第十八話 一刀両断
「…………」
立花楓は街に繋がる道の前で、静かに佇んでいた。
右手には飾り気のない太刀。
黒い鞘に収められ、時を待つ。
凝った装飾はないが、その手の知識がなくとも、名刀だと雰囲気でわかる業物だ。
彼女は瞳を閉じ、風を感じる。
艶やかな黒髪がなびき、宙に揺らす。
おどおどした様子もなく、寂しげでもない。
堂々として、どこか自信に満ちていた。
今までの楓とは打って変わった姿。
冷静な思考で、これまでの事を思い出す。
牛鬼に襲われてからは、ずっと家に引きこもっていた。
自分は両親に甘え、現実を知らず、命の危機にまで晒してしまった。
外に出たいなんて二度と言えない。言ってはいけない。
両親だって自由に外に出られないのだ。
永遠に家から出たいなんて思っちゃいけない。そう考え、過ごしていく日々。
代わり映えのない毎日が続く。
本を読んで、外への好奇心を押し潰した。
その時の楓はよく理解していた。自分が悪いのだと。こんな風に生まれた楓が原因だと。
変わらず両親は良くしてくれたし、生活に関しては恵まれていと思う。
それでも渇いた心は潤わない。ずっとそんな生を送る。子供ながらに自覚していた。
清条ヶ峰学園に通える話が出たときは、夢だと疑わなかった。
夢じゃないとわかると、泣いて喜んで、両親に感謝した。
そして出会った四人のクラスメイト達。
魔王にドラゴンに忍者に異能者。みんなそれぞれ個性的で楓には眩しい人だ。
こんな自分にも良くしてくれる優しいクラスメイト。
そんな彼らを傷つけさせたくなくて。
どうにかしないといけないと、また一人になった。
家族以外、まともに会話できる人なんていなかったから。
失いたくなかった。こんな気味の悪い妖怪でも仲良くしてくれる人達を。
彼らと話しているだけで、心が温かくなれた。幸せな気分になれた。
初めて同年代の子と喋った。シミュレーション済みだったのに大失敗した。
初めて男の人と二人きりになった。とても良い人で友達になってくれた。
初めて友達と遊んだ。緊張したけれど、楽しかった。
初めてゲームセンターに行った。格闘ゲームは難しくて、クルミに指導された。
初めてソフトクリームを食べた。美味しかった。三段アイスなんて物があるなんて知らなかった。
全部初めて尽くしだった。驚きの連続だ。
楓が生きていた世界は本当に狭かったのだと痛感する。
だからこそ守りたいと決意した。
楓にはもったいないぐらい素晴らしい友人達を。
だからこそ覚悟を決めた。
一人で全て終わらせると。
なのに彼は、桐生和也はやって来た。頼んでもないのに勝手に。
追い返したくて、生まれも過去も全部話したのに、全然離れていかなくて。
むしろ、もっと近づいてきて。
拒絶したくても出来なかった。
嬉しかったから。
口で見捨ててくれと言っても、心の中では見捨てないで欲しかったし、一緒にいて欲しいと、ずっといて欲しいと思っていた。
楓が覚悟を決めるのに懸けた時間も、無駄に終わってしまった。
説得されれば簡単に諦めてしまう、その程度の覚悟。
そんなのは覚悟じゃない。ただの自己満足だ。
結局のところ、楓は最初から助けてもらいたかった。
誰でもいいから、暗い地の底から引っ張ってくれる人がいて欲しかった。
それだけの話だ。
こんなに口下手なのに、楓の意思を汲み取って、助けたくれた和也。
彼には感謝しても感謝しきれない。
初めての友達で、友達作りにも協力してもらった。
和也の妹、舞も紹介してもらい、彼女とも仲良くなれた。
失敗しても励ましてくれる。次の作戦も親身に考えてくれる。
優しくて頼りがいのある少年だ。
手入れしているのかよくわからない黒髪。
優しげで温和な顔つき。
細身で筋肉質な体――
(うう、考えていたら恥ずかしくなってきちゃう……)
頭の仲が和也で侵食されかけ、思わず顔が熱くなる。
状況が状況だけに、こんな事で混乱していてはダメだ。
深く深呼吸して、調子を整える。最後に軽く咳払いすれば完璧だ。
もう一度、思考を落ち着かせる。
頭を巡るのは牛鬼。
楓が隠れて生活する事になった一因であり、今も心に染み付いたトラウマだ。
あの恐ろしい妖怪の姿は鮮明に思い出せる。
