第五話 立花楓
広場にて、この世の終わりを迎えたかのように、絶望に打ち拉がれて、ベンチにうなだれていた。
妖怪、立花楓。
他者を魅了する美貌は人を惹きつける要素を備えているが、度の越す美しさは逆に遠ざけることもある。
寂しくあるものの、周りに人がいないのはいつものこと。
せっかくの自己紹介で素っ気なく、冷たい感じに捉えられても気にしない――
(またやっちゃったよぉ……。お母様、楓はもうダメそうです。自己紹介も失敗しちゃった……。あれじゃ第一印象なんて最悪に決まってるよね……。「立花楓。趣味は読書と絵を描くこと。妖怪。以上」とかダメダメ……)
――なんてわけがなかった。
何気ない会話でさえ、前もって考えていなければ普通に話すこともできない。
考えても緊張で必要最低限の単語しか話せない。
そのせいで、友達は今まで一人もできず、家族しかまともに会話していない。
彼女が普段、絶対零度の覇気を発しているのは、妖怪としての特性でもなく、誰とも関わりたくないというひねくれた性格でもない。
単に常に会話の内容を考えているだけなのだ。
いつ誰とでも仲良くなれるように。
その美貌と気難しい表情のせいで人々が勝手に避けているだけだ。
楓自身は、まったくもって意図してないが。
そんな彼女が学校に来た最大の目的は『友達を作ること』である。
生まれが特殊な楓を両親が危険な目に合わさないために、色々と手を回して、知り合いが学園長をしている清条ヶ峰に入学させられた。
本人としては友達ができると意気込んでやってきたが、このザマである。
いきなりやらかしてしまった。
もう希望もへったくれもない。
せめてここでは友人ができればいいのに、と期待していた自分が情けなくなってくる。
そして呆然と街を歩いていたら、たまたまここに流れ着いたのだ。
「しりとりでもしようかな……。しりとり、りんご、ゴマ、まり、リス、すいか、かに、にじ、じみ、みみっちい、いらない子……」
「ママー、あの人なにしてるの?」
「こら見ちゃいけません!」
危ないオーラ全開の妖怪少女。小さな子どもに指をさされる始末である。
周囲の視線に全く気がつかず、マイナススパイラルを突き進む。
このまま三時間は沈んでいられる自信がある。全く自慢にならない自慢だ。
どうすればイメージアップが図れるか検討する。
結果は伴わないが、改善しようと努力はしている。努力は。
(明日は朝一に教室にいって出迎える? いやいや出迎えるって何するの? 挨拶も素っ気ない感じじゃなくて、お淑やかに「ふふ、おはようございます。今日もいい天気ですね」とか言った方がいいのかな? ……できたらこんなに苦労してませんよね。やっぱり贈り物? でも仲良くなってない人に突然もらっても困っちゃうだろうし……)
「立花さんだよね? 同じクラスの――」
「ふわっふ!」
急に話しかけられて、変な声が出てしまった。
不安げに、視線を下から上へと移す。声の主を覗く。
不揃いの短めの黒髪に、優しそうな顔をした、確か同じクラスの桐生和也だ。
あの中では最もまともそうだと記憶している。
忍者は女好きで近寄りがたいし、クルミは可愛らしいが物言いがキツく、心が折れそうになる。
フリーネは明るくて良い人そうに見えるが、あのテンションには到底ついていけない。
異性で話しかけずらいが、クラスで最初に仲良くなれそうなのは、なんとなく彼だ、と漠然に思っていた。
第一印象はともかく、一体何をしにここに来ているのか。
そう聞こうと文章をまとめようとする。
その間に事情を知らない和也は不思議そうに、頬を右手の指で掻きながらも話を続けた。
「……同じクラスの桐生和也だけど、覚えてる? ちゃんと紹介はしたと思うんだけど」
「覚えてる」
(また反射的に言っちゃったよぉ……。ここからもっと話題を膨らませないと)
話しながら内心、後悔するというある意味難しい技をこなしている楓。
少年は知ってか知らずか、話を終わらせることはなく、むしろ続けようとしているようだ。
楓にとっては非常に好都合。
またとないチャンスだ。
思い切って話題を盛り上げようと試みる。
「訳あって暇になっちゃってさ。適当にぶらついてここで休んでたら、たまたま立花さんを見かけたんだよ。せっかく同じクラスだし、せっかく話そうかなと」
「そう」
(死ねい! 私死ねい! なにすまし顔で、そう、とか言ってるの!?)
