《ミエナイキモチ》
神山美月による独白記。
『朱色優陽―アケイロユウヒ―』1読了後にお読み頂ければ幸いです。
そのヒトが何を考えているのかなんて、見た目だけでは分からない。
――何故あの子は、あんな怖いヒトと仲良くしているのだろう?
ずっと、それが疑問だった。
あんなにも明るくて、楽しくて、誰にでも優しくて、友達だって一杯いて――私みたいな、何の取り柄もないつまらない女の子にだって、素敵な言葉をかけてくれるような優しい子なのに……何でなの?
容姿も、立ち居振る舞いも、声だって可愛いから、当然、男の子にも人気がある。なのに何で、あのヒトなんだろう? よりにもよって、あの――境守起陽なんだろう。
悪い話しか聞かない。恐ろしい話しか聞かない。最初にあのヒトを見たのだって――……思い出すのも嫌なくらい、凄惨な現場だった。
入学して間もなくの頃、あのヒトは、当時の三年生に大けがを負わせたことがある。どちらに非があったのかなんて知らない。ただ、三年生は頭から血を流して倒れ、あのヒトは、それをつまらなそうに見下ろしていた。
それはきっと、私だけじゃなくて、あの場にいた多くの生徒達の記憶に深く刻まれたと思う。忘れられない――恐怖の記憶として。
……思えば、あの子を眼にしたのも、あの時だった。
つまらなそうにするあのヒトの側で、まるで恐れることもなく、その非道な行いを窘める女生徒。駆けつけた先生達があのヒトを連れて行く時も、絶対に傍らを離れようとしなかったあの子。
――それが、朝日奈ひなたと言う女の子だった。
今思えば、あの時の女の子と友達になっているなんて、不思議な感じがする。あの時は、まるで遠い世界のヒトのように感じていたから。
……だけど、ひなちゃんと友達になるよりも、よほど信じられないことが、最近、起きた。
それは――
「っ――境守君っ……!」
眼の前に見えた背中に、声をかける。未だに、少し声がうわずってしまう。
「? ……ああ、神山か。よう」
振り向きながら言って、少し皮肉げな笑みを浮かべる彼。
信じられないこととはつまり、彼――境守起陽君とまで、お知り合いになってしまったと言うこと。
……いえ、なってしまったと言うのは語弊があるのかも知れないけれど。でも、彼のことを未だ計り兼ねていると言うのは本当だった。
「今から病院か? お前もマメな奴だな――なんて、頼んだ俺が言う台詞じゃねえか」
言って、境守君は自嘲的に笑う。
そうなのだ。私は彼に請われてからと言うもの、週に三回は、放課後に病院へ顔を出している。
大変と言えば大変だけれど、子供達が喜んでくれるのは嬉しい。
何より、こんな自分でも、誰かの役に立てると言うことが嬉しかった。
少しだけ優しい気持ちになって、私も笑みを浮かべる。
「境守君だって、ほぼ毎日通ってるんでしょう? ひなちゃんに聞いたよ?」
「あー……まー、俺の場合は、あれだ。毎日顔を出さないと、へそを曲げるやっかいな奴がいるんでな」
呆れたように、嘆息する彼。でも、嫌がっているようには見えなかった。
それを微笑ましく思う反面――少し、羨ましくなる。
境守君やひなちゃんには、そのヒトが側にいるだけで満足だと言うヒトがいる。それは、それだけの魅力が二人に備わっているからなのだと思う。
――じゃあ、私は……?
「……すごいね、境守君は」
無意識に、呟いていた。
「私は……誰かに求められたことなんてない……求める自信も、ない――私には……何もないから……」
そんな辛気臭い私の言葉に、境守君は押し黙った。
「――あっ……ご、ごめんなさいっ……! 変なこと言っちゃってっ……」
すぐに失言だったことに気がついて、私は慌てて顔を上げる。
冷たい眼で見られることくらいは覚悟していた――けれど、彼は、けしてそんな眼をしなかった。
「……はっ、何言ってんだか」
そう言った彼の眼は呆れたような色をしていたけれど、どこか暖かい色もしていた。
「何にもねえ奴に、助け求めたりするわけねえだろ」
「で、でもっ、私っ、ひなちゃんみたいに可愛くないし、運動だってできないし、勉強も得意ってわけじゃないしっ……」
反射的に、私は首を振っていた。
境守君は、そんな私に一つ嘆息して、続けた。
「……ひなたが可愛いかとか、神山が可愛くないかとかは別として、だ――んなの、関係ねえだろ。可愛くなかろうと、運動できなかろうと、勉強できなかろうと、お前にはお前にしかできねえことがあるだろ」
――それはつまり、私が病院へと通う理由。
「っ……でも……」
それでも、不安は拭えない。私は本当に、誰かに求められる価値のある人間なのだろうか? そこにいて良い人間なのだろうか?
「……あのな。何を迷ってるのか知らねえけど、事実は一つだけだろ。俺は、俺にはできないことをお前に頼んだ。それは、まあ、つまり……何だ。神山的に言うと――お前を『求めた』……って、ことなんだろ。……何か、いやらしい言い方だが」
「いやらしい? ……って、やだっ! 境守君たらっ、私っ、そう言う意味で言ったんじゃないよっ……」
確かに、よくよく考えてみればとんでもないことを口走っていたかも知れない。
途端に恥ずかしくなって、私は顔を伏せた。火照る頬が、茹で蛸状態の自分を自覚させて、ますます恥ずかしくなる。……何をやっているんだろう、私は。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙の中、並んで歩く二人。
その沈黙を打ち破ったのは、境守君だった。
「……あの、さ。俺はお前のこと、ほんとに凄い奴だと思ってるんだぜ? 小器用に指先一つで何でも作っちまってさ。何つーのか――魔法の手、って感じか」
そう、少し悩んで発せられた言葉に、思わず私は吹き出してしまった。
その言葉が陳腐だったからじゃない。似合わなかったからでもない。
――私はそれと同じ言葉を、前に聞いたことがあったから。
何だかそれが酷く愉快で――気がつけば、自分のことなどどうでも良くなってしまっていた。
「っ……うふふっ……あははっ……! そっかっ、こーゆーことなんだねっ」
一人合点が行って、けらけらと笑う私に、境守君は困り顔で頭をかく。
「……ま、吹っ切れたんなら何よりだけど……さ」
戸惑いながらそう呟く彼の姿が何だか可愛く見えて、私はますます愉快な気持ちになる。
そうか。例えばこんな所なのだ。何だか放っておけないような、世話を焼きたくなるような、不思議な愛おしさ。
でも、結局のところはそんなことなど関係なく、この二人は根っこのところで繋がっているのだ――同じ言葉を、同じ相手に言ってしまうほどに。
何も疑問に思うことなどない。彼と彼女が一緒にいることはごくごく自然なことで、余計な口を挟むのは野暮なのだ。
何故だか清々しい気分で、私はいつもより一歩、境守君の側に歩み寄ってみる。
彼は驚いた風ではあったけど、照れ隠しの仏頂面で、私を受け入れてくれた。
それは、悪くない気分だった。
――何の変哲もない、いつもの放課後。
でも、少しだけ、気分の良い午後。
その日、私は、境守起陽と言う男の子の、少しだけ可愛いところを知って――少しだけ、朝日奈ひなたと言う女の子の気持ちを知った。
【朱色優陽―アケイロユウヒ―閑話『ミエナイキモチ』終】