鼻息の荒い、牛の頭。無駄に鍛えられた鬼の胴体。ダサいデザインの赤い布を腰に巻いていた。
やや誇張されているかもしれないが、大体あっている。
その姿がちらつくだけでも身の毛がよだつ。
手が震えて、刀を落としそうになる。
怖い。見たくない。恐ろしい。でも楓はやると決めた。
みんなで全てを終わらせると。
もう一人で抱えなくていい。
そう思っただけで、気分が楽になる。
最初は牛鬼を誘導してくれるだけでいいと言ったのだが、和也が一度でいいから牛鬼を殴らせて欲しいと強く押してくるので、しぶしぶ応じてしまった。
押しに弱い楓は勢いに呑まれたわけだが、やっぱり不安になってくる。
新種でも上位妖怪の特性を扱える楓は片手で捻られるのだから、身体能力は優れているのだろう。
それに楓だけにこっそり教えてくれた。
『俺って最近有名らしい異世界帰りの勇者なんだ……頭大丈夫みたいな憐れみの目をしないでくれ。本当だからねマジで』
いや勇者だからどうしたと問い詰めたかったが、和也達との合流を牛鬼に悟られる時間を与えるのは避けたかった。
この世界出身者の人間が異世界で勇者して帰ってきたという話は、楓も両親が話していたのを耳にしている。
勇者が強いか弱いかは知らない。
しかし、和也が中位妖怪二体と戦って圧倒。それでいて余裕まで見せている。
牛鬼にも手傷を負わせた。異能者とはかけ離れた戦闘能力。
あながち嘘ではないのかもしれない。そう思わせるだけの力を和也は発揮していた。
変な嘘をつくような性格ではないし、清条ヶ峰学園はそういう子どもを集めている。
数瞬の思考の末、楓は認める事にした。
ドラゴンのフリーネがいるのもある。フリーネなら一人で牛鬼をボロ雑巾のようにするなんて朝飯前だ。
というか一人で行くならこんなに考えなくてよかったと思う。
そうしたくても、巻き込まれにくるのだから、諦める。
諦めずに粘っても徒労に終わるだろう。
彼らはそういう人達だ。楓はよくわかっている。
クラスメイトは友達思いの、素晴らしい人達だと。
だから。
最後は、最後だけは自分の手で終わらせる。
「……楓か! ちょうどいい。ついでに貰っていこうか!」
見るも無残に傷ついた牛鬼が猛進してくる。
予定通りだ。和也達はうまくやってくれたようだ。
一発殴るだけで済んでいないと思うが、この際構わない。
芸術品と評してもいい漆黒の鞘から、刀を引き抜く。
太陽に照らされ、美しく輝く刀身。反射した光ですら神々しい。
幻想的で、儚く、それでいて世界に存在を強烈に示している。
きっと初めて見た者はこの世に斬れない物はないと思わされてしまう。
魅させられてしまう。楓の美貌と同じく、他を圧倒する霊気。
「それは……! よりにもよってそれを造るか……!」
牛鬼がかつてないほどに動揺する。
焦りからか、遠目からでも汗が流れているのが見えた。
明らかに畏れている。畏れて当然だ。
なぜならこの刀は鬼にとって最大の天敵だからだ。
名を童子切。
日本三大悪妖怪に数えられる大妖怪、酒呑童子を斬り殺した刀。
その斬れ味は試し切りの達人が六つの死体を使って振りおろしたら、死体のみならず、土台まで達したとされている。
天下五剣の一つであり、対鬼最強クラスの武器だ。
創造には楓が受け継いだ紅葉の特性、『極めて本物に近い偽物を創りだす力』を使用した。
力の特訓を始めて十年近く経っているが、最高傑作と言ってもいい出来上がりだ。
牛鬼に効果的な弱点はない。
だから牛鬼よりも強い酒呑童子に通用する武器ならと考えたのだ。
和也にせめてもと鬼全体に効く道具を造って渡したが、あれらでは効果は薄い。
必然的に日本最強の鬼をも斬殺する童子切を用意した。
和也にも渡したかったが、これほどの名刀を創造するには時間がかかり過ぎる。
ついさっき、出来上がったばかりだ。
「知ったことか! このまま押し通る!」
牛鬼は勢いを衰えさせるどころか増していく。
楓なら突破できるのだと考えているのだろう。
甘い。牛鬼の考えは甘い。
楓はもう幼くない。弱くない。何より友達がいる。かけがえのない友達が。
楓は成長した。牛鬼になすすべなく捕まった当時とは違う。
まだ牛鬼に恐怖を感じても、手は震えない。思考も冷静だ。
