第十五話 元勇者VS牛鬼
街の外れにある廃工場。
鉄柱は錆び付き、屋根には所々に穴が空き、陽が差し込んでいる。
ボロっちいドラム缶が転がり、汚い布を纏った十数体の異形が警戒するように睨みを利かせていた。
比較的治安のいい街だが、郊外にはよからぬ輩が集まりやすい建物も幾つか立地している。
学園長が学園に通う人外や妖怪の親や代表が打ち合わせしやすいよう、わざと残していたのだ。
奥には一体の鬼が破れた箇所がある牛革のソファに陣取っていた。身に纏っていたコートは脱ぎ去っており、筋骨隆々の肉体が露わになっている。
名を牛鬼。各地に伝説を残す上位妖怪だ。近辺を猿の妖怪、経立と数体の妖怪がうろついていた。
「経立、傷は治ったか?」
「おうよ兄貴。完治、とは言えねえが、殺し合いに支障はねえ。野槌の野郎もあらかた治ったてよ。早くあのクソ異能者をぶち殺したいぜ」
茶の剛毛に覆われた右腕を振り回す経立。殺気だった苛立ちが牛鬼も伝わってきた。
切り裂いた右腕はすっかりくっついている。人間の幻想がベースの妖怪は時間さえ掛ければ、大抵の傷は治ってしまう。肉体はあくまで入れ物に過ぎない。
急所を突かれたりすると死ぬが、そうでもない限り死なないのが妖怪だ。
現在、この寂れた廃工場は、牛鬼を筆頭として戦闘狂集団に占拠されている。
彼らの目的は一つ。
闘争。
世界を征服したいだとか。復讐したいだとか。複雑な理由はない。大義もない。
本能の赴くままに、殺し尽くす事。たったそれだけだ。
故に集団に名はない。
殺し合いしたさに、牛鬼の元に集った妖怪の一味。
仲間意識は薄く、自分本位の妖怪が多い。今は牛鬼の力によって組織の体を為している。
いつ破裂してもおかしくない風船と同様だ。
妖怪勢力からも危険視され、疎まれた。蔑み具合だけなら楓よりも上だ。
転々と移動しながら、強い異能者、妖怪を殺戮し、殺しの悦楽に浸る。
超常の存在である妖怪でも際立って、異常さが目立つ。
「気持ちはわかるが、お前がご執心のあの異能者……奴は本当に真似事しかできない人間なのか?」
牛鬼は疑問に思っていた。
彼には独自の情報網があり、強力な異能者や上位妖怪をピックアップした資料がある。
和也の情報は学園から流失したものだが、これはまた別の文献だ。
異能者で素の身体能力が高い人間は、最高でも人類の限界を超えるか超えないか。
中位妖怪二体を圧倒する身体を誇る人間はいない。構造上無理だ。
異能者の数が減ったのもあり、身体強化の異能者は現代にはいないとされる。
なら、あの劣化コピー能力者の体はどうなっているのだろうか。
猿妖怪、経立の拳を難なく受け止め、斬撃の軌道上に右腕を誘導する技術。
野の精霊妖怪、野槌の煉瓦の弾丸の雨を弾いて躱し、隙を逃さず腹を裂く観察眼。
明らかに戦い慣れている。
そして殺し慣れている。
現代日本を生きる人間にしては稀な生粋な兵士。
経立が右手に血管を浮かせながら、頭に血を上らせた。
「野郎が普通の異能者だろうが、そうじゃないだろうが、んなこたどうでもいい。次は油断しねえ。必ずぶっ殺してやる」
「……好きにしろ」
牛鬼は激昂しやすい猿に嘆息する。
彼は殺しを愉しむ歪んだ感性の持ち主でも、短絡的な思考はしていない。
追い詰められれば気分は愉快になり、強者を殺し、喰らうのを至福とし、楓が幼い日からつけ回す変態だが、馬鹿ではない。
情報と現実の誤差。手に入れた資料では特筆すべき箇所はなかった。
黒く薄いファイルに閉じられた、和也の欄までめくる。顔写真付きで、細かい記述はなくとも、それなりの情報が載っていた。
桐生和也。性別、男。一六歳。
四年前の夏から四ヶ月前までにかけ行方不明。さらに記憶喪失。清条ヶ峰学園の調査、検査により、危険人物ではないと認定。学園への入学を許可。一年E組に在籍。出席番号一番。
異能『劣化コピー』
相手もしくは能力に触れる事でコピーする。ただしオリジナルより確実に劣化する性質あり。能力のストックは二つまで。二つ以上コピーしようとすると、古い能力から消えていく。
「四年の間行方不明、記憶喪失。何かあったらとしたらここか……」
