彼が地獄へ行きたい理由
「判決、鬼籍223組589番を天国行きとする。亡者は速やかに天国の階段を上り、受付にて説明を受ける事」
その抑揚の無い機械のような女の声は、俺に天国行きを言い渡した。
俺の思考は停止し、体が硬直する。
「では被告人は付き添いの獄卒に従って階段を上がってください。足元に気を付けて。はい、じゃあ次の亡者は――」
「そん……な」
「どうしました? 早くいきましょう」
俺の背中を優しく押す鬼女の手を叩き、俺は裁判官に食いかかった。
「なんでだよ、なんで俺が天国行きなんだ!」
裁判官は俺の言葉にわざとらしく目を丸くし、驚きの欠片も感じる事の出来ない平坦な声を発した。
「おや、天国行きの判決に抗議とは。珍しい」
その作り物のような不自然な表情に得体のしれない恐怖を感じたが、ここで引き下がるわけにはいかない。俺は抗議の言葉を続ける。
「俺は自分で言うのもなんだけど、地元じゃスゲー悪で知られてたんだぜ? 泣く子も黙る超ヤンキーの俺が、地獄へ行かないなんておかしいじゃないか!」
「ははぁ、超ヤンキーですか」
裁判官は相変わらず無表情でそう呟く。
「そうだ。いろいろやったぞ。喫煙、飲酒はもちろん、万引き、後はバイクを盗んで走り出したり――」
「確かに万引きはいけませんね。10円ガムくらい普通に買えば良いじゃないですか。まぁ小学生のころに一回やったきりですから、地獄に行くまでもないかと。あ、あと自転車も乗れないのに、バイクで走り出すなんて嘘、冗談でも吐いてはいけませんよ。閻魔大王だったら舌を抜いています」
「なっ……」
すべてバレている……?
「それとあなた、飲酒もしていますね。お酒なんか飲んじゃ駄目ですよ。吐いて倒れて、迷惑するのは周りの友人たちなんですから。それにしても、ビール一口で倒れるとは……」
「うっ、うるさい!」
俺の制止もむなしく、裁判官は巻物に目を通しながら喋り続ける。
「大きな声で喋っているつもりはないのですが。さて、喫煙は……1回だけですね。それも、喘息の発作が出て病院へ運ばれたとか」
「もう良い! やめろ、やめてくれ! これ以上はいいから!」
耐え切れず、俺はガックリとうなだれる。
裁判官は全部知っているんだ……俺が格好だけの「なんちゃってヤンキー」だってことも。
「電車でお年寄りに席を譲った回数898回、捨て猫を保護した回数6回、ポイ捨てされた空き缶をゴミ箱へ入れた回数1265回――あなたのした些細な悪さなんて、善行ですべて消し飛んでしまいますよ」
裁判官は良く通るはっきりとした声で俺にそう告げる。
俺は大きく息を吸い込み、覚悟を決めた。
「……バレては仕方がない。そう、確かに俺は善人だ。モラルの塊と言っても過言ではない。だが頼む! 俺を地獄へ入れてくれ」
裁判官は無表情のまま首を少し傾けた。
この動作は何を示しているのか。呆れているのか、不思議に思っているのか、はたまた肩が凝っただけなのか。表情が読み取れない彼女のこの動きが一体なんなのか、俺には分からなかった。
彼女は首を元通り真っ直ぐに直し、話を続ける。
「何をおっしゃる。善人だからって天国と地獄を選択できると思ったら大間違いですよ。獄卒だって、善人を責めるのは良心が痛むでしょう」
「だから、そこを何とか……頼むよ、裁判官さん!」
俺は深々と頭を下げ、裁判官に頼み込む。
しかし、彼女は決して首を縦に振らなかった。
「そうは言われましても、こちらにも決まりがありますので。あ、もしかしてマゾヒストの方ですか。でしたらご安心ください。天国にはそれ用の部署も――」
「いや、待て! 違うぞ、俺はそっちじゃない!」
俺は酷い勘違いをなんとか振り払おうと慌てて首を振る。
「違いますか。じゃあどっちなんですか」
「いや、どっちとかじゃなくて……」
このままでは埒が明かない。
俺は少し悩んだ挙句重たい口を開いた。
「実は……地獄に会いたいやつがいるんだ」
「はぁ、なるほど。ようやく納得がいきましたよ。会いたい方というのは隣の家の吉田さんですか?」
「いや……違うよ。えっ、待って、吉田さんって地獄行ったの?」
「はい。3年前に」
「えー……そうなんだ……吉田さん何したの? 普通のおじいちゃんに見えたけど」
「個人情報なので詳しくは喋れませんが、人は見た目で判断しない方が良いですよ」
俺は思いもよらない人物の名前にしばらく呆然としていたが、本当の目的を思い出してハッと我に返った。
「そんなことはどうでも良いんだよ! 俺が会いたいのは吉田さんじゃなくて……親父だ」
「お父様……ですか……確かに、10年前ここへいらっしゃいましたね。あ、担当裁判官は私です」
裁判官は巻物をいくつも広げながらそう呟く。
俺はおぼろげな親父の顔を脳裏に描きながら続けた。