まっすぐ牛鬼を見据える。
楓に大きな心の傷を残した元凶。両親も友人にも危害を加える集団の主犯。
今日それら全てを断ち切る。
ここまでお膳立てしてくれた友人達に感謝しなければならない。
楓に戦闘経験はない。
最初に想定していた作戦だと、奇襲を仕掛けて牛鬼を斬殺するか、乱戦に持ち込んで討ち取るかだ。
成功する確証なんてなかった。それでもやるしかないと思っていた。
だけれど、今は違う。
牛鬼と楓の一対一。
必定以上に傷を負った牛鬼。しかも直線での突進。
対鬼最強武装の童子切。
最高の状況だ。あとは自分の心を決めるだけ。
今まで皆に引っ張ってもらったのだ。
最後ぐらい自分で自分の心を押し上げよう。
黒い眼に潰えることのない炎を宿らせ、楓は牛鬼に向かって宣言する。
恐ろしく冷たくて。熱の篭った、明確な楓の意思を。
「――斬る」
全神経を両手に集中させる。刀が楓の体と一体と化す。
童子切は腕の延長線。手を扱うように自由自在に操れる。
天空の日輪が刀身を煌めかせる。
あとは本体が振り下ろすのを待つだけ。
楓は肉薄する牛鬼を前にしても、微動だにしない。
空気の流れを感じろ。敵の動きを注視しろ。
自分にはできる。信じろ。
距離からして、接触はおよそ五秒。
五。
逃げる気はない。
四。
躊躇わない。
三。
牛鬼の巨躯が眼前に迫る。
二。
敵を。
一。
断ち切れ。
「あが……あ……あ、ああ……」
すれ違いざまに振り下ろされた童子切は牛鬼の脳天を捉えた。
洗練された動作は、最低限の力で牛鬼を切り裂く。
頭部から胴体へと突き抜けた刃は血の一滴もついていない。
ぬらりひょんの特性の透過で毒の鎧を通過し、童子切の凄まじい斬れ味が余計な物を一切寄せ付けなかったのだ。
決着はあっさりだった。
右と左に半分になった牛鬼が傍に転がっている。
血をあちこち撒いているが、直に消えるだろう。
現に、牛鬼の体が翡翠の粒子になって、形を失っていく。
再起不能の傷を負った妖怪に死体は残らない。
妖怪は人間の想像が源で、人間のような言動もとるが、人間ではない。
幻想は幻想。散っていくのが定めだ。
しかし消えていくという事は牛鬼は確実に死んだのだ。
あんなに楓を苦しませた張本人が死んだ。消えていく。
生まれはどうにもならないけれど、一番積極的に動いていた牛鬼はいなくなった。
楓のこの手で。
「あれ、豆?」
牛鬼の体があったところに、いくつか豆が落ちていた。
これは楓が和也に渡した豆だ。どうしてここにあるのだろうかと考えていたら、体がふらついた。
牛鬼に縛られる事はなくなった。そう自覚したせいで、ほっとしてきて体から力が抜けてきたのだ。
疲労感もあったのだろう。重力に任せて、そのまま倒れ込んでしまう瞬間、
「おっと、危ない危ない」
和也が抱きしめるように支えてくれた。
衝撃を殺してくれたおかげで、すんなり和也の胸に収まった。
恥ずかしさより先に、安心感で一杯になる。
彼の胸は暖かくて、頼もしかった。
「終わった?」
和也は優しく語りかける。
今にも眠り落ちてしまいそうな楓は静かに頷いた。
「……うん」
そうか、と一言返すと、和也は最後にこう付け加えた。
「なら帰ろうか。学園に」
そして楓の意識は暗くなった。無理して起きる必要がなくなったからだ。
彼女が最後に見たのは、楓の名前を叫ぶフリーネと武蔵。それに和也の穏やかな笑顔だった。
***
『ふむ。終わったようだね』
「そうだな。私のクラスメイト達はなかなかやるようだ」
街外れの廃工場から離れた場所にある丘で、会話している者がいた。
銀の長髪をツインテールでまとめたセーラー服の少女。
異世界の魔王、ルーキフェル=イブリス=クルミナレッテだ。
異世界人だというのに、器用にスマートフォンを扱っている。
電話の相手は清条ヶ峰学園の学園長だ。
そこからは和也達が激闘を繰り広げた廃工場がよく見える。
彼女は途中からだが、彼らの戦闘を見学していた。
『今年の子ども達は学園史上最高クラスの戦闘能力があるからね。牛鬼程度の上位妖怪は敵じゃない』
「……まるで偶然そうなったように言うが、お前が自分で仕向けたのだろう?」
『わかってしまうかい?』
電話越しに子供っぽく笑う学園長。