熱心に記されたページを披見する。
対策を練るつもりはなく、単に底知れない不気味さを感じる和也に興味を持ったのだ。
戦いに悦ぶ気性。作戦なんて余計なパーツは牛鬼には邪魔だ。
楓と接触するのに、和也を使おうとしたのは遊び。ある種の道楽。
清条ヶ峰学園のE組生徒に手を出すだけなら、あの学園長はこれといったアクションは起こさない。それどころか後始末までしてくれる謎の親切心がある。
ただし。
一般生徒やその家族になると話が変わる。
妖怪、異能者、異世界人等の人知を超えた生徒が集った学園。
あくまで裏側の事情であり、表側の一般人を巻き込む事をよしとしない。
かつて学園の存在を認めない上位妖怪を含む軍勢が滅ぼしに赴いたことがある。
数時間で街を消滅させるなんてわけない戦力。
争いを好まない穏健派の妖怪も諌めはしたが、学園長が無理に止めなくていいと伝え、何もしなかった。
結果。
学園どころか街の敷地どころか、反抗勢力の拠点にいるところを一夜にして殲滅される。
率いていた上位妖怪、山ン本五郎左衛門も惨殺。生き残りはいなかった。
穏健派が念のために付けていた監視によれば、たった一人に殺されたという。
どうやら学園長の私兵で、通称を『警備員』とし、無用な争いを仕掛けてくる連中を始末しているらしい。
そちらは後々頂くとして、以前から狙っている楓が重要だ。
一般生徒を狙えば、たやすく誘い出せる警備員は後回し。
警備員一人より、楓を中心とした争乱を起こす。こちらなら長続きするし、たくさん殺せる。
強者を殺せる日々を思うと、口元が歪む。
牛鬼は馬鹿ではないが、根っからの戦闘狂。
滾ってきた血で、和也の能力はもはやどうでもよくなってきた。
無性に殺したい。無性に喰らいたい。
牛鬼の体は殺しに飢えて仕方なかった。
うっかり近くの妖怪を殺したくなっていると、日本刀の手入れをしていた経立が牛鬼を呼ぶ。
嫌いではないが、猿顔を見ると殺したくなってきた。気分が高まっているせいだろう。
「さっきから街に忍ばせていた別働隊の奴らと連絡が取れねえんですよ。野槌に指揮させたのまずかったっすかねえ。定期連絡はしろつったのに」
「……いつから連絡が取れない」
「三〇分前……四〇分前ぐらいか? もうちょい遅かったような……」
頭足らずの経立の報告を受けて、牛鬼はごつい腰を上げる。
すかさず周囲に気を巡らせ、臨戦態勢に切り替えた。
いくら戦闘大好きの狂人集団だとしても、定期連絡はよこすようにはなっている。
自己中心的で、好き勝手ばかりすると仲間内に粛清されるからだ。
獲物を独り占めするな。そういう意味である。
野槌はいくらか理性が利く妖怪で、身勝手な事はしない。現に経立が死にそうになったのを助けようとする行動もする。それに連絡を欠かしたらどうなるか、よくわかっていた。
なのに。野槌から連絡がない。なれば、意味するところは一つ。
腕から酸性の強い毒を垂らす。滴る紫の液体はコンクリートの地面に触れると、途端に溶かす。殺す準備は万端だ。
事態に追いついていない経立は頭を傾げる。
「どうしたんすか兄貴?」
「まだわからんのか。野槌から連絡が来ないという事は、連絡が出来ない状況に陥ったか、連絡すらできず殺されたか、だ。お前はいつも脳を使わんからこんなことにも気づかんのだ」
「それはヤベえな兄貴。ま、俺達がいりゃどうにでもなる――」
刹那。
鉄板で穴だらけの天井から轟音が鳴り響く。
天の陽をぶちまけて、逆光に姿を黒く染たれた人の姿。
それは呆然とする経立を踏み潰すように着地し、後方に蹴り飛ばす。そのまま鉄板の壁を突き破って外に放り出された。勢いを殺さずに手に持つ紫の液体が入った瓶を牛鬼に叩きつける。
歴戦の戦士である牛鬼は反射的に体をずらし、回避。体中から溢れる毒液を敵対者に向けて雨粒の如く、撃ちだした。近くにいた仲間にかかり、溶かし、絶叫させ、殺していくが、気にしている暇はない。
黒い人影は全てを余裕で躱していくと、地面を大きく蹴り、一気に距離を離す。
そこでようやく正体不明の敵の姿が露となる。
やや不揃いの黒髪。