「どうかした?」
「どうもしてない」
(とってもどうかしてます!)
動揺を隠そうと、ポーカーフェイスを貫く。
元々感情が表にでないタイプない楓の少ない特技の一つだ。
ごまかす楓をよそに、和也は自然な動きで楓の隣に座る。
女子の隣だというのに気にした様子はなく、気兼ねなく笑っている。
そんな少年を新鮮に感じる。
いや新鮮どころか初めて、の方が正しい。
両親は自分にはもったいないくらいできた人達で、楓の性質も迷うことなく受け入れた。
なんとなく、そういう人と同じ匂いがする。
優しい暖かさで人を包むような。そんな感覚。
妙な安心感が胸の底から湧いてきた楓は、珍しく自ら話題を振った。
「好きな本は?」
自己紹介時に趣味に読書と話していたから、無類の本好きの楓とは気が合いそうだ。
どっぷりはまっていなくとも、スキンシップとしては上々だろう。
「そうだなぁ、三国志みたいな歴史物かな。脚色してあるだろうけど、ああいうのは面白いよ。いろんな視点があるから、それぞれ見方も変わるしね。立花さんはどんなジャンルが好きなの?」
ここで勝手に語りださないあたり、色々心得ているデキる男だ。
楓も歴史については得意な部類なので、語られてもついていける自信はある。
ほんの少し上機嫌になってきて、徐々に饒舌と化す。
「純文学」
(恋愛系の方が好きだけど、言えないなぁ……恥ずかしいし……)
白馬の王子様がいたらいいなと思っちゃう、案外乙女な楓。
純文学も好きだが、夢に溢れたベッタベタの王道シンデレラストーリーはもっと大好きだ。
恥ずかしくて語りはしないが。
「純文学か……。そっち系列は全然知らないなぁ。何かオススメってある?」
意外と食いつきのいい男の子だ。
お互い知っている内容なら盛り上がるし、この調子になら友達になれるかもしれない。
謎の高揚感が楓の背中を押す。
家族を除いて、過去を省みても、一番会話できている。
「初心者なら、よだかのほしとか、三銃士あたり」
「ああ、小学校の教科書に書いてあったかな。三銃士は今度買ってみるよ」
「興味があったら、他にも探してみるといい。良作はたくさんある」
(硬っ! 口調が硬すぎるよ私!)
これまでの会話の一番喋ったのに硬すぎる。
クラスメイトと話すにしては違和感ありまくりだ。
不安な楓なんて、和也はお構いなしだ。
性格的には話題を振るより振られた方が負担がなくて楽ではある。
「そうだね。割りと雑食だし、そっち方面にも手を出してみるかな。ちなみに立花さんは日本史とかいける口?」
「真田幸隆とか」
「おお! なかなかいい目の付け所だね。 立花さんとは話が合いそうだ」
続くこと三〇分。
二人で本について語り合った。
語り合ったと言っても、熱意があったわけでもなく、意味があったわけでもない。
まさしく他愛もない会話。
道行く人々が聞いていたとしても、右から左へ聞き流す、些細な談笑。
家族でもない人と、こんな楽しく話せる時なんて一度もなかった。
誰も近づくことすらしなかった。
普通の妖怪とは異質だっただけなのに。ただそれだけだったのに。
不気味がって誰もが楓を畏れていた。
優しい両親がいなかったら、どうなっていたのか。考えたくもないし、きっとまともではなかった。
目の前の少年は、対等に扱ってくれる。友人のように扱ってくれる。
出自を知らないからだとはわかっている。
だが。それでも。この当たり前が欲しかった。
ポカポカして、温かい。気を張らなくてもいい。押し寄せる高揚感。
まとめて何と言ったか。この感情を何と言ったか。
「どうしたの? 笑ってるけど」
「え?」
言われて自分の口に手をやる。
摩るとどうだ。
口元が上向きにつり上がっている。
笑っていたのだ。そう、笑っていたのだ。
家族以外の前では初めて笑ったような気もする。
(嬉しいんだ私、楽しいんだ私。誰かと普通に会話をすることが)
そう思うと、余計にニヤついてくる。
もう平常心を保つなんて器用な真似はできなかった。
「にへへ……」
「立花さん……エロいおっさんみたいに笑ってるけど、熱でもある?」
「はっ! ないない熱なんて全然ない! 絶対ないからね! そもそもそんな風に笑っていないから!」
顔を真っ赤にして否定する。