クルミはそんな理解不能な人物に嫌悪を感じる。
今回の事件も正体不明の学園長が仕組んだ線が濃厚だ。
学園の生徒を安全に守る条件で、子どもを預かっているのに、こうも簡単に危険に晒し、あげくに、自分達で解決しろという。教師陣はともかくとして、学園長が裏で何かしているのは間違いない。
この世界には学園長の誘いで来たが、未だに目的がわからない。
気味が悪いが、その力は絶大だ。利用するためにも耐えなければならない。
「ちっ。まあいい。それよりも奴らはどうした? 一般人の目についていないだろうな」
『君が潰していた妖怪達かい? それなら全員回収したよ。しかし魔王が友達のために戦ってくれるとはね。いやはや驚いたよ』
「……黙れ。気が向いただけだ」
『その割には頑張って走っていたようだけど』
「そ、そんなわけないだろうが! 馬鹿が!」
反射的にスマートフォンを地面に投げて踏み潰したくなったが、こらえる。
フリーネ達と別れたあと、クルミが向かったのは牛鬼から離れ、別行動をとっていた野槌率いる部隊だ。
学園を出たところでクルミ達を監視する視線を感じたので、追っていった。
流れで、戦闘になり、一分程で殲滅した。他愛のない敵だ。
いや敵と呼べる敵でもなかったように思える。
『それにしても全員生かしておいたのは、どういう了見だい? いてもせいぜい半殺ししかいなかったが』
「お前は何を言っている? この国で殺しは決まりに違反するのではないのか? しかし雑魚ばかりで逆に大変だったぞ」
殺す方が楽だが、この世界の日本という国は殺しが禁じられている。
来たばかりの頃に読んだ本にそう書かれていた。
クルミはそれを実行し、せいぜい正当防衛で済むぐらいに留めておいたのだ。
そのため学園長がどうして質問するのかクルミは理解できなかった。
『それに当て嵌るのは人間だけで、妖怪は違うよ。そんな決まりはない』
「なん……だと……!」
これは勉強のやり直しだ。勝手に人間の法律を妖怪にも置き換えてしまっていた。
自分の思い込みに腹が立つ。
魔王は完璧でなければならないのにこの体たらく。情けない。本当に情けない。
腹いせに、足元に転がっていた石ころを蹴っ飛ばそうとするが、空振りした。
「…………ふんっ!」
再チャレンジで、蹴飛ばした。
今度はちゃんと丘を下って、落下していった。
どうせ誰も見ていない。空振りしても何も言われない。
『盛大に空振りしたね』
「い、言うな馬鹿! まずどこから見ている!」
この学園長はどこで何を見ているかわからない。
これでは気が抜けない。今後警戒を強める事にする。
イライラが募るばかりだが、ふざけた態度を一転して、真面目に学園長が聞いてきた。
『それで見た感想はどうだったんだい?』
「強いには強いが……ダメだなアレは。期待はずれではないが、想像以上でもない。何か隠しているのかもしれんがな」
『確かに全力戦闘はしていなかったね。立花楓との約束を守っていたようだから仕方ないと思うが』
「……だといいが。あれが勇者の実力だとは思いたくない」
『期待し過ぎていると思うよ。君は。彼は十分強い方さ。彼が勇者だという情報を流した張本人に言う事ではないかもしれないけどね』
学園長が諌めてくる。急に先生の口調になって気持ち悪いので、聞き流す。
クルミが情報を流したのは間違いないが、大した意味はない。
とりあえず勇者に危機感を持てと示したかっただけだ。
クルミは和也が力を隠していると信じている。そう思う根拠もある。
なぜなら勇者、桐生和也は、
「歴代最強と呼ばれた先代魔王を殺した男だぞ。期待しても仕方あるまい」
クルミは愉快そうに笑う。
ルーキフェル=イブリス=クルミナレッテは魔王だ。
和也は自分が殺した魔王がいた世界ではない、別の魔王と思い込んでいたが、違う。
彼女はかつてレルービアに戦争を仕掛けた魔王がいた世界、インデストの出身。
「私の目的についていけるぐらいには、な」
小柄な体格で、尊大な少女、ルーキフェル=イブリス=クルミナレッテ。
彼女は魔王。死亡した先代の後を継いだ、新しい魔王。
次回エピローグ
野槌は大した出番もなく退場。まだ生きています。今後出る予定はないですが。