドレスを身に纏い、銀の髪を二つ結いにした可憐な少女。
「遅いぞキリュー。魔王である私を待たすとはいい度胸だ」
絶対的な力の象徴。
建国という崇高な理念を胸に、世界を廻る戦士。
異世界インデストの最強の称号を継ぐ者。
『魔王』ルーキフェル=イブリス=クルミナレッテ。
「……どうしてこんなとこに? 海外旅行中じゃなかったっけ?」
胸中から湧き出る疑問をぶつける。
こんなにも都合よく、丁度いいタイミングで彼女がこの島にいるとは思えない。
しかも背後にメイド服の少女も従え、準備万端である。
通話を切り、クルミを見据える。
「ふん。学園長から連絡があってな。奴は気に喰わんが、フリーネの拉致に、吸血鬼、狼人間……この世界有数の実力者が揃っていると言うじゃないか。私がその場にいなくて何とする」
愉悦に満ちた笑みが、クルミの口から滲み出る。
理性的だとはいえ、彼女も三度の飯より死闘を愛する異世界人の血が流れている。
物理的距離や時間など無視してでも、向かう価値が此処にはある。
強者が一堂に集結すると聞いて、血が滾り、魂が震えたのだ。
「でも、それだけじゃないんだろう?」
「はっ。どうだかな。私は私の為すべき事をするだけだ」
クルミは鼻で笑うが、本当に戦闘に専念したいなら、和也なんて放って、先に城に乗り込んでいるはずだ。
彼女も言っていた。
待たすとはいい度胸だ、と。
だとすれば、何かしらの意図があって和也と合流したと見るのが自然だ。
クルミも態度こそ尊大だが、こんなにもわざとらしく声に出すとなると、多少は彼女の考えも察せられる。
「下らん問答は終わりだ。獣共が此処に接近しているぞ」
「いいのか? 一度始まったら、もう後戻りはできない」
「愚問だな。私を誰だと思っている」
和也の視線を、クルミは正面から受け止める。
どうやら余計なお世話だったらしい。
和也は苦笑しつつ、この頼もしい仲間の存在に感謝する。
役者は揃った。
後は舞台に上るのみ。
「行くぞ勇者」
「行こうか魔王」
元勇者と魔王、世界を救う者と破滅に導く者。
相反する二人が肩を並べ、一つの目標に向かって突き進む。
拳を握り、足を踏み出す。
さぁ、反撃の時間だ。
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