熱はどうでもいいが、エロいおっさんは全力で否定させてもらう。
うら若き乙女が男の子の前で下品な笑みを浮かべていたなんて、すぐにでも記憶を抹消したい。
説得力ある嘘を思いつこうとしていると、和也が真剣な眼差しでこちらを見ていた。
見つめられると自覚すると、ただでさえ真っ赤だった顔がゆでダコのようになり、心臓のリズムが高速に刻まれる。
「立花さんって……」
「え? ええ? わわわわ!」
あわあわ度に発破がかかる。
あっちこっち視線がぶれて、和也を直視できなくなった。
謎の奇声を発して、どんどん冷静さが欠けていく。
そして、少年は言った。
「そんな顔もできるんだね。クールな人なのかなって思ってたけど、そうでもなくて良かったよ。話しかけやすいしね。さっき話しかけたときの声とか可愛かったなあ」
「忘れて! すぐに忘れて! 記憶から消して!」
「ははー。無理だよ」
高ぶった感情は、別の方向へと熱を移した。
呑気に笑っている和也の両肩を掴んで、分身でもしているかのように、ぶんぶん回す。
「あばば。口調も変わってきてるよー。あと目が回ってきたんですけどー。聞いてますかー」
「忘れなさい! 忘れたまえ! 忘れたもう!」
「いやいや、忘れさせたいなら殴るとか他の方法もあるでしょうに……おえっ」
「ああ! 大丈夫!?」
真っ青な顔をして、本当に気持ち悪くなったらしいため、揺らすのを止める楓。
やりすぎたかも、と本気で反省する。
ベンチの横で、膝をついてリバース寸前になっている和也の背中を、謝りながら摩る。
しばらくして、吐き気が収まった和也が立ち上がる。
そのままいそいそとベンチから離れていく。怒らせてしまったと怯えたが、杞憂に終わる。
「飲み物買ってくるけど、立花さんは何か飲む?」
「お茶で」
(はっ! 反射的に答えちゃったよ! 迷惑までかけたのに……)
「はいよー」
軽く返事をして、近くの自動販売機までふらふらしながら歩いていく和也
。
広場の入口付近にあり、間に噴水が挟まっているため、様子は伺えない。
吐き気まで催させ、会話しても素っ気ない。
いいところなんて一つもない。
趣味は共通しているのが救いだ。奢ってくれるようだから、きっと嫌われてはいないだろう。
しかしこれでは友達としてみられているかはわからない。
先ほどの初接触で「ふわっふ!」と奇声を発した楓は最初からマイナス点。
日本史という部分と、意図していないギャップというのでプラス点。
この時点でプラスマイナスゼロ。
最後の失態で完璧に楓のイメージはマイナスになったはずだ。
相当ネガティブ思考だがこれは仕方ないもの。
過去にまともな友達づきあいというのをしたことがない彼女は、幾分と感覚がずれてしまっている。
(これはやっちゃった? もしかしたら飲み物を理由に私を置いていったり……)
顔が青くなってゆく楓。
せっかく友達ができそうだったのにこの始末。
意気込んで家を出た最近の自分が遠く感じられる。
思考がさらにマイナスの螺旋へとはまろうとしたとき。
「はいお茶。顔青いけど、どうかした?」
俯く楓に声が。右手にお茶を、左手に清涼飲料水の缶を持つ桐生和也だ。
見捨てられなかっただけで儲けもの。
美麗なネガティブぼっち大和撫子はそう思った。
「何でもない」
内心びくびくしながら、無難な受け答えをする。
対して、和也はにこにこしながら言った。
「最近引っ越してきたばかりで友達とか全然いないし」
「――っ!」
楓の瞳孔が見開く。
ここにいる少年も何かを抱えていて、友達がいないのだと勝手に推測したためだ。
話をしっかり聞いていれば、引っ越してきた先にいないだけで、昔からいないとは一言も言っていない。
盛大に勘違いした楓は、なんだこの子も同志かと目頭に溜まった水滴を片手でぬぐい、空いた手で和也の肩を優しく叩く。
「立花さーん。何か大きく勘違いしてませんかね? 可哀想な子に思われてるような気が尋常なくしてるんですけど」
「いいの。強がらなくていいんだよ。その気持ちはすごいわかる。本当だよ。ぐすっ」
「話聞いてないよね!?」
今日この日。立花楓は初めてまともに、家族以外と当たり前の会話ができた日となった。
この出会いが良かったのか悪かったのか。それはまだ誰も知らない。