第一話
「危ない処をありがとうございます。お陰で助かりました」
つい先程、崖からまろびそうになっていたところを支えてくれた恩人に、私は草臥れた掠れ声で礼を述べた。
朽木に並んで腰かける彼――自分はただの行きずりだからと、名は教えて貰えなかった――は軽く首を振ると、お気になさらず、と笑いながら竹の水筒を差し出した。ありがたくそれを受け取り、口を付ける。
美味い。ひんやりとした水が喉を滑り落ちていく涼気に人心地ついたところで、ようやく、相手方に気を配るという事に思い至り汗顔する。一月近く真面に身なりを整えていない私は、下級の田舎貴族とは言え、そうと名乗れない程に烏帽子も狩衣もぼろぼろで泥だらけだ。だが、身を縮込めた私の素性を、隣に座るこの方は何も訊ねてこない。
なんとも変わった方だ。見目のことだけではない。まるで吹き抜ける風のように捉え処のない気配。それとも、旅人というのは皆こうなのだろうか……愛しい、あの娘のように。
不意に眩暈を覚え、浮かびかけた面影が霧散する。こんな山中に留まっていた所以に想いを馳せるも、眩暈のせいか考えがまとまらない。
私の様子をどう感じたのか、旅人は、気紛らわしに面白いものをお見せしましょう、と背負った荷から一輪の花を取り出した。
差し出されたそれを何と無しに受け取り、ぎょっとする。掌ほどの大きさのそれは蓮の花に似て、透けて見える程に真っ白な花びらの中心には、小さなされこうべが載っていたのだ。
何とも気味が悪いと思うのに、目が離せない。
これは『骨花』と言って未練を糧に咲く珍しい花なのです、と、旅人が囁く。それなりに書にも親しんできたと自負はあるが、そのような花は、これまで見聞きしたことがない。だがこの花からは、何処かまことが感じられる。
いや、やはりこれは細工物に違いない。類まれな作り手の細工物には魂が宿ると言う……そういうことなのではないか。
旅人が再び囁く。
「どうぞ、退屈しのぎにお聞きください。わたくしが、どうやってこの花を手にすることになったのかを」