「どうも」
鋭い目付き。
「ずっと女の子をつけ回す」
見る者を食い殺すような雰囲気。
「変態ストーカーの」
学ランを着こなす少年。
「牛鬼さん?」
清条ヶ峰学園。一年E組。出席番号一番。
桐生和也、その人だ。
***
全員を相手取るのは手間がかかるので、戦闘狂集団のトップの牛鬼に奇襲を仕掛けたが、不発に終わってしまった。
巨体に似合わず、俊敏だ。上位妖怪と称されるだけはある。
マグマのように蠢く紫の液体も強力だ。あれが牛鬼の毒。飛び散った雫がコンクリートをバターみたいに溶かしていく。僅かにでも触れたら、たちまちグロテスクな死体に早変わりだろう。
牛鬼の仲間は既に原形を残さず、一部分を残した肉片と化した。
戦闘中も彼らの苦しむ呻き声が、和也の耳に届いている。
不快感が込み上げながらも、牛鬼からは目を離さず、睨む。
「仲間の扱いがぞんざいだな」
「近くにいたのが運の尽きだ」
「広場じゃ手負いの猿とのっぺらぼうみたいのを助けていたのに?」
「俺が戦っていたか、戦っていないか。それだけの違いだ」
「……自分が良ければそれで良しなタイプか」
不快感が嫌悪感に変ずる。
和也と牛鬼との相性が最悪に等しいと、はっきりしたからだ。
いつでも反応できるよう、常に周囲と牛鬼を探りながら、一歩また一歩と足を使って体の位置をずらす。
呼応するように牛鬼も、漲る毒液を垂らして、一定の距離を取り続ける。
和也を警戒しているのは一目瞭然だった。
相手にとって、元勇者こと和也は得体の知れない存在。
情報と違う。これだけでも過剰な警戒心を抱かせるには、こと足りる。
これでいい。
戦いにおいて、警戒は必要不可欠だが、過剰な恐れはチャンスを見逃す。
中位妖怪を軽くいなす身体能力を目の前で見せつけてもいる。
恐れているかは別として、無闇に近接戦闘を仕掛けてくる凶行はしない。
そうなれば牛鬼の攻撃方法は毒一択。
選択肢が狭まれば、迎撃にも余裕が生まれる。
戦闘を優勢に進められるのはどちらか。選択肢が多い方だ。
有名な妖怪であればあるほど弱点もわかりやすい。
現状は和也が僅差で有利。
それにこちらには、まだアレがある。
制服のズボンに仕舞ってある、鬼の弱点をポケットに手を伸ばし、握った。
牛頭の怪物はその動きを見逃さない。
「大きさを考慮すれば、豆か桃か? 鬼の弱点には成りうるが、所詮は追い払う程度。鬼の中でも上位の俺には通用せんぞ」
「…………」
表にこそ出さなかったが、察しのいい牛鬼に内心舌打ちする。
忍者こと服部武蔵の助言では、鬼には有効との事。
日本でも馴染み深い、鬼は外、福は内の伝承があるからだ。言い伝えのおかげで、豆には鬼を近づけさせない効力が発せられるという。
よって楓の特性、『極めて本物に近い偽物を創る』で豆を生成。ポケットに忍び込ませていたが、意味がないようだ。
全く使えないなら、わざわざ渡す理由がない。多少なりとも効果はあるだろうが、期待はできなさそうだ。
「上から振ってきた時に掴んでいた瓶も同様だな。菖蒲を磨り潰した液なのだろうが、毒の鎧を纏う俺には効かん。無駄な小細工だ」
目を凝らして見てみれば、薄い紫の膜が牛鬼の体を覆っているのがわかる。
あまりの薄さに、違和感もない。
全身を包むなら、酸作用は落ちている確率は高い。
あまり直には触れたくないが。
「つまらん道具はここまでか? ではそろそろ殺らせてもらおうか。俺も我慢の限界だ」
獰猛な牛の面を醜く歪め、両腕を大きく振りかぶる。
直感的に和也は床に転がっていた鉄パイプを蹴り上げ、キャッチ。牛鬼目掛けて刺し放つ。
しかし動じず、振り上げた両腕を地面に叩きつけた。
迸る毒液が噴水のように一体に高速で散る。もろに毒を浴びた鉄パイプは瞬時に溶け、役目を果たすことなく空へと消えてしまう。
攻撃が無に帰した和也は、生命から物に転じた死体を壁に利用しつつ、巧みに毒液の嵐を凌ぐ。
「はは! 死体を使うとは、お前もなかなかの下衆だな!」
戦えて上機嫌の牛鬼は歓喜の雄叫びあげ、和也を罵倒する。きっと思考なんてしていない。本能のまま喋っている。