「……親父は若いころかなりの悪だったらしくてな。ガキの頃、良く武勇伝を聞いてたんだ。俺があんな格好してヤンキー気取ってたのも親父の影響でな。親父は俺が5歳の時に死んじまったんだが……ここに来たからには、どうしても親父に会いたいんだ」
「そうですか。でも、お父様は息子が自分に合うために地獄へ行ったと聞いて喜ぶでしょうか。地獄は広いですし、お父様に会えるとは限りませんよ」
「いや、でも少しでも望みがあるなら……!」
「ではお母様がそのことをお聞きになったらどう思われるでしょう。自分の子供が地獄へ行ったなんて知ったら、お母様はさぞ悲しむでしょう」
これにはさすがに、言葉が出なかった。俺が死んで母さんはきっと悲しんだろう。
何故だか、止まっているはずの心臓が締め付けられる感覚に襲われた。
「……申し訳ありません、少々意地悪を言ってしまいました」
俺は裁判官の言葉にゆっくりと首を振る。
「いや……良いんだ。あんたの言うとおりだよ。俺の考えは甘かった」
「いえ、そうではなくてですね……」
裁判官は俺をじっと見据えて、ほとんど表情を変えずに口を開いた。
「あなたのお父様の判決はあなたと同じ、天国行きです」
「あぁ、そうだったのか……え?」
裁判官の思いもよらない言葉に耳を疑った。
俺はゆっくりと、恐る恐る口を開く。
「今、なんて……?」
「ですから、お父様は天国にいらっしゃいます。あなたがあまりにも素敵な理由で無茶を言うもんですから、つい、からかいたくなってしまいました」
「いや、だって、親父はたくさん悪い事を……」
「あなたと同じだったんですよ。つまり、彼もまた善良ヤンキーだったのです」
「え……えええ!」
「あなたに語った武勇伝も、九割方誇張されていますね。ちなみにあなたの下戸、そして病弱体質はお父様譲りですよ」
「えええ! ちょっ、マジかよ……」
「本当ですよ。武勇伝の真相を一つずつ説明していって差し上げましょうか。例えば、彼が盗んだバイクで走り出した話は――」
俺は必死に両手を振り、裁判官の話を遮った。
「いや! 良いから! もう良いから、信じるからやめてくれ!」
「そうですか。まぁ、その話は私よりお父様から直接聞くのが良いでしょうね。ただ、天国も広いので会えるかどうか……」
裁判官はほんの少しだけ、本当に注意してみないと分からないくらい微かに悲しそうな表情を顔に浮かべる。
俺はそんな不安を吹き飛ばすような笑顔を裁判官に向けた。
「大丈夫だよ! 絶対見つけ出すからさ。時間はたくさんあるんだし」
「……おっしゃる通りですね。では天国へどうぞ。さ、案内して差し上げて」
裁判官がそう言うと、少し離れていたところで事の成り行きを見守っていた俺の担当獄卒の鬼女が歩み寄り、俺の背中にそっと手を置いて天国の扉まで導いた。鬼とは思えない彼女の優しい手の温もりに、思わず涙がこみ上げる。
「さぁ、どうぞ」
鬼女が開けた扉に、俺は足を踏み入れた。
暖かい光が俺を包む。
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「良いんですか?」
「何がです」
一人の秘書の問いかけに、裁判官は無表情で答える。
秘書は慣れた手つきで巻物を整頓しながら、口を尖らせ言った。
「とぼけないでくださいよ。裁判所であんな大嘘ついておいて……」
「あぁ、天国行きの彼の事ですか。あれは私なりの優しさのつもりなのですが」
全く悪びれる様子の無い裁判官の言葉に、秘書は露骨にため息を吐く。
そんな事で裁判官の表情が変わるはずないというのは百も承知だったが、そうせずにはいられなかったのだ。
「何が優しさですか。彼はきっと天国でお父さんを探し回りますよ。天国にお父さんなんていないのに。というか、お父さんは死んですらいないじゃないですか」
「はい、そうですよ」
裁判官は相変わらず表情を変えずに小さく頷く。
「そうですよ、じゃありませんよ……本当の事を言って差し上げたら良かったじゃないですか」
「そんな可哀想な事、私にはできませんよ」
「散々地獄行きの被告人を弄んでおいて、よくそんな事言えますね」
秘書は綺麗に整頓した巻物の山を見て満足げに背伸びをしながらそう言った。
裁判官はそんな秘書には目もくれず、山のてっぺんから藍色の巻物を掴み、机の上でそれを広げながら口を開く。
「そんなつもりは無かったのですがね。でも実際、尊敬していた父が自分を捨てて不倫相手と逃げたなんて知ったらさぞショックでしょう。彼のお母さんもそう思って死んだだなんて嘘を吐いたんでしょうし」
「まぁ……そうでしょうけど……」
裁判官は釈然としない、と言った表情の秘書をなだめるようにして口を開いた。
「大丈夫ですよ。天国には楽しい事がたくさんありますし、そのうち彼のお父さんもこちら側に来るでしょう」
あぁ、でも――と言って、彼女は秘書に初めて顔を向けた。
その顔は、ほんの少しだけ微笑んでいるように見える。
「彼が天国へ行ける保証はどこにもありませんけどね」