ありとあらゆる物を溶かす毒液を武器に遠距離での猛攻。近距離戦闘の手段しか持ち合わせがない和也には不利。
有利な状態から、すぐさま不利へ。とことんついていない。
「知り合いじゃ、ない、し、思い入れが、ある、わけでも、ない、からね」
次々と襲いかかる毒の奔流を器用に受け流して、ひとかすりもさせない。
さすがは勇者と言うべきか。数ヶ月前まで戦争の最前線で殺し合いを続けていただけはある。焦りを見せず、余裕綽々に躱す。
防戦一方で、攻めに移れないが、あちらも量だけ飛ばして、傷一つ負わせられていない。
「どうした? 劣化コピーは使わないのか!」
「さあね」
挑発する牛鬼だが、今は異能を使う時ではない。異能を使うタイミングは確定している。
物陰に隠れて、鉄板を投げつけ、機会を伺う。
「効かないか! ならばこれならどうだ!」
お互い一歩も引かぬ攻防に、無邪気な笑みをする牛鬼は和也に飛ばしていた毒液を、建物全体に撒き散らす。当たった位置は紙が燃える速度なんて目じゃない勢いで溶け出す。
牛鬼が狙いを即座に理解するが、即座も所詮は一瞬を要する。対抗するには時間が少なすぎた。
「ははははっ! ああ楽しいなぁ!」
笑って、笑って、笑いまくる牛鬼。
どこか狂気を感じる様相に、軽く戦慄しながら、諦めて上を向いた。
「自分ごと潰すとか頭おかしいんじゃないかな」
崩れ落ちてくる鉄板。鉄骨。倒れてくる鉄柱。鎖で繋がれていた鉄の塊。
大量の毒が、肉片すら溶かし、侵食する。出口に行こうにも間に合わない。
廃工場の全てが。
全てを押し潰す。
和也の視界が真っ黒に染まった。
「……まだ生きているか?」
「おかげさまで」
視界が鮮明になると、残念なことに眼前に牛鬼がいた。うざったいくらいに、いい天気で目に毒だ。
体を動かそうともがくが、相当な量の色んな物体が体中に引っかかったり、挟まったりして身動きが取れない。どうやら位置的に和也に多くの瓦礫が降ってきて、潰されたのだ。
鉄屑を蹴散らす牛鬼はやや上の位置から見下ろしてた。
牛鬼はこれといった傷はなく、自由に動けている。
建物の崩落に巻き込まれておいて、無傷とは余程頑丈か、毒で溶かして無効化したのだろう。
考察したところで現状は変わらない。
牛鬼が残念そうに呟く。
「これで終わりか。あっけないものだ。お前、本気を出していないだろう?」
「本気では戦ってたよ。全力でじゃないだけで」
「それを、本気を出していないと言うんだよ異能者」
心底つまらなそうに和也を見下ろす牛鬼。
彼には闘争が全て。短時間での決着に不満が尽きない様子だ。
そんなのは和也にはどうでもいい事なので、どこ吹く風と視線を流している。
「少しは骨があると思ったのだがな。弱くてがっかりだ。戦った相手は殺すのが俺の流儀。死んでもらおうか」
牛鬼の手が和也の頭を握り潰そうと迫ってくる。
身動きが取れないのでは、抵抗にしようがない。
されるがまま、潰されるまでの行程を見守る。
あとは死ぬだけ。簡単な作業だ。
もっとも。死ぬのは和也ではない。
「よっと」
和也は複雑に絡み合った瓦礫から抜け出す。
力任せではない。運良く隙間が出来たわけでもない。
摺り抜けたのだ。
「なっ!」
愕然とする牛鬼の顔面に力一杯殴りつける。
中位妖怪を凌駕する身体能力だろうが、上位妖怪には効き目が薄い。
だが牛鬼の巨体はバランスを崩すどころか、数回バウンドして、地面に叩きつけられる。
本当は力任せに抜けることはできた。鉄骨や鉄板なんて障害にならない肉体を和也は所持している。
全てはこの一撃のため。油断を誘うため。
今使用したのは楓が受け継いだ、ぬらりひょんの特性、透過。
和也が広場で楓に抱きついた際に、コピーしておいたのだ。
劣化により、制限はあるが今回はほんの些細な問題。
反撃を受けるなんて考えていなかったであろう上位妖怪は、呆然と這いつくばり
逆に和也が上から見下ろしていた。
「こちとら隕石を降らしたり、本気出せば星砕く人が苦戦する化物どもと戦ってたんだ。弱いわけがないだろう」
果たして有利なのはどちらか。
この場の支配者は確定